タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第53話「自己愛暴発! ぬけ首危機一髪」視聴

平成最後の鬼太郎を飾るゲスト妖怪はぬけ首!

 

でも話としてはチャラトミとヒカキン氏の方が目立っていたような気がする。

 

ぬけ首

前回の木の子と同様に、ぬけ首も3期以降アニメ化がなかった原作。

高熱を発する頭冷却器官の胴体が中和しているというのは勿論原作者の水木先生のアイデアで、伝承で語られるぬけ首はろくろ首のように首がぬける以外の妖怪的特徴は特にない。

 

原作が発表された1987年3月は、鬼太郎3期が放送されてから約1年半たった時期。鬼太郎人気も軌道に乗った時期だけに、「鬼太郎人気に嫉妬する妖怪」を登場させたのも頷ける。

今期のぬけ首回は後述するとして、3期のぬけ首回はほぼ原作準拠。鬼太郎人気に嫉妬したぬけ首が鬼太郎を襲撃、胴体をねずみ男に盗まれたぬけ首の頭はどんどん膨張・高熱化していき、いつ爆発してもおかしくない状況。まさに一大事!

特にアニメでは頭が膨張していくぬけ首の苦しさと、街に出たぬけ首の高熱で起こるパニックが克明に描かれており、観ているこちらもハラハラする程だ。これはイムリミットサスペンスを観ているような感覚に近い。

 

チャラトミは「第二のねずみ男」か?

1話でのびあがりの封印を解いたり、47話で妖怪の印象操作に利用された迷惑ウーチューバーのチャラトミ。名無し騒動でウーチューバーに懲り、就職活動を始めたが、社会人として働くことに嫌悪と抵抗を覚えたチャラトミはぬけ首と組んで再びウーチューバーとして返り咲きを目論む。

 

2期の死神や3期のシーサーみたいに妖怪が準レギュラーとして登場するのはこれまでのシリーズにもあったが、小悪党の人間がこのように何度も登場するのは何気に今期が初ではないだろうか。

立ち位置としては原作のねずみ男のようなトラブルメーカーで、ある意味「第二のねずみ男と言っても良いのかもしれないが、ここで私はチャラトミとねずみ男の行動理念は全く異なると言っておかなければならない。

確かに妖怪の封印を解いたり、トラブルを起こす点は共通するのだが、ねずみ男が妖怪の封印を解いたりそれに関連したトラブルを起こすのはひとえに彼自身の妖怪研究家としての飽くなき好奇心と金銭欲からくるものだ。

一方チャラトミが妖怪の封印を解いたり、今回のようなぬけ首による騒動を起こしたのは「目立ちたい」「周りの脇役とは違う」「俺が主役」という承認欲求からきている。

 

承認欲求。ずんべらやさら小僧の回でも散々扱われたテーマだが、今回はユーチューバーを題材にしている。

正直言って私はユーチューバーに関しては疎い。話題のモノを紹介したり、実験的な「やってみた」動画をアップしたり…。言うなれば、特定の人・モノを媒介にして自己表現を行う人というのが個人的なユーチューバーのイメージ。ヒカキン氏のように職業として大成させた人もいれば、個人的趣味の域、酷い場合は犯罪まがいのことをする人もいる点で振れ幅が大きいというイメージもある。

 

チャラトミの場合は承認欲求が暴走した結果、ぬけ首の胴体を盗難。ぬけ首の高熱化によってもたらされた異常気象は自分が原因だと吹聴し、「胴体探しゲーム」と称して悦に入るという、テロリスト並みのトラブルを起こす。

原作のねずみ男の場合、鬼太郎が霊界テレビ出演を断り、急遽代役を用意しなければならなかったという理由でぬけ首の胴体を盗むのだから、いかにチャラトミの方がタチが悪いかわかるだろう。

 

「好き」を仕事にする難しさ

言うまでもなく職業としてのユーチューバーは自身の能力を含めて「好き」な物事を扱った動画で収入を得ている。

しかし、世の人間全てが好きなことをやって収入が得られる訳ではない。そもそも皆が皆好きなことばかりやっていたら社会が成り立たなくなる。

劇中でチャラトミの先輩が言っていたように、嫌な思いをしながら毎日仕事をして、限られた収入でやりくりする日々を送っている人の方が圧倒的に多いだろう。

かくいう私タリホーも去年4月から晴れて社会人となったが、大学4回生の有り余るほどの自由時間は幻のように消え去り、独身寮での一人暮らし・週6勤務が基本・気分にムラのある上司との関係に心身共に疲れ果てる毎日だ。

 

だからといって好きなことだけを仕事にしている人に嫉妬したり批判をする気は毛頭ない。好きなことが必ずしも収入に直結する訳ではないし、アーティストならば作品の質を落としてはならないのだから、好きを仕事にするにはそれ相応の苦労と覚悟が要る。

事実、鬼太郎の原作者の水木しげる先生も漫画家として食えるようになったのは40を過ぎてから。それまでは描けども描けども貧乏から抜けられず、ゲゲゲの鬼太郎がヒットしてからは金に困らなくなったが忙しい、という具合に好きなことを仕事にしている人でもそれに伴う苦労はある。

 

 劇中のヒカキン氏も「好き」に全身全霊をかけることで“自分の人生の主役”として充実した生活を送っているだろうが、彼が成功したのは彼の「好き」を評価する人がいてこそ。「好き」と「収入」が直結するわけではないのでそこは誤解なきように。

 

 個人的には目玉おやじのこのセリフの方が心に刺さったかな。居場所を探してもがくなかで得られる「好き」もあるだろうし、むしろそっちの方が仕事と直結していく気がする。趣味の「好き」を仕事につなげられる人なんてほんの一握りしかいないのだから、私たちは新たなる「好き」を探して人生を豊かにするしかない。

いや、ちょっと前向きな気持ちになれました。

 

6期ぬけ首回、「平成最後の鬼太郎回」としてどうか?

正直内容を観るまでは「スペシャルゲストとしてヒカキン氏が出ているとはいえ、平成最後の記念すべき回に何故よりによってこんなマイナーな原作を…」と思ったが、フタを開ければ水木先生の著書『水木サンの幸福論』にも関係した話で十分意義のある回だったのではないだろうか?

水木サンの幸福論 (角川文庫)

水木しげる『幸せになるための七カ条』が話題! 年の初めに読んでおきたい! – grape [グレイプ]

新しい元号に変わる今、これから社会に出てゆく人、既に社会にもまれている人に向けた応援回と考えるのは少々うがち過ぎかもしれないが、平成最後にダークなオチというのもあんまり相応しくないので、ハッピーエンドでちょうど良かったと思う。

 

ただ、手放しに褒められない所も。まずぬけ首の高熱で異常気象となった描写の部分だが、周りの人が暑さでバタバタ倒れているのに、ヒカキン氏が長袖で涼しい顔をしていたのは不自然だった。あとチャラトミよ、アスファルトに倒れたら余計暑いのでは?

それから事件解決後のチャラトミの処遇について。いくら法的に罰せられない案件とはいえ、ぬけ首の能力を悪用し、洒落にならないレベルのトラブルを起こしている。そんな人間が接客業のバイトをしていることに違和感を覚えた。

いやいや、採用した人よ、ただでさえバイトテロとかバカッターとかニュースになっているのにそんな危険分子採用しちゃって良いのか?

(まぁ、今後チャラトミがバイトでやらかしてまた悪どいことをする展開があるのならば別に構わないけどね)

あの後ぬけ首とどうなったのかも結局描かれなかったしね。和解したのか喧嘩別れしたのか、それともぬけ首がチャラトミに仕返しをしないよう鬼太郎が間に入ったのか。細かい所かもしれないけど、原作でトラブルを起こしたねずみ男は一応お仕置きを受けている描写があるので、描いて欲しかったかな。

 

今回の脚本はハートフル脚本でお馴染み井上亜樹子氏。これまでも承認欲求やアイデンティティをテーマにした回を描いているが、これ以上は流石に食傷してしまうので、次は別のテーマでお願いしたいな。

 

 

来週は令和最初の鬼太郎。令和最初を飾る妖怪は泥田坊。タイトルを見るとかなり重い内容が予想されるが…。