タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

「准教授・高槻彰良の推察」Season1 3話視聴(ネタバレあり)

今回は結構深町くん活躍してましたね!

 

※一部表記に誤りがあったので訂正しました。(2021.08.22)

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

3話(鬼伝説の怪)

准教授・高槻彰良の推察3 呪いと祝いの語りごと (角川文庫)

3話は原作3巻の第二章「鬼を祀る家」山梨県の酒井という土地に伝わる鬼伝説と、その土地で鬼を祀る祠から出て来た人骨から隠された真相が暴かれるというストーリーだが、原作とドラマでは酒井村に赴く経緯が異なっている。

 

原作では生方瑠衣子の実家がペンションを経営しており、ペンションへ旅行するついでに鬼伝説が伝わる酒井へ高槻らが赴くという流れになっている。一方ドラマでは動画サイトに鬼に襲われる男の動画がアップされ、動画の撮影場所となった酒井村の役場が真相究明のため高槻に調査依頼を出した…という流れになっている。また、人骨を発見するのも原作では地元の子供たちに対し、ドラマは動画に興味を持った難波たちが酒井村に赴きそこで発見したことになっている。比較的ドラマは原作で活躍の場が少ない瑠衣子や難波が登場するよう改変されているのも特徴の一つだろう。

他にも、原作になかった豆荒らし事件や鬼の足跡、実和子に息子(正也)がいるなど、ドラマオリジナルの追加設定があるのも今回のドラマの見所と言える。

 

ドラマ冒頭で鬼=「おぬ(隠)」説が語られているが、鬼の歴史は調べて見るとなかなか奥が深く、日本では牛の角に虎皮の褌のスタイルで知られる鬼も、中華圏で鬼は死霊や霊魂を指す言葉だ。実際、中国語でお化け屋敷や幽霊屋敷のことを「鬼屋」と呼ぶし、昔放送されていた心霊番組(魔界潜入ファイルだったかな?)でも台湾にある廃墟の幽霊屋敷を「〇〇鬼屋」として紹介していた記憶がある。

古代中国では死者の魂は鬼門の方角へ向かうと伝わっており、鬼門の方角が丑寅の方角であることから日本では上記のスタイルの怪物として変換されたというのが定説だ。また、鬼を払う節分の行事の元祖となる追儺で活躍する方相氏は、元は姿形のない鬼を払う役目を担っていたが、時代を経るにつれ方相氏が鬼として払われる側に転化したという。この方相氏も鬼の原形と言えるかもしれない。

ja.wikipedia.org

以上の情報は原作では語られていないが、こういった情報を知っているだけでも今回のドラマがまた違った角度で楽しめると思うので、一応ここに書いておく。

 

呪いは逆算される

まずドラマオリジナルの事件(豆荒らし、鬼の足跡)について。豆によって払われる鬼が豆の入った藁を破っていることや、柊の近くに足跡があったことから、役場の人が動画騒動に乗じて起こした町おこしだと高槻は見抜く。この辺りは本筋の真相だけでは尺がもたないため追加された事件だと思われるがそれは一旦置くとして。

 

本筋の真相=正臣の死亡については大体原作と同じだが、正臣が死んだ経緯はドラマだとゲームの宣伝用の動画撮影中の事故死となっている。原作では単なる事故死となっているが、正臣が開発したゲームが地元の鬼伝説をベースとしている所に、故郷への敬慕先祖に対する憎悪という正臣の相反する感情が一体となって表現されているのがドラマの優れたポイントと言えるだろう。

原作でもドラマでも正臣は既に死亡しているためその人となりは不明な部分が多いが、父親を東京へ連れて行こうとしていたという情報だけでも親思いだとわかるし、因習に縛られず生きる選択肢を父親に提案していたと思う。にも関わらず鬼頭老人はその提案をはねのけ、自分の息子を「よそ者」と罵って追い払ってしまった。このすれ違いが正臣の事故死と結びついたことで鬼頭老人の頭の中で呪いとして式が完成してしまった。これが本作の悲劇的な部分である。

 

本来なら事故死の原因は死亡した本人に向かう所だが、鬼頭老人の場合は六部殺し(異人殺し)の家筋であることと、正臣を「よそ者」認定したことが結びついて自分に降りかかる呪いとなってしまった。呪いの原因を過去から逆算して求めたことに加えて、実和子が自分から離れることに対する不安・孤独への恐怖も原作では描かれている。ドラマでは孤独に対する恐怖までは語られていないが、家に縛られたことで大事な息子を失った鬼頭老人の後悔や、正臣が帰らぬ人になったことを薄々感じていた実和子の魂が抜けたような雰囲気が演技として巧く表現されていたと思う。

 

そして、正臣が撮影したフェイク動画の声が歪まなかった所に自分の家筋や先祖の行いに対する憎悪・怒りが見られるが、それをゲームの題材として利用したというのは、自分にとって嫌な過去である一方その先祖の行いのおかげで今の自分がここにいられる(六部を殺して生き延びなければ今の自分は現世に生まれてこなかった)ことを自覚しており、先祖の罪業をポジティブなものとして昇華させようとしていたこと、鬼伝説を題材にすることで少しでも故郷に貢献しようとしていたことが伝わるようになっている。そう考えれば、ドラマの前半で描かれた役場職員の町おこしのための偽装も、正臣の故郷に対する思いの布石として配置されたと言えるのではないだろうか?

 

その他感想

・六部殺し(異人殺し)は日本に限らず海外でも似た事例はある。例えばヘンゼルとグレーテルというおとぎ話だが、森に迷ったヘンゼルとグレーテルは実は口減らしのため親から捨てられた子供であり、森に棲んでいる魔女も実は口減らしや魔女裁判などで迫害された老婆だという説がある。ヘンゼルとグレーテルはそんな老婆を殺し金品を奪って親の元へ帰るが、殺人行為を否定するために魔女と騙って老婆を殺した(魔女を殺しても罪に問われない)のではないかと言われており、おとぎ話の裏には社会的弱者が同じ社会的弱者を殺すという残酷な構図が描かれていると、以前NHKBSプレミアムで放送されていた「ダークサイドミステリー」という番組で紹介されていた。