タリホーです。

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ドラマ「美しい彼」シーズン2感想(可愛さ大加速、すれ違うエターナル)

シーズン1の感想というか解説をUPして一週間も経たないうちにシーズン2が始まったけど、てっきり1と同様全6話だとばかり思ってたので4話で終わりだと知ってちょっとガッカリ。でも4月から上映される映画のことを思うと分量的にはこれで丁度良かったのかもしれないと思ったが、それはひとまず置いておくとして。

シーズン2の感想に移る前に今一度シーズン1のことでちょっと語りたいことがあるので先にそれを済ましておきたい。

 

原作を読んだ上でのシーズン1の再評価

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シーズン1の感想は原作未読で書いたが、ドラマが面白かったので視聴後原作1巻を購入して読んでみた。原作では平良が中二の夏、両親に連れられて白樺林に行き、そこで撮った風景が全然美しく思えなかったというエピソードが書かれており、彼の独特な価値観の一端を垣間見ることが出来た。

平良が自然の風景に違和感を覚えたのは多少わかる所がある。というのも一般的に自然と言われている風景だったり場所は人の手によって管理されて整えられた自然であることが多い。鮮やかで美しい花も実際は品種改良で観賞用に鮮やかにされている場合もあるし、本当の手つかずの野性の自然・植物というのは荒々しく無秩序だ。だから平良が白樺林やカラフルな百合の群生に美しさを感じないというのは直感的に的を射た指摘だなと思ったし、人の手が加わらない清潔さというのが平良の美的感覚におけるポイントなのだろうかと考えた次第だ。

 

平良が清居に惹かれたのは外見の美しさは当然あるとして、心理的な面で人間らしい要素、つまり慈悲だとか思いやり・気遣いみたいな部分が清居から感じられなかったというのもあったかもしれない。実際の清居は慈悲も思いやりもあるのだけど、平良が清居と出会った当初は清居も虚勢を張っていたこともあってツンツンとした態度が強く、一匹狼としてクラスにいた。

平良が吉田に雑用を押し付けれられそうになった際、清居の一喝によってそれを免れたという出来事が原作・ドラマ共に描かれていたが、この出来事は正に平良が清居を崇拝視する理由を表した出来事で、慈悲や思いやりで助けられたのではなく、自分の用事を優先させたいが為に吉田を潰したというエゴイスティックな救済にカッコ良さを感じている。

本来慈悲とか思いやり・優しさの精神って人間らしさとして尊重されるものでありそこを重要視するのが人としてあるべき姿だけど、平良からしてみれば現実世界におけるそれらにはどこか嘘くささを感じるというか期待出来ないものであると、吃音というハンデを背景にして語られている。だからこの下りを読んだ時私は平良が求めているのは優しさでも慈悲でもなく支配されたい・所有されたいという願望で、美しき王・清居の庇護の下にいることが自分の地盤になるのではないかとそう考えた訳だ。

この平良独特の美的センス(人の手が加わらない清潔さ)と価値観(被支配・被所有欲求とでも言うべきか?)を満たしたのが高校生の清居にあったと思う。

 

平良の分析はこれくらいにして原作をふまえてドラマを改めて評価すると、ドラマはよくもまぁ25分×6話で原作をまとめたなと思うし、改変も納得がいくというか原作でピンと来なかった部分を補完するようになっていて素晴らしい。特に3話の清居のキスの解釈について、原作を読んだだけだと多分平良が別れのキスと受け取った理由がわからないままだったが、ドラマは倉田という女子生徒を押し出すことでちゃんと理屈がつけられていた。

また、平良が城田を殴った出来事で「自分で自分を助けられた」と平良が述べる場面があったが、原作ではトマトジュースの一件の後に城田が清居をパシリにしようとしたことで平良は殴ったのに対し、ドラマはトマトジュースの時に殴りにかかっている。些細と言えば些細な改変だが、これによって担任の先生は平良に対し「清居を助けようとしたんだな」と言い、前述した平良の独白が続く。ドラマはこうやって平良の独白が不自然にならないよう台詞を自然に引き出しているのが脚本の優れたポイントとして挙げられる。

 

清居の可愛さが加速する

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ここからはシーズン2の感想に移る。シーズン2は4話しかないので、構成も起承転結、つまり1話が始まりの「起」、2話が色々ある「承」、大きく展開が変わる3話の「転」、そして締めの4話が「結」という構成だ。内容はシリーズ二作目の『憎らしい彼』や一作目に収録されている「月齢14」といった短編エピソードをアレンジして一つの物語にまとめている。ちなみに『憎らしい彼』は映画でもやるエピソードなので、興を削がないようまだ原作は読んでない。

 

シーズン1で両想いとして結ばれた平良・清居の同居生活がシーズン2の軸となる訳だが、1・2話を見てまず思ったのは平良と清居がいちいち可愛い!!

特に清居はシーズン1ではまだ平良の真意がわからず周囲に対して虚勢を張っていたこともあって、つんけんとした印象を与えたが、シーズン2の今は自身の依存心をこれでもかと平良に向ける。平良がモデルの女に絡まれたら嫉妬でおかしくなるし、小山から教わった常夜鍋を作ってそわそわと平良の帰りを待つ姿は新妻そのものだ。

 

勿論、両者の甘々で見ているこっちがニヤケてしまうような同居生活だけが描かれる訳ではない。劇中でも出て来る「エターナル」というワード、すなわち平良からしてみたら奇跡とでも言うべき清居との交際生活を永続的なものにしていかなければならないというミッションがシーズン2のテーマの一つであり、学生というモラトリアム期間から社会人へと向かう変化と併せて、関係を永続的なものにするための変化がこのシーズン2では平良だけでなく清居にも課されている。

清居は既に新人俳優として社会に出ているから一見すると軽いミッションに思えるかもしれないが、平良の(清居に対する)キングの妄想は未だ健在で、対等な恋人の関係を築きたい清居からしてみればこれまでのような振る舞いでは二人の関係は上下関係のままだ。そういう意味では清居も変化しないといけない訳で、それが1・2話の嫉妬や新妻的振る舞いからうかがえる。

二人とも永続的な関係のために変化しなければならないと思っているが、両者が思うエターナルは違っており、それが3話の平良の発言によって爆弾として炸裂する。

 

生のエターナル・死のエターナル

3話で平良の従姉妹・菜穂と彼女の息子・智也が来訪した際、平良と清居は互いの関係を友人と濁してしまい複雑な気持ちになる。同性愛をカミングアウトしにくい空気というのは本作に限らず社会的な問題としてしばしば取り上げられるのでこれ自体は別に珍しくもなんともないが、ここで互いの抱く理想がすれ違っていたことが発覚する。

清居はいずれ平良との関係が互いの両親にも認知される未来を少なからず期待していたのに対し、平良は両親には関係を明かさないし清居を自分のレベルに落とすことを拒んで清居を理解することをも拒絶した。清居にとっても視聴者にとっても爆弾発言となった平良の一言。ここの清居の苦しい表情がもう、ね…。見ているこっちも胸を締め付けられる思いだったわ。

 

この平良の閉鎖的で頑なな妄想の大本は(シーズン1でも描写されているように)平良自身の境遇・環境が大きく影響しているのは確かで、吃音でうまく相手とコミュニケーションが取れないことや、クラスメイトと馴染めずスクールカーストの底辺にいたこともあって現実に対して諦めの境地でいる。現実への諦観が平良の妄想の基底にあって、それに抗わない、つまり挑戦しないことが彼のサバイバル術なのだ。今の状態で辛いのに挑んでもっと辛い目に遭うのは誰だってイヤだと思うし、学生生活の間は流れに逆らわず与えられた課題をこなしていれば一応なんとかやっていけるので、平良が枠の外から出ない閉鎖的な人間になるのも当然の結果と言えるだろう。

挑戦の経験に乏しい平良が作中で挑んだことと言ったら城田に殴りかかったあの出来事が一番印象的だが、ただアレは怒りから衝動的にやっただけの話で、事前に腹をくくって挑んだことではないからね。

 

i-voce.jp

そしてそういう環境で育った人間というのは得てして相手に期待しない。平良が相手に期待しない人間だというのは、上に載せた記事を読んで私も気づいたのだが、清居との交際が表面上うまくいっていたのは平良が清居に求めることがなかったからだ。

清居との関係が終わることを恐れる感情はあったが、これは平良にとってこれ以上の関係には発展しない、もう既にゴールは見えていると頭から決めつけているからだろう。ピークを迎えたら後は下降しかないという考え、それを恐れて絶頂に達するギリギリの段階で死んでしまいたいという思想から見ても、平良が望むエターナルというのは直線的に進展していくものではなく、円環のように同じ状況・環境がループするようなエターナルではないだろうか? 挑戦と挫折の経験が乏しい分、どうしても同じ状況・環境の枠の内にとどまってしまうのが平良の行動傾向で、それを自分なりの妄想で固めて安定させようとしている感じがする。

 

平良の生き方はこれ自体苦しい生き方だし、平良の抱くエターナルはある種逃避行的で死のエターナルと言い換えられる。二人の関係だけでなく状況や環境までもそのままにしようとするから歪になってしまうし、果実ならこのままだと腐り果ててしまう。それでも今の関係にこだわってしまうのは、その枠から抜け出したら自分がどうなるかわからない。もっと恐ろしい・苦しい状況になるかもしれないし、その時自分は果たして正気でいられるのか…という具合に恐怖心が足枷となっているのではないだろうか。

(或いは清居の人間的な部分を知り過ぎてしまうと、いわゆる百年の恋が冷めてしまうからストッパーをかけているのかも)

これが対等な恋人ならば相手が助けてくれるという期待があるため、枠から抜け出せる勇気となるのだが、前述したように平良は清居に期待していない。だから平良にとっての挑戦というのは一人でバンジージャンプをするようなもので、だから一層今の状況、つまり平良が言う所の「月齢14」のような完璧に至る直前の段階にとどまるのではないかと思った次第だ。

 

死のエターナルと言ったので、一応反対の生のエターナル、つまり清居の抱くエターナルについても触れておくが、こっちは二人の関係さえ継続すればそれ以外の状況・環境の変化はあって当然という考えだ。これは平良の方よりもわかりやすいし比較的に見ても健全な思考だと思う。

シーズン2に入ってから清居が素直に感情や思いを平良にさらけ出すようになったのも、平良のキング妄想を打ち砕き対等な恋人関係を育むための努力だし、3話で平良に対し「ごめんな、お前のこと好きになって…」と言ったあの一言はシーズン1の清居ではあり得ない言葉だ。自分が傷つきながらも、相手に寄り添う声かけだったと思うし、ここで突き放すようなことを言ったらまた王と下僕の関係性に逆戻りしてしまうことをわかっている。それが伝わるから視聴者の胸もきゅっと締め付けられるのだ。

 

謙虚なようで傲慢

最終話の4話では、平良がカメラマンの野口と出会い彼のアシスタントになる。このシーンで野口は平良の写真をこう評価している。

俺が君の写真から感じたのはすごい自分勝手さと、鼻もちならなさ。まだなにも成していないくせに、自分はすごいと勘違いしてて、でもそういう自分をストレートに見せずに卑下の殻で守って、世の中を上から目線で見てる若さの馬鹿さ、曖昧さ

この野口の評価は平良本人も自覚していない彼の性格を見事に言語化しているなと私は思う。確かに平良って初対面の人が見たら大人しくて謙虚なように見えるけど、実際は結構傲慢な所があるんじゃないかと思うのだ。

 

3話で平良は自分が石ころみたいな存在であり、自分が清居を理解しようとするのは清居を自分のレベルに下げることになると言っていた。でもこれって裏を返せば「自分は清居を引きずり下ろすだけの力がある」って言っているようなもので、本人は気づいてないけど自分自身の影響力を無意識に把握しているからこそ出て来る考えではないだろうか。本当に石ころだったら理解しようとしまいと清居という星の輝きに変わりはないという考えに行き着くはずだし、そんな非論理的な部分に平良のエゴが垣間見える。

(でもアーティストとしてはそのエゴが案外必要だったりするから、そこを見越して野口もアシスタントに起用したのかも)

 

さいごに

毎度毎度平良の行動・心理には(良い意味で)混乱させられており、こうやってブログを書くことで整理してはいるものの、完全につかめない感じがするのは平良が理性と本能の部分で矛盾している人間だからかなと改めて思う。本能の部分ではキスも性的なイチャイチャも恋人としてやっているけど、理性の部分、つまりこれまでの環境や自分が作り上げた妄想がストッパーとなって対等な関係になれない。そのもどかしさがシーズン2では魅力のポイントになっていたと評価する。そして、その頑なな平良を恋人の関係にするために素直な感情で接しようとする清居のひたむきさというか健気な部分がまぁ~愛おしかった。

根本的な部分ではまだまだ平良の妄想の壁は崩れていないけど、平良と清居にお互い共通の目標が出来たことで歩みを揃えられた感じはするし、カメラマンの野口が平良のお師匠さんとしてこれから物語に関わっていきそうなので、遅かれ早かれ平良の妄想の壁は崩れるのだろうと、そんな予感もした。

 

ということで以上、シーズン2の感想でした。もしかしたら加筆することも出て来るかもしれないけど、一旦これくらいにして4月の映画を楽しみにしておこうっと。