タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

「准教授・高槻彰良の推察」Season2 6話視聴(ネタバレあり)

どうも、タリホーです。ドラマも残す所あと2話。今年の8月から追っかけてきましたが、こうなるといよいよ終わった時のロスが大きくなりそうですね…。

まぁシーズン1は全話録画してるしシーズン2はオンデマンドだと今年いっぱいまで配信されているみたいなので、年明け前までしゃぶり尽くすくらいの気持ちで完走したいと思います。

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

6話

准教授・高槻彰良の推察 民俗学かく語りき (角川文庫)

今回は3話で失踪した栗本小春の失踪事件についての解決編に相当する。一応神隠し事件の法則みたいなものが見えてきたが、まだハッキリとしていない部分もあるし、発見されていない千里ちゃんの動向等も不明なので、次回でその辺りはハッキリしていくだろう。

 

前回私は神隠し事件についての推察みたいなものを当ブログにアップした。

tariho10281.hatenablog.com

それで今回の小春の失踪の動機についても言及したが、これはざっと7・8割くらいは当たっていて「まぁそうだろな」という気持ちだったが、残りの2・3割の部分は予想外だったので、今回はその予想外だった部分について感想を述べたい。

 

「家族価値」という不治の病

前回までの予想では、小春の失踪の動機の大本は夫である幹夫の育児に対する無理解だけだと思っていたが、小春の母親・聡子の母親像への固執が小春失踪の後押しをしていたことが判明。夫だけでなく実の母からも小春は自分の苦しみが理解されていなかったという家庭内の地獄を見て、少なからず心が痛んだ。

 

てっきり私は、彼女が小春失踪の動機を察しており、それについて知らないと嘘をついたことから、娘に同情的な思いを向けているとばかり思っていたが、失踪した娘を「鬼にさらわれた」と自分の孫に説明付けしようとした違和感をもう少し考えれば、娘のことを心配しているというより快く思っていない感情が読み取れたのだ。

何故なら、現実的な解釈を孫に説明するのを避けたいと思ったとして、鬼という凶悪性の高い怪異にさらわれたことにするのは、娘や孫に対して酷いし安心させるどころか余計に不安にさせるだけで、決してプラスの効果をもたらさないからだ(「神様や仏様に呼ばれて行った」とかもっと穏やかなファンタジーにしようと思えば出来るからね)。にも関わらずその解釈を高槻経由で孫に伝えようとしたということは、孫に向かって「お前たちの母親は鬼にさらわれて当然の母親なのだ」と暗に批判していたことになる。

 

この自分の娘に対する嫌悪というか批判の裏には、聡子自身過去に交際した男性の子供を捨てて今の夫と結婚した背景があったことが、紀藤助の怪談話を通じて明らかになった。過去に捨てた自分の子供に対する贖罪の精神から母親という責務を絶対に放棄しないことを聡子は決意したはずだし、それ自体は別に決して悪いことではない。

問題なのは、その贖罪を自分の中で完結せず娘にも科したという点だ。聡子にとって母親という家族価値は金科玉条の如く死ぬまで守るべきもので、個人的な欲望を捨て母に徹することが贖罪であり、ある意味美学みたいなものだったのかもしれない。が、子育て環境が異なる現代においてもその精神というか価値観が固まったままで、それを娘に対して容赦なく突きつけてしまった所に、私は絶望というかショックを感じたのだ。

 

決して昔も子育ては楽でなかったはずだし、過去を振り返れば聡子だって自分の旦那さんや親戚など多くの人の助けを借りて小春を育てたと思うが、そういった記憶がすっ飛ばされて「女でも人間でもなく母親でいなさい」と言い切ってしまうのは、やはり過去の自分(子供を捨てた自分)を未だに許していないからだろう。過去の自分が許せないが、それは過ぎ去ったもので言うなれば自分にしか見えない幻影だ。だから娘を鏡にして過去の自分を投影し、その怒りを向けてしまったと考えることも出来る。つまり、娘に対する糾弾・批判は実は娘だけでなく過去の自分に対する糾弾であったと、まぁ、あえて弁護的に解釈することも出来るのだ。

 

ただそれでもこの聡子という女性にヤバさを感じるのは、母親という家族価値が自分の娘を追い詰めたとわかってもなお「でもやっぱり小春は、母親失格です」(本編16分40秒)と言ってしまう所にある。自分の娘の失踪くらいで変わらないほど、彼女の価値観は母親として暮らした何十年もの歳月の間に凝り固まってしまっていることがうかがえるが、別に聡子に限らず50代・60代くらいになると身内が死ぬとかよっぽどのことがない限り家庭内の価値観なんて揺らぐことはないし、考えもそうそう改まることはないんだよね。そういう世代間の大きな溝、壊せない壁みたいなものもこのドラマで描写されているのが素晴らしいポイントだと思う。残酷だけどそこを描いているから心に響くと思うし、上質なドラマとして伝わってくるのだ。

 

そういった脚本面でも大いに唸らされたが、聡子が「母親失格です」って言った後の高槻先生の目つきを見た時「うぉぉ!」ってなった。最初に見た時は気付かなかったが、あの言葉を聞いた後、高槻はすっと目を細めて鋭い目つきに変わったんだよね。もうあれは正に聡子を軽蔑した目だと瞬時にわかった。これが監督さんの演技プランなのか、それとも伊野尾さん自身が彼女の凝り固まった価値観を感じてそれをオリジナルの演技として表現したのかはわからないが、ここで下手に聡子を糾弾したり非難するのではなく、すっと冷めた軽蔑の目で表現し次の場面へ移ったというのは映像表現として良かったと思う。ここで口に出して糾弾しないからこそ、世代間の大きな隔絶として表れているというか、「価値観の凝り固まった人間を改めさせようと口酸っぱく言っても意味がない。今私たちに出来るのは、そういった人たちを白い目で見つめ、ああいう人にはならないと自分に言い聞かせるだけだ」という、ある種の諦観に近い反抗に見える。それだけに、家族価値って見方を変えれば不治の病なのだろうなと思ったタリホーでした。

 

※地上波放送で二回目を見て新たに思ったこと・感じたことを以下のツイートにまとめました。

(2022.03.20追記)