タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第70話「霊障 足跡の怪」視聴

 

「足跡の怪」

ゲゲゲの素 (トクマコミックス)

原作は1966年に発表された僅か8ページの掌編。迷信を信じず聖域を汚した男二人がタイタンボウの祟りによって無惨な死を遂げるという至極シンプルなストーリーであり、肉体の一部が徐々に溶けていくという強烈な祟りの描写が印象的な作品。

本来は鬼太郎が登場しないが、2期鬼太郎において1972年9月の43話でアニメ化され、それ以降鬼太郎アニメのトラウマ回としてファンの間で有名な作品となった。

2期では原作通りだと鬼太郎が介入する動機がないため、タイタンボウを祀る土地で起こった神隠し事件を解決する目的で鬼太郎たちが介入したという設定になっている。その事件の原因として、原作に登場した二人の男がタイタンボウの聖域を汚し、御神体の岩を削り取って持ち去ったことになっている。

「昔からの禁忌を迷信だと馬鹿にし、不敬な行いをした報い」と「祟りを目の当たりにしながらも己の功名心に取り憑かれた人間」という二つの怖さ。これが2期の特筆すべき点だろう。

 

救われたようで、救われていない6期

6期で「足跡の怪」がリメイクされると知ったのは8月初頭。5期でリメイク予定だったのが打ち切りで頓挫したため、6期でその思いを果たそうとした目的があったのかもしれないが、放送決定が判明したときは嬉しいのと同時に不安もあった。

「足跡の怪」の身体が溶ける描写は現代の日曜朝では過激すぎるため、2期より穏当になることは間違いないだろうから、そこが弱くなるとこれまで放送された6期における諸の怖さ(恐さ)と比べると、どうしても弱くなってしまうきらいがある。同様に、話としても「禁忌を犯した報い」「功名心に取り憑かれて心を失った人間」というテーマだけでは、話が浅く6期でこれまで描かれたホラーや人間の闇に比肩しないのではないか?これが放送前の懸念点であった。

 

以上の懸念点をふまえて今回の内容を振り返ると、まず肝心の溶解描写については患部(?)を黒いもやで覆って直接的なグロさをカバーしている。よ~く見ると耳や眼が溶けているのがわかるから、そこは制作陣が日曜朝に放送出来るギリギリを攻めたのだなと、健闘ぶりが感じられた。

次に話の内容だが、前半部は2期をベースにしたリメイク、後半部は6期オリジナルの展開という構成になっている。そしてオリジナル部分を成立させるために、タイタンボウが祀られた入らずの山を管理する一族という新たな設定が追加されている。先祖代々に亘って4日おきにタイタンボウの御霊石に祈りを捧げ(つまり年に91回は必ず行う)、その土地で生まれた人間以外が山に入らぬよう見張ることが「掟」として定められた一族に生まれた青年を主軸にした物語は、別の目的から祟りを否定しようとする人間を描いている。

別の目的――それは自分の行動が制限される「掟」から解放され自由になりたいという思いなのだが、それすらも許さないタイタンボウの理不尽なまでに容赦のない祟りと一族への呪縛。この辺りが6期のオリジナリティと言って良いだろう。

最終的には砂かけ婆が用意した幻覚砂で祟りの恐ろしさを知り、父・祖父の思いを知って「掟の番人」となった青年だが、番人の運命から逃れられない結末は身体が溶ける直接的な祟りとは異なる、慢性的な祟りとでも言うべき残酷さがあって嫌な気分にさせられた。

 

鬼太郎でもどうしようもない脅威

ところで、さだめと聞いて思い出したのが昨年放送された西洋妖怪編における魔女アニエスとアデル。あの時鬼太郎はバックベアードを撃破し、ブリガドーン計画の犠牲となるさだめを負ったアニエスとアデルを見事救った。

それなのにどうだろう。今回鬼太郎は「掟やさだめを恨む気持ちは理解できます」と一定の理解を示しながらも番人のさだめを負わせる役目をしている。

そう、矛盾しているのだ。本来ならば掟に苦しむ青年が解放されるよう何かしらの尽力をするのがヒーローとしての役目だし、3期鬼太郎の作風ならばその方向で話が進んだのではないかと思う。

それをしなかったということは、タイタンボウが妖怪以上の力を持つ神のような存在であり、鬼太郎ではどうしようもないレベルのものだということを裏付けているのではないだろうか。バックベアードの時はアニエスのさだめ以前に計画を阻止しなければ日本が危機に陥っていたので動かざるを得なかったのだが、今回の場合は動く方がリスクが高い案件。原作のように聖域に立ち入らないだけならばまだしも、「番人の掟」というルールがあり、それに背く思いを抱いた“だけ”でも祟られるのだから、鬼太郎という外部の存在が掟に背くようけしかけるのは鬼太郎自らを滅ぼすことになりかねない。

また劇中では詳しく言及されていないが、タイタンボウが祀られている土地=神の土地だと考えると、そこの住民は神の人質でもあり、下手な動きをすれば住民に被害が及ぶのは間違いないだろう。事実13年前には掟に背く行為があったことを住人が責める描写があった。鬼太郎としても無関係な住民が被害に遭うのは望まないだろうから、結果的に番人のさだめを負わせる役目を果たしたのも仕方ないと思うのだ。

 

3期はヒーローとしての側面が強かったが、2期や6期のような鬼太郎が登場しない原作をベースとした話がある期では、鬼太郎が傍観者以上の機能を果たせない回がある。「ゲゲゲの鬼太郎」は水木作品の中ではヒーローものでありながら、「どうしようもないもの」の存在を出している。そこが魅力的でもあり、他のヒーローものとは一線を画す所だと思うのだが、どうだろうか。

 

今期は2年目に入ってから長谷川氏が脚本で加わったことにより、過去作のリメイク化が進んでいるが、私としては「縁切り虫」「心配屋」をリメイクして欲しいかな、と思っている。特に「縁切り虫」はねずみ男の鬼畜っぷりが発揮された回だったので、どんな感じにアレンジされるのか見てみたい。

 

 

次回は23話に登場した唐傘のメイン回。ちゃんちゃんこが盗まれるということは、原作「傘化け」をベースにした話だろうが、今期はどうなることやら。