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原作の大幅改変に困惑、啄木鳥探偵處 第六首「忍冬」視聴

啄木鳥探偵處 (創元推理文庫)

アニメもちょうど中盤に差し掛かり、来週からは後半戦。本来ならば大いに盛り上がるはずだったが、今回は非常に困惑している

その理由はブログの記事タイトルに既に示しているが、今回の大幅改変の是非を判断するには原作の事件と比較し、詳細に検証しなければならない。そのため、いつも以上にネタバレが激しいので原作未読の方は要注意。

 

(以下、アニメと原作のネタバレあり)

 

「忍冬」

今回は原作の2話にあたる「忍冬」。忍冬(ニンドウ)とはスイカズラの中国植物名。

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作中では見世物の活人形「金銀花」の着物の模様としてスイカズラがあしらわれている。

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ちなみに、「金銀花」もスイカズラの別名で、その蕾は生薬として利用される。

 

原作は啄木と京助のコンビで季久から依頼された「活人形による殺人事件」の真相解明にあたるが、前回京助の絶交宣言というアニメオリジナルの展開があったため、今回は吉井勇が啄木の相棒として登場。想い人の季久の窮状を救い、あわよくば深い仲になろうと不純な動機で調査に乗り出す。

また、吉井だけでなく平井少年も事件の調査に関わることになるが、これは江戸川乱歩「人でなしの恋」でも描かれた人形に恋する男が作中で出て来ることによる影響。

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原作に平井少年は登場しないし、登場させる必然性は正直なかったが、やはり「人でなしの恋」とリンクしているから登場させたくなるのは、物書きの性なのだろう。

 

さて、原作「忍冬」は活人形が男の喉に噛みついて殺したとしか思えない殺害現場に加えて、市中で活人形が歩いていたという目撃証言も相まって奇怪な様相を呈しているが、事件は合理的に解明され、関係者それぞれの思惑が絡まった複雑な事件だったことが明かされる。

本作の事件関係者は、被害者の橘屋乙次郎、容疑者の結城泉若、容疑者の恋人で依頼人横山季久、活人形を展示している傀儡館の館主・加藤小介、傀儡館のお抱え人形師・佐々新吉、「金銀花」を制作した人形師の田村鶴八

以上の六人が原作の事件に関わるのだが、アニメでは人形師の新吉と鶴八がカットされており、それによって事件の構図が大幅に改変されている。

 

(以下、事件のネタバレ)

 

上でも述べたように、今回の事件は関係者それぞれの思惑が絡まる複雑な事件のため、ここで原作の関係者のプロフィールを整理しておきたい。

 

橘屋乙次郎:千羽座の看板役者。性的倒錯者であり、女形の泉若と男色関係を持っていたが、活人形「金銀花」に恋をする。殺害される直前には「二人の金づる」がいた。


結城泉若:千羽座の女形自身の出世のために看板役者の乙次郎との関係を容認していたが、本人に男色の気はなし。乙次郎が「金銀花」に恋をして関係が解消され、出世の道が断たれることを恐れていた。


田村鶴八:自身が作った「金銀花」が、かつて愛した女の顔そっくりになってしまい、至高の思い出が大衆に晒されることを嫌がって、引き渡しの延期を傀儡館館主にお願いしていた。が、それがかなわず「ある行動」に出る。


加藤小介:見世物の看板となる「金銀花」の引き渡しの延期を願う鶴八の意志をはねつけ、無理やり持ち出し展示した。


横山季久:泉若を愛している一方、「ある事実」だけは知られたくなかった。


佐々新吉:「ある事情」から、「金銀花」の代わりの首を制作。加藤の使いで乙次郎に金を送っていた。

赤字部分は事件の真相に非常に重要なポイントとなるためここでは伏せたが、次は時系列で事件の真相を整理する。

 

(事件前)

・乙次郎、「金銀花」に恋をする。

→関係解消を恐れた泉若、「金銀花」に変装しそれを防ごうとする。

・鶴八、熟慮の末に展示された「金銀花」の顔に墨を塗って汚す

→これに激高した加藤、鶴八を殺害する。

→加藤、汚された「金銀花」の首の代わりを新吉に作らせる。

→乙次郎、「金銀花」の顔が代わっていることに気づく、またその場にいた季久の左目が義眼であることを見抜く。

→乙次郎、加藤と季久を強請る(二人の金づる)。

 

(事件当日)

・乙次郎、季久を自宅に呼び出す。

→危険を感じた季久、泉若に乙次郎宅付近で活人形が出没していることを騙る。(季久は乙次郎と泉若の関係を知っており、別の女の存在を匂わせることで乙次郎宅に関係の解消を恐れた泉若が近づき、ちょうどそこにいる自分を救助してくれることを望んでいた)

・乙次郎宅を訪れた季久、乙次郎から金だけでなく体を求められ、拒絶の末殺害

→泉若、大雪により予定より遅い時刻に乙次郎宅へ到着。死体に刺さっていた懐剣から季久の犯行と悟る。彼女を庇うため凶器を持ち出す。

・新吉、加藤の使いで乙次郎宅に金を届ける。

→乙次郎の死体発見、鶴八の「金銀花」の首を持って引き返し、乙次郎の血を首に擦り付ける(乙次郎に首入れ替えがバレてしまった不手際に対する償い、鶴八殺害の隠蔽、傀儡館の話題作りに貢献し加藤に貸しを作る目的のため)

 

こうやって関係者のプロフィールと時系列を整理すると、複雑で入り組んだ事件なのがよくわかる。

乙次郎なんか、強請をするだけでなく、女を手籠めにしようとするわ男色関係を結ぶわ人形に恋をするわと、相当ヤバい人物だったと改めて思ったし、新吉の一石三鳥の事後工作には脱帽するばかりだ。

季久が義眼を泉若に秘密にしており知られたくなかったというのは、現代の観点からだとイマイチよくわからない部分だが、当時は身体的障害者に対する差別も今以上に激しかっただろうし、結婚するにしても健全な女性が求められるのは当然だっただろうから、季久が義眼を秘密にして乙次郎がそれを強請りのネタにするのは、まぁ理解出来る。現代ではこれで強請は到底無理だけどね。

 

以上、原作の真相をおさらいしたが、アニメでは人形師のカットに伴い事件の構図が大幅に改変され簡素なものとなった。

まず、乙次郎と泉若の男色関係はカットされ、乙次郎は人形=作り物の人体に性的興奮を覚える人物として描かれている。それに伴って泉若の女形設定もなくなり、「金銀花」の運搬役という別の役目を負わされることになった。そして、人形の変装は傀儡館館主による話題作りのための仕業という形に変えられている。

また、乙次郎は季久を強請っていた訳ではなく、義眼という作り物の人体に惹かれて彼女を肉体を以て篭絡しようとした。その結果、返り討ちに遭ったというのがアニメの真相。

 

季久が義眼だというのは映像表現による伏線が張られている(瞳の色が右目と違う、を右目だけで流す)とはいえ、乙次郎がいつ季久の義眼に気づいたのか、その辺りの経緯が一切語られていないのが残念。

また、泉若に「金銀花」を運ばせていたというのも、よく考えると不自然。どれだけの金を積まれたのかは知らないが、一番の売りである「金銀花」を一個人に貸し出して壊されてしまっては元も子もない。そんなリスクを犯してまで館主が人形を貸し出すとは思えないし、人形とのエクスタシーに興じたいのであれば、乙次郎自身が傀儡館に赴き貸し切り状態でやれば良いのだ(自宅でやるから意味があるのかもしれないが…)。

もし百歩譲って、館主が人形を壊されるリスクを補うに余りある金を乙次郎から貰っていたと仮定しても、「金銀花」の変装をして話題作りをしたという不自然さが残る。「金銀花」自体に大衆を引き付ける魅力があるのならば話題作りをする必要はないし、金も自然と館主に集まる。それがないから話題作りをするのであって、既に多額の金が支払われているのに、わざわざ話題作りの変装をしていたというのは人間心理としておかしいのだ。

 

アニメの方が真相としてはわかりやすいのかもしれないが、原作のような「美しいものなら男でも女でも人形でもイケる」乙次郎の異常さに比べると見劣りがするし、映像による義眼の伏線だけでは新吉の一石三鳥の企みには到底及ばないしカバーにもならない。また、上で述べた通り改変によって不自然な描写が生じているのも問題で、総合的に見て今回の改変は改悪と言わざるを得ない。

ミステリ部分もそうだが、事件関係者の描き方も正直浅いし、相棒を吉井勇に変える必然性も希薄だった。脚本としては、絶交は宣言しても何だかんだ啄木のことが気になる京助の健気さを描きたかったのかもしれないが、それしきのことでキャラ萌えするほど私は甘くない。次回もどうやらアニメオリジナル回らしいが、原作のミステリ要素をしっかり映像化してからオリジナルに挑めよ、と言いたい。

 

蛇足

・「人形への恋」つながりとして今回平井少年が登場したが、もし本当にこんな事件があって平井少年がその全貌を知っていたとしたら、「人でなしの恋」は(ミステリ好きの彼のことだから)もっと複雑で怪奇な物語になっていたはずで、「主人が愛していたのは実は人形でした~」というだけのオチにはならなかったと思う。これも(余計な足し算をしたという意味で)改悪と言えるだろう。

ちなみに、「人でなしの恋」は当時編集者や読者のウケが悪かったが、乱歩自身は気に入っていた一作だと本人が述べている。

 

若山牧水「山死にき 海また死にて音もなし 若かりし日の恋のあめつち」は前回の「山を見よ~」と同じ女性に対する思いを詠んだ句。この句は愛していた女性(小枝子)が実は人妻だったというショックが元で生まれたもの。「山を見よ~」の時は恋の絶頂だった牧水が、この時点では苦悩のどん底にいたことが窺える。アニメでは、小枝子を季久に置き換えた形で引用されることになった。

 

吉井勇の短歌が漏れていたので公式ツイートから紹介。

 (2020.05.21追記)

 

・啄木の「何か、かう、書いてみたくなりて、ペンを取りぬ ―― 花活の花あたらしき朝。」『悲しき玩具』に収録された句。

www.aozora.gr.jp『悲しき玩具』は啄木の死後出版されたもので、句読点の入った表記や、口語と文語が入り混じる等の特徴がある。