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ゲゲゲの鬼太郎(6期)第92話「構成作家は天邪鬼」視聴

ドッキリ企画の中で好きなのは「百人隊」、逆に嫌いなのは「大物芸人に激怒される」系のドッキリ。いくらジョークでも怒られたくないし怒られるのを見るのも嫌いなのだよ…。

 

天邪鬼

ja.wikipedia.org

妖怪の中で最も人間心理に根ざした妖怪といえば、やはり天邪鬼だろう。そのルーツは『古事記』『日本書紀』における天稚彦や天探女にあると言われているが、天稚彦や天探女は特別ひねくれ者だったという記録はない。むしろ、スサノオから生み出された天逆毎という女神の方が天邪鬼の性格に近い。

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仏法を妨げる悪鬼になったり、昔話「瓜子姫」に登場したり、ひねくれ者の代名詞として活躍するなど多方面で認知された天邪鬼は、アニメでは1~5期に皆勤で登場。1・3期は原作「天邪鬼」に則った物語となっているが、4期と今期はほぼオリジナルの物語。そして2・5期では原作「妖怪大裁判」の検事側妖怪として登場した。

ちなみに、原作で天邪鬼は「さとりの怪」とも言われ、相手の心を読み取る能力があるとされているが、4期と今期は相手の心を読み取る能力はカットされている。

 

ひねくれの本(もと)

これまで天邪鬼がメインとして登場したのは1・3・4期。そして各期では様々な事情で心がひねくれてしまった人間が登場する。それを比較してみるのも天邪鬼回の面白さだと思うので振り返ってみる。

まず1期は原作通り、戦争で息子と妻を喪った老人が出て来る。息子は特攻隊として散華、妻は空襲で死亡。一人生き残ってしまった老人は、世の中を妬ましく思い、人の幸福を憎み、誰かが不幸になったり死ぬことを喜びとして生きていた。そしてその悪感情を天邪鬼に読まれてしまい、結果天邪鬼の封印を解いてしまうことになる。

3期も同じく老人が登場するが、ひねくれの原因は孤独にあると言える。戦争を乗り越え、日本の復興に尽力したにもかかわらず、今の若者はそんな老人の苦労も知らずに遊び惚けていやがる…。若者に疎んじられる老人の孤独感が天邪鬼に付け入る隙を与えたのだ。

4期は資産家の若き令嬢・大河内百合香が登場。これまで登場した老人とは真逆の身分でありながら彼女もひねくれた人間であり、その原因として挙げられるのが資産家という身分。元々わがままに育てられたこともあるのだが、彼女の周りには資産目当てで集まる人間しかいなかったようで、そのため彼女は人間を斜に構えて見るようになったのだ。後に彼女は天邪鬼に誘拐され、鬼太郎たち(特にねずみ男)との出会いによって大きく成長することになる。

またこの展開によって、4期の天邪鬼回は鬼太郎アニメの名作群に数えられることになった

 

以上、各期の人間の「ひねくれの本」をおさらいしたが、今期主人公として登場したテレビディレクターの奥田は、何と珍しいことにひねくれていない!

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今までは「妖怪としての天邪鬼」「人間のひねくれた感情としての天邪鬼」の二つが描かれていたのだが、今回奥田は「妖怪としての天邪鬼」と「大衆が抱く悪感情としての天邪鬼(=他人の不幸を喜ぶ大衆心理)」に振り回されることになる。

 

天邪鬼を封じる方法

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今回の脚本は予告があったように伊達さんが担当。DVD4巻のブックレットに収録されたインタビューでは、シリーズディレクターの小川孝治氏が過去の作品が面白すぎて手を付けたくない作品として4期天邪鬼回を挙げたくらいだから、伊達氏も今回の脚本がいかにハードルの高い案件だったか承知していたはず。だからこそ、今回のプロットは得意分野であるテレビ業界を舞台にしたのかもしれない。

 

今期の物語自体は正直言うとそこまで「面白い!」と感激するようなものではなかった。仕事で結果を残せない奥田がねずみ男と天邪鬼に言われるまま過激なドッキリ番をプロデュース。高視聴率を叩き出し、これまで無関心だった息子も喜んで見ているが、より過激さを増す番組内容にヒヤヒヤ。そんな時、息子が起こした「事件」を切っ掛けに奥田は本来の自分を取り戻し、最後は自分の作るべき番組を見出し躍進する…という感じの物語。

終盤目玉おやじに重要なメッセージを語らせる辺りも今まで担当した脚本に近い所があるし、(序盤にぬらりひょんを出した割には)物語としての落としどころも普通だったかな~という感じで、脚本・作画に勢いのあった4期と比べるとどうしても凡作止まりに映った。

 

とはいえ、天邪鬼という「人間の心に根ざした妖怪」が出てきたこともあってか、色々と示唆に富む部分はあり、このまま凡作として本作の評価を終えるのは伊達氏にも悪いと思うので、ここからは「天邪鬼の封印」という面から読み解いていきたい。

 

これまで天邪鬼回は「妖怪としての天邪鬼」と「人間のひねくれた感情としての天邪鬼」を描いてきたことは先程も言ったが、原作・アニメ共に「妖怪としての天邪鬼」は大石魔除けの毘沙門天によって封印され、各登場人物が抱える「人間のひねくれた感情としての天邪鬼」は各々が抱える事情に即した解決策を以てその心中にいる天邪鬼を封印している。

1期は戦争が原因で「本来あるはずだった幸福」を奪われたことが老人のひねくれに起因しているが、事件決着後老人は「現在の幸福を奪うことは、戦争で命を犠牲にした人が築き上げた幸福を奪い無駄死にさせることになる」と自ら悟り、心の天邪鬼を封印した。

3期は孤独が最大の原因だったので、事件後老人は老人同士のつながりを以て「若者に負けない心」を培い心の天邪鬼を封印した。

4期は、天邪鬼とねずみ男の生き様を見て「必死に生きる」ことの大切さを知り、百合香は心の天邪鬼を封印した。他人の邪な感情がチラついてひねくれたのならば、いっそ自分中心に、周りの思惑など見えなくなるくらい必死に生きろ、ということなのだろう。

 

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

さて6期はどうだろうか。今期の「妖怪としての天邪鬼」は封印ではなく鬼太郎の指鉄砲によって退治されているし、主人公の奥田の心の中にも天邪鬼は潜んでいなかった。だから大石も魔除けの毘沙門天も出てこないし、奥田も別に心の天邪鬼を封印していない。

しかし、これまでの天邪鬼回同様、今回の物語にも心の天邪鬼を封印するのに必要なものが二つ描かれている

まず一つ目は良心に基づく価値観の尊重」。人の幸福を妬み不幸を喜ぶ大衆心理は決して絵空事ではなく、週刊誌のスキャンダルやワイドショーで如実に見られる。そこに天邪鬼が潜んでいるのなら、反対に「人の幸福を以て他人を幸せにする番組」こそが本来尊重されるべきものであり、奥田も今回の事件を以てその大切さに改めて気づいたはずだ。そしてそのような番組を作るためには己の良心に基づく価値観を大切に持たなければならない。周りに振り回されるような脆弱なものではない、確固とした価値観を。

 

ちょっと話は反れるが、この価値観の下りで妙な既視感を覚えた。何だろうと思っていたら5期の93話「おばけビルの妖怪紳士!」も己の価値観の尊重を描いた話だったなと思い出した。

lineup.toei-anim.co.jp

あの話も息子のいる親を中心に描いているから、ある意味今回の物語とリンクしている部分がある。また見返してみるのも良いかもしれない。

 

さて、天邪鬼の封印に必要なものとして「良心に基づく価値観の尊重」を挙げたが、これだけでは心の天邪鬼を封印することは出来ない。現に奥田は本来持っていた価値観で成果を出せず、邪な大衆心理に振り回されてしまっている。魔除けの毘沙門天のような、もっと重要なファクターが必要なのだ。

そんな魔除けの毘沙門天に匹敵するファクターとして、私は三者の視点を自覚すること」、これを心の天邪鬼を封印する二つ目のものとして提示する。

これまでの天邪鬼回もそうだが、心の中に天邪鬼がいる人間というのは得てして主観的に物事を見すぎる傾向が強い。4期の百合香が特にそうで、彼女は金目当てで寄ってくる者の視点が欠けており、「寄られる立場」でしか物事を見ていなかった。そこに「金目当てで寄る立場」のねずみ男のリアルな意見が入ったことで、彼女の心の中の天邪鬼が封印されたのだ。

 

今回の場合奥田に欠けていたのは「息子の視点」である。息子は父親がプロデュースする番組を見て、「テレビで親がこういうことをしているのだから、まねしても許される」と思い、同級生に同じ仕打ちをしてしまう。テレビマンとしての自分を優先させ、父親として見ている息子の視点に気づかなかったが故に息子の過ちを促すことになった。

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今回の物語では「息子の視点」となっているが、別に子供だけではなく親兄弟・会社の同僚・上司・部下等々、様々な人の視点を意識し考えるだけでも心の天邪鬼を抑制することは大いに出来る。

よく動画サイトとか掲示板とかで攻撃的な意見を見かけるのだけれど、もう少し他者に見られていることを考えたらこんなキツいこと言えないのではと思う。妬み嫉みは人間の自然な感情だから完全否定することはしないけれど、「良心に基づく価値観の尊重」と「第三者の視点を自覚すること」は人として備えておくべきスキルだよな、と思う次第である。

 

さいごに(蛇足と雑感)

・天邪鬼の封印を解いたぬらりひょんと朱の盆。今回に限っては登場する必要がなかった気がするが、登場しなかったら封印は解かれない訳であり、そうなると今回の事件は起きなかったから、やっぱり必要なのか。

『ゲゲゲの鬼太郎』第92話「構成作家は天邪鬼」より先行カット到着! 人の幸せを壊す様を撮って、放送しろと脅されて……の画像-7

©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

妖怪と人間の対立を激化させるためとはいえ、ほったらかしにしたという事は、特別メインの計画でもなかっただろうし、趣味と実益を兼ねて天邪鬼の封印を解いたと考えるべきだろう。

 

・あれだけ素人に向けて過激なドッキリを行っているにもかかわらず、視聴者からの苦情が届いている描写が無かったのは、視聴者=大衆が他人の不幸を求めていることを示すためなのだろうが、個人的には過激すぎて“やらせ”だと思って見ている人もいる可能性も捨てがたい。

一般人の自宅を崩壊させる行為をテレビで流すなんてあり得ないし、視聴者も「どうせあの家はセットで、家族はエキストラ雇ってんだろ?」って感じであの番組をドッキリ風エンターテインメントとして楽しんでいたのかも。人によっては「8時だョ!全員集合」の時のように、懐かしさを覚えて見ていた人もいたりして(屋台崩し系のコントとかあったしね)。

 

・「良心に基づく価値観の尊重」と「第三者の視点を自覚すること」について、実は前々から思う所があった。

(敢えてグループ名は伏せておくが)ネットを中心に活動するとあるグループを偶々知って、当初は割とチャラくて軽薄ささえ感じる所があると思って見ていたが、彼らがライブドームで「ファンでない人々からの誹謗中傷」を受けていたことを吐露する動画があり、声を詰まらせながら「それでもファンを幸せにするよう考えて活動したい」と言っているのを見た時は、「あ~、危ない危ない。私も気を付けないと」と思ったと同時に彼らを応援しようという気になった。

人によってはそういう弱さをファンに見せるのはプロの仕事としていかがなものかと難色を示すのかもしれないけれど、そういう感情は出してもらわないとなかなかわからないもので、彼らがその弱さを吐露してくれたのは良かった。自分の価値観を尊重する以上、相手の価値観を無闇に否定してはならないし、言われる立場も考えなければならないという自戒にもなったので、彼らの前途に幸があることを祈っている。

 

 

次回はまぼろしの汽車。ということは、吸血鬼ピーも出る!(モンローは出るのかわからないが)

吸血鬼絡みだからバックベアードの復活が関係している事件かどうかも気になる所。残り5回の予定だから、ここで入れないと流石に余裕ないだろうし…。