タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

おためごかしでない、啄木鳥探偵處 第十首「幾山河」視聴

啄木鳥探偵處 (創元推理文庫)

今回は啄木・京助友情回なので感想短めです。あしからず。

 

(以下、アニメのネタバレあり)

 

「幾山河」

前回の環の死によって啄木の社会主義への傾倒はますます深まり、「歌よりも小説」をとペンを手にする。ただ、小説を書き漱石宅へ赴くも評価はされなかった模様(病気を考慮して漱石は厳しい意見を出すのをあえて避けた)。

環を死に至らせた園部は正当防衛として釈放、本来の人身売買の罪で裁かれることなく結果的に法の網をくぐってしまう。法で裁けぬのなら…と啄木は園部を殺そうとするが未遂に終わり、しまいには自殺行為にまではしろうとする。

…とこんな具合に、今回の啄木の憔悴ぶりは引くほど痛々しいことになっている。これまでいいように周りを振り回していただけに、己の非力さが余計に耐えられなかったのだろう。

 

若山牧水の「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」は牧水が23歳の時に作った歌。父の見舞いも兼ねて帰郷した当時、牧水は人生や芸術に懐疑的で「自分はこの世に生きていてよいのか」と悩んでいたそうで、旅をしても解消されない寂しさ・悩みを思って詠んだとされている。

牧水といえば、身内以外で啄木の死を看取った唯一の歌人漱石は葬儀に参列)。今回の話で牧水が出て来たのは牧水自身が感じた世の中に対する疑念と啄木の苦悩がリンクしたことによるものだろう。

 

芸術にしろ人生にしろ「これが正解」っていうのは無いから難しいし、啄木が傾倒した社会主義にしても欠点があるから、所詮この世は相対的な価値観で成り立っていると私は割り切っている。嘘つきが多数派の世界ならば正直者が異端者になるし、酒の席がもし「ジュースの席」に取って代わられたら、今の酒好きのおじさん連中は肩身の狭い思いをする。

単に今優位にいる人々は偶然社会のマジョリティにいるに過ぎないだけ。個人的には酒の席とかああいうのは無くなっちまえ派なのだが、まぁあれでも良い所はあるに違いないだろうから社会を動かしてまで変えようとは思わない。けど、今の状態が当たり前だと思って若い人にも押し付けるような中高年連中には軽蔑の意を表する。

 

実際の啄木がどこまで社会情勢に苦悩していたかはわからないが、よりによって病気の身でこんな不愉快な問題に向き合っていたのだと思うと、ちょっと切なくなるね。

それにしても、京助のような拠り所を見失った時にでも傍にいてくれる友人は掛け値なしにありがたいな。私は一旦距離が離れてしまうと「用がないのにメールしたら嫌がられるかな…」と思ってしまい、ついつい疎遠になるタイプだから、ああいう友人がいて欲しいんだよね。