タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

「准教授・高槻彰良の推察」Season1 6話視聴(ネタバレあり)

最後に地元の図書館に行ったのは大学生の時かな。大学のゼミで必要な本が借りれなかった時に地元の図書館で貸出依頼を出してそれを利用していた。もっと頻繁に利用したいんだけど、そういう余裕が今の生活にはないのがね~…。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

6話(図書館の呪いの怪)

准教授・高槻彰良の推察3 呪いと祝いの語りごと (角川文庫)

6話は原作3巻の第一章「不幸の手紙と呪いの暗号」の後半部。前半の不幸の手紙については承知の通り前回放送され、今回は「図書館のマリエさん」と呼ばれる怪異の正体について高槻らが調査する流れになっている。

 

「図書館のマリエさん」という語感から私がふっと思い出したのは、21年前に放送されていたアニメ学校の怪談で主人公の宮ノ下さつきを襲った「放送室の茜さん」。放送室の茜さんは生前放送途中に心臓発作で死亡した少女の幽霊で、放送を最後まで終えられなかったことが未練となり、道連れを求めて自分の放送を流し、その放送を聞いた人は日没までに死ぬという。今回のドラマと同様、関わった人間に呪いをかけ死に追いやるタイプの怪異だ。

ちなみに、こういった特定の場所に現れる幽霊を専門用語で地縛霊という。土地に縛られる霊という考え方は比較的海外よりも日本でポピュラーな思想であり、海外はキリスト教の影響もあってか、死者の魂は教会に集まるとされている(それでも幽霊屋敷など一部例外はあるが)。

 

図書館・図書室に怪異が出現するというのは割とよくあることで、朝里樹『日本現代怪異事典』には、図書室の鏡から現れるピエロの怪異や、読んだ人間を異界へ引きずり込む「読んではいけない本」、本をバラバラにするバラバラキューピー人形といった怪異が記されている。

 

生者は死者の魂を縛る

今回は放送時期に合わせて原作では冬(2月)の時期の事件だったのが夏(6月)の事件に変更されていることと終盤の展開を除けば、ほぼ原作通りの展開。高槻の誕生日を祝うのも原作通りだが、事件の時期をずらしたので誕生日も同様にずれることとなった。

本作は「都市伝説が形成される経緯」という民俗学ネタと暗号の謎というミステリ仕立ての物語が組み合わさっているが、ドラマでは都市伝説形成の経緯は簡略な説明ですませ、暗号解読とマリエの呪いに対する雪村の思いにスポットライトを当てている。

 

暗号解読に関してはミステリではお馴染みのもので、金田一少年の事件簿でも同様の作品がある(ネタバレになるので作品名は言わない)。それよりも感心したのはドラマオリジナル部分の雪村の思い。原作では暗号を解読してめでたしめでたしなのだが、ドラマでは暗号が解読され「マリエの呪い」が解消されたのに何故かそれを喜ばない雪村というホワイダニットが用意されている。

その真相は1話のこっくりさんの物語で登場した先生の動機と近い。雪村は暗号が解読されマリエの噂が消えると共に彼女の存在自体が人々の記憶から消えていくことを不憫に思っていた。マリエが交通事故によって恋人の返答を聞けずにこの世を去った悲劇の人物であるからこそ、より彼女への未練・執着があったということだろう。

 

死者に執着するのは雪村だけが特別ではない。誰であれ人は死に恐怖する。厳密に言えば死ぬことよりも死んだ後どうなるか、それがわからなくて恐怖すると言えばわかるだろう。死への恐怖を超克するために先人たちは死んだ後の物語を描いた。その最たるものが死後の世界の構築だろう。たとえ死後行く先が地獄であろうと、何もない暗闇(無)の世界に行くことを思えばずっとマシということだ。

人々は死後の世界を構築したが、それでも心から恐怖は取り除かれない。何故なら人は死後に恐怖するだけでなく、忘れ去られることにも恐怖するからだ。そのため人々は生きた証を様々な形で残してきた。お墓、芸術作品、録音データ、そして本。もっと言えば私が今書いているこのブログも生きた証、忘れ去られる恐怖によって成り立っているのかもしれない。

そして忘却への恐怖は自分だけでなく他人にもそれを投影する。大きな事故で多数の死者が出た時に人々は死んでいった人々の無念や苦痛を想像する。無差別殺人で理不尽に死んでいった人に対して「さぞ恨めしいだろう」と思うのも、自身の思いの投影の一つだ。

幽霊も自身の思いを投影したもので、未練を残したまま無になり忘れ去られることへの恐怖・理不尽が具現化したものと言えはしないだろうか?本来幽霊はネガティブな存在であり忌避されることが多いにも関わらず人々が幽霊を見出すのは、死んで無になりたくない・忘れ去られたくないという願望が胸の内にあるからだと思っている。そういう意味では、幽霊を縛っているのは死者本人の未練や恨みなどではなく、生きている人々の思いだと言えるだろう。

 

小難しい話になってしまったが、上で語った「生者が死者を縛る」という考えをわかりやすく描いたのが「地獄先生ぬ~べ~」のてけてけのエピソード(単行本3巻「#17 てけてけの怪 の巻」)だ。もし興味があるのなら読んでみてほしい。結構怖いけど。

 

ドラマオリジナルの雪村の未練・執着だけでも物語としてはよく出来ているが、それだけでなくマリエが事故死した際に助けたのが美弥の母親であり、その時に母親の腹の中には赤子(美弥)がいたことが判明。これによって一種の因縁話になっているのと同時にマリエの死が命のバトンリレーとして作用したことで、雪村の未練・執着が報われるようになっているのが物語として巧い着地だったと思う。

 

その他感想

・冒頭の瑠衣子の舌きり雀の話、後々縁起でもない伏線として活かされるのかと不穏なものを感じていたが、高槻のバースデーケーキの選択に迷っていただけだったので実は少しホッとした。いや、余りにも深刻な顔で大きいつづらがどうとか言っていたからね。

 

・高槻の青い瞳を直視した深町の下りは原作の3巻「鬼を祀る家」で描写されていたが、今回ようやくその場面が映像化され、伊野尾さんの美しくもヒヤッとさせる「憑かれた顔」に思わず吸い込まれそうになっちゃったよ。それにしても、深町が裸眼であの瞳を直視したというのが何か意味深な感じがする。考えすぎかもしれないが。

 

・先日シーズン2の情報が解禁された。内容を見る限り原作の各エピソードを踏襲しながらも、展開はシーズン1以上にオリジナル色が強そうなのでWOWOWでの視聴を前向きに検討している。