放送前、横溝クラスタを湧き立たせた『蝶々殺人事件』をはじめとする由利麟太郎シリーズのドラマ化の報からざっと3か月半ほど経ち、こうしてドラマは幕を閉じたけど、続編やってほしいな~。
『真珠郎』やってもええんやで。#探偵由利麟太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年7月14日
ということで最終回感想。
(以下、原作・ドラマのネタバレあり。また今回は「本陣殺人事件」の真相に触れながら解説するため未読の方は要注意)
幻想を抱きながら
最終回は原作の十四章以降の内容。十四章以降は、被害者である原さくらの知られざる事実が続々と明らかになり、犯人が明らかになる二転三転の展開が見所で、今回のドラマでも原さくらにスポットライトを当てながら、現代に即した改変が為されているのがポイント。
小野竜彦が語った「藤本章二=さくらの隠し子」疑惑についての下りは原作通りだが、赤子の写真が雑誌の切り抜きではなく骨董市で売られていたものに改変されている。
骨董市で写真まで売っているものなのだろうか。#探偵由利麟太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年7月14日
骨董市とは(今の所)無縁の人生ゆえ、商品の、しかも写真の裏にハンコを押して販売なんてあるのだろうかと気にはなったがそれはさておき、原作ではこれで藤本殺しが事件と関係ないことが明かされるのだが、ドラマはここで終わらず藤本殺しも本件の原因にしているのが注目すべき所。これについてはもう少し後で言及する。
原さくらの虚飾的性格が明らかになった所で志賀笛人の死というオリジナル展開が待ち受ける。これは前回のさくらの亡霊騒動というオリジナル展開から派生した出来事で、言うなればさくらの芸術家気質が特別なものでないことを補強するための追加設定みたいなものだと思っているが、この亡霊騒動というオリジナル展開が相良千恵子の男装と繋がっているのが上手い部分。
原作でも千恵子は男装による実演によって原さくらという数奇な芸術家の特別さを演説する場面があったが、原作の千恵子の聡明さが探偵気質としてアレンジされ、亡霊騒ぎによる真犯人のあぶり出しに自然と繋がっているのだ。
映像的にはある意味アンフェアだよねこの変装の下り。#探偵由利麟太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年7月14日
映像作品としては演出的に少々アンフェアな気がしないでもないものの、前回相良がさくらの替え玉として変装し大阪入りしていたことは描かれているし、亡霊の立ち姿が見た人によって異なっているためプロジェクションマッピングの可能性が否定されているので、まだ許容の範囲内だったかな。
前回は真犯人が容疑者が一つの場所に固まるのを嫌がって第二の殺人の前工作としてやったことではないかと推測したが、これは良い裏切りになったと思う(志賀の死はある種オカルト的でありそこはちょっと当たっていたかも)。
聡一郎によってさくらが性的不能者であることが明かされるのは原作通りだが、原作が肉体的に問題があったのに対し、ドラマは精神疾患に端を求めているのが最大の特徴で、これが前述した藤本殺しと繋がる。
「子が生めない」でいいじゃん。なぜセッ...って言うの。#探偵由利麟太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年7月14日
初見時は「精神疾患によるセックス不能者などというドギツい設定にわざわざせんでも…」と思ったが、現代は昭和初期と違って不妊治療や体外受精などの技術が進歩していることを思えば、改変は至極妥当なものと言えるだろう。
さくらが子が生めない設定からセックス不能者設定に変えたのは今だと不妊治療という選択肢があるからか。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年7月14日
一応現代ならではの改変だったのだね。#探偵由利麟太郎
「学生時代の嫌がらせによるトラウマ」という遠因を作ることで、「性的不能者=浮気性」というレッテルを張られないようにするための倫理的配慮が為された結果だと推察されるが、これが藤本殺しの原因となるさくらの虚飾性に影響を及ぼし、真犯人の犯行動機を生み出すことになったという一種の連鎖反応を作り出した脚本の手腕に脱帽。前後編という構成でまとめる必要があったための改変だとしてもこれは実に巧い改変だと言える。
「本陣」に通じる虚飾の保守
さて、聡一郎によるカミングアウトはさくらだけに止まらずアシスタントの雨宮順平にまで及ぶ。雨宮が聡一郎の隠し子である設定は原作通りで、由利は歩き方の癖によって親子のつながりを見抜くが、当然これは視聴者には伏せられた事実。それゆえにやや唐突な暴露に思えるが、一応伏線みたいなものはある。雨宮が周りに人がいる前で土屋から仕事の不出来を罵倒されていた場面だ。
雨宮が怒られていたのを見て心を痛めたのは実父だからだよ。#探偵由利麟太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年7月14日
自分の息子が人前で怒られるということに、父親として不愉快の情を抱くのは自然なことだからね。
ここから急転直下的に犯人が暴かれるが、原作とドラマでは犯人の性格が異なり、実質原作と同じなのは紐の捩じりの時間差を利用したアリバイトリックの下りくらいだ。
実際に見ると面白いものだな。#探偵由利麟太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年7月14日
これまでの映像作品でこの場面の再現はされなかったようなので、この場面の再現だけでも今回ドラマ化した価値があると言っても良いが、他にも犯人像を変えたことによって様々な部分に改変を施しておりそれがいずれも理にかなった改変になっているのが今回の映像化における最大の評価点ではないだろうか?
原作では、まず推理の出発点が頸飾りの盗難(+土屋の手記)になっており、そこから由利は犯人が賤しい性格と分析して推理をすすめるが、ドラマでは頸飾りの盗難がカットされているため、犯人像や雨宮殺しの動機も改変しなければならなくなっている。
そこでドラマは犯人の賤しさではなく、突然の死体に対する対応の不自然さを由利の推理の出発点(=真犯人への疑惑)にしているのがポイント。戸惑い驚くのが通常なのに唯一人死を受け入れ追悼の意を示したことが由利の眼に止まった訳だが、ここで犯人がさくらの死体に付いていた頸飾りを整える行為が注目すべき点で、犯人像を変えながらも頸飾りを犯人特定の道具にしている点は変えないドラマの姿勢は天晴だと言って良いだろう。
しかしそうなると第二の雨宮殺しをする必要がなくなってしまうのが問題で、ではどうやって雨宮殺しを成立させるのか、ということになるが、これを誤認による殺害という舵取りをしているのがまた巧い点で、真のターゲットが聡一郎であったという部分は石坂浩二さん主演の二時間ドラマ版を意識した改変だと思われる。
また、聡一郎を殺す動機を与えるため、原作でさくらを憎んでいた犯人像を180度変えて芸術家としてさくらをリスペクトしていたことを元にしているのが秀逸。これによって聡一郎が妻の事情を知っていながら不貞を働いていた(現在進行形で!)というクズ設定が自然に付け加えられると同時にさくらの悲劇性がより際立ったと思う。
誤認による殺害を成立させているのは前述した幽霊騒ぎに加えて春の嵐による停電。幽霊を見た雨宮が聡一郎の部屋に駆け込み運悪く犯人によって殺されてしまったことを思うと、相良による幽霊騒ぎは志賀や雨宮といった死ななくてもいい人物を死なせてしまったことになるのだから、相良はその浅はかさをもっと反省すべきだと今更ながら思う次第(もっと突っ込まれると思ったが浅原警部以外に誰も糾弾していないんだよ)。
雨宮を殺した犯人は前述のアリバイトリックを用いて容疑者圏外から抜けようとしたが、実は原作とドラマではこのアリバイトリックを用いた目的が微妙に異なる。
原作では、あくまでも容疑者圏外に自分を置くためだけの工作にすぎなかったが、ドラマでは真のターゲットは聡一郎であり、犯人としては失敗した以上今度は聡一郎に疑われずに近づき殺害したいと思うのが自然なはず。そのためには自分が犯人でないという確固としたアリバイが必要になるため、あのようなトリックを駆使したということになる。
つまり、ドラマ版のアリバイトリックは単に容疑者圏外に身を置くためだけではなく、真のターゲットである聡一郎を確実に殺すため、警察にアリバイのお墨付きをもらう目的があったのだ。
実をいうとこの改変は原作における問題点をクリアしている。この問題は「蝶々」を絶賛した作家の坂口安吾が「推理小説について」という評論で言及している。
第一に、なぞのために人間性を不当にゆがめている、ということ。
犯人が奪った宝石をトロンボンのチューヴの中に隠しておいて、それを取りだすところを雨宮に見られたのでトッサに殺す。この死体を縄でよじりあげて五階の窓の外につるし、縄のよじれがもどって死体が外れて墜落するまでの時間に、階下へ下りて人々のたまりに顔をだしてアリバイをつくる。
隠した宝石をとりだすだけでも人に見つかる、それほどの危い綱渡りの中で、トッサにこんな手のこんだトリックをする、これが先ず人間性という点から不当なことで、死体を残して慌てて逃げだすのが当然である。★
第一、これだけ苦心してアリバイをつくっても、五階から落ちた死体が落ちた瞬間に目撃者がなければ、苦心のアリバイもアリバイにならない。そして、すぐ目撃者がある程度に人目のあるところから死体を縄によじって窓の外につるすという緩慢複雑な動作が人目に隠れて行えるものではない。もしまたその仕掛が人にさとられずに行えるほど無人のところなら死体が落ちてもすぐには発見されず、ほど経て発見された際には苦心のアリバイも役に立たず、五階の窓の外に仕掛けた縄を改めて取りこむだけ余計な危険にさらされているに過ぎないのである。
要するに人間性という点からありうべからざるアリバイで、かゝる無理を根底として謎が組み立てられている限り、謎ときゲームとして読者の方が謎ときに失敗するのは当然なのである。
(↑ 本作と角田喜久雄「高木家の惨劇」のネタバレが為されているので要注意)
要はそれだけのアリバイトリックをするだけの必然性も薄ければリスクが高いというのが坂口氏の指摘なのだが、今回のドラマ化における改変でアリバイトリックの必然性が高まったと同時に常日頃頭を悩ませていた雨宮に対する報復行為にもなっているのが巧妙で、コントラバスケースのアリバイを全面的にカットした分、こちらのアリバイでカバーが出来ている感じがする。
コントラバスケースのアリバイをカットした分、犯人特定の材料になるのは「死体に対する態度」と「土屋の手記」、この二点に絞られる。
土屋の手記は原作ではその小説的手法で手がかりを提示しながらもミスリードに一役買っているのがミステリとして凄い点であるが、ドラマでこれをやるのは不可能に近い。そこでドラマは手記という媒体そのものを不自然なものとしたのが令和版ならではの神改変。
そっか、スマホがあるのにノートに書いてたね。しかもプライベートなものほど見られない媒体に書くはずだからな。#探偵由利麟太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年7月14日
勿論、現代でもスマホを使いながら手帖を使っている人は大勢いるが、事件に関する覚書という秘匿性が求められるものを手帖という人目につく媒体に記しているのは不自然。なおかつスマホには音声で記録される機能が搭載されているのにも関わらず、わざわざ手間のかかる手書きを選んでいるのだから、見られることを前提とした手記という推理は十分成立する。
以上、原作とドラマ版との改変を詳細に比べてみたが、まとめると以下の通りになる。
・さくら殺害動機
さくらへの隷属的行為がもたらした爆発→さくらへのリスペクト(芸術家として死なせるため)
・雨宮殺害動機
頸飾り盗難を目撃された口封じ→誤認による殺害
・雨宮殺害のアリバイ工作の目的
容疑者圏外へ身を置くため→容疑者圏外 + 聡一郎殺害をより成功させやすくするため
・由利の推理の出発点
犯人の賤しさ→死体発見時の態度の不自然さ
・楽譜の暗号
犯行現場を誤認させるため→「藤本章二=さくらの隠し子」と思わせるため
様々な改変が為されているが、全ては原さくらと犯人の人物像を変えたことが一番大きい。藤本殺しを犯した結果芸術家から犯罪者になったさくらを守り、偉大なる芸術家としての死を与える。そして彼女の保護を怠り劇団員と不倫していた聡一郎に制裁を加える。
ある種ロマンチックな犯行動機が原作の卑俗的な犯行動機と対照的になっているが、このどこか自分勝手な犯行動機は同時期に執筆された「本陣殺人事件」にも見受けられることに気づいた。その切っ掛けはTwitter のフォロワーの方が言っていた今回の時間差心中とでも言うべき犯行のプロセスで、ガンによって余命いくばくもないと知った犯人がさくらを残して死に、守りを失ったさくらが「狂気の芸術家」或いは犯罪者として世間の嘲笑の的になるのを恐れたがゆえの犯罪だったのだ。
この「真実を不特定多数の人間に知られることを恐れるがゆえの犯行」という考えは「本陣」にも流れる動機で、「本陣」の場合は犯人の潔癖性と村社会の封建的風土が原因となっている。
また、「本陣」は通常の殺人事件と順番が違っている(犯行が露見する前に自殺)ことも特徴の一つで、その特徴をこの連ドラ版「蝶々」は受け継いでいるフシがあると思える。それが前述した時間差心中とでも言うべき犯行プロセスに見出せるのだ。
脚本がどこまで意図してやったかは不明だが、結果的に今回の連ドラ版は同時期に執筆された「本陣」にどこか似通った犯行動機になっているのが興味深い所で、令和の時代に虚飾の保持のための殺人を成立させた、この大仕事に敬服せざるを得ない。
総評
全5話しかないので総評というのは少々大袈裟かもしれないが、一応総まとめ的なものを書くことにする。
やはりこの物語を視聴に耐えうるものにしていたのは吉川晃司さんの存在による所が大きい。探偵としての立ち居振る舞いやビジュアル面のおかけで、後出し情報というミステリではあまり歓迎されない方法もあまり気にせず見られたのではないかと思う。助手の三津木を演じた志尊淳さんも事件の語り手的存在としてハマっていたと思うし、何より、探偵より頭の悪い助手、みたいな旧態依然のワトソン役みたいな描かれ方ではなく、(由利ほどではないが)頭も回るし行動力もある助手として描かれているので、スマートなコンビだったな、というイメージが残った。
本格ミステリとして評価すると、「花髑髏」「憑かれた女」「殺しのピンヒール」は元の原作が戦前期のものということや、尺の都合もあってクライムフィクションの性格が強く、ミステリとしてよく出来た話ではなかったものの、改変に相応の理屈が通っていることもあってか不満はそれほど残らなかった。まぁそれでもクライムフィクションに全振りしてしまった「憑かれた女」は個人的には不満が多く今回放送された4作中ワーストになってしまうのだけどね。「蝶々」は一応本格寄りだったけどミステリとしての巧妙さは原作に劣る。これはコントラバスケースのアリバイをカットしたから致し方ないだろう。
原作未読で視聴した方もいるかもしれないが、個人的には原作既読の方が改変の面白さがわかるという点で原作を未読の方は是非とも原作を読んでもらいたい。
それにしても(色々追加された設定があるにせよ)発表当時は個性が薄いとして日陰に追いやられた由利麟太郎が令和の時代では個性ある探偵になるとはね。
ところで、結局先端恐怖症の背景や妻の死は言及されずじまいだったけど、これは続編への布石として期待しても良いのだろうか?