タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

吉岡版「犬神家の一族」(前編)、現時点での感想

金田一耕助ファイル5 犬神家の一族 (角川文庫)

どうも、タリホーです。遂に吉岡版「犬神家の一族」が放送されました。

犬神家は過去に映画・ドラマ・舞台と何度も映像化されてきた作品であることは言わずもがなで、クリスティの『オリエント急行の殺人』並みに犯人が多くの人々に知られていると思いますが、吉岡版が初見の人も当然いるはずなので、今回は前編だけに絞った感想とし、後編に原作も込みでじっくり感想・考察を書く予定です。

 

(以下、ドラマと一部原作・過去作のネタバレあり。ただし事件の真相に触れるネタバレは無しでお送りする)

 

注:過去作については以下のように表記する。

市川崑監督・石坂浩二主演の1976年の映画→石坂版

古谷一行主演の1977年のドラマ→古谷版

稲垣吾郎主演の2004年のドラマ→稲垣版

加藤シゲアキ主演の2018年のドラマ→加藤版

 

ビルマ戦線

前編は原作の「発端」から「唐櫃の中」辺りまでの内容となったが、これでもまだ原作の後半部に至っていないので、後編の展開が駆け足気味になりやしないか少し心配だがそれはさておき。

 

物語は佐清の部隊がいるビルマ戦線の様子から始まる。確かビルマ戦線の一幕を描いたのは本作と稲垣版くらいだったと思うが、本作では傷に湧いた蛆虫を食べる兵士が描かれており、極限状況下での戦闘だったことがダイレクトに伝わって印象的な場面だった。

ちなみにこれは個人的な話だけど、私の母方の祖父の兄(つまり私の大伯父にあたる人)がビルマで戦死しているから、フィクションとはいえ本作におけるビルマ戦線の描写には感慨深いものを覚えるというか、こんな過酷な場所で死んだのかと思わずにはいられなかったよ。

 

吉岡版「犬神家」の人々について

今回の吉岡版「犬神家」の人々は血の繋がった家族ではあるものの戸籍の上では赤の他人であることが明言されている。何故ここを強調したのかわからなかったが、他の方の感想で遺産相続における遺留分の問題をクリアするためだと知って納得。

遺留分は相続人が認められている相続遺産の最低限の取り分だから、松子ら三姉妹にも遺留分を請求する権利はあるのだが、今回は戸籍上・法律上の子供として佐兵衛翁に認知されていないため、遺留分すら請求出来ない。文字通り、びた一文とて遺産を渡したくないという、佐兵衛翁の意志が感じられる。

 

さて、そんな犬神家の面々についてコメントしていきたい。

まずは大竹しのぶさん演じる松子夫人。これまで高峰三枝子さんや京マチ子さんといった大女優が演じて来た松子夫人は当然ながら難役であり貫禄も必要となってくる役で、個人的に加藤版で黒木瞳さんが演じた松子夫人が一番「コレジャナイ感」が強かった。黒木さんだと上品過ぎるというか険がないし、労苦が刻まれた顔立ちの人でもないからどちらかと言うと梅子の方かなと思うし「悪魔が来りて~」の秋子夫人の方がハマったかなと思った。

で、大竹さん演じる松子夫人はどうかと言うと、これまで演じられた松子夫人の中でも特に息子の佐清以外の人間に対して敵愾心があるというか、絶対に心を許さないという面持ちで常にヤマアラシの如く毛を逆立てているような、そんな感じだ。高峰さんが演じた松子にしろ、稲垣版で三田佳子さんが演じた松子にしろ、他の人間に対する警戒心というか気の許せなさはあるものの、やはり心にスキが生じている面があるのも確かで、例えば手形合わせの結果が藤崎鑑識課員によって報告される場面を見ればわかっていただけると思うが、高峰松子も三田松子もホッとした様子を隠してないし署長や藤崎に礼を述べていた。一方の大竹松子は藤崎の結果報告に更に念押しをしていたし、これ以上の無礼な詮索はやめろと言ってその場を去っている。だから今まで以上に「犬神家の女としての松子」佐清だけに見せる「母親としての松子」の二面性がクッキリ強調されていてそこが松子夫人の人物像に奥行きを与えている感じがして良かった。

あとはやはり「ご遺言は…?」と尋ねる場面のあの冷たさが今までにはない松子でゾッとするほど印象的だったな。これまでの松子夫人は父親の佐兵衛翁に対しては憎しみの感情はあったけど表面的には敬意を示していたのに、それすらも見せない。既に見切りをつけて「さっさと遺言をのこして死ね」と言わんばかりの口ぶり。うん、良いと思うよ。それくらいの憎悪を抱いてもおかしくないことをしてるからね佐兵衛翁。

 

竹子と梅子、特に梅子に関しては後編の方で見せ場があると思うので前編の今の段階で特に言及することはないが、竹子一家に関しては今までの映像作品とは違う「おや?」と思う改変ポイントがある。それは松子と佐清の帰りを待っている竹子一家の食卓での一幕で気付いたのだが、原作やこれまでの映像作品における佐武はいわゆる「肉食系」というかオラオラ系みたいな、そういうタイプの佐武だったのに、今回の佐武は母親に溺愛されているザコン気質な佐武って感じで、眼鏡をかけていることもあってかむっつりスケベなイメージを抱いた。

珠世との一件にしてもやっていることは原作と同じなのだけど、今回の吉岡版における佐武は表面的にはインテリを装っていて(恐らく)女性経験も佐智と比べてないのだろうな~と想像してしまう。そこに珠世という億万長者を約束されたような若き女性が近づいてとうとう理性のタガが外れちゃったと、こういう具合に劇中で具体的に描かずとも佐武の生育環境や母親の過剰な愛情によって抑圧された性欲などが垣間見えるようになっていて、そこが面白かったし新たな佐武像として新鮮味があったと評価したい。

 

そして佐武の妹・小夜子も今までとは違い両親、特に竹子から見向きもされていないという点が引っかかった。これは恐らく原作で小夜子が佐智と交際しているという事実に対する動機付けとして考えられた設定かなと推察している。原作では小夜子が佐智に惹かれた理由は一切書かれてないので推測のしようがないのだが、今回のドラマを見ると小夜子は両親から愛情を受けて育ってないがゆえに身近にいた従兄弟の佐智を愛し愛されることでその心の穴というか寂しさを塞ごうとしたという筋書きが成り立つんだよね。でも佐智は小夜子が相続する分の遺産目当てで交際していたのだから、それだけに小夜子が一層哀れな女性として描写され、遺産目当てで交際をした佐智とそれを後押しする梅子夫妻の悪辣さが際立つ。

基本的に「犬神家の一族」における小夜子って、原作だと事件の手がかりとして機能する人物だからまだしも、映像作品だとリアクション芸人枠の扱いに近く、特に石坂版の小夜子はリアクション芸人と言って良い(後編のネタバレになるから詳しくは言わないけど顔芸が凄いんですよ)。そういう役どころだから加藤版では存在がカットされているし、古谷版では登場こそすれ原作の設定を色々とカットしているから映像作品だけを見た人は小夜子のことを「居ても居なくても正直同じ人物」として認識しているだろう。でも今回の吉岡版の小夜子は当然リアクション芸人枠としてではなく一人の女性として描く気概がもう前編の段階で感じられるし、後編でもっとキャラが立ってくるのではないかとそう思っている。

 

他に佐清と佐智、それから婿養子の寅之助・幸吉についても語りたいのだが、これは後編にとっておいた方が良いと思うので今回はここまで。

 

「絶世の美人」設定がカットされたことで深まる謎

犬神家の面々について語ったが次は犬神の身内ではないが本作で最も重要な人物、野々宮珠世について言及していく。

珠世は原作で「絶世の美人」と紹介されているほど神秘的で美しく、これまでの映像作品でも同様に美人として描写されているし、キャスティングにしてもその設定に則っている。今回珠世を演じたのは古川琴音さんで原作の珠世と同じ26歳の女優である。

ただ、今回に限っては珠世に絶世の美人という設定はない。いや、別に古川さんが美人だとかそうでないとか、そういう次元の低い話をしたい訳じゃないよ?私が言いたいのはこの美人設定をカットしたことで原作よりも「何故佐兵衛翁は珠世だけ特別に寵愛したのか?」という謎が強調されているという点だ。

原作だと物語の序盤で佐兵衛翁の出自や珠世の出自について語られているから佐兵衛翁が珠世を引き取った理由が一応提示されてはいるけど、今回の吉岡版ではまだどちらの出自に関しても一切触れていないので、佐兵衛翁が珠世を引き取った理由どころか、特別器量が良い訳でもない珠世を何故可愛がっていたのかという謎も浮上している。これが原作通り美人だったら「佐兵衛翁が面食いでスケベ心から引き取った」という下卑た動機が生じてしまうのだけど、その可能性も潰されているから一層二人の関係性が不可解なものとなっているのが興味深い所である。これは脚本の小林靖子氏も意図して伏せていると思うから、後編でどう描くのか注目したい。

 

磯川「署長」と事件の整理

金田一シリーズで磯川と言えば岡山県警の警部・磯川常次郎を指すが、何と今回その磯川警部が署長として犬神家の事件に関わっている。

映像作品だと古谷版の横溝正史シリーズにおける日和警部しかり稲垣版における橘署長しかり、当初は地元警察の刑事だったのに転勤やら栄転でレギュラーとして金田一と捜査を共にする刑事がいるのが定番だ。そして「犬神家の一族」は大抵映像作品ではシリーズ一作目として放送されることが多いため、刑事の方の改変は基本的には行われない。しかし、今回の吉岡版では磯川警部を那須警察の署長として登場させているのが注目すべきポイントの一つだ。

 

この改変は前作「八つ墓村」で磯川警部が登場したからシリーズとして再度登場させたという安易な改変ではないと私は思っていて、それは磯川「署長」が登場する捜査パートから窺える。

ミステリドラマでよくあるのが、探偵役を引き立たせるために警察・刑事を凡庸かそれ以下のおつむにしてしまうという、あまり賢くないキャラ設定の仕方だ。これだと探偵役が引き立つとはいえ「正直警察が頑張れば事件解決出来るのでは?」と視聴者に疑念を抱かせてしまうのも確かで、残念ながらそういうドラマの方が圧倒的に多い。

でもこの吉岡版において磯川はそんなバカな警察としてではなく、金田一を見習って自分なりに推理を働かせているし、疑問点や違和感を金田一とのディスカッションで視聴者に提示しているから、視聴者もこの事件のどこが異常で、何が矛盾しているのか、何が謎として提示されているのかが理解出来る。

 

この事件整理の技術に関しては実を言うと過去作だけでなく原作もそれほど巧くやれていないというか、むしろ敢えて事件整理を避けているフシがあるのではないかと考えていて、これは後編放送後にネタバレしながら言及していきたいと思うが、とりあえず今は吉岡版の捜査パートは原作未読・映像作品初見の人にも事件の謎・疑問点がストンと伝わる作りになっていること、そして磯川「署長」と金田一がその役目をキチンと果たしていることだけを指摘しておく。

 

 

さぁ、以上が前編を見た段階での私の感想だが、前編の時点でこれだけの感想が出て来たのだから後編は倍以上語ることになるだろう。これは嬉しい悲鳴になりそうだ。