更新がすっかり遅くなってしまった。ここ最近のマイ「あつ森」ブームのためだが、それ抜きにしてもちょっとここの所の脚本と構成の難に辟易としていたので着手に時間がかかった。
今回は久しぶりの原作回なので、ちゃんと解説しないと。
(以下、アニメと原作のネタバレあり)
「逢魔が刻」
原作は収録作5作のうちの4作目。最後の「魔窟の女」が京助の回想譚として語られているため、本作が実質的に啄木最後の事件。最後の事件といっても最大の難事件だとか探偵が苦悩するような重いテーマが扱われている訳ではなく、子供の連続誘拐事件が扱われている。流石にアニメはこれが最後の事件だとパッとしなさすぎるので、縦軸枠の「告発者X」が最後の事件となる模様。
原作を読み終わったのが今月初頭のことで、話の大枠しか覚えていなかったため、また「忍冬」の時みたいな改変があったら改めて読み直さないといけないと思っていたが、今回のアニメを見るとほぼ原作通りの内容だったし、これまでのような改悪もなかったので、心穏やかに見ることが出来たと思う。原作自体が5作の中で最も短い分量(40頁)で1話でまとめるにはもってこいの話だったからそんなに大きく変えないとは思っていたがね。
改変された点といえば、原作では事件の調査は京助一人で行っていたのに対し、アニメでは萩原朔太郎や野村胡堂に協力を要請している点。野村の銭形平次ばりの銭投げがちょっとしたアニメでの見所だが、「銭形平次捕物控」が世にでたのは1931年。それも作品を出版した文藝春秋からの要請で生み出されたキャラクターなので、啄木が生きていた時に投げ銭はおろか、アイデアの欠片はなかったはず。
でもまぁアニメだからこういう趣向もご愛嬌ということで。
今回は二週間ぶりの啄木の句「興来れば 友なみだ垂れ手を揮りて 酔漢のごとくなりて語りき」。
【短歌紹介處 其の十一】
— アニメ「啄木鳥探偵處」公式 (@kitsutsuki_DO) 2020年6月24日
啄木が実際に京助について詠んだ歌。京助も啄木もよくビールなどのアルコールを嗜んでは夢について語りあったらしいです。※興(きょう:面白いことという意味)揮りて(ふりて)酔漢(よいどれ)
お、お代は京助さん持ち?ガクガク((;OдO))ブルブル#啄木鳥探偵處 pic.twitter.com/LnJjLJFNNK
啄木と京助の関係はアニメでも現実でも深い付き合いがあったことは今更言うまでもないが、歌にもその関係が残されていた。
ちなみに原作ではこの歌は引用されておらず、事件に沿った「その親にも、親の親にも似るなかれ―― かく汝が父は思へるぞ、子よ」という句が引用されている。本作では親の過ちが子に影響を及ぼす事件だったため、せめて子に親の悪い所が似ないようにと思った啄木が詠んだ歌…ということになっている。
アニメでは独身みたいな描かれ方をされている啄木も、実は妻子のいる身だった。実際の啄木は妻子がいる分、アニメみたいに自暴自棄には走らなかったと思うが、どうなのだろうか?