今回は11月18日までの配信。
しょうけら
当初は正体不明の妖怪として子供たちの寿命を奪っていたこのしょうけらは、鳥山石燕『画図百鬼夜行』にも載っている妖怪。ただし、詳細な解説はなく明かり取り用の窓から覗き込む姿のみ描かれているため、家人の隙を見て襲おうとしているとか、或いは(劇中で目玉おやじが解説したように)夜の安全を守るため監視していると言われている。また、民間信仰の庚申待と結び付けられる場合もあり、庚申の日の夜に眠ってしまった人間に害をなすとか寿命を奪うと言われることもある。今回の寿命を奪うという設定もここから来ているのかもしれない。
しょうけらは原作では登場せず今期がアニメオリジナルにして初登場。「地獄先生ぬ~べ~」では疫病神の一種で、これが屋根の上で踊るとその家で死人が出る。しかもそれを目撃した子供も病気になったのだからかなり厄介な妖怪だ。
が、一方の5期鬼太郎のしょうけらは自分の影を操り寿命を奪うものの殺すことはせず、見た目もヒョロヒョロであまり強そうではない。しかも人間界のゲームにハマってしまうのだから、かなり俗的な描かれ方をしている。
ゲームは垣根を越える
今回の物語はゲームと妖怪を掛け合わせたという点で過去作にはない新奇性があるが、リアタイしていた2000年代から20年経った今、こうやって見ると序盤に映っている任天堂のWiiだったりDSといったゲーム機が既に懐かしく思えてくる。ゲーム機にノスタルジーを感じると同時に「そういや昔のゲームはローカルプレイが主流だったな」とか「この当時は小学校の保健室の前に『ゲーム脳に注意しろ』みたいな張り紙があったな~」とか、そういった諸々の記憶がよみがえる話だった。
今ではeスポーツとかゲーム実況者という人がいるから、ゲームがポジティブに描かれているものの、20年くらい前は劇中のように子供同士のコミュニケーションを浅くしてしまい、まともな会話が出来なくなる・キレやすくなる・家庭内で孤立してしまう切っ掛けになるといった、精神面にネガティブな影響を与える媒体として描かれる側面が強かったような気がする。
でもそういう偏見を打破したのはローカルプレイからインターネットプレイへとゲームの幅が広がったこともあると思っていて、そこから新しいコミュニケーションツールへ進化していき、今では外国の人ともゲーム上で仲良く同じゲームをプレイ出来るのだから、ゲームの中では国境も人種も、また歴史的軋轢も関係なくフラットにつながれるという点でリアルのコミュニケーション以上に優れた部分もあると思うくらいだ。
これはひとえにゲーム制作者が万国共通で受けるゲーム作り(宗教色を入れない・特定の人種を差別するような作り方をしない等)をしてきてくれたおかげでもあるから、この20年の間のゲーム業界の技術進歩は私たちが思っている以上に凄まじい発展だったのではないかと、そう思うのだ。
で、今回の物語に話を戻すと、やはりゲームをネガティブに描いている部分はあるものの、妖怪さえもゲームにハマってしまい、人間との寿命を賭けた対戦プレイ(ある種の課金プレイみたいなものかな?)をするという描写に、現在のインターネットプレイにおける国境や人種の垣根を越えたつながりが見出せるのではないだろうか?勿論、そのつながりは必ずしもポジティブなことにならず今回のようなトラブルを引き起こすことにはなるが、ゲームが新たなコミュニケーションツールになるという事実をこの頃に描いている点は注目すべきことだろう。
まぁ、脚本の三条氏は単に「妖怪がゲームをするって面白いよね」みたいな感じでゲームを物語に取り入れたのかもしれないし、この物語は「ゲームより現実のコミュニケーションの方が大事」ということを伝えたかったのかもしれないが、結果的にゲームのユニバーサル性がこの5期で表現されたのは良かったと思うよ。
さて、次回は5期の準レギュラー・蒼坊主が初登場。ぬらりひょんの回でもあるので彼のことも言及していこう。