タリホーです。

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久能、炎の天使を祓い落とす「ミステリと言う勿れ」7話視聴

ミステリと言う勿れ(5) (フラワーコミックスα)

前回の続きです。

tariho10281.hatenablog.com

 

(以下、原作とドラマのネタバレあり)

 

アイドルが人間に戻る時

「炎の天使」編完結となる今回は、井原香音人と下戸陸太の過去を描きながら虐待やいじめといった社会問題、被虐待児だった人が抱える地獄・トラウマが浮き彫りとなった。既に原作を読んでいたとはいえ、こうやって映像化されるとまた胸にこみ上げるものがあったし、虐待から逃れてもまた別の地獄があるということを視聴者に示したという点で意義があったと思う。

 

さて、下戸の中にいた香音人(炎の天使)が実在しないこと――既に下戸が殺害していた――を久能が突きつける場面があり、そこで下戸の幻想が打ち砕かれる描写があった。この辺り、1話で言及した久能の「憑き物落とし」としての役割が正に発揮されていて、やはり久能整は令和の京極堂みたいだと改めて思った。

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ミステリとしては、今回のような演出(映像には映っているが実在しない人物)はアンフェアの誹りを受けてしまうが「ミステリと言う勿れ」というタイトルなのでそこはご愛嬌と言った所だろう。

 

原作を読んでいた時も思ったが、下戸のトラウマ(赤いものを見ると発作が起きる)は香音人によって生み出されたものだから、幻想が砕かれ警察に連行された後は恐らくそのトラウマも軽減されるのだろう。ただそのトラウマは彼が崇拝する香音人と込みで同居していたと思うと、ネガティブなものだったとはいえ、あのトラウマも下戸のアイデンティティだったのかと思ってしまう。

下戸にとって香音人は「炎の天使」というヒーローであり、崇拝の対象だった。言い換えればアイドル(偶像)だったと言える。精神の拠り所であるアイドルとしての香音人が普通の人間に戻ろうとした時、下戸のアイデンティティが崩壊しそうになったのではないだろうか。あの時の殺人は発作的だったとはいえ、下戸の動機としては自己のアイデンティティの保持としての殺人だったのかもしれない。それが崩れてしまえば、彼の過去の行い全ては否定されることになるし、一人で親殺しの罪を抱えていく羽目になるのだから。

 

親殺し(尊属殺人)の十字架

刑法改正で今は削除されているが、元々親殺し=尊属殺人は重罪として通常の殺人より重い刑が課されていた。それだけ身内を殺すということはある種のタブー(禁忌)であったのだから、いくら虐待を受けていても、自分の意思で親が死んだ=親を殺したという罪悪感は無意識に本人に降りかかると思う。炎の天使によって(間接的に)親を殺した被虐待児も、そういう親殺しの十字架を背負って生きていたはずだ。大人と違って子供の世界というのはひどく限定的だから、世界の中心とでも言うべき親の存在を失うというのは自分の精神の拠り所を失うも同然だろう。

大人の視点で見ると「親がいなくても助けとなる人はいくらでもいる」とか平気でそういうことを思ってしまうかもしれないが、生まれて世界の広さをまだまだ知らない間に指標となる親を失うというのはやはり想像するとショッキングな出来事だと思う。それでも虐待を受けて死んでしまう悲劇を避けるためには、「いつかこの子もわかってくれるように」という祈りを込めて親と子を切り離さないといけないのだろうか、専門の仕事に就く人々は常にそういうジレンマ・苦悩を抱えて職務を遂行しているのだろうか。と、そんなことを思う次第であった。

 

香音人の母の「虐待」は近親相姦的愛情か?

ちょっと話は変わるが、香音人の母の「虐待」行為は他の虐待をする親と違って溺愛からくる虐待として描写されていた。単に離婚の影響で精神がおかしくなったというだけの話なのかもしれないが、これについて私は配偶者を失ったことでこれまで分散していた性愛のエネルギーが子供に目掛けて一気になだれ込んだ結果があの虐待行為につながったのではないかと考えている。

これはあくまで私の勝手な仮説というか変態的考えとして読む人には伝わってしまうかもしれないので、あまり批判的に読み取らないことをどうか願ったうえで語るが、相手に意図的に傷を負わせる行為と性行為にはどこかリンクしている部分――相手の体に自分の痕跡を残す行為――があり、そう捉えると香音人の母の虐待行為には自分の子供に対する性的な倒錯というか近親相姦的な愛情があったのではないかと思うのだ。

ドラマでは描かれてないが、最終的に香音人の母は「一緒に死んで」と無理心中まで図ろうとした位だから、その愛情はマゾヒズムの要素も入っていた可能性もある。サディストとして子供を傷めつけていたというよりは、自分自身がマゾで痛みに性的満足を感じる人間だから、子供にもそれが通用する、或いは自分の子供ならそれを受け入れてくれるという期待があったのではないだろうか?

 

さいごに

今回は大体原作の展開に則っていたので大きな不満はないし、菅田さん演じる久能が下戸の幼少期のいじめエピソード(先生も彼をカエルと呼んでいた)に対して静かな怒りを露わにしていたのが印象的だったし良い演技だった(原作は文字と絵という限定的な情報のせいか久能の感情は控えめに見える)。とはいえ、日本ドラマの悪いクセが出たのか、風呂光が久能に淡い恋愛感情を抱く描写が蛇足となり、そのせいで冷凍庫のアップルパイの下りがカットされたのが残念であった。

次回は原作の6巻以降のエピソードに入るが、まだ6巻以降の原作は読んでいない。一応6巻~9巻をネット通販で注文したので(10巻は品切れだった)、原作が先に届くかそれとも先にドラマを見ることになるか、どちらにしても最終回まで追っていくのでどうぞよろしく。