タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

「准教授・高槻彰良の推察」Season2 5話視聴(ネタバレあり)

物語も後半戦に突入、今回は前回以上に謎と情報だらけで頭がパンクした方もいるのではないだろうか?そう思い今回は感想というより、劇中で提示された情報とそれに対する謎・疑問点を挙げて整理しておきたいと思う。

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

5話の疑問・謎を整理

准教授・高槻彰良の推察 民俗学かく語りき (角川文庫)

〇 寺内一について

・寺内は一連の神隠し事件の首謀者か?

・首謀者の場合、寺内の過去が事件の動機なのか?(両親が借金を抱えていた・高槻への羨望等)

・何故寺内は高槻を巻き込もうとするのか?巻き込んで何をしようと企んでいるのか?

・寺内は「神隠し」をどう解釈しているのか?

 

〇 栗本小春の失踪について

・百物語で小春が語った怪談について。原典と思しき紀藤助の物語を改変して語った目的は何か?(「藤助の嫁が禁忌を犯したことによる死」を「藤助本人が禁忌を犯したことによる失踪」に変更)

神社で盗難された箱は小春の失踪と関係しているのか?関係していた場合、盗んだのは小春なのか?(橋でうつむく描写から)

・盗んだのが小春だとしても、何故箱を盗む必要があったのか?

・難波とその彼女が語った神隠しの怪異は小春の失踪と関係しているのか?関係していたとしても、罰当たりなことをしそうにない真面目な中学生が失踪したのは何故なのか?

小春の母親がついた嘘をどう解釈すべきか?(小春がどうしているのか心当たりはあるが、どこにいるかはわからない)

 

〇 長谷部千里の失踪について

・千里の失踪に寺内が関わっているのか?(4話の描写から)関わっているとしたら何故この子をさらったのか?

・禁足地「八幡の藪知らず」に千里が入ったことが失踪につながっているのか?

・「神隠しの掟」の動画内の人物が寺内だった場合、何故このような動画をネット上にアップしたのか?

・寺内は何故警察に千里の目撃情報を知らせたのか?そもそもバスで見たという目撃情報は本当なのか?(4話の描写から)

何故千里は失踪したはずの小春と一緒にいるのか?

 

〇 各地で起こる失踪事件について

・失踪者の発見場所が何故鞍馬なのか?怪異にしろ人為的犯行にしろ、その場所で失踪者を解放することに何か意味があるのか?

・健司の情報によると、失踪者全てが戻った訳ではなく「何人か」が戻ったとのことだが、戻った人と戻っていない人との違いはあるのか?あるとしたらそれは何か?

 

タリホー、現時点での推察

さて、以上の疑問点をふまえて、現段階での私の考察というか推察を記しておこうと思う。ネタバレではないけど、ひょっとするとシーズン2のドラマの真相に肉薄する可能性もあるので、内容については白字で伏せておく。興味がある方は以下のカッコ内を文字反転して読んでいただければ良いが、まだこの段階で余計な情報・知識を入れず、まっさらな気分で最終回までドラマを見たい方はこのままブラウザバックして以下の文に目を通さないよう、お願いしたい。

 

(以下、ドラマの真相に関する考察)

 

一連の神隠し事件の首謀者が寺内だと断定出来ないが、少なくとも自身の神隠し体験を何らかの形で活かしたいと思っていることは5話冒頭の不遇な少年期の語りから察せられる。自分も高槻のように神隠しに遭えば特別な存在として親から大切にされると思っていた寺内の思いに反して親の寵愛を得られなかった彼は、その不満を『親から愛情を受けて育っていない子供たち』の救済で昇華しようとしているのではないだろうか?それが千里ちゃんを含む子供たちの失踪事件の動機だと私は考えている。

寺内にとって神隠しは親からないがしろに扱われた子供が特別な子供として生まれ変わる、一種の転換装置として思っていると仮説を立てると、失踪した子供が鞍馬で発見される理由も何となくわかる気がする。これは、失踪と発見の経緯に不可解性や神秘性を与えることで子供を今まで以上に大切に扱うよう親たちを誘導していると思うし、『タブーを犯した人間が神隠しに遭う』というルールの裏には、『タブーを犯させる結果を生み出した親に監督不行き届きの責任があるのだ』と遠回しに批判しているのではないだろうか?「神隠しの掟」と称する動画には、神隠しの神秘性を付与する目的と親に対する批判という二重の目的があったはずだ。

小春は子供でないのにも関わらず失踪したのは、彼女の家庭事情――子育てに無理解な夫――が大きく影響しており、そこからの逃避が真相ではないかと思う。少なくとも小春の母親は、彼女の場所は知らないまでも、失踪の動機に小春の辛い家庭内事情があることを察しており、それが嘘となって表れたと考えられる。一方寺内はさらった子供を一時的にせよ食べさせ面倒を見なければならない。そこで、育児役として小春に目を付けたのではないだろうか?5話最後の小春と千里の場面は、見ようによっては疑似親子にも感じられるし、家庭内で不遇な立場にいる両者を結び合わせることで二人を救済しようと寺内が画策したと、そう推察する。

つまり、この第二シーズンの物語には親と子の隔絶、家庭内不和があり、親から愛されない寺内が愛されようともがく様が神隠しという神秘的な事件として表出したと私には見えるのだ。