タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第67話「SNS中毒VS縄文人」視聴

今日の話を要約すると↑の様な感じになる。

 

「カモイ伝」

今回の原作は鬼太郎が登場しない短編「カモイ伝」が元。タイトルを見ておや?と思った方もいると思うが、これは白土三平氏による「カムイ伝」のタイトルをパクっ…アレンジしたものと思われる。(ビギナーの方は知らないだろうが、水木先生の作品には要所要所こういう系統のパクリがあるのだよ…ww)

簡単に「カモイ伝」の内容について説明しよう。

人跡未踏の地で縄文人を発見した花井は、縄文人に“文明がいかに人を幸福にしているか”を教えるため、都会へと連れて行く。都会へ下り立った縄文人は「カモイ!」と叫ぶ。朝比奈博士によると「カモイ」は「怖い」という意味らしいが…。

それから縄文人は税務署から脱税容疑で衣服の毛皮を剥ぎ取られ、警察からわいせつ罪の現行犯で捕まってしまう。そして花井は縄文人を都会に下ろしたことが切っ掛けで、会社をクビになり妻から離婚を言い渡されるのだった。

それから一年後、花井は縄文人と共に縄文の暮らしをしていた。文明社会の脅威から解放された花井は、縄文人に文明社会を見せようとした自分を恥じるのだった…。

 

文明社会へのアンチテーゼ

今回の鬼太郎ではSNSという現代社会を代表するツールを利用して、文明に振り回され堕ちていく女性を描いた。

文明をテーマにした話はこれまでの鬼太郎アニメでも放送されており、その中でも特に印象的なのが2期40話の「原始さん」。人間によって破壊された自然を甦らせる神様の様な存在として登場。原作では文明社会を原始時代に回帰させて、人々に幸福をもたらしたのだが、アニメでは鬼太郎の仲介によって原始さんは元いた場所へ戻るという展開に。

3期では78話の「マンモスフラワーと山男」が文明社会へ疑問を投げかけた作品となっている。話としては原作の「マンモスフラワー」「原始さん」「カモイ伝」の諸要素を混ぜた話になっている。ただ、「カモイ伝」の要素は山男が「カモイ」と言う程度で原作にあった「怖い」という意味はカットされている。

 

とまぁこんな感じで各期でも文明社会に疑問を投げかける作品はあるのだが、今期はSNSの「いいね」機能に焦点をあてているのが特徴。また妖怪が一切登場しない代わりに「いいね」のために人道を外れて“妖怪”と化した人間が描かれているのも見逃せない。(15万円のストールで鬼太郎のちゃんちゃんこと互角に戦ったりする所とかね)

 

「棺桶」と「いいね」

 今回の話を見ていて、ちょっと「一番病」の要素も入っているなと感じた。「一番病」も水木作品の短編の一つなのだが、この作品は「自分の仕事が一番でないと気が済まない棺桶職人」を描いた物語。かの手塚治虫氏をモデルにした話としてファンの間でも有名なこの作品、一番になるために無理をして棺桶の増産に努める徳兵衛と、「いいね」を増やすためにマナー違反を繰り返し、挙句の果てに殺人未遂にまで及んだクリスとはどこか共通項の様なものが感じられる。クリスの場合は「いいね」の一番を狙った訳ではないが、特定の分野で優位な地位にいようとする姿勢は徳兵衛と変わりは無いだろうし、その行為の異常性や「その分野でしか幸福感を得られない」といった部分も共通している気がする。

「徳兵衛≒クリス」、これ即ち「棺桶≒いいね」なのだ(?)。

 

劇中の疑問を考えてみる

Q1:何故縄文人が現代まで生きているのか?

A1:発達した生物には死があるが、原始的な生物には、しばしば不死ということがある。

上の答えはアニメ「墓場鬼太郎」の11話「アホな男」から引用。今回の縄文人も原始的生物だから何千年も生き長らえることが出来たのではないだろうか。

 

Q2:何故縄文人は「カモイ」と感じたのに都会から逃げなかったのか?

A2:生命の危機を感じる様な「カモイ」では無かったから。

サポート役としてねずみ男が側にいたからある程度の安心感があったのかもしれないし、「カモイ」という感情をすぐ忘れさせる程面白いモノが都会には溢れていたからかもしれない。でも結局の所自分に直接的な危害が加わるような「カモイ」でなかったのが大きいと思う。感覚としては「おお怖っ」とか、或いは「ヤベぇ!」というのが今回の「カモイ」に近いだろう。

 

Q3:インステのランキングにあった「コケカ様」とか「貧太」とかって何者?

A3:コケカ様はコケカキイキイのこと。貧太は「悪魔くん」のキャラクター。

 他にもランキングには水木作品に登場するキャラクター名が散見されたので、気になる方は調べてみては如何?

 

 

さて次回は鬼太郎シリーズ定番の「地獄流し」。今期はどんな結末になるのだろうか。