タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

“ミステリ”から“クライムフィクション”へ敢えての転向、探偵・由利麟太郎 2話「憑かれた女」(ネタバレあり)

憑かれた女 (角川文庫)

どうも、タリホーです。

由利麟太郎も今回でようやくテイストの的を捉えられた気がするが、今回もまた様々な改変が為されているのでチェックしていこう。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「憑かれた女」

原作は1948年初出。不良少女の西条エマ子が悪夢のような殺人事件に巻き込まれる物語で、100頁超えの中編。由利が登場するのは終盤からなので、それ以前のエマ子視点の物語は限りなくホラーに近い味わい。

実はこの「憑かれた女」、戦前(1933年)の同名作品を改稿したもので、改稿前の作品は『喘ぎ泣く死美人』に収録されている。

喘ぎ泣く死美人 (角川文庫)

プロットは改稿前と後では大きな差こそないものの、やはりミステリとしては改稿後の方が圧倒的に精度が上がっている。特にバーのマダムが殺された理由についての謎解き部分が優れていた(改稿前の部分を見て「何じゃそれ!」ってなった)。

改稿後のポイントとしては、改稿前で見られた猟奇性を残しながらも、理性に基づく思考犯罪に対する処罰の健全さが前面に出てきている点が見逃せない。戦前の怪奇寄りの作風から合理的精神のエッセンスが追加され、本格ミステリとしての進化の一途が見えて来るような作品、それがこの「憑かれた女」と言える。

 

ドラマ化するにあたって原作のバー・アザミは祇園の高級クラブ「マダムシルク」に変更され、エマ子もホステスというれっきとした職業に就いている(原作の方は不良少女なので定職には就いていない)。また、与太者の頭領格である五月は青年実業家として変更されたが、エマ子を一途に愛している所や危ない商取引をしている点は原作の設定を受け継いでいる感じがする。自称探偵小説家の井手江南は圭一という名に変わり実業家として登場している。そして江南は別の思わぬ形で登場するが、これは後ほど。

 

改悪も覚悟の転向か?

由利があまり登場しない原作だが、ドラマは主役が出ないとなると流石に難があるため由利の介入が原作より早くなっている。また1時間の尺に収めるために犯人や犯行動機など様々な改変が為されている。

井手の猟奇的趣向こそ同じだが、原作の方はその悪質な悪戯が殺人につながったという井手本人が意図していない殺人であり、それが犯人のカモフラージュになっていたのに対し、ドラマの方はストーカー殺人の色が濃い描かれ方をしている。

故に、原作におけるみさ子(ドラマは美沙)殺しの真相も異なり、ドラマはストーカー行為をなじられたことに対する報復として改変されている。

また、ストーカー行為に至る行動原理が父親へのコンプレックスになっているのが最大のポイントで、父の江南が過去に手掛けたミステリ映画になぞった殺人をすることで意趣返しを果たそうとした…というのが殺害動機の原因になっている。虚構の物語を現実世界に体現しようとするアイデア金田一耕助シリーズの某作品でも見られるが、金田一シリーズの方は本格ミステリとしての体裁が保たれていたのに対し、今回のドラマはミステリというよりは犯罪者の異常心理にスポットを当てた回なので、横溝的というより江戸川乱歩の作風に近いと思っている。

 

乱歩のテイストは前回の「花髑髏」のグロさにも見受けられたが、今回の場合だと美沙の腕の入れ墨が黒蜥蜴だし、殺害現場に至る途中の道にあった人形だらけの広場などが乱歩っぽさを感じる。こういった過剰なまでのホラー演出や犯罪者の犯罪に至るまでの心理をネチネチと描く感じが乱歩的で、そういう意味で今回はミステリというよりはクライムフィクション(犯罪小説)と呼ぶべきなのかもしれない。

 

では何故今回はミステリ部分を捨てたのだろうか、と考えていくと、やはり1時間の尺で原作通りの展開を描き切るのは無理だと判断されたからだろうし、そもそも原作の真相が前回の「花髑髏」の真相と共通している(被害者が実は犯人)ため、ネタが重複することを回避した結果によるものだと思っている。

私は別に二回くらい真相が似通ったものでも良いと思うし、そもそも騙しの方法も見せ方も異なるのでそんな気にして改変せんでも…と言ってあげたいが、まぁどっちにしろ原作通りに出来ないので、今回はホラーと猟奇性で勝負に出たということだろう。

 

特に今回リメイクに対する制作陣の意見が滲み出ていたのが、終盤に由利が井出に対して言った「オリジナルを超えられるリメークなどない」という一言。

こういう一言を言わせているからには、今回のミステリとして改悪的な転向をしたのは意図してやったことであり、その分演出面で魅せますよ!という意気込みみたいなものは感じられた気がする。急転直下な展開や(原作通りだけど今の時代から見るとなかなか挑戦的な)幻覚の描写などは見応え十分だったと思う。

 

ただ、それでも五月のあの死に様は余りにも不憫すぎると思うがな。

横溝作品における男性ヒーローは表面は不良だけど根っこは至って健全なのがカッコ良い所で、本作の五月も横溝作品のヒーローに属する性格を有した青年なのだが、ドラマのような描き方だとそういった部分のカッコ良さがカットされてしまったのが勿体なかった。まぁ、犯人と犯行動機を変えちゃったから仕方ないのだけどね…。

 

ところで、五月は結局井出の差し金でクラブに出入りしていた坊さんに殺されたのだろうか?この辺り、駆け足になってしまって曖昧になっているが、ストーカー行為でエマ子と五月の情事を知っていたのだから、井出にとって排除すべき対象としてカウントされていたことは間違いないはず。