今回は特別大きな進展がないので感想は簡素になるかも。
(以下、アニメのネタバレあり)
「若きおとこ」
公式HPを見ると、アニメは全12話で完結する模様。まだ原作の「鳥人」と「逢魔が刻」が映像化されていないが、今回と次回はアニメオリジナル回のため、残り3話で原作を消費するのだろう。正直3話分で原作を拾いながら綺麗に締めくくれるのかという疑念はあるが、それはさておき。
前回の記事で啄木の喀血から死のカウントダウンは始まったという旨を書いたが、今回は開幕早々啄木に死の暗い影がつきまとう。
冒頭の銃殺の風景の元ネタは調べてもわからなかったが※、「死の宣告からよみがえったドストエフスキーのことが描かれて」いると啄木が言っていた小説は、おそらく『死の家の記録』を指している。
※公式によると、ジョルジュ・デ・キリコの作風をイメージした風景とのこと。
【美術設定處 其の八】
— アニメ「啄木鳥探偵處」公式 (@kitsutsuki_DO) 2020年6月4日
死を意識し始めた啄木の脳内を表現するシーン。脚本を読んだ #江崎慎平 総監督の中に浮かんだイメージがジョルジョ・デ・キリコだったとのこと。リクエストに応え #梅木葵 さんがイメージボードに。いつものペイントとテイストが違うのが印象的です。#啄木鳥探偵處 pic.twitter.com/WD0xByenOL
キリコはイタリア人だし、別に社会主義者でもないが、どうして彼の絵画イメージが浮かんだのだろう。
(2020.06.04追記)
著者のドストエフスキーは1849年に思想犯として逮捕されるが、空想的社会主義のサークルに所属していたことが原因だった。死刑判決を受けたものの、ニコライ1世の特赦によって流刑に減刑。シベリアのオムスクで1854年まで服役していたと言われている。この獄中体験が『死の家の記録』に反映されているそうだ。
社会主義といえば、1910年の大逆事件。社会主義者・無政府主義者が一斉検挙され、翌年幸徳秋水らが死刑となった事件だが、啄木も一連の事件の影響で社会主義に傾倒していたことは広く知られている。ドストエフスキーに影響されていたかどうかはわからないが、ロシアの社会学者ピョートル・クロポトキンの『青年に訴ふ』を愛読していたのだから同じロシア出身のドストエフスキーの著作も読んでいたとは思う。
そして1910年は、劇中で啄木が言っていたように、文豪・夏目漱石が伊豆の修善寺で倒れ大量の血を吐いた年でもあった(俗に「伊豆の大患」と呼ばれる)。
このように1910年は死を連想させる大きな出来事があった年で、この翌年啄木は腹膜炎と肺結核を患うことになる。ただ、アニメでは史実よりも前の時期に患ったような描き方になっており、自身の状況と世相を重ね合わせて悲観している様子が窺える。
【短歌紹介處 其の八】
— アニメ「啄木鳥探偵處」公式 (@kitsutsuki_DO) 2020年6月3日
よく笑ふ若き男とは啄木自身のこと。実際にこの短歌を詠んだ時期はとても心身ともに?病んでいたらしいです。#啄木鳥探偵處 pic.twitter.com/JVAK2WsznU
「よく笑ふ若き男の 死にたらば すこしはこの世のさびしくもなれ」は大逆事件の前の1909年に詠まれたもので、アニメでは自分の病気から「もし自分が死んだら…」と思い詠んだとされているが、実際は小説が思うように書けず懊悩していた時期の句であり、「自分が死んだら少しくらいは世間の人が寂しがってくれたら良いのに…」といった思いがあったのではないかと考えられている。
さて、今回のメインプロットである環女史からの依頼とその内容だが、軽業師とその興行主という設定に変えられてはいるが、話の流れは江戸川乱歩のあの作品と大体一致している。今は一応次回のネタバレにならないために作品名を伏せておくが、特にそれが顕著に見られるのは環が受け取った脅迫状の文面で、「葡萄酒は口をあけた…で、コルクの小片がグラスにはいった…お前は指でつまみ出した。」の部分は乱歩の例の作品で出て来た脅迫状の文とほぼ同じ。最後に屋根裏の方を啄木が見るという部分も例の作品と一致するのだから、これはまず間違いない。
しかし、だとすると「忍冬」と同様に(一応伏せ字)依頼人が犯人というパターンが重複する(伏せ字ここまで)ことになり、構成に難が生じてしまうはずだが、結末はアニメオリジナルとして変えてくるのだろうか…?