タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ナンバMG5ざっくり感想 #10(情熱は伝播していく)

※次回の後日談回でドラマは完結しますが、当ブログでの感想は今回でシメようと思います。

 

10話(最終回)感想

ナンバデッドエンド(15) (少年チャンピオン・コミックス)

最終回となる10話は、白百合高校で起こった襲撃事件後の難破一家と藤田らクラスメイトの剛退学に対する抗議活動が描かれる。前に原作のお試し版を読んだ記憶が確かならば、両親と剛の和解にはもう少し時間がかかったように思うが、ドラマでは割とすんなり和解したようで、これは前回父親の勝が仕事で「義理人情で社会が動いている訳ではない」という取引先の人の一言が影響を及ぼし、すんなり剛のことを許せたと視聴者に理解出来るよう描写されていたので特に違和感はなかったと思う。

 

兄の猛は両親と違い剛のことが許せずにいたが、家族の中で猛が一番時間の止まった人間なので、自分の中で消化するのに時間がかかるタイプだとは思っていたよ。なまじ関東を制覇してしまったが故に、両親以上に力でのし上がることにこだわって弟にそれを託したのだろう。それに、猛は最強の男だけどそれゆえ孤独というか、価値観を共有する仲間のような存在がいないから、伍代や大丸といった仲間が剛にいることに少しは嫉妬の感情はあっただろうし、そうやって仲間同士助け合い成長してゆく弟に置いてけぼりにされていく寂しさが猛を天邪鬼にさせたのかなと思っている。

最終的に弟の将来を邪魔しようとするグレ一味を倒し剛と和解したが、あそこでようやく猛は(ある意味)幼児退行していた自分を捨てて弟を守る兄貴としての務めを果たしたのだから、最後の最後に兄・猛の成長が描かれたのも和解の場面の感動を後押ししていたように思うのだ。

 

原作だと「デッドエンド」編に入る前に猛をメインにしたエピソードがあって彼の人となりがわかるのだけど、ドラマは1クールで描き切る必要があり、剛の物語としてまとめる分、猛の描写はどうしても減ってしまう。原作で猛と剛がドラマと同様の形で和解したのかどうかそれはわからないが、猛は「関東最強の男」というチートキャラ的な設定が与えられた役どころであり、ドラマでは彼がある種のコメディ・リリーフとして立ち回っていたため、終盤のシリアスな展開に(下手したら)猛が馴染めない可能性もあった。しかし、ドラマはそこを考えて兄弟の和解を終盤に持ってきたのが脚本の舵取りとして効果的だったし、チートキャラであるがゆえの頑なさと孤独が伝わるようになっていたのも良かったと思う。

 

藤田たちクラスメイトによる体育館立て籠もりの抗議活動は、学園ドラマではお馴染みの風景でありベタな展開であることに変わりはないが、そこに至るまでに剛がやってきたことや彼の勇気・情熱が伝播しているというのが素敵な所で、特に島崎なんかは初回のヘタレなままの彼だったら校長に抗議する勇気なんて湧いてこなかっただろうし、クラスメイトだって一致団結出来なかっただろう。

 

この抗議活動の場面では、事情を知らなかったり心のない他のクラスの生徒の誹謗中傷があったり、抗議活動をやめさせようと内申や推薦を引き合いに出した生徒指導の先生に折れて抗議活動を降りる生徒がいたりと、現実世界でもあり得る人の動きというか心理も描かれている。そのことでちょっと脱線するかもしれないが言っておきたいことがある。

1960年代や70年代には今回の抗議活動のような学生運動がざらにあった時期で、今回の出来事はそれを想起させるものがあるけど、学生運動が盛んな時期にそういった活動に関わらなかった人はノンポリ(nonpolitical の略)と呼ばれていた。だから抗議活動に関わらなかった眼鏡の女生徒がいたでしょ?彼女なんかは正にそのノンポリで、今の時代はどっちかというとこのノンポリ派が多数派になっていると私なんかは思うから、ノンポリを決め込まずに誰かのために自分の人生を賭けることのカッコ良さ(或いは難しさ)が一貫して描かれているのもこの作品の素晴らしさなのかなと思うのだ。

 

総評 ~何故ここまで視聴者の心を動かすドラマになったのか~

当初は水曜の新ドラマ枠に2005年に発表された原作を、それも不良モノをチョイスするなんて何を考えてるんだ…?という感じで、裏のドラマともかぶるのによくもまぁ喧嘩を売るようなことをしたものだと思った(実際そういう所はテレビ局としてあるのかもしれないが…)。私は間宮さんのファンとしてずっとドラマを追っていくと決めたので、内容はどうあれそれなりに評価されたらファンとして嬉しいな~という思いで見ていた。

最初の1~3話くらいまでは面白さとしては中の上で、ネットでの反響も「そこそこ面白いドラマ」みたいな感じだったと思うが、4話以降からあれよあれよという間に視聴率に反比例して評判が高まっていき、最終回に至ってはTwitter の方で10万ツイートを超える勢いでツイートされていたから、客観的に見ても多くの人の心をわしづかみにしたドラマであることはまず間違いないと言って良いだろう。

 

では何故ここまで多くの人の心を動かすドラマになったのかと考えたが、その一因としてコロナ禍はやはり関係していると私は思うんだよね。

別にコロナ禍に限らないかもしれないが、私たち人間は生活の安寧のために多くのことを妥協したり諦めたり、或いは犠牲にして今何とか食いつないでいる部分がある。特にコロナ禍の学生は修学旅行が行けなくなったり、スポーツの大会に出場出来なくなったりと、今しか出来ないことを諦めざるを得ない人が至る所にいて、そういった人々の悲鳴が報道として流れた。そんな折にこのドラマが放送され、難破剛の生き様に何か感動を覚えたり勇気づけられたり、憧れを持った視聴者はいたのではないかと思う。

勿論剛のいる世界にコロナ禍はないけど、普通なら妥協してヤンキー街道を行くはずの男が自分が憧れた「普通の学生生活」を送るために二重生活という危ない橋を渡り、その過程で得た仲間によって彼が支えられたり、反対にその仲間を助けるべく奔走したりと「不良」としても「学生」としても必死に誰かの支えになろうとする彼は、コロナ禍だけでなく人生で色んなものを捨て妥協してきた現実の視聴者にとってもヒーローだったと言えるだろう。

これは「ナンバMG5」に限らず、フィクションには私たち現実社会の人間が人生の中で妥協した結果捨てたり犠牲にしたものが堆積され結晶化したものが含まれている。だからこそ私たちは物語に感銘を受けたり感動することが出来るのじゃないかと思うし、本作がここまでの人気ドラマになったのも、元の物語のテーマ性と今のご時世がバチっとはまったからだと考えられるのだ。

 

あと人気になった理由として挙げられるのはストーリーのストレートさかな。昨今のドラマは考察とか過剰な演出とかを売りにしたドラマも多いが、そういうドラマで頭をはたらかせること自体私は嫌いではないし、当ブログはどちらかというとその考察に頭をはたらかせることが好きな人間が書いているので、逆に本作のような不良が活躍するドラマの感想を書いているのがむしろイレギュラーなのだ。

とはいえ、考察系のドラマは頭をはたらかせる分ちょっと見ていて疲れる部分はあるし、人の言葉の裏を読んだりしないといけないから、そういうのに慣れていない人には最近のドラマが肌に合わないというか、登場人物に感情移入出来なくてう~んとなってしまう所があるのではないかと思う。その点本作は最近のドラマではめっきりやらなくなったホームドラマ要素があるし、登場人物も善悪を問わずストレートな人間が多くて捻くれた人間の方が少なかったから、内容的にもガツンとダイレクトに視聴者に届く物語だったと思う。

 

そしてこれが一番重要かもしれないが、ドラマ制作陣・演者の熱量と原作そのものが持つ熱量が一体となれたことが、見る人の心を動かすドラマになった最大の要因だと今は確信をもって言える。ドラマの中には作り手と視聴者との間に距離感があるドラマも少なからずあるし、クリエイターの自己満足に完結してしまった作品も残念ながらあるのだが、本作のドラマの公式Twitter では毎話オフショットやメイキング映像が公開され、視聴者に見せても恥ずかしくないドラマ作りが一貫してアピールされていた(宣伝の目的も当然あるだろうが…w)。視聴者だけでなく演者の中からも続編や映画化の声があがったのだから、その思いに嘘偽りは決してないだろう。

 

間宮さんのファンなら既に知っているはずだが、先日のめざましテレビで放送された間宮さんのクランクアップ映像において、クランクアップ済みの難破一家三人がサプライズで駆け付けたことに間宮さんが思わず号泣する下りがあった。

私もこれまで彼の出演作は(全部ではないが)見ているし、クランクアップの様子とかもネット記事なんかで調べて見ることもあるが、こうして人前で演技以外で涙を流すようなことは滅多にないので、ちょっと驚いた。

これまで間宮さんが載っている雑誌や写真集にあるインタビューで彼の発言を読んだ感じだと、間宮さんって未成年の頃から感情の整理整頓が物凄く上手な人っていう印象を私は受けたのよ。学生の頃から俯瞰的に物事を見る傾向があって、嫌なことがあっても冷静に受け止められる性格であることを本人も述懐していたからね。ただ、その達観的な感受性がアダとなってマネージャーさんから注意されたり共感性の低い人だと誤解されたりしたというエピソードも聞いていたから、今回のドラマで男泣きという、ある意味整理出来ていない感情を発露したという所に私も心揺さぶられるものがあったと思う次第だ。

 

あ、別にこれまでの間宮さんがダメで今回ようやく人間的にも成長したとかそういうことを言いたいのではないよ?ただ、今まで(特に未成年の頃)はどちらかというと間宮さん自身の精神と演じるキャラクターの精神との間に溝があって、そのキャラの心理をある種教科書的に把握して演技として出していた可能性はあったと思う。つまり、自分と演じる役が渾然一体となっていなかったのではないかという推測なのだが、この課題点を間宮さんは多くの作品に出演し、共演者やスタッフの人、もっと言うとファンの方々といった多くの人の心や精神に触れることで、整理出来ない感情(怒りや悲しみなど)を機械的にではなく直感的・感覚的に体得していったのではないだろうか。それが本作「ナンバMG5」で最大に結実したから間宮さんは難破剛と渾然一体となれたのかもしれないし、そういう場や空気感の構築にドラマスタッフや共演者が貢献したのは間違いないことだと思う。

だからあの男泣きって本当に共演者のことを家族と認識出来ていないと泣けないはずだし、そこを報道を通じて見ることが出来たのは一人のファンとして嬉しかったな~。

 

 

ということで、以上でドラマ「ナンバMG5」の感想は終わり。間宮さんはまた別のドラマに出演するが、3シーズン連続の出演となるから体調だけは崩さないでほしいな。