「スペイン櫃の秘密」
原作は『クリスマス・プディングの冒険』所収の「スペイン櫃の秘密」。本作はクリスティ自身が『クリスマス・プディングの冒険』の序文において「(前略)エルキュール・ポアロの特別料理と名付けてもよろしいでしょう。これは彼が最高の腕前を発揮している事件なのですから!」と記しているほどの自信作。1923年初出の「バグダッドの大櫃の謎」を改稿したもので、ストーリーやトリック自体に大きな違いはないが、事件関係者の三角関係の描写に深みが加わり、読み物としてのクオリティが飛躍的に良くなっているのが特徴と言える。
ドラマは「スペイン櫃」をタイトルに置いているが、登場人物の一人であるカーチス大佐やクレイトンの従者バーゴインは「バグダッドの大櫃」に出て来る名前であり、制作陣が参考にしたのは「バグダッドの大櫃」に拠る所が多いのではないかと考えられる。
(以下、ドラマと原作のネタバレあり)
個人的注目ポイント
・決闘
冒頭で描かれた決闘は、少なくとも19世紀頃までは行われていたもので20世紀に入ってから廃れるようになったが、フランスや一部地域では20世紀になっても行われていたという。劇中では剣を使用した決闘がとられたが、他にも拳銃や包丁を使用した事例がある。
・クレイトン夫人の描写の違い
本作においてキーパーソン的人物を挙げるならやはりクレイトン夫人だ。ただ、原作とドラマではこのクレイトン夫人の描き方が異なっており、原作では天真爛漫な女性で周りを振り回してしまう一種の「魔性の女」であったが、ドラマ版のクレイトン夫人にその要素はない。むしろリッチ少佐が逮捕されたと知るや面会に行き、誤解のまま自殺を図ろうとしたのだから、性格は全く逆だ。
・残酷な殺害方法
本作のミステリとしての面白さは、「何故死体が大櫃の中に入れられたか」「いつ死体が大櫃に入ったか」の二点に集約されると思う。しかし実際は殺されてから入れられたのではなく、被害者自身が大櫃に入ってから殺されたというのが秀逸な点であり、リッチ少佐とクレイトン夫人の浮気疑惑を利用しているのが巧い所と言える。
このトリックに関しては原作と同じだが、問題は殺害方法の方。原作ではクレイトンが大櫃に入った頃に眠るよう事前に睡眠薬を飲ませており、パーティーの時に犯人がこっそり蓋を開けて眠っているクレイトンを刺殺するというものだった。
一方ドラマ版はというと、原作で空気穴としてあけられた穴に「のぞき穴」としての意味合いをもたせ、クレイトンが夫人と少佐の様子を覗いているところを犯人がその穴めがけて剣を刺す…という原作以上に残酷な殺害方法がとられている。
なかなかにショッキングな殺し方とはいえ、原作と比較するとリスク面で危ない殺し方だ。うまい具合に目を通して脳を刺して即死に至らせたから良かったもののちょっとでもズレると失敗するし、そもそも目を狙って刺すという殺害手法は特殊だから却って警察の疑惑を招きかねない。普通は目を狙って刺そうとすると被害者はよけるか抵抗するはず、それにも関わらず綺麗に目を貫かれているとすると、そこから犯行方法が逆算されかねないのだから。
原作やドラマにおいてポワロは犯人のトリックと、邪魔な男二人を抹殺する計画について評価しているが、ドラマではクレイトン夫人が自殺を図っているため悪ければ今回の犯罪計画が本末転倒の結末を迎える場合もあったことを一応指摘しておく。