すっかり更新が遅くなってしまった。
ちょっと実生活の方がアレだったので、なかなか書く気分になれなかったのだ。
死神
66話ゲスト妖怪「死神」
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2019年7月28日
原作「死神」、「河童の三平」シリーズなどに登場。魂を集めて地獄に送る仕事をする神。閻魔大王から課された魂集めのノルマに日々苦労している。死神が吐く息は相手を老衰させる能力がある。#ゲゲゲの鬼太郎 pic.twitter.com/Elgymqsilx
ねずみ男に次いで、鬼太郎作品だけでなく「河童の三平」などにも登場するオールマイティーな妖怪。死神という位だからカミサマみたいに万能かというとそんなことは全然無く、作品によっては「魂集めのノルマに追われる妻子持ち」というサラリーマンさながらの設定がある。
アニメでは2・3・4・5期に登場。特に2期では準レギュラー的立ち位置で何度も登場し、貧乏神やサトリとタッグを組んで魂集めを画策しようとしたこともある。
ちなみに、貧乏神やサトリとタッグを組んだ回の原作はいずれも「サラリーマン死神」シリーズに属する。
隠れ里の死神
今回の脚本は前回の記事でも言及した通り長谷川氏によるもの。これまで同様過去作のリメイクとなっているが、今回は2期の42話「隠れ里の死神」からリメイクされている。「隠れ里の死神」は先述したサラリーマン死神シリーズの一作「蒸発」が原作。生憎「蒸発」は未読作品のため、アニメの内容しか言及出来ないが、そこでは隠れ里に住む隠れ座頭なる人物に言われるままに死神が子供をさらうというストーリー。隠れ里は時の橋を越えた先にある異世界であり、そこでは地上と異なり時間が止まったままで永遠に生き長らえることが出来る。以前放送された、人間の成長が地上世界よりも早くなる木の子が住む森とは正反対と言えるだろう。
鬼太郎は隠れ里に半ば幽閉状態になっている子供たちを解放するために隠れ座頭と対決。見事退治し子供たちを元の世界に返すため共に時の橋を駆けていくが、そこには余りにも残酷な結末が…。これに関しては今回の放送を見た方なら察しがつくと思うが、2期の方はよりショッキングな描写となっている。
2期と今期の違い
2期と今期の違いは大きく分けて2つ。
①死神
2期では隠れ座頭に騙される形で子供の誘拐に加担することになった死神。
一方今期の死神は確信犯。200年周期で地上に架かる時の橋を利用して、隠れ里に誘われた子供を200年後に隠れ里から連れ出し、その魂を収穫していた。
それにしても、ワインみたいに今の時代の魂よりも年月が経っている魂の方が価値があるというのはどういうことだろう。多分魂そのものの価値もあるのだろうけど、200年間彷徨っていた魂を回収出来たその捜索能力の高さも買われるのだろうな。
②脱出時の子供
2期と今期では隠れ里から脱出する際の子供の心境が微妙に異なる。2期では脱出後に待ち受けるショッキングな展開を引き立たせるため、子供たちは脱出したら親に再会出来るものと思って時の橋を駆けていく。
しかし今期の子供たちは犬山まなの介入によって200年という時の間隙があることを実感し、「元の世界に戻る=死」の可能性を心に止めて地上の世界へと戻る。この死への覚悟の有無が最大のポイントと言えるだろう。
2期の場合、子供たちのため良かれと思って鬼太郎は元の世界へと返してしまう。しかし結果的に子供たちを死なせてしまったことに対して「隠れ里で生きていた方が幸せだったのではないか」と涙を流す。そうそう泣くことの無い鬼太郎が泣くだけに、忘れられないシーンの一つである。
今回の6期はそんな2期の鬼太郎に対する返答(アンサーソング的なもの)としてのリメイクだったように思える。生き続ける苦しみや死という自然の摂理は、水木先生の短編作品にも幾つか見受けられるが、死は決してマイナスなものではなく、解放といったプラスの面もあるということを読者に伝えている。
そう言えば、水木先生の訃報を聞いた時も驚きはしたけど悲しみはあまり感じなかった。昨年京都で開催された「水木しげる 魂の漫画展」でも水木先生は「新たな旅へ出た」という形で説明されていた位だし。
それは兎も角、次回はSNS女子と縄文人のコラボという不思議でケッタイな回。。200年の歳月云々の話の後に縄文人ってどういうセンスしてるんだ制作陣は。