タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

人狼村に降りかかる「二重の報い」【アンデッドガール・マーダーファルス #11】

レギ婆って原作を読んだ時は西洋の魔女みたいな感じかなって思ったけど、アニメのレギ婆はインドとかアジア系の顔立ちだね。少なくとも西洋生まれの人狼ではなさそう。(混血の可能性はあるだろうけど)

 

「狼の棲家」

11話は原作の164頁から262頁(第11節「始まり」から第19節「濃霧ときどき人造人間」)までの内容。今回は遂に人狼の村・ヴォルフィンヘーレが我々視聴者の前に現れ、ホイレンドルフと同様の事件が何と人狼の村でも起こっていたことが明らかとなった。

 

二ヶ所の集落で同時期に殺人が起こるというのはミステリ小説では一応前例があって、例えば有栖川有栖『双頭の悪魔では二つの村をつなぐ橋が洪水で流され、陸の孤島と化した村とその外側にあたる村の二ヶ所で同時期に殺人事件が起こるというプロットになっている。そして二階堂黎人人狼城の恐怖』は村ではないが独仏国境の渓谷に建てられた二つのお城で同時期に連続殺人が起こるという物語になっている。ちなみに、『人狼城の恐怖』はタイトルにもあるように人狼をテーマとしたミステリで、日本の名探偵・二階堂蘭子が謎解きのためにヨーロッパまで行くので、本作とちょっと似通った部分がある。興味のある方は是非読んでみてもらいたい。

双頭の悪魔 江神シリーズ (創元推理文庫)人狼城の恐怖 第一部ドイツ編 (講談社文庫)

あ、「読んでみてもらいたい」とは言ったけど、『人狼城の恐怖』は、文庫版で平均650頁弱×四冊の“世界最長の本格推理小説と称される程の長大なボリュームの作品なのでお気軽に読めるシロモノではないし、普通に本屋に行っても置いてない入手困難な作品なのでそれだけは言っておく。私もブックオフでやっと見つけたから新品で見つけるのはほぼ無理だと思う。でも『人狼城の恐怖』は四冊のうち二冊を問題編、一冊を捜査パート、最後の一冊を解決編として書いており、長大な分量に見合った謎解きが展開されるので、アンファルが面白いと感じた人なら是非ともチャレンジしてもらいたい。

 

親の因果が子に報い

話をアニメ本編に戻そう。普段は鴉夜の従者として仕えている静句も、今回は単身人狼村に乗り込んでしまったので、慣れない捜査や推理をしなければならないし、窮地も一人で脱しないといけない羽目になった。

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

そんな何もかもイレギュラーな状況下で静句が見聞きしたヴォルフィンヘーレという人狼村は霧の窪地の中の森にあり、外界との交渉をシャットアウトした人狼だけの閉鎖的な村だった。村にはブルートクラレ(赤いかぎ爪)と呼ばれる、人間の村で言う所の青年団に相当する自警団がおり、赤い刺青をした人狼がその役目を担っているようだ。村は一人暮らしでつがいが存在せず、言ってみれば村自体が一つの大きな家族のようになっている。

では人狼村は人間の村と違い平和でユートピアみたいな場所かと思いきやどうもそうではなく、13年前にローザが村から逃げようとして捕まり羊の櫓で裁きを受けたそうである。村の女性は巫女としての役目を果たさなければならないのに、それを放棄して逃げたという罪で裁かれたようだが、結局ローザはホイレンドルフまで逃げてユッテを出産、その後人狼だとバレて焼き討ちに遭って死ぬ。それが8年前ホイレンドルフで起こった騒動の顛末ということになる。

 

この辺りの内容については前回の感想記事でも言及したように、災いの原因は必ずしも村の外部からもたらされるのではなく、内部にこそ重大な問題が孕んでいるということを示唆しているが、今回も同じことを言っても仕方ないので因縁という点から今回の話を眺めることにしよう。

ミステリ小説は原因と結果、つまり事件の動機や切っ掛けとなる原因とそれによって生じる殺人事件という結果によって成立する。言うなればミステリ小説はすべからく因縁話であると言って良いだろう。今回の「人狼」編もその例に漏れず過去の出来事が現在の連続殺人(殺狼)事件という形で結実しているのだが、被害者たちは人間村も人狼村も同じ10代前半の少女が犠牲となっており、これが過去の因果に対する報いだとしたらそれは被害者たちにとっては余りにも理不尽な報いだと言えないだろうか?

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

今はあまり使わないが「親の因果が子に報いる」という言葉がある。親の犯した悪行の結果が、なんの罪科もない子孫に及ぶことを意味することわざで、昔の見世物小屋では蛇女を紹介する時に「親の因果が子に報い、生まれいでたるこの姿」と言って、人間の親に殺された蛇がその娘に蛇女という形で報いたのだと紹介したそうである。このように、理不尽な因果応報というのは現実にも創作の世界にもあることで、本作でも「親の因果が子に報いる」状況になったことがわかる。

ただここで注目すべきは、人狼村における報いは13年前のローザの一件だけではないのだ

 

失念している人もいると思うので改めて説明するが、そもそも〈鳥籠使い〉一行や〈夜宴〉がこの場所まで辿り着けたのは、あのブラックダイヤモンド〈最後から二番目の夜〉があったからであり、それを作ったのは人狼に滅ぼされたドワーフである。14世紀にドワーフ族が復讐のため人狼の村の場所をダイヤに刻み込んだことで、こうして19世紀末の今、人狼村に外部から様々な勢力が侵入しようとする状況になっている訳だ。これも先祖の行いが後の子孫に理不尽な影響を及ぼすという点で「親の因果が子に報いる」ケースに当てはまるだろう。

 

今回の時点では人狼村における災いにローザの一件が関わっているというのは何となくわかるだろうが、これから先人狼村にはローザの件に加えて数世代も前の先祖の人狼がしでかしたドワーフ族壊滅に対する報いも降りかかる。ヴォルフィンヘーレは次回から二重の報いを受けることになると思われるが、先祖の人狼ドワーフ族と仲良くしていたら一重の報いで済んだだろうし、ドワーフ族壊滅から現在までの約500年もの間、外界との交渉を断ち異種族を拒み続けたツケを払うことになるのだ。

 

さいごに

ということで11話、「人狼」編も後半へと移っていくがミステリとしては、

・二つの村で同時期に起こった事件は単独犯の仕業か或いは複数犯の仕業か?

・五感が鋭い人狼が何故これまで銃声の音を聞いていないのか?

人狼村の事件の犯人が人間だと仮定すると、どうやって人狼村に辿り着いたのか?

人狼村の事件で、何故被害者たちは犯人を警戒せず正面から撃たれたのか?

人狼の少女が殺害直前に様子がおかしかったのは何故か?

・ルイーゼとノラの事件だけ、これまでの殺害・犯行状況と違うのは何故か?

といった具合にいくつもの疑問点が列挙される。他にも事件に直接関係しないが、ローザが勤めを放棄したという巫女の役目とは何かというのも気になるポイントだ。これに関しては9話から今回にかけて既にヒントは提示されているので原作未読の方は考えてみると良いだろう。

 

それにしても、アニメで見るとレギ婆の偏屈さというか非論理的な部分がよりハッキリと映し出されて、そりゃローザも逃げるわなと思わざるを得なかった。とはいえキャラデザを見る感じ、記事冒頭で言ったように恐らくレギ婆はアジアから大陸を横断してはるばるドイツの人狼村に辿り着いた人狼の一体だと思われるし、その間の艱難辛苦を経てもうこの土地でしか生き延びられる余地はないと判断したのだと思うと、今回の冒頭で「私らにはこの村しかない!」というあの一言にも重みがあるというか、彼女自身の経験が多分に反映された一言なのだなと思った。これは原作を読んだ時には抱かなかった印象なので、今回のアニメでレギ婆をアジア系のキャラデザにした人は流石だなと思うし、見た目で登場人物の過去や歴史的背景を仄めかすというのはアニメならではの手法として実に巧いやり方だと、静句が鳥籠の中に入る演出も含めて評価したい。

生贄としての人狼【アンデッドガール・マーダーファルス #10】

「人間は人間にとって狼である」

トマス・ホッブズ『市民論』より

 

「霧の窪地」

今回は原作の91頁から163頁(第6節「人狼講義」の続きから第10節「豹変の夜」)までの内容。村長との対話で人狼の特性と弱点について聞いた鴉夜たちは、村内で人狼として疑われているよそ者の二人、技師のクヌートと絵描きのアルマと話をする。

前半は聞き取り調査メインで、後半はロイスのエージェントと一触即発どころか出会って早々のバトル。そして金毛の人狼の出現により物語は次のフェーズへと移ることに。

 

tariho10281.hatenablog.com

前回の感想記事で人狼の特性については言及したが、今回は人狼進化する怪物であること、進化の最終到達点であるキンズフューラー〈終着個体〉になれば人間には太刀打ち出来ない怪物になることが語られている。今の所キンズフューラーは確認されていないとはいえ、現在の個体はかつて弱点だった銀や聖水を交配による品種改良によって克服しているから、いずれ今の弱点である火に対しても耐性のついた個体が生まれる可能性を示唆しているのだ。

 

混沌を終息させるための生贄

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

今回は外部からの流入者、平たく言うと"よそ者"であるクヌートとアルマに聞き取り調査をした鴉夜だったが、よそ者と言えば3話の感想記事において、よそ者が怪物の条件の一つであることを私は論じている。

tariho10281.hatenablog.com

よそ者は異なる思想・価値観を持ち込んで来るため、それに対する不安や不信が怪物という形で変換され、そういった人々を差別する意味合いでよそ者を怪物扱いするという訳だが、一応言っておくと必ずしもよそ者が怪物扱いされたり迫害を受ける訳でもないのだ。本作の場合ハイネマンはよそ者ではあるけど医師として村に貢献しているし、職種によっては新たな知識や技術が村の発展につながることもあるのだから、一概に「よそ者=怪物」という式が成り立つとは限らないのだ。

 

ではどういう状況で「よそ者=怪物」という式が成り立つのかと言うと、それは今回の人狼による連続殺人事件のように共同体内部で重大な問題が発生した時や、飢饉・干ばつといった外部からの流入者を受け入れられる余裕がない状況において起こりやすい。共同体が正常に機能をしている分には、外部からやって来るものたちを歓迎出来る余裕があるし、キリスト教の精神では施しを求めてやって来た人には手を差し伸べて保護するという思想・道徳的な価値観があるのだ。

しかしそういった余裕がない状況だと外部からやって来るよそ者は共同体において非常に疎ましい存在になる。ただキリスト教では隣人愛、つまり他者への愛を説いているから邪険にする訳にもいかない。そうなると、解決策として外部から来る者を人外と見なすという発想に行き着く。彼らは人ではないのだから助ける必要はないという屁理屈に近い理屈である。

 

また、気象的問題(干ばつ・洪水など)・人的問題(犯罪事件など)といった共同体内部で起こる問題は長期化して解決の様子が見られない場合、今言った人外の理屈が外部からのよそ者だけでなく内部に向かうケースも多い。その代表的な例が15世紀頃に起こった魔女狩り魔女裁判である。

ja.wikipedia.org

魔女狩りが起こった理由については様々な説が唱えられているが、当時の社会的不安を解消する手段として魔女狩りがヨーロッパで行われていたのは間違いのない事実であるし、魔女を大衆の面前で大々的に処刑するという行為には、為政者が問題解決のために動いていること・そしてそれを解決出来るだけの力があることを民衆にアピールする意図があったと考えられているのだ。言ってみれば魔女は混沌を終息させるための犠牲者・生贄という訳である。

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

では今回のお話に以上のことを踏まえて解説すると、猟師のグスタフをはじめとする村人は少女たちを血祭りにあげた人狼を探して殺そうとしているが、彼らにとっては人狼を見つけることがメインであって、真実など二の次なのだ。別に真実が知りたくて人狼を探している訳ではないし、悪夢のような今の状況、この混沌を終息させたいがために村人たちは動いているという感じだ。言い換えれば、被害者や遺族をはじめとする村人の魂を鎮めるために、今は躍起として人狼という生贄を探しているということである。

 

そして、こういった生贄を求める時の人々の意識というのは、人間という点では退行した意識であることを指摘しておかなければならない。理性による解決策を放棄し、何かを或いは誰かを槍玉に上げることで事態を収拾するというのは、人と言うよりも獣のような意識に近い。

そもそも8年前の人狼母子の焼き討ちにしても、決して理性的な対処とは言い難い。勿論、村人たちの言い分としては過去に人狼が村を襲ったという経験則に基づいて焼き討ちにしたと反論するだろうが、経験則は別に人間でなくても動物にもある知識・知恵だし、それで理性があるとは言えないのではないだろうか?

 

横溝正史八つ墓村でも、大阪から疎開してきた若い医者が元々村にいた医者よりも腕が良いので、村人たちはよそ者である若い医者の方に鞍替えしたということが言及されている。

 

さいごに

前回の感想記事では人狼が人類の天敵となるに至った背景について語ったが、今回は共同体という面から人狼をはじめとする怪物が生まれる原因を私なりに解説してみた。今回語ったことは横溝正史の『八つ墓村』『悪魔の手毬唄』『獄門島』といった閉鎖的な村や島を舞台にしたミステリ作品にも当てはまることで、外部からのよそ者が事件の引き金になることは3話の感想記事で言及したけど、ではよそ者が全面的に悪いのかと言うと必ずしもそうという訳ではなく、共同体の内部にも事件を起こす原因が隠されていることが多い。

しかし、内部の問題というのは往々にして隠蔽されやすく、特定の個人をスケープゴートにして内部で生じた不満や不安を解消する手段がとられる。村も会社と同じように一つの組織である以上、集団を犠牲にするよりも個を犠牲にする方が、組織を解体せずに済むという点で都合が良いし、そう考えれば今回の物語は決して昔だけの話だけではなく今の社会でも起こり得る(というか起こっていると考えるべきかも)ことなのではないだろうか?

 

人狼がアルマだったことが今回の物語後半で提示されたとはいえ、事件としてはまだ多くの謎が残っている。

四ヶ月周期で・雨の降る夜に・10代前半の少女が殺されるという事件の概要と、今回小屋の中でアルマが独白した衝動的なうずきから来る犯行動機とはどう考えても一致しない部分が多いし、そもそも以前の村人たちによる人狼のテストにおいてアルマは尻尾を出していないというのもおかしな話である。それに、強い臭いに敏感な人狼が絵の具を扱う絵描きを装ったというのも不自然な点だ。

いくつもの「何故?」が残っているのだから事件としては当然まだ解決していないが、村人たちにとってはそんな疑問点など頭になく、先ほども言ったように人狼をある種の生贄として狩ることに躍起となっている。混沌の渦の中において、人もまた獣に戻ってしまうことが今回の物語の中で示されていたと言えるだろう。

 

さて、静句が滝に落ちてしまったということは、次回は人狼の村・ヴォルフィンヘーレが第二の舞台として視聴者の前に現れることは容易に予測がつく。人狼の村がどのようになっているのか、原作未読の方は次回をお楽しみに。

ケメルマン式十円玉ミステリー【ノッキンオン・ロックドドア #06】

今回は1話完結だったので隔週感想アップの予定を破りまーす。

 

「十円玉が少なすぎる」

ノッキンオン・ロックドドア (徳間文庫)

6話は原作1巻の6話目に収録された「十円玉が少なすぎる」。依頼が来なくて暇を持て余した倒理と氷雨のために、薬子はその日の朝の通学途中で耳にした言葉を口にする。

「十円玉が少なすぎる。あと五枚は必要だ」

それは、スーツを着た三十代くらいの男がスマホで通話していた際に口にした言葉で、この不可解な言葉から、どんな推論を導き出せるのか。倒理と氷雨は推理ゲームとしてこの言葉に隠された意味を探っていく…というのが今回のあらすじだ。

 

ということで、今回は男が口にした一言から、

〈Why〉男は十円玉を使って何をしようとしていたのか?

を解いていくというストーリーだが、正直今回のエピソードはドラマ化しないと思っていたので予告でこれをやると聞いた時は「マジか!」と内心驚いた。

何故なら、今回の物語は事件現場にも行かず事務所内でただひたすら推理を進めていくだけの、ワンシチュエーションで進展する話だからであり、映像化すると単調で面白みに欠ける可能性がかなり高い。また、作中で倒理と氷雨が次々と提示する推理・仮説を映像として表現する必要があるため、そういった演出の難しさも本作の映像化のハードルの高さを物語っているのだ。

 

原作は倒理・氷雨・薬子の三人によるディスカッションだったが、ドラマは氷雨が不倫調査中のため電話経由でディスカッションに参加。また穿地や仲介屋の神保も加わっているため、原作より賑やかな推理ゲームになっているのが特徴的である。ドラマの出来栄えについては最後に言及するとして、それよりも今回は先に語っておきたいことがあある。

 

ケメルマン発祥、究極の推理問題

ちょっとした短文から出来る限りの推理・推論を導き出すという今回のような形式のミステリが生み出されたのは1947年、アメリカの推理作家ハリイ・ケメルマンが『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短編小説コンテストへ応募した「九マイルは遠すぎる」という短編小説が始まりとされている。

 

九マイルは遠すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 19-2)

ケメルマンが作品を発表する切っ掛けとなったのは、雨の中でハイキングを行ったボーイスカウトを労う新聞記事である。当時教師をしていた彼は、この新聞の見出し文を題材に、この文章からどれだけ可能な推論を引き出せるのか、それを課題として生徒に与えた。しかし生徒たちが提出した推論はどれもパッとしないものばかりで、結局ケメルマン自身がこの題材を練り上げて短編小説として応募し入選。後世のミステリ作家にも影響を与える名作短編として今なお読み継がれている。

 

そんな名作「九マイルは遠すぎる」のあらすじを説明しよう。

ニッキー・ウェルト教授は、語り手である友人の「私」に10語ないし12語からなる文章を作ってくれれば、思いもかけなかった論理的な推論を引き出してみせると言う。そこで「私」は、

「9マイルもの道を歩くのは容易じゃない。まして雨の中となるとなおさらだ」

(A nine mile walk is no joke, especially in the rain)

という11語を述べる。ここからウェルト教授は丁寧に推論を重ねていき、遂にある真相に辿り着くのだ。

 

一般的なミステリと違い、情報は一言二言の文章のみという極限まで削りに削った、正に究極の謎解きミステリ。気になる方は是非読んでみてはいかがだろうか。

ちなみに、国内でこのケメルマン式の謎解きミステリの考案に挑んだミステリ作家は何人もいて、私が読んだことがあるのは有栖川有栖「四分間では短すぎる」(『江神二郎の洞察』所収)だけだが、他にも「待合室の冒険」(恩田陸『象と耳鳴り』所収)、「九百十七円は高すぎる」(乾くるみ『ハートフル・ラブ』所収)などがあるそうだ。

 

※その他の作品については、青崎氏のツイートを確認してもらいたい。

青崎有吾 on X: "九マイルオマージュの短編はたくさんあって、 有栖川有栖「四分間では短すぎる」(所収・江神二郎の洞察) 恩田陸「待合室の冒険」(象と耳鳴り) 松尾由美「九か月では遅すぎる」(バルーン・タウンの手鞠歌) 乾くるみ「九百十七円は高すぎる」(ハートフル・ラブ)" / X

 

日常に潜む小銭ミステリ

今回は短文から推論を引き出すというケメルマン式のミステリであることに加えて、小銭を題材にしたミステリであるのも注目すべきポイントだ。実は、小銭をテーマにしたミステリはフィクションだけでなくノンフィクション、つまり実際にあった謎として過去に推理作家の若竹七海「五十円玉二十枚の謎」と題して読者や仲間の推理作家にその謎を提示したことがある。

それは、若竹氏が池袋の書店でアルバイトをしていた時の話。その店には、毎週土曜日になると五十円玉を二十枚も握りしめた男が現われて、千円札への両替だけを済ませるとそのまま帰っていったというそれだけの話なのだが、この謎に多くの推理作家が挑み、その回答は『競作 五十円玉二十枚の謎』として一冊の本にまとめられた。

 

競作五十円玉二十枚の謎 (創元推理文庫)

実はまだ私も読んだことがないのであまりハッキリとした感想は言えないのだけど、表紙に載った名前の数を見てもわかるように、情報がシンプルなだけに回答も多岐にわたるようで、当然ながら真実は藪の中。魅力的な謎を提示してくれた五十円玉二十枚を握りしめた例の男は生死不明であるものの、実在していたことは間違いないのだから、そこもミステリとしての魅力につながっている。私たちのすぐそばに謎は転がっていることを教えてくれたのだからね。

 

そんな訳で、「十円玉が少なすぎる」はケメルマンが発明した謎解きの形式に、日常の謎の定番アイテムである小銭を取り入れた、正にミステリマニア垂涎の一作なのだ。ここまで言えば、ミステリにそんなに詳しくない人でも、本作が何故シリーズ中でも人気があるのか、わかっていただけたのではないだろうか?

 

風ヶ丘五十円玉祭りの謎 (創元推理文庫)

ちなみに青崎氏は本作の他にも「風ヶ丘五十円玉祭りの謎」という小銭テーマの短編を発表しており、これは裏染天馬を探偵役とした同名の短編集に収録されている。

 

さいごに

これまではドラマの改変ポイントを重点的に解説するような感想記事だったが、今回は先行作品の解説をメインにした。一人のミステリ好きとして、こういう機会に少しでも多くの人にミステリ小説を布教しないと、何のためにこのブログをやっているのかわかったものではないからね。(これでも某大学の元推理小説研究会の会員なので)

 

以上の解説をふまえて今回のドラマはどうだったかを評価すると、原作の三人のディスカッションからドラマは五人に人数が増えたことで、会話劇としての厚みが生まれたのが面白いなと感じたポイントの一つである。その会話劇にしても、ギッチギチに推理の応酬を展開させるのではなく謎解きに全然興味がない穿地を間に差しはさむことで見やすくしているのと同時に次々と展開される推理が視聴者の頭に入る時間を与えているという点でも効果的だったのではないかと思う。「遊び」の部分がないとやはり情報を羅列していくだけという感じになってしまうし、そこの塩梅が今回はうまくいっていたと私は評価している。

 

そして最後に「七年は長すぎる。手間だが一年でやれないことはない」というドラマオリジナルの謎解きがオマケで付いているのも見逃せないポイントだ。勿論この謎は不倫の男女という情報があるので謎解きとしては大したものではないのだけど、それでもケメルマン式の謎をドラマオリジナルでやろうとする脚本の気概は称賛に値する。だって私がこの原作でドラマの脚本を書くとして、オリジナルで追加の謎なんて書きたくないし考えるだけで頭が痛くなるもの。それをやろうとしただけで偉いなと思うし、本作が日常の謎というミステリの一形式であることを理解していないと最後に氷雨が言った「この世界は謎で満ち溢れているね」という台詞は出て来ないよ。

ワケありの村で人狼探し【アンデッドガール・マーダーファルス #09】

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

舞台代わって第三章、ドイツ人狼」編スタートです!

今更気付いたけど、モリアーティ教授の声って映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズに登場するベケット卿の吹き替えと同じ声優さんだったんだね。

 

人狼

アンデッドガール・マーダーファルス 3 (講談社タイガ)

第三章「人狼」編は原作3巻のエピソード。実は原作3巻が発売されたのは2021年でつい2年前のこと。原作2巻が発売されたのは2016年だから、当時原作を追っていたファンはその間約5年もお預けをくらっていたのだ。当時の読者にとって3巻は正に待望の新作であり、分量も約480頁の一大長編。質量共にお腹いっぱいになれる一作となっている。

 

大都市ロンドンから舞台はドイツの片田舎、ホイレンドルフ(遠吠え村)へと移るが、この村の周辺には人狼の隠れ里、ヴォルフィンヘーレ(狼の棲家)があると噂されており、第三章では人間の村と人狼の村、二箇所の集落で起こった不可解な事件に〈鳥籠使い〉一行は挑むことになる。

そんな訳で三章は一章の吸血鬼殺害事件で見られた本格ミステリ要素もありながら、二章の異能バトル要素も取り入れているので、バランス的には丁度良い一作となっている。今回もロイスのエージェントが人狼狩りのため物語に介入してくるし、〈夜宴〉もキメラ製造としてサンプル採集のため人狼を狙っているのだから、その二勢力を相手にしながら〈鳥籠使い〉は事件の謎解きをすることになるのだ。

 

そういや前回の感想記事でダイヤモンド〈最後から二番目の夜〉に刻まれた詩の意味を解説してなかったのでここで解説しておこう。

夜明けは血のような赤

日没は死体のような紫

夜の月に照らされる

醜い私をどうか見ないで

私の中には狼がいるから

「夜明けは血のような」「日没は死体のような」という二つの文が意味するのは赤から始まって紫で終わるもの、つまり虹の七色であり、「夜の月に照らされる」ことから紫の後にくる光、すなわち紫外線がダイヤに隠された人狼の居所を照らし出すというのが答えだったのだ。

こうしてダイヤに紫外線を当てて〈牙の森〉という手がかりを入手した〈鳥籠使い〉はドイツのホイレンドルフへと辿り着いた訳である。

 

人狼の基礎知識 ~人狼は何故残虐な怪物になったのか~

9話は原作の8頁から91頁(挿話1から第6節「人狼講義」)までを映像化。とはいえ約80頁分をまるまる映像化したのではなく、〈鳥籠使い〉一行が村へ向かう途中の列車で出くわした一騒動(第1節「旅行先でのよくある出来事」)や、ロイスのエージェントとシャーロック・ホームズが対面する下り(第3節「業務提携」)は丸ごとカットされている。今回映像化されたのは母子の人狼が村人によって焼き討ちに遭った8年前の事件(挿話1)と第4節「ホイレンドルフ」以降の内容なので、実質映像化したのは45頁くらいの分量だ。

今回は「人狼」編のスタートなので、発端と思しき8年前の事件・4ヶ月周期で起こる人狼による連続殺人事件・猟師グスタフの娘ルイーゼがさらわれた事件の概要と現場検証。そしてアンファルにおける人狼の特性について語られた。

 

一応今回説明された人狼の特性をおさらいしておくと、

1.人狼【人】【獣人】【狼】の三種類の形態に変化出来る

2.毛皮をまとった【獣人】【狼】時は皮膚が硬くなり、刃物や銃弾を含めていかなる攻撃も通用しない

3.【獣人】時は【人】の時に比べて体格が熊のように大きくなり、牙や爪も大きくなる(攻撃・戦闘に適した体格)

4.【人】の時は人間と同様の筋力であり、普通に刃物や銃でダメージを与えられる

5.五感が発達しているため不意討ちは通用せず、逃げても嗅覚を頼りにどこまでも追って来る

五感が発達しているのは吸血鬼と同じだが特筆すべきは毛皮の防御力。鬼の力はあくまでも再生能力を打ち消す攻撃なので、恐らく人狼の皮膚にも津軽の攻撃が通らないと思われるが、弱点が全くない訳ではなく、人間態の時には普通に殺せるし、冒頭で焼き討ちに遭った人狼の親子の様子を見る限りだと火で燃やすと焼け死ぬのだろう。

実はあともう一つ弱点があるのだけど、それは次回以降語られると思うしその弱点は人間にとっても同じなので特に変わった弱点という訳ではないよ。

 

さて、吸血鬼・フランケンシュタインの怪物と並んで人狼は西洋を代表する怪物であり、「怪物くん」やハリー・ポッターシリーズといった創作において様々な形で描かれているが、大体の作品において人狼は普段は人間のフリをしているが、満月の晩になると狼に変化し、無防備な村人を襲って食い殺すというのが一般的なイメージである。

実際、ドイツのケルン近郊のベットブルクという場所では1589年に人狼による連続殺人事件があったという記録が残っており、村の農夫のペーターという男性が人狼として疑われ厳しい拷問の末に自白し、同年10月31日に処刑されたという。

 

では、人狼はいつから歴史の中で語られるようになったのか。この人狼の起源については実を言うとハッキリとしたルーツはない。ギリシャ神話でゼウスの怒りを買って狼の姿にされた王様リュカオーンをルーツとする説や、北欧神話の戦士ベルセルクが軍神オーディンに仕える狼の力にあやかるため、野獣の毛皮を身にまとい戦闘していたのがルーツだとする説もあるが、いずれも人と狼の間を行き来するという訳ではないので人狼の起源だと断定するには至っていない。

 

人と狼の間で変身する人狼が記されるようになったのは12世紀前後のこと。フランスのオーベルニュ地方では狼に変化した騎士が木こりに片足を切り落とされて人間に戻ったという話があり、同じくフランスのリュック城近辺に住む男が新月の晩に服を脱ぎ捨て狼になったという話も残っている。

ただ、12世紀頃に語られた人狼には今現在語られるような人を襲って喰らうといった人狼の恐ろしさ・残虐性はほとんど無い。12世紀は温暖な気候に伴い食料の生産量が上昇しヨーロッパの人口も増加、それによって人間が開拓によって自然界へと進出した時期であり人間が狼を目撃する機会が増えたのも恐らくはその頃からだと思われる。人類が文化と自然を行き来するようになった時代において、狼は家畜となる羊を襲う恐ろしい存在である一方、自然が持つたくましさや雄大さを象徴する存在でもあり、そういった畏敬の念人狼という形で反映されたのではないかと考えられている。

 

人狼が今のような残虐な怪物として伝わるようになったのは16世紀頃。この時期には先述したドイツのベットブルクにおける人狼事件の他にも、1521年にフランスで羊飼いのピエールが悪魔からもらった軟膏を使って狼と化し、大勢の少女を襲ったという記録がある。

何故数百年の間で人狼の性格が変化したのか。これは、地球の環境が関係していると言われている。14世紀、氷期という異常気象の影響でヨーロッパ各地で飢饉が発生。またペストの流行や戦争によって多くの死者が出たり、戦禍で人の住む街や村だけでなく森も焼かれて狼をはじめとする動物は住処を奪われることになった。そして、飢饉や流行病・戦争によって打ち捨てられた死体を狼が口にすることで狼が人間の血肉の味を覚えてしまい、それによって狼が人を襲う事件が出て来た。

人間界と自然界の均衡が崩れたことによって狼が畏敬の存在から排除すべき危険な存在へと変わり、これが人狼の凶悪化につながったと考えられているが、もう一つは自然崇拝・原始宗教からキリスト教に移行したことで、人間が狼になるのは悪魔の仕業であると解釈されるようになったことも原因として挙げられる。フランスの法学者ジャン・ボダンが1580年に出版した『魔術師の悪魔憑き妄想』では、人間が桜の木にバラを咲かせたり、鉄を鋼に変え人工石を作る能力があるのだから、悪魔にだって人を狼に変える能力はあるはずだと論じている。勿論ボダンが論じたことは神の全能性を否定することなので反対論も当然あった訳だが、人間の技術が悪魔の存在を証明することになっているのは何とも皮肉な話である。

 

19世紀になると科学技術の発達・啓蒙主義が広まることで人狼が迷信として排斥されるようになったのは吸血鬼と同じ流れである。また、居住地や農地の開拓で自然の領域はどんどん減少し、狼も人間によって組織的に駆除されていったことでヨーロッパから姿を消していった。こうして人狼伝説は過去のものとなり、創作の世界で語られることになるという流れも吸血鬼と同じである。

 

さいごに

今回は「人狼」編の始まりのパートなので、人狼が恐ろしい怪物になるに至った歴史的背景を語った方が物語を眺める上で深みが出て来るかなと思ったので紹介することにした。内容についてはNHKBSプレミアムで放送された番組、ダークサイドミステリー「変身!よみがえる人狼伝説 ~あなたの身近にひそむ野獣~」(2021年7月22日放送)からの引用となる。

アニメ本編に関して言及すると、前回前々回と暗闇でのバトルがメインだったから久々に日の照った場面が多くて新鮮味があったね。それに舞台は車や馬車では行けない田舎の村ということで、ジャンルとしては横溝正史の『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』といった農村ミステリに当てはまるから、そういったミステリとしての分析や解説も次回以降出来たら良いなと考えている。

 

ところで、ルイーゼがさらわれた事件現場を見て違和感を覚えた方がいたと思うが、実は今回の段階で推理によって導き出せることが一つだけある。現段階ではその推理から事件の全てを解くことは出来ないし、矛盾点もあるため正解かどうかわからないだろうが、もしも「これは〇〇ではないか?」という考えがあるのなら、捨てずにとっておいた方が良いかもしれないと、原作既読者として言っておこう。

レゾンデートルで悩む者たちを救う物語【ノッキンオン・ロックドドア #04・05】

いきなり愚痴から始まって申し訳ないけど、まずはこのツイート(名義が「Twitter」から「X」になって「ツイート」も「ポスト」になったけど、知ったことか!)を見てもらいたい。

こちらはドラマウォッチャーとして様々なドラマを視聴しておられる明日菜子さんのツイートだけど、私このツイートを見た時に凄いくやしく感じたというか「いや違うんだよ!役者の魅力だけで成立しているドラマじゃないんだよこれが!」って反論のリプでも飛ばそうかと思った。やめたけど。

 

当ブログのこれまでのノキドア感想記事を読んだ方ならわかってもらえると思うが、ドラマ版のノキドアはドラマとして原作のままやると面白みに欠けてしまうかもしれない部分を補完し、原作にはない面白さを追加・改変している。勿論これは原作既読だからわかることなんだけど、原作を読まなくたって1話における密室解体に仕組まれた企みや2話の「死神」と物語とのリンクのさせ方は十分読み取れることだと思う。それなのに、脚本を無視してキャストの力量だけで頑張ってるドラマみたいな括りでまとめられていたのが私には凄いくやしいのだ。

 

まぁ、あくまでも個人の意見だし原作を読んでない人の感想だから目くじらを立てるなと言われるかもしれないが、フォロワーが数千人単位の方だとそれだけ影響力も大きいし一般認知として定着されることもあるので、前に相沢沙呼氏の一件を語った時に言及した「原作に触れないドラマ評論家」問題と同様の由々しき事態だなと感じた。

tariho10281.hatenablog.com

ドラマ評論家は「広く・浅く」全体の流れや変遷を語る必要があるだろうし、面白いドラマを普及するという役目もあるから特定のジャンルに詳しい訳ではないのは百も承知なのだが、それでもこういうツイートを見ると私自身の拡散力の無さ・文才の無さに忸怩たる思いがする。でも少しでも魅力が誰かに伝わるよう私は感想・解説をアップしているのだ。(別に使命感とかではなく好きでやっていることではあるが)

 

一応言っておくと私は「もっとこの作品が深く知りたい・深く読み取りたい!」といった人向けにこのブログを書いているので積極的に記事をSNSで拡散するようなことはしてないけど、だからと言ってバズる野望を捨てた訳では決してないし、読んで賛同してもらえたらそりゃ嬉しいことこの上ないよ?

 

「消える少女追う少女」

ノッキンオン・ロックドドア2 (徳間文庫)

4・5話のエピソードは原作2巻の4話目に収録されている「消える少女追う少女」。移動手段として日産の中古車〈パオ〉を倒理と氷雨が購入した直後、探偵事務所に女子高生の高橋優花から人探しの依頼が持ち込まれる。高橋とは別の高校に通う潮路岬という女子高生が二日前から音信不通で連絡がとれないので探して欲しいとのことだが、何の変哲もない人探しに倒理は意気消沈。

しかし、話を聞いていくと高橋は潮路と失踪直前に出会っており、駅近くの一本道の地下通路に入ってから彼女の行方がわからなくなったという。状況から見て、地下通路の中で潮路岬は消えたということになるが…?

 

ということで単純な人探しから一転、奇妙な女子高生消失事件に二人の探偵が挑むことになった訳だが、今回の謎はズバリこの二点!

〈How〉一本道の地下通路から潮路岬はどのようにして消えたのか?

〈Why〉何故潮路岬は失踪したのか?

原作では潮路の行方を中心に追う物語になっているが、ドラマは地下通路が夜になると人気がなく外から見通しの悪い危険な場所、つまり犯罪多発地点であることや、近辺で犯罪グループによる子供の拉致・誘拐事件が実際に起こっているという情報が追加された。1~3話までは完結済みの事件の謎を解決してきた二人だが、今回は現在進行形で起こっている犯罪を防がなければならないので、原作とは違いイムリミット・サスペンスの要素が加味されているのがドラマ版ならではの味付けになっている。

 

(以下、原作を含むドラマのネタバレあり)

 

思春期、レゾンデートルの悩み

真相は原作と同じなので改めて言及しないが、ドラマで追加されたことが潮路岬の「計画」を補強しているのが個人的に注目したポイントだ。

原作では潮路の失踪計画はさほど入念さを感じなかったし、地下通路で消えたという狂言も倒理の発言(不可能犯罪にしか興味がない)に対するとっさの思いつきから出たことだったが、ドラマは自分のことを調査してもらいたいが警察沙汰にまでしたくない(=大ごとになって親や学校に迷惑をかけたくない)という絶妙な塩梅を保つために、犯罪グループが話していた防犯カメラの情報を利用して失踪場所に地下通路を選んだことになっている。偶然得た情報とはいえ、そこから変装までして失踪計画を実行に移し、探偵二人を欺いていたのだから大した女子高生である。

 

失踪動機の大本は思春期の学生をはじめとする人々が抱えるレゾンデートル(存在理由)の悩みだ。これは昔からある哲学的な悩みだが、社会に出て自分がどういう役割を果たし、誰が認めてくれるのかといった悩みはいつの時代にもあって、特に思春期になると自分が周囲からどのように見られているのか意識するようになるし、バカにされたり仲間外れにされることを恐れて自分の個性を殺してまでその場の環境に適応しようとする人もいる。

大人になると家計のやりくりだとか仕事のことで頭がいっぱいになって存在理由などどうでもよくなるので、大抵の人はそこでその悩みから抜け出すが、老境に差し掛かると今度は自分のことを看取ってくれる人はいるのだろうか、私が死んだら悲しんでくれる人はいるのかと、またレゾンデートルの悩みが再浮上するので、この悩みは人生の初期と晩年期に発生する普遍的なものだと私は思っている。

 

原作では、潮路のレゾンデートルの悩みに対して倒理は「誰もあなたを見てなかったけど、自分も周りに自分自身を見せてなかったのではないか」というやや批判的な言葉を投げかけている。その上で倒理と氷雨は彼女の普通でない所を評価し事件は解決するという運びになっているのだが、ドラマの方は倒理の語りかけがより丁寧になっていて、批判的だった原作と比べると倒理の優しさが見えるシーンになっていた。

予測不能な人生の上では、自分の役割や周囲の評価なんてどのように変わってもおかしくない。人間は容易にカテゴライズ出来ない生き物であり、本当の自分を知っている人なんて少ない方が良いという倒理の語りかけは、潮路の救いになると同時に一見傍若無人とも見える倒理の弱さや繊細さも垣間見えて、実に奥行きのある描写になっていたと評価したい。

 

また、潮路の失踪計画が犯罪グループの逮捕と誘拐された女子高生の発見につながっており、原作以上に潮路の心が救われる展開になっているのも見逃せない。辛辣な言い方をすれば今回の狂言失踪は自分勝手な動機で他人を振り回しているのだから、誹りを受けても文句は言えないという意見もあるだろう。しかし、それが結果的に別の女子高生の危機を救うことになった。この事実が「人生は予測不能」という倒理の語りかけを裏付けており、彼の語りが単なる綺麗ごとになっていないのも脚本として巧いポイントだと感じた。

 

※その倒理の弱さ・繊細さに西畑さん演じる氷雨が複雑な感情を抱いていること、何かしらの罪悪感を抱えていることをうかがわせる表情を見逃してはならない。

 

さいごに

今回は改変としては大きなことをしていないとはいえ、原作で描かれた物語の軸とも言える潮路岬の動機や計画に至るまでの過程をオリジナル要素で補強しているのが評価ポイントで、1~3話の改変が「おぉこれは凄い改変だな!」というミステリマニアとしての興奮を感じさせるものだったとすると、今回の4・5話の改変は「う~む…素晴らしい…!」としみじみとした感情にふけるような旨みがあった。

 

あと今回の物語はこれから夏休みが明けて2学期に突入する学生たちを励ましたり勇気づける効果があるのではないかな?と私は考えている。

ちょうどこの時期ってニュースとかでも取り上げられるように学生の不登校が起こりやすい時期で、休み中の生活リズムに慣れてしまって学校の生活リズムが辛く感じるのが一番の理由だと言われているけど、2学期って体育祭とか文化祭といったクラス一丸となって作業をする行事が増えるから1学期以上に人間関係の上でストレスを抱えやすくなると私は思うし、そこでクラスメイトとうまくいかずに心を病む学生も少なからずいるのではないだろうか。周囲に適応出来ない自分を責めて「学校でダメなら大人になってもどうせ私は会社に適応出来ないんだろうな」とマイナスの未来を想像して塞ぎ込んでしまう人もきっといるだろう。或いは、クラス内の協調性を保とうとして自分の意見を押し殺し、自分は学生時代に何も出来なかったという絶望を抱えたまま大人になった人もいるかもしれない。こういった学生時代の共有出来ない苦しみ、周囲に馴染めない、或いは周囲に馴染もうとして自分を殺し、凡庸な人間になってしまった人々にとって今回の物語には何かしら救いとなるものが込められていたと私は思っているのだ。

 

以上を踏まえてハッキリ言おう、「ノッキンオン・ロックドドア」は事件の謎を解くだけの探偵物語、ジャニーズ主演のドラマだと侮るなかれ。

 

次回は原作1巻のエピソード「十円玉が少なすぎる」が映像化となる。正直映像化に向かない内容だと思っていた話なので、次回はその辺りのことをミステリマニアとして解説しよう。

モリアーティだけが異常ではない【アンデッドガール・マーダーファルス #08】

怪盗・探偵・保険屋・夜宴。

〈最後から二番目の夜〉を手にするのは誰か!?

 

(以下、原作・漫画版を含めたネタバレあり)

 

「夜宴」

今回は原作の244頁から最後まで。「ダイヤ争奪」編もこれで完結となるが、8話は各陣営のバトルの模様と〈夜宴〉がダイヤを狙う目的が判明した。

モリアーティの語りの中で鴉夜の不死の性質が人工的に生み出されたことや、津軽が半人半鬼になった下りも明かされたが、その詳細は現在発売中の原作4巻で過去編として語られている。鴉夜も津軽もそれぞれ異なる地獄を経たことがわかるので気になる方は是非とも読んでいただきたい。

 

〈夜宴〉について解説する前に、まず先に今回ホームズが披露したバリツについて触れておきたい。

バリツはホームズの原作「空き家の冒険」において言及されている。ホームズがライヘンバッハの滝から復活した際、ワトソンに日本の武術・バリツを駆使してモリアーティを滝に落とし、自分は転落を免れたと語っているが、このバリツはシャーロキアンの間でも謎の武術として議論がなされており、「武術(ぶじゅつ)」の誤記説や「バーティツ」※1という日本の柔術にステッキ術と打撃技を合わせた護身術を指しているのではないかという説がある。

そして本作アンファルにおいて原作者の青崎氏は「場律」という漢字をあてはめ、一種の空間把握・掌握術としてバリツを解釈することで、アンファルならではのホームズの見せ場を作り上げた。敵の動きや空間全てを計算して相手の先手を取る術のため、頭が良くないと出来ない芸当だと作中で説明されており、対人間用の武術のため怪物には通用しないと言われている。

 

今回のアニメでは尺の都合から原作の「場律」ではなく「バーティツ」説を採用、ホームズは木の棒(木刀にしては短いか?)で毒針を持ったクロウリーの手を突き、毒針をクロウリーにお返しするという技を見せている。原作の「場律」が見られなかったのは少し残念だが、漫画版では原作と同様にホームズが「場律」を駆使してクロウリーを制圧しているので、気になる方は是非チェックを。

 

※1:ちなみにバーティツは考案者エドワード・ウィリアム・バートン=ライト自身の名前「バートン」と日本の「柔術」を掛け合わせて作った言葉。

バーティツ - Wikipedia

 

〈夜宴〉紹介(その2)

前回はカーミラクロウリーを紹介したので今回は残りの三人、ヴィクターとジャック、そしてモリアーティ教授について紹介しよう。

 

〇科学とオカルトの怪物、ヴィクター

ja.wikipedia.org

人造人間ヴィクターの元ネタとなった原作は1818年にメアリー・シェリーが匿名で出版したフランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』。当時19歳の少女が執筆したこの作品は、理性と科学と恐怖という相反する諸要素を融合させた古典的名作として現代でも評論・研究の対象になっている。ちなみに、『フランケンシュタイン』を執筆した時、メアリーは二人の子供を産んでおり、そのうち最初の一人は生後11日目で死亡。しかも相手の男性である詩人パーシー・ビッシュ・シェリーとは不倫関係であった。メアリーは子育てと並行しながら作品を執筆した訳であり、不倫で駆け落ち中のことだから、当然親や親戚のサポートもない中での子育てと考えるとその苦労はただならぬものだったと思われる。

 

映画のイメージからフランケンシュタインの怪物は最初から醜い怪物として作られたと思われがちだが、原作では顔形の良いパーツ(美しい死体)を集めて作ったはずなのに、いざ完成して怪物が目覚めると、その恐ろしさに創造主のヴィクター・フランケンシュタイン博士は怪物を放置して逃げ出した、ということになっている。つまり、外見の醜さというのは恐ろしさの根源ではなく、動くはずのない死体が生命を持ったこと・生命そのものが抱く制御不能なエネルギーに対する恐怖こそ重要なポイントだと言えるのではないだろうか。

原作ではヴィクターに見放された怪物が人間から差別・迫害の憂き目に遭い、その憎しみ・怒りは創造主に向けられ、「博士 VS 怪物」という形で物語は展開する。そして物語を通じて読者は人間の醜さ・怪物の孤独、人間の中にこそ怪物が潜んでいるといったことを読み取るのだ。

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

さて、本作アンファルの人造人間ヴィクターも同じく創造主となる博士がいるのだが、詳しくは原作1巻の「人造人間」の章を読んでいただきたい。その章を読めば彼がどのような経緯で誕生し、何故〈夜宴〉に入ったのかがわかるよ。

 

〇元祖シリアルキラー切り裂きジャックの野望

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5話の感想記事でチラッと紹介したが、切り裂きジャック1888年にロンドンのイーストエンド地区、ホワイトチャペル通りを中心に娼婦を最低でも5人、模倣犯の可能性がある分も含めると11人も殺害したと言われている。

切り裂きジャックが現在でも有名なのはこの一連の事件が犯人が逮捕されていない未解決事件であること、被害者の喉を切り腹をかっさばいて内臓を取り出すという残忍な手口、警察に犯人と思しき人物から手紙が送られるといった劇場型犯罪の要素を押さえた事件だからであり、130年以上たった現在でも切り裂きジャックの正体を突き止めようとする好事家がいるくらいだ。※2

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

アンファルにおける切り裂きジャックは15歳の時にホワイトチャペル通りで完全犯罪を成し遂げ、そこからモリアーティを探し出し彼の部下として〈夜宴〉で組織のナンバー2的存在になっている。ちなみに、ジャックがモリアーティの部下という設定は映画名探偵コナンイカー街の亡霊」を彷彿とさせる。

 

このジャックは原作を読んだ方もご承知の通り「思想」が口癖で「そういう思想もある」とか「興味深い思想だ」とかやたらと思想という言葉を使う。この辺りからも察せられるように、彼は瞑想や修行といった手段で悟りや新たな思想を手に入れるのではなく、怪物という異種族の肉を移植し血を入れ替えることで精神を高めようと考えている。肉体を追い込むのではなく肉体そのものを入れ替えることで精神をより上位の所まで持って行くというのがジャックの考えだろうが、この発想は「羊たちの沈黙」のレクター博士にも通じていて、レクター博士の場合は人間という同種族を喰らう所に人間の上位種になる、つまり食物連鎖の頂点である人間の更に上を行くという願望が見出せる。

ジャックの場合は怪物を己の肉体に取り込むことで人間の上位種になることを目論んでいるということになるが、それが実現すると彼を止められる者はいなくなるということになり、非常に危険な存在になることは言うまでもないだろう。ある意味これは人間の創造主=神が決めた宿命を打ち破りたいという創造主への強烈なアンチテーゼ(=反キリスト主義)でもあるのだ。

 

〇「物語の幕引き」として現れた宿敵、モリアーティ

ja.wikipedia.org

モリアーティ教授が登場するのは『シャーロック・ホームズの回想』所収の「最後の事件」。作中のホームズによると、モリアーティは21歳で二項定理に関する論文を書いて当時のヨーロッパで一世を風靡した数学の天才でありながら、遺伝的な性質により犯罪の道へと走り表の顔は数学の教職員、裏の顔はロンドンの犯罪を牛耳る闇の組織の親玉と言われている。

 

モリアーティ教授は「探偵の因縁の宿敵」として後世の作品に影響を与えており、有名な所だと金田一少年の〈地獄の傀儡師〉や「探偵学園Q」の〈冥王星〉、更に10月にアニメ化する「鴨乃橋ロンの禁断推理」というミステリ漫画ではモリアーティの子孫が登場する。ドラマだと織田裕二さん主演の「IQ246 ~華麗なる事件簿~」でマリア・Tと呼ばれる探偵の敵役が出て来るし、斎藤工さん主演の「臨床犯罪学者 火村英生の推理」では最終回における諸星沙奈江との対決がまんまホームズのライヘンバッハの滝を意識した演出になっている。

このように、モリアーティとホームズを意識した後世のミステリ作品を挙げると幾らでも出て来るのだが、身も蓋もない言い方をすると作者のコナン・ドイルはあくまでもホームズ譚を終わらせたいがためにモリアーティ教授を生み出した訳であって、つまるところモリアーティは「物語の幕引き」として誕生した宿敵なのだ。だからモリアーティがどんなことをこれまでやってきたのか、それは「最後の事件」において具体的に語られている訳ではないし、ホームズが彼の陰謀を度々妨害したことで命を狙われるという程度の情報で「最後の事件」は物語を進めているから、原典を読んだ所でモリアーティの凄さは多分理解出来ないと思う。

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

本作におけるモリアーティ教授はホームズと同様にライヘンバッハの滝から復活を遂げ、〈夜宴〉のボスとして新たな犯罪組織の立ち上げに動く黒幕として描かれている。ホームズにとっての宿敵であると同時に、鴉夜の胴体を持ち去った張本人としても二人の探偵の前に立ちはだかることになるが、モリアーティが目論む犯罪組織の革命、つまり合成獣(キメラ)という生物兵器のアイデア自体は決して珍しいものでもない。それをこの後の項で説明しよう。

 

※2:最近だと7月に捜査官の子孫にあたるサラ・バックス・ホートン氏が真犯人を突き止めたとする書籍『片腕のジャック:切り裂きジャックの真犯人を暴く』を刊行するようである。

「切り裂きジャック」真犯人解明? 捜査官の子孫が新刊 英 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

 

人工的奇形の歴史

モリアーティが考える人間に怪物を取り込むという発想、言い換えれば人間を人工的に奇形種に変えてしまうということは、実は人類の歴史の中で洋の東西を問わず様々なケースがあるのだ。

1880年、イギリスの医師マグガウァンは中国で子供の身体に動物の皮膚を移植するという外科手術を目撃し報告している。幼児の表皮を切り取って、そこに犬や熊の皮膚を移植するというもので、皮膚の定着には数ヶ月かかったという。そしてより動物に近づけるため声帯を切り取ったり二足歩行出来ないよう関節を外して、動物と人間のミックス「動物子供」が作られたというのだ。

これはかなり極端な例だが、ローマ帝国時代後期では商人たちが新生児を買い取って小人を意図的に作り出そうとしていたケースもある。小人は一定の好事家や貴族の間では人気があり、それを所有することは一つのステータスとされていた。だからこそ子供の栄養を制限し拘束具等で身体を変形させて小人を作るという商売が成り立ったという訳である。※3

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

身近な所で言うなら、刺青も人工的な奇形の一つのケースである。本作だと津軽やジャックの身体に刺青のような筋が通っているが、元々刺青には芸術的なものや愛のアピール、帰属するグループ・組織の証明、痛みに耐えたことを示す一種の通過儀礼と様々な意味が込められ、様々な国や地域でその実例を見ることが出来る。過去には、全身にシマウマのような刺青を施したザ・グレート・オミ(通称ゼブラ男)がいたくらいだから、刺青は最も手軽に別の存在になる手段と言えるだろう。※4

パプアニューギニアのセピック族の場合は、身体にワニの模様を刻み込むという成人の儀式があるという。※5これは、崇拝するワニの力を身体に取り込むという意味が込められており、今回のモリアーティの怪物の力を取り込むという発想と何ら変わりない。動物の肉体を移植するかしないかの違いに過ぎないのだからね。

 

それから、忘れてはならないのが美容整形である。一見すると無関係に思えるかもしれないが、中国にかつてあった(今でもあるのかな?)纏足の風習は小さい足が魅力的という当時の美意識から来るものだと一説には言われているし、タイやミャンマー首長族は女性が首に金色のリングをまとっているが、これもその地域の美意識から来るものではないかと考えられている。日本人だって、薄い唇をぷっくりさせたり胸を豊かにするためにシリコンや美容液を注入しているのだから、決しておかしな話ではない。

また、美容整形と怪物は地続きのテーマでもある。以前日テレの「ザ!世界仰天ニュース」で扇風機おばさん※6という女性が紹介されていたが、彼女は角ばったアゴを気にして闇医者を頼ってシリコンを注入。その行為はエスカレートしやがて顔は満月のように丸くなっていくが、それでも歪んだ美への思いは尽きることがなく、最終的に整形用シリコンを買うお金がなくなると、自宅の調理用油を顔に注入し顔は見るも無残に膨れ上がってしまったという。美を求めるがあまり怪物になってしまったという寓話的な実録ドラマであるが、この扇風機おばさんも本作のような怪物テーマの物語を語る上で外せない存在だ。

 

このように、本人の望む・望まないに関わらず人類は人工的にその身体を変形させて奇形を作り出して来た。ジャックをベースにした合成獣(キメラ)製造の構想はモリアーティの異常さを物語ってはいない。人類が神から与えられた肉体という器に対して様々なアプローチで変化・変形を施していた歴史を見れば、それはむしろ普遍的な価値観と言って良いのだ。

そういやバイオハザードシリーズもアンブレラ社がウイルスや菌を駆使して生物兵器や超人を生み出す実験・開発をしているから、本作の〈夜宴〉のモリアーティはアンブレラの創設者であるオズウェル・E・スペンサーに似ているなと個人的には思った。

 

※3:マルタン・モネスティエ『図説奇形全書【普及版】』を参照。

※4:全身改造「コンセプトトランスフォーメーション」の世界、自分の希望で身体を自由に変えられる時代に、究極の「自由人」となった華麗なる人たち【動画ライター】 - bouncy / バウンシー

※5:【漫画】ワニの刺青を背中に…激痛の成人式『クロコダイルマン』|雑学王子トリビアーン

※6:扇風機おばさん死の真相に迫る|ザ!世界仰天ニュース|日本テレビ

 

さいごに

ということで「ダイヤ争奪」編、ルパンはダイヤは逃したものの純銀の金庫は盗み出し、〈夜宴〉はダイヤは逃したがダイヤに記された人狼の居所の情報はゲット、そしてホームズと〈鳥籠使い〉一行は何とかダイヤだけは死守することが出来たという形でこの熾烈な争奪戦は決着を迎えた。

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

特に最後の津軽のファインプレーに関しては、ジャックが怪物を取り込み知能・攻撃力・回復力といったあらゆる点で人間の上位種になっているという彼自身の驕りに対する痛烈な一撃でもあった訳だから、津軽のダイヤ奪還にはある意味笑劇としてのオチ以上の意味があったと読み取ることが出来よう。人間だから優れている訳でもないし、怪物だから劣っている訳でもない、ましてやその両方があるから一番優れている訳でもないということだ。

 

今回は「人工的奇形」という観点からモリアーティ教授の目的を語ってみたが、本作を「奇形」という視点で眺めると、鴉夜や津軽、ジャックに人造人間のヴィクターは人工的奇形に分類出来るし、ホームズやルパン、ファントムにモリアーティは精神的奇形と呼ぶことが出来るだろう。善悪の方向性の違いはあれど、ホームズやルパンといった頭脳によって人間の枠を打ち破るような存在は精神が常人から逸脱しているという点で精神的奇形者であり、それを俗に天才と呼ぶ。

 

そうそう、前回敢えて語らなかったルパンの盗難計画の「③脱出の困難」は今回明かされた通り、お堀の水が余罪の間に流れ込んだことで水路が通れるようになり、ルパンとファントムはそこを脱出経路に利用した。この脱出方法も合わせてルパンは水を流し込むという一つの行為で、

1.ホームズたちによる人力での警備を無効化させる

2.余罪の間の照明を消す(盗難の瞬間を目撃させないため)

3.通気口の鉄格子を水圧で破壊する

4.水流にのせてロープを余罪の間まで渡す

5.水攻めで警備陣を生命の危機にさらすことでダイヤの本当の隠し場所を見極める

6.脱出経路を確保する

という6つの目的を達成したのだから、正に一石六鳥の盗難計画。ダイヤこそ盗めなかったが彼の怪盗としての天才っぷりがよく表れていたと言えるだろう。

 

最後に第二章の総評をして今回の感想・解説を終えるが、何と言っても約320頁ほどある原作を全4話で過不足なくまとめた脚本と演出は流石だと評価しておかなければならない。勿論、ホームズのバリツの件やファントムのフォッグ邸侵入など個人的に見たかった描写が改変・カットされたことは残念だけど、これだけのキャラが錯綜する群像劇を約80分の物語としてまとめ上げ、バトル面でも物足りなさを感じさせない作りになっていたのは素直に良く出来ていたと言うべきだろう。(劇場版みたいに100分~120分あればもっと充実度の高い作品になっていたかも)

 

アニメ感想の動画でも初見の視聴者が面白がって第二章を評価していて原作既読勢として安心したが、第一章と同様ハマれなかった人の意見も見かけたので一応その意見に関しても言及しておきたい。

ハマれなかった人の意見で出て来たのは「キャラの渋滞」、つまり今回の四つ巴の争奪戦におけるキャラの多さをマイナスポイントとして語っていた。これに関して私なりに意見を言うと、第二章「ダイヤ争奪」編ではホームズやルパンといった皆が知る有名人を一堂に会する面白さがあるものの、だからと言って100%面白くなるかと言うとそこは難しい話で、有名人起用の功罪がどうしても生じてしまう。

有名人を使えばオリジナルキャラと違って各キャラの背景描写を省略して描くことが出来るという利点があるから「ダイヤ争奪」編は有名人だらけの群像劇でも問題なく面白い物語になった。ただ一方で有名人を起用すると、有名なだけに見る人によってそのキャラクターに対する固定観念が邪魔をして、それが「コレジャナイ感」として物語の集中を妨げることにもなってしまう。ルパンだと三世が有名なだけにそっちに引っ張られる人もいるだろうし、クロウリーの指弾にしてもどうやら「鋼の錬金術師」のマスタング大佐を連想した人がいたようなので、どうしても過去作・先行作品のイメージや先入観がフラットな姿勢での視聴を阻害するのは認めざるを得ない。

 

ただこれだけはハッキリ言っておくが、四つ巴の争奪戦はいたずらにキャラクターを増やして混戦を賑わせたのではない。保険機構ロイスと〈夜宴〉はシリーズの縦軸として〈鳥籠使い〉の前に立ちはだかる相手だし、人間離れした能力を持った組織としてある種ミステリとしての枠組みをぶち壊す存在だ。一方ルパンやホームズは超人的な面はあるにせよ、基本は頭脳戦をメインとする陣営で王道のミステリを担う存在である。

この構図から見てもわかるように、本作「アンデッドガール・マーダーファルス」はミステリであると同時に怪物を物語に取り入れた伝奇小説でもある。ミステリとしての知性・条理とそれを破壊する怪物をミックスさせた所に本作の妙味がある訳であって、ミステリの要素だけでは予定調和に陥りがちなプロットを怪物という条理に反した存在がかき乱すから物語は予測のつかない方向へ動くのだ。

 

以上で8話の感想・解説を終えるが、次回からは第三章ということで原作3巻のエピソードに突入。先に言っておくと第三章は一章のような怪物をテーマにした本格ミステリ要素がありながらも二章のようにバトル面でも退屈させない、物語としてバランスの良いエピソードだと私は原作を読んで思った。とはいえボリュームは約480頁とシリーズ最長なので、残り話数でどう描き切るのかその辺りを注目していきたい。

アレ見て京極夏彦を思い出した人~?【アンデッドガール・マーダーファルス #07】

匣の中には綺麗な娘がぴつたりと入つてゐた。

京極夏彦魍魎の匣

 
「混戦遊戯」

7話は原作の161頁から243頁までの内容。今回は怪盗ルパン・探偵ホームズ・〈鳥籠使い〉それぞれの作戦が明らかとなり、後半は遂に〈夜宴〉が介入したことで物語は頭脳戦から異種混合の異能バトルロイヤルへと様変わりする。

 

そんな訳で今回はルパンとホームズ、そして〈鳥籠使い〉の作戦と〈夜宴〉のメンバーについて解説しようと思う。特にルパンの盗難計画についてはアニメ本編だとかなり端折られて説明されており、原作未読の方にはいまいちルパンの計画の凄さが伝わってないかなと見ていて思ったのでちゃんと解説しておきたい。

 

(以下、原作・漫画版を含めたネタバレあり)

 

怪盗と探偵の作戦

5話の感想記事の最後で、私は盗難における三つの困難、すなわち「①侵入の困難」「②盗難の困難」「③脱出の困難」の三点を挙げてその難しさを簡単に説いたが、ではルパンとファントムはどうやってこの問題をクリアしたのか説明しよう。

 

①侵入の困難

警察や警備員によって警護されたフォッグ邸に入る上でルパンはお得意の変装術があるから良いとして、ファントムがいかにして侵入したのか。アニメ本編ではカットされたが、実はファントムはピエロの人形に扮して水路にダイブ。それを警官が回収した瞬間に警官を気絶させその制服をはぎとり、あえて警備員(近衛兵)に変装することで、「侵入者は警官の制服を着ている」という先入観を警備側に植え付けた。

そしてルパンは本編の通りガニマール警部に変装。※1この際、ホームズに変装を確認させることで、さり気なく警官による身体検査を免れているのが巧妙なポイント。事前にホームズの前に現れた時にあえて不完全な変装をしていたのも、本番の変装でホームズに見破られないための仕込みだったという訳だ。※2

まぁルパンがガニマール警部に変装したことに関してはホームズたちはともかく読者(視聴者)には見え見えというか、変装して一番怪しまれない上に「常日頃からルパンを追っている人物=ルパンもその人となりをよく知っている人物」に変装していたのだから、この点はさほど意外ではなかったかな。

 

※1:6話でルパンが駅の時間を気にしていたのはガニマール警部の到着を待っていたからであり、この時にルパンと本物のガニマール警部は入れ替わった。

※2:ルパンの変装術の徹底ぶりについては『怪盗紳士リュパン』に収録された一作で、ルパン自身の口からこう語られている。

「(前略)人相なんてものは、思うように変えられるんだよ。パラフィンの皮下注射をすりゃ、お望みのところの皮膚をふくらませることができる。焦性没食子酸を使えば、モヒカン族そっくりになる。くさのおうの汁は、みごとな湿疹や腫物をこしらえる。ある種の化学的方法は、ひげや髪をはやし、また他の方法では、声を変えることができる。(中略)最後に、アトロピンを五滴ばかりたらして目つきを悪くすれば、芸当は完全というわけさ」

 

②盗難の困難

さて、これが盗難計画の肝心要となるポイント。余罪の間に保管されたダイヤと金庫をどうやって盗むのかが問題となるが、その答えは前回提示された通りお堀の水を余罪の間に流し込むという大胆な手段。一見すると、水を流し込んだ所でどう盗みに直結するのかわからないのが面白い所であり、また水を流し込むという一つの手段にいくつもの企みが隠されているのがこの盗難トリックの素晴らしいポイントだ。

つまり、余罪の間に水を流し込む行為には、

1.ホームズたちによる人力での警備を無効化させる

2.余罪の間の照明を消す(盗難の瞬間を目撃させないため)

3.通気口の鉄格子を水圧で破壊する

4.水流にのせてロープを余罪の間まで渡す

という狙いが隠されており、特に4に関しては通常だと通気口の配管が曲がりくねっていてロープを垂らしただけでは余罪の間に通せないという問題を、水流にのせることでいとも簡単にクリアしているのが秀逸だと評価したい。

そして、ロープをガニマール警部に扮したルパンが金庫に結び付け、それをファントムが回収するという形で金庫は余罪の間から出て行った※3訳だが、ここで回収役にオペラ座の怪人を配置しているのが本作のユニークな所で、別に回収役なんて誰でも良いだろって思ってしまう所を、本作では縄の扱いに長けているファントム※4にそれを任せている。ルパンとオペラ座の怪人をコラボさせたのにもそれなりの理由があったということだ。

 

※3:ロープで引き上げる際、金庫が配管内部にぶつかり金属音が響くというのが少々ネックであり、原作でも不可解な音として描写されているため、そこでトリックに思い至った人もいたと思うが、アニメでは金属音の直後にファティマによる壁の射撃の描写が入れられたことで、金属音が壁に刺さった鉄の矢によるものだと誤認させる演出になっていたのが何気に巧妙。よく考えれば天井付近にいたホームズたちに矢の射撃音があれだけハッキリと聞こえるはずはないし、ましてや室内は水で満たされていたのだから音が聞こえたとしても、もっとくぐもった音でないとおかしい。

※4:5話冒頭、エギュイ・クルーズ内においてファントムはイスに縛られていたのに自力で縄抜けしている。ガストン・ルルーの原作小説を読んでいなくとも、この場面でファントムが縄の扱いに長けた人物であることは読み取れるし、これが盗難計画のヒントにもなっていたのだ。

 

「③脱出の困難」については次回明かされると思うので今回はあえて伏せておくが、探偵側も無策だった訳ではなく、ホームズはダイヤを別場所に移すという作戦をとっていた。何も馬鹿正直にダイヤを金庫の中に入れておく必要はないし、仮にフェアじゃなかったとしても法を破って盗みに来る側のルパンが偉そうに言えることではないのでどこに隠そうが問題ではなかったのだが、そこはフェアプレイの精神からホームズはワトソンが所持していた刻み煙草入れにこっそりダイヤを隠し、余罪の間まで持ち込ませていた。

しかしそれすらも見破って盗んでしまうのがルパンの凄い所。アニメではカットされてしまったが、実は余罪の間に水を流し込んだ目的にはもう一つ意味があって、

5.水攻めで警備陣を生命の危機にさらすことでダイヤの本当の隠し場所を見極める

という目的も含まれていたのだ。つまり、余罪の間にいた段階でルパンはワトソンの刻み煙草入れを失敬しており、地上に上がってから土壇場で回収したのではないということだ。※5

 

※5:ちなみに原作では、ホームズが過去に解決したボヘミアの醜聞(『シャーロック・ホームズの冒険』所収)で使った手口を逆手に取ったものだとされている。

 

そんな訳でホームズにとって分が悪い敵だったのには違いないが、名探偵としてルパンの水攻めの企みを1~4までは見抜き、床板の軋み(原作は階段)から変装を看破して一旦は逮捕にまで至ったのだから、完全に出し抜かれなかっただけでも良しと考えるべきだろう。

 

〇「釜泥」作戦

さて、ホームズの対抗策に対して〈鳥籠使い〉は江戸の大泥棒・石川五右衛門にちなんで落語の「釜泥」をヒントに、ホームズの作戦で空になった金庫の中に鴉夜が入るという生首ならではの対抗策が見もので、西洋の怪盗を東洋の知恵でアッと言わせる所に笑劇としての痛快さがある。※6

勿論、ただ愉快痛快なだけでなく作戦を成功させる仕込みも前回の段階で施されており、前回の感想記事で言及した新聞記者のアニーがその役割を担っているのも見逃せないポイントだ。

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ルパンと〈鳥籠使い〉が対峙した際、ルパンは「ところで、そちらの二人は助手?」と尋ねている。この一言からわかるように、鴉夜が生首の探偵だと知っていたらアニーも入れて「そちらの三人」と言わなければならない。それなのに「二人」と言ったことからルパンはアニーを輪堂鴉夜だと勘違いしていると鴉夜は推理し、それを利用して「釜泥」作戦を実行したという訳である。

そのためには、これ以上詮索されては困るので取るに足らない相手だと思わせるために鴉夜は津軽にわざと負けるようけしかけた。あのルパンと津軽の前哨戦にも意味があったということだが、実は原作だと戦闘に入る前に鴉夜は落語の花筏という言葉で津軽に指示を送っている。アニメではこのワードがカットされたので、どのタイミングでけしかけたのか不明になっているのが少し残念ではある。

 

※6:ちなみに漫画版では金庫に鍵がかかっていなかった、つまり既に金庫内の宝石が出されて別の何かが入っていたことを示す伏線が漫画という媒体を利用してさり気なく読者に提示されているので、気になる方はチェックしてみてはいかがだろうか?

 

〈夜宴〉紹介(その1)

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今回ようやく物語に本格的に介入してきた〈夜宴〉はモリアーティ教授を筆頭に、切り裂きジャック人造人間ヴィクター吸血鬼カーミラ魔術師アレイスター・クロウリーによって成る悪の組織。本作におけるヴィランズである。

モリアーティに関しては4話のEDクレジットで名前が出ていたので意外な黒幕ではないものの、ホームズを出すからにはこの教授も出さないと釣り合いが取れないということもあって、実に申し分ない宿敵と言えるだろう。そんな〈夜宴〉のメンバーについて紹介していこうと思うが、流石に全員に触れていたら終わりが見えなくなるので今回は陽動係を担った吸血鬼カーミラクロウリーについてお話しよう。

 

〇同性愛者の吸血鬼

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吸血鬼カーミラは1872年にアイルランド人作家ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュが発表した怪奇小説に出て来る女吸血鬼。私が知っている範囲だとゲゲゲの鬼太郎(6期)の西洋妖怪編で登場した吸血鬼カミーラもこの原作小説をモデルとしている。

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3話の感想記事で吸血鬼の歴史に触れた際この『カーミラ』のことも紹介したが、発表当時吸血鬼と言えば男性だったのに対し、レ・ファニュは女性の吸血鬼を生み出したことが注目され、また女性の血ばかり吸うことから同性愛者(レズビアン)の吸血鬼として後の創作では描かれることが多い。本作もその例に漏れず淫靡な吸血鬼として描かれているが、原作小説は回想録の形式にしたこともあってか、カーミラにあまり性的なものは感じにくい内容になっているそうである。

 

カーミラも創作上の吸血鬼の例に漏れず、人間の背徳的な愛欲やロマン主義的要素を詰め込んだ吸血鬼なのだが、一説によるとカーミラのモデルとなったのはハンガリー王国の貴族で、悪名高いエリザベート・バートリだと言われている。

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バートリは嗜虐的嗜好から何人もの娘をいたぶり殺し、その血を浴びて喜ぶという常人には理解出来ない趣味があったようで、度重なる残虐行為の末に最後は城の寝室へ幽閉され(貴族なので死刑は免れた)その生涯を終えている。この逸話がカーミラの元になったと言われているが、串刺し公として恐れられたヴラド公しかり、実在の人物の方が創作上のキャラより残忍なことをしていたというのは恐ろしい話である。

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

インモラルで同性愛嗜好という人間の理解しがたい部分を担った吸血鬼カーミラは本作において己の欲に忠実に血を吸い人を殺めていくが、それに相対するはカーミラとは真逆の禁欲的で忠誠を生き甲斐とする馳井静句である。次回はこの相反する二人の真剣勝負が見所の一つとなるだろう。

 

〇好奇心旺盛なクロウリー

クロウリーについてはオカルトに詳しくない人には馴染みのない名前だろうし、かく言う私も本作で初めて知った名前だが、彼は実在の人物であり、生前の功績から「20世紀最大の魔術師」と呼ばれている。

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クロウリーは1875年にビール醸造工場で財を成した家に生まれる。現在価格に換算して数十億円レベルの資産を持っていたアッパーミドルの一人っ子であったクロウリーは、金持ちの家の子供にありがちなエリート意識の強い人間で、「世界のトップで活躍するのは俺みたいな人間だ」と周囲を見下す傾向があった。そんな協調性の無さから学校では飲酒疑惑をかけられたり、家では敬虔なキリスト教徒の母親から厳しく叱られていたそうである。この時の経験によってクロウリー反キリスト主義的思想に傾き、自身がキリスト教を冒瀆する数字「666」を背負った野獣であるという妄想を抱くようになったそうである。

以上のことは、大抵思春期における中二病として、年を重ねるにつれ終わるべき所をクロウリーの場合は終わることがないまま20歳に至る。この当時のクロウリーケンブリッジ大学に在籍しており、キリスト教信仰に反する酒・女・ドラッグといった非道徳的・世俗的な快楽行為にも手を出していたが、そういった手段は「他の皆がやっていること」であり、エリート意識の強かったクロウリーの心を満たすまでには至らなかった。そんな時に彼が出会ったのが「魔術」の世界である。

 

一応ここで魔術について説明しておくが、魔術の思想のベースとなるのは人間と宇宙が相互作用するという考え方である。宇宙が我々人類に影響を及ぼしているのなら、その反対で人間も何らかの手順を以て宇宙に働きかければ影響を及ぼすことが出来る。つまり宇宙の理を知り絶え間ない修行を重ねることで、そこから得た真理に基づき自然界に影響を及ぼしたり、未知なる存在との交信が可能になるというのが魔術の思想の概略だ。

魔術と聞くと、どうしてもいかがわしい黒魔術を連想してしまいがちだが、実際の所魔術はあらゆる分野の学問の始まりとなる要素を抱えている面もあって、例えば錬金術は化学薬品の誕生や「質量保存の法則」の発見の切っ掛けになっているし、占星術も天体観測をベースにしているから自然科学の分野として語ることが出来るだろう。魔術と学問の違いは、魔術は方法を重視して過程を飛ばすのに対し、学問はその過程で生じる謎を詳らかにするという、この違いによって分けられると言えばわかるだろうか?

 

1898年、クロウリーは秘密魔術結社黄金の夜明け団に入団。この秘密結社では魔術の理論と実践を学び、テストに受かることで階級が上がっていくという学校に似たシステムが用いられていたようだが、いざ入団してみると「黄金の夜明け団」のカリキュラムや講義で用いられた資料は既にクロウリーが独学で習得したものばかりで、その物足りなさにクロウリーはガッカリしたという。元々この魔術結社はイギリスの裕福な階級の人々が団員として所属する、言うなれば同好会に近い集まりだったこともあって、本気で魔術研究をしようとしていたクロウリーは団員を軽蔑し、カリキュラムを無視した実践修行などを行ったことで先輩団員の反発を買い、結果1900年に「黄金の夜明け団」から追放されることになる。

 

という訳で、アンファルの世界におけるクロウリーは「黄金の夜明け団」を辞めて〈夜宴〉に鞍替えしたという設定になっている。以上の内容だけを見ると「クロウリーって性格が悪いイヤな奴!」という印象を抱いてしまうし、実際彼が生涯かけて行った魔術の儀式は当時のイギリスの大衆紙に大々的にバッシングされていたのだから、お手本となる生き方をした人間ではないと言えるだろう。

ただ、クロウリーには魔術師以外の顔があった。「黄金の夜明け団」追放後、クロウリーは世界一周の旅に出る。その旅で彼は各国の名峰に登り登山家として名を上げることになった。また、元々未知なるものに対する好奇心が強い性格だったため、日本を訪れた際は鎌倉の大仏に感激して一時は出家し仏門に入ろうとした所を思い止まり、インド洋のセイロン島でヨガに熱中するといった具合に、あくなき探求心と好奇心(そして親から受け継いだ遺産)によって世界を駆けまわっていたのだから、魔術師という肩書きからは想像もつかない、超アウトドアな男だったのである。

その破天荒な生き様はスピリチュアルやヒッピー文化にも影響を及ぼし芸術の面ではジミー・ペイジデヴィッド・ボウイといったロックミュージシャンにも影響を与えている。※7

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

以上をふまえると、クロウリーが怪物だらけの〈夜宴〉の中でもビビらずに平気で同じ立場のメンバーとして振る舞っていられるのも納得である。幼少期に定着したアンチキリスト思想に加え、恐怖よりも好奇心が強い性格だからこそ、あのメンバーでもやっていけているということなのだろう。(実際のクロウリーはあんな平気で人を殺すようなヤバい奴じゃないけど…ww)

そんなクロウリーが相手するのは名探偵ホームズとワトソン。彼にとってこの二人は挑むに相応しい名峰として映っているのだろうか。

 

※7:クロウリーの生涯についてはWikipediaのほか、NHKBSプレミアムで放送されたダークサイドミステリー「悪魔と天使を呼んだ男 20世紀最大の魔術師 クロウリー伝説」(2021年9月16日放送)から引用した。

 

さいごに

7話の感想・解説は以上となるが、脚本がエンタメ性を重視したこともあってか、ルパンの盗難計画の辺りが端折られていて物語やトリックとしての精度が原作未読の人に伝わりにくい感じになっているのが原作ファンとしては勿体ないと感じたポイントだが、それでも一連の盗難計画や探偵側の仕込みのヒントは5・6話で配置されていたので、そこは良かったと思う。

それにアニメはアニメで原作にはない面白さを演出していて、例えばルパン逃走時に津軽が「釜泥」を語った場面なんかは、ルパン捜索でやっきとなる警備隊を尻目に落語を語るという津軽の余裕っぷりが見て取れて面白かったし、ルパンの「ははははは!」というあの通りの良い高笑いなんかは、彼の声を担当した宮野真守さんならではの味があって凄く良かった。あれだけ高笑いが出来てそれが板につく人ってなかなかいないと思うもの。

 

さて「ダイヤ争奪」編も次回で完結となるが、一応ここでフォッグ邸における各キャラの対戦表を書いてみると以下の通りになる。

東館:カーミラ VS 静句

東館(備品倉庫):ファントム VS ファティマ

西館:クロウリー VS ホームズ&ワトソン(鴉夜)

中庭:ルパン VS 津軽 VS レイノルド

あとここに切り裂きジャックと教授、ヴィクターも入り込んで来るということになるから正に勝負の予測は未知数ということで次回を楽しみにしてもらいたい。バトル回になるけど、単に戦っておしまいではないということだけは言っておこう。