タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

「准教授・高槻彰良の推察」Season1 5話視聴(ネタバレあり)

先日「アメトーーク!」のかわいい男子大好き芸人を見ていたが、千原ジュニアさんはこのドラマ見てるのかな?見てなかったとしたら勿体ないよね。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

5話(呪われた部屋の怪)

准教授・高槻彰良の推察 民俗学かく語りき (角川文庫)

5話は原作1巻の第一章「いないはずの隣人」。ただし冒頭の不幸の手紙は原作3巻の第一章不幸の手紙と呪いの暗号」の前半部からとったもので、後半部の図書館の呪いの暗号は次回放送される。

アパートに住んでいる女性(桂木奈々子)が度重なる怪異※1に悩み、その調査を高槻に依頼するという大まかなプロットは原作通りだが、桂木が父親の反対を押し切り声優になるため上京した設定はドラマオリジナル(原作は普通のOL)。他にも不動産屋の山口氏が原作では三十代の男性なのに対し、ドラマでは親と子、二人の山口氏が登場するのが注目すべきポイントだ。

 

また前回幽霊ネタを扱った話をしたこともあり、二話連続でネタが重複するのを避けるため、今回の怪異は黒髪切という妖怪の仕業だとされている。

ja.wikipedia.org

原作で語られない怪異のためここで説明しておくと、黒髪切は江戸だけでなく伊勢国(現在の三重県)でも出没したそうで、夜中に道行く人の髪を切り、切られた者が他の人に指摘されてようやく気づき歩いてきた道を探すと、結ったままの形で切り取られた髪が落ちていたそうだ。

元禄(1688~1704年)の始めごろに出没して以降、度々この妖怪に遭遇した人がいたようで、文化七年(1810年)四月二十日に江戸下谷の小島富五郎の家の召使が朝玄関の戸を開けようとしたときにこの黒髪切に髪を切られた。そしてその一年前には小日向七軒屋敷という所でも眠気がさしてウトウトしていたところをやられた…という記録が『半日閑話』に残っている。

また、黒髪切ではなく「髪切り」として記録されたケースもある。明治七年(1874年)に東京都本郷の鈴木家の女中が便所で突如結わえ髪が切れて乱れ髪となった。そのまま女中は近所の家に駆け込み気絶、最終的には病気で親元に引き取られたと当時の新聞が報じている。

 

黒髪切の正体については諸説あり、江戸時代の随筆『耳嚢』で女の髪を食う狐の記録があることから狐の仕業とする説や、髪切り虫という架空の虫の仕業だとする説もあり、その虫よけのまじないとして「異国より 悪魔の風の 吹きくるに そこ吹きもどせ 伊勢の神風」という歌を書いた紙を門口に貼り、簪に巻き付ければよいとされていたが、あまり効果はなかったらしい。

他にも現実的な解釈として、かつら屋による犯行だとか、魔除けの札を売るため修験者が自作自演したとか、(女性の被害者が非常に多いことから)特殊な性的嗜好の人間による犯行ではないかという説がある。

 

以上の情報は今回の事件とは直接関係はない(どちらかというと冒頭の八百屋お七の方が重要)が、民俗学・怪談話の面白さをちょっとでも知ってもらいたい人間の一人として掲載しておく。

 

※1:桂木が持ってきたメモによると以下の通り。

4/20:夜中に金縛り

4/21:夜中に金縛り

4/21:ドアが急に閉まる

4/24:うめき声が聞こえた

4/27:お風呂の鏡に青いシミ

5/2:操作をしていないのに勝手にテレビがついた

5/3:夜中に金縛り

5/3:誰も住んでいない隣の部屋から水が流れる音がした

5/7:インターホンが鳴ったのに戸を開けたら誰もいなかった

5/10:勝手に食器が落ちた

5/12:リビングにいるのに玄関の電気がついた

5/14:玄関のドアを叩く音

5/15:電球が立て続けに切れる

5/16:天井で不審な音

5/20:窓ガラスに赤い手形

5/25:鏡が勝手に移動

 

山口哲夫と土井大炊頭利勝

冒頭で語られた「八百屋お七」の動機(特定の人物に会うことを目的とした犯罪)はミステリ小説では意外な動機として基本的には最後まで伏せられる事実なのだが、このドラマはそこに重点をおいてないため、早々にヒントとして提示されている。

原作の山口氏はわざと隣室が空いた部屋をすすめ、その空き部屋で幽霊の演出をして桂木を怖がらせ、タイミングを見計らって助けるふりをすることで桂木と深い関係になろうとした…というストーカーまがいの卑しい犯行なのだが、ドラマの二人の山口氏の動機は原作と比べてまだ同情出来る動機だし、両者とも桂木を思っての行為だったことが明らかにされた。

 

父の哲夫氏は桂木の父親が上京に反対していたこと、息子の雅史が夢破れて実家に戻ってきたことから黒髪切の話を持ち出して脅かし実家に帰省させようと誘導していた。言って見れば一種の老婆心からくる行為だったという訳だ。

一方の息子の雅史は原作と同様桂木に恋慕の情を抱き、怪異を起こせばまた彼女が来てくれることを期待しての犯行だったことが明かされる(最初の金縛りは彼女の体調不良が原因)。ここまでなら原作の山口氏と大差はないが、ドラマはこれを切っ掛けに不動産屋として声優の夢を応援していたことや、鏡による収れん火災を未然に防いでいた※2ことが明らかとなり、原作より同情出来る動機として改変されている。

 

妖怪の話を持ち出して帰郷を促す哲夫氏のやり方は現代の女性には効果的でないとはいえ、このような間接的な温情は勘の鋭い方ならわかったと思うし、それがわからなかったから桂木は金縛り現象を黒髪切の仕業と解釈してしまった。

脚本が意図したことかどうか不明だが、この哲夫氏の間接的な温情の描写は「八百屋お七」の物語でも見受けられる。放火が発覚したお七は捕縛され火あぶりの刑に処されたことはよく知られているが、実は幕府の老中・土井大炊頭(おおいのかみ)利勝が娘が火あぶりに処されるのを気の毒がって何とか減刑させようとしていた※3というエピソードがある。当時の放火は重罪で15歳以上は火あぶり、15歳未満は遠島(島流し)という決まりがあったため、土井大炊頭は奉行に命じ「お七、そちは十四であろう」と謎をかけさせる。しかしお七はその意図が読み取れず正直に「十六でございます」と答えたため火あぶりに処された。

勿論この減刑のエピソードは創作。史実ではお七が生きていた当時土井大炊頭は既に死亡していたし、「15歳未満は減刑」という決まりが明確に決まったのはお七の死後40年ほど経った享保八年(1723年)の頃だった。年齢による詮議はあくまでも人情話として当時の講釈師が創作したものに過ぎないが、今回の物語における哲夫の役割が土井大炊頭とダブって見えたし、その意図を読み取れず東京での生活を継続した桂木奈々子は「もう一人のお七」だったと深読み出来はしないだろうか?

 

※2:視聴した時は、「鏡の移動には気がついたのに、何故段ボールがなくなっていることには気づかなかったのか?」と突っ込んだが、不動産屋にも段ボールくらいはあるだろうし、それを代わりに桂木の部屋に置いておいた可能性はある。

※3:ただし『近世江都著聞集』では、罪人が多いのは政治が悪いせいであり、もしここでか弱い娘を火あぶりにしたら、日本は弱い女性も大罪を犯す=政治力の低い国だと朝鮮・明国(中国)から笑われると思い、減刑させようとした。つまり、外聞をはばかっての減刑である。

 

アイデンティティの転換と自己実現

前回の話では己のアイデンティティに縛られ苦悩する女優、アイデンティティである特殊能力を奪われた深町というように、アイデンティティがある種の牢獄として描かれていた。しかし今回の話ではそのアイデンティティを上手い具合に転換させた成功例が描かれている。

ミュージシャンの夢破れて実家の不動産屋に戻った当時の雅史※4は、ミュージシャンとしてのアイデンティティを喪失していた状況であり、言い換えれば社会的な自己実現の失敗として描かれている。そして、金縛りを怪異と思い込んで桂木が不動産屋に駆け込んだことが切っ掛けで雅史は桂木に恋慕し「八百屋お七」のような行為に及んだ訳だが、これなんかも本来ミュージシャンとして注がれるべき性へのエネルギーが行き場をなくして桂木に向かったと解釈出来る。

現実世界では社会的にも男性としても自己実現がうまく行かず、その結果性犯罪や無差別殺人といった最悪のケースで結実することがままあるが、今回は(客観的に見ると)邪な恋慕を不動産屋としての自己実現に転換し、ミュージシャン、というよりアーティストとしてのアイデンティティを桂木に託した。アイデンティティを唯一無二のものとして思い込まず転換したり誰かに委託するという方法は、もしかすると現代社会を生きる上で結構役に立つかもしれない。

 

深町は事件に巻き込まれ本物の怪異に取り憑かれたかもしれない高槻を心配して再び助手としての活動に戻ったが、結果的にその行為が助手としてのアイデンティティを確立させようとする行為につながった。人との間に溝を作ってきた深町が能動的に難波を利用したのも、喪失したアイデンティティを別の形で転換させようとする思いの表れではないかと私は思う。結果的に能力が復活して嘘が聞き分けられるようになったが、ある意味深町を孤独にすることが出来なかった怪異側のあきらめにも感じられる。「どうせ孤独にならぬなら、不快な音だけでも残してやろう」という腹積もりかもしれない(単に中耳炎が完全回復しただけなのかもしれないが)

 

※4:高槻は雅史の手のたこから見抜いているが、雅史がミュージシャンを目指していたというのは不動産屋の前で深町と雅史が出会った場面で描かれている。この時彼は通りがかったギタリスト風の男二人組に見とれて持っていたカゴを落としており、これが視聴者への伏線として作用している。

 

その他感想

・「八百屋お七」の物語にはいくつものレパートリーがあるが個人的に面白いと思ったのは「お七の十」と呼ばれる落語で、火あぶりになったお七と、お七を追って川へ身投げして死んだ吉三があの世で出会い抱き合ったらジュウと音がしたという結末。お七の「七」と吉三の「三」を足して「ジュウ(十)」というオチである。

 

・高槻の過去について情報が少しずつ開示されていっているが、原作の高槻が自分の目の色の変化を見たことがないのは少し意外だった。