タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

アマビエの解体と再構築

京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』を読了した。

文庫版 塗仏の宴 宴の始末 (講談社文庫)

記録にのこった妖怪たちを分析する膨大な蘊蓄がシリーズ定番となっているが、本作では「妖怪の解体と再構築について触れられている。詳しくは読んでもらった方がわかると思うし誤解も少ないはずだが、一応どういうことが本作で語られているのかざっくりと説明してみよう。

 

妖怪は、基本的には先人たちが理解できない現象や出来事に名や形を与えたものだが、中には言葉遊び的趣向で創作された妖怪もあるし、海外(主に中国)からの文化・思想が影響したものもある。特に本作『塗仏の宴』では、中国から流入した渡来人と彼らがもたらした技術がルーツではないかとされる妖怪が登場する。それらの妖怪は、当時渡来人を差別化する元となった「技術」が一般的なものになることで、神性的なものが「解体」され、その名残が「再構築」されて妖怪化したのではないか…と言われている。

これホントざっくりした説明で申し訳ないが、要は何が言いたいかというと、妖怪も歴史の中で一つのカテゴリーにまとめられたもの(例えば、ひょうすべが河童のカテゴリーに入っていること)や、解体・再構築が著しいあまりに名前と姿形しかのこっておらず詳細不明のものがいる、これを覚えていてもらいたいのだ。

 

で、ちょうどコロナウイルスの影響でアマビエ「疫病から人々を守るとされる妖怪」厚生労働省公式HPより)として話題になっているけど、正に今アマビエは『塗仏の宴』で言われているような「解体と再構築」が為されているのではないか?と思っており、妖怪学的にこの2020年は結構重要な年になるのではないかとも思っているのだ。

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では、アマビエの何が「解体」され「再構築」されたのか。

改訂・携帯版 日本妖怪大事典 (角川文庫)

村上健司編『日本妖怪大事典』のアマビエの項を見ると、弘化三年(1846年)4月中旬の瓦版に記録があり、それによると、肥後国の海中に毎夜光るものがあるので、ある役人が行ってみたところ、アマビエなる化け物が現れ、「当年より6ヶ年は豊作となるが、もし流行病がはやったら人々に私の写しを見せるように」と言って、海中に没したという。

 

以上を見ればわかると思うが、アマビエは厚生労働省のHPにあるような「疫病から人々を守るとされる妖怪」ではない。

まず、アマビエの予言のメインは「6ヶ年の豊作」であって流行病云々は付属的なものだ。豊作と流行病の予言はアマビエだけでなく神社姫という妖怪も文政二年(1819年)に予言をしているが、神社姫の方は「向こう7年は豊作だが、その後にコロリという病が流行る」と明言している。アマビエのように「“もし”流行病がはやったら」と仮定形ではないのだ。

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またアマビエは「もし流行病がはやったら人々に私の写しを見せるように」と言っているが、その写しが病人平癒に効果があるのか、それとも病気の感染予防に効果があるのか、その点には一切触れていない。ただ見せろとだけ言っているのだ。この点に関しては神社姫の方が具体的で、「我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう」と言っている。

 

アマビエは記録が瓦版の一つしかないため、アマビコという妖怪の誤記ではないかという説もある。アマビコは猿に似た三本足、または頭から直接足が三本生えている見た目の妖怪として描かれており、予言や写し絵を見せて除災を促すなど共通した点もあるという。

 

アマビエの予言は上述したように1846年の出来事だが、神社姫は1819年に、アマビコはアマビエの出没以前の記録がのこっている。ということは、アマビエは神社姫やアマビコの諸要素が解体・再構築されて誕生した妖怪という解釈も出来るのだ。それに、アマビエの記録は江戸の瓦版で伝聞の色が強いため、実際肥後国で人々が見聞きした内容と違っている可能性は高い。

という訳で、アマビエは当時肥後国で目撃されたアマビエとは違っていたかもしれないし、予言や見た目に関しても既に前身となる妖怪がいるため、アマビエ自体に予言をする他の妖怪にないオリジナル要素はあまり無いのである。

 

当初はアマビエが「疫病から人々を守るとされる妖怪」とされたのはこれが初の解体・再構築だと思っていたが、ひょっとするとアマビエそのものが他の予言妖怪の解体・再構築によって生まれた妖怪かもしれず、そうだとすると現代の解体・再構築は第一段階ではなく、第二段階の動きなのかもしれない。

エンコと指の奇妙な縁、啄木鳥探偵處 第四首「高塔奇譚」視聴

啄木鳥探偵處 (創元推理文庫)

高層建築に昇って景色を眺めるなら、やはり夜に限る。高校の時、研修旅行で行った東京スカイツリーからの夜景が今の所自分の中のベスト。

 

(以下、アニメと原作のネタバレあり)

 

「高塔奇譚」

今回は原作の1話にあたる「高塔奇譚」。第3回創元推理短編賞受賞作で、選考委員の評によると、石川啄木を探偵役におきながらその個性が活かされていない不満点はあるものの、ミステリとしての仕掛けや文章運びが優れていると評価している。

事件の舞台となった浅草の凌雲閣は1890年に竣工された、当時日本で最も高い建築物として有名。しかし、関東大震災の影響を受け1923年に解体、僅か33年の栄華であった。何とも儚いものだが、そこも魅力に映る。

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小説でも題材として取り入れられており、私が知っている所だと江戸川乱歩押絵と旅する男島田荘司「舞踏病」(『御手洗潔のダンス』所収)で浅草凌雲閣が出て来る(島荘の方は凌雲閣はそんなに事件と絡まないのだがな)。

 

事件の方は明治期ということもあって、少々聞き慣れない職業や用語が出て来る。事件関係者の一人、澤山六郎は「エンコの六郎」と呼ばれているが、エンコは公苑を指すようだ。作中では職業的な意味で使われているが、具体的にどういった職業の人間なのか一応「公苑」「エンコ」の両方で調べてみたがわからなかった。書かれ方から推察するに浅草の場所代を取り締まるヤクザ者だと思うが…。

 

※公式がご親切にも用語解説をしてくださった。別に職業を意味する用語じゃないのね。

(2020.05.05追記)

 

そして、もう一つは幻燈

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これも今は映写機に取って代わられた道具で、画像を幕に投影する機械を指している。

 

今回の事件は凌雲閣に現れた幽霊とそれに絡んだ殺人事件の謎解き。

幽霊自体のトリックは大きなネタバレではないのでここで明かすが、幻燈が凌雲閣に現れた幽霊の正体であり、今で言うプロジェクションマッピングの手法で凌雲閣に姿を映していたのだ。

問題は「どうやって幽霊を凌雲閣に出現させたか」ではなく、「何故幽霊を凌雲閣に出現させたか」がポイント。ミステリ小説で動機を謎においたものをホワイダニットものと呼ぶが本作は正にホワイダニットとしてよく出来た作品だと言える。

 

(以下、事件のネタバレ)

 

アニメではぼかされてしまっているが、女性(山岡の恋人)は凌辱の末に殺害されている。それが山岡の怒りとなり、そして幽霊騒ぎを起こした動機となる喉元を確かめるために繋がるのだが、その辺りの事情をぼかしてしまったため、あれだけのことをする必然性が弱まってしまい、悪手になってしまった。

更に言えば、原作では偶然現れた幽霊必然で現れた幽霊に言及しており、その「偶然現れた幽霊」の下りをカットしたのも不満が残る。この偶然現れた幽霊(=山岡が別の目的で凌雲閣に映したあるモノ)こそ、その後山岡が仕掛ける必然の幽霊を生み出す切っ掛けとなった事象であり、なお且つ犯人への怒りを増強させる要素になっているのだが、これをカットしてしまったため、前回のおたきと比べると山岡の動機はイマイチ感情移入しにくいものになってしまった。相思相愛の相手が非業の死を遂げた点は同情出来るが、アニメの情報だけではあれだけのことをやるに至ったプロセスがピンと来ないのだ。

そういうことで、今回はあんまり褒めた出来ではない。「魔窟の女」は2回に分けて放送された分、情緒的な面の細やかさが巧いと思ったが、今回は1回にまとめてしまった結果、改悪になってしまったと言わざるを得ない。「魔窟の女」をあれだけ巧く改変出来たのだから、今回の話も丁寧にやろうと思えば出来ると思っていたのだがな~。

 

蛇足

「浅草の 凌雲閣の いただきに 腕組みし日の 長き日記かな」は「一握の砂」に収録された短歌。「長き日記」が前回・前々回で出て来たローマ字日記のことかどうかは不明(ローマ字日記に凌雲閣に昇った記述なし)。ただ、この歌が「一握の砂」初出の1910年に詠まれたことや、「腕組み」というワードが出て来ていることから、当時の困窮ぶりをローマ字日記に記していたことを詠んだのではないかと言われている。

歌人啄木も(当時)日本一の高層建築に昇ったからとて、気が紛れることはなかったに違いない。

 

・エンコはヤクザ用語でを意味する。そして、反省・仲裁といった目的で指を切り落とす慣習を指詰め」(エンコ詰め)と呼ぶ。

山岡とその恋人が小指につけた爪紅のおまじない。そのおまじないを非情にも破ったのはエンコの六郎だ。その六郎が最後に山岡に殺される結末は文字通り「エンコ詰め」だと言えるが、これは原作者も狙ってやった趣向だと思う。生憎鬼籍に入っているので聞けないのがもどかしいが。

あつまれどうぶつの森、タリホーの島構想

あつまれ どうぶつの森 -Switch

コロナウイルスの影響でスッゴイ人気になり需要が高まった「あつまれどうぶつの森」。

発売の報を聞いた時は特別欲しいと思わなかったし、過去の「どうぶつの森」経験(どうぶつの森+どうぶつの森e+おいでよどうぶつの森)からすぐにマンネリ化が訪れてプレイする意義が見いだせなくなる代物だと学習していたので、興味がわかなかったんだよ。

 

それがだ、YouTube で続々プレイ動画が出て、それを見ているとどうやら今回はマンネリ化しなさそうな要素が沢山ある上に、博物館のクオリティ※ が桁外れに凄いことになっているし、しかもだよ、島クリエイターなる地形そのものをいじれるギミックがあるのだからね。

いや、ゴメン、この約20年ほどでここまで進化するとは思ってなかったし、こんなにやれることが増えていると思わなかったからさ~、出遅れも出遅れ。switch 買い損ねちゃったよ~(涙)。Amazon で出品されているの5万円以上(!!)もするし、いくらやりたいって言ってもそんな大枚はたけるほどリッチじゃねーしな。

 

で、買えない今私に出来るのは島構想。ちょうどパソコンで「Happy Island Designer」というソフトを用いて色々地形をいじって構想を練っているところ。

で、その島構想をマニュフェストというか、「ゲームを購入した暁にはこんな島にしますよ~」という宣言を当ブログにしておこうと思う。一応備忘録として、いざプレイした時に「アレ?何作ろうとしてたんだっけ?」ってならないようにするためにも、ここに記しておく。

 

※どれくらい凄いかというと、こういうことです。

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タリホーの島構想 ~本格ミステリ好きのための島~

YouTube で実況者がリスナーの島訪問をしている動画を見ていると、オシャレな住宅街とかレトロな田舎、和風一色といったものが大半を占めているが、私もそれに倣いつつ、単にオシャレな島にせずミステリ小説のアレコレを再現した、本格ミステリ好きがワクワクするような島(そうでない人もワクワクさせたいけど…)を作っていきたい。

 

・十角館広場(『十角館の殺人』)

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)

十角館そのものを再現するのは難しいが、十角館の間取りを模した広場を作るのはまだ出来ると思うので、案内所前に十角館広場を展開し、それぞれの角には街灯を配し、中央には(ベタだけど)噴水とベンチで飾ろうと思う。

 

・釜浜町三丁目の再現(「顔無の如き攫うもの」)

生霊の如き重るもの (講談社文庫)

案内所の傍には(マニアックになるけど)三津田信三『生霊の如き重るもの』所収「顔無の如き攫うもの」の釜浜町三丁目をタヌキ商店やエイブルシスターズを含めた住宅街として再現しようと思う。住民の家が長屋の代わりになってくれるし、行き止まりや運河も柵や島クリエイターで作れるからね。で、雰囲気を出すために作中で登場する旅芸人たちの小道具を随所に配置すれば、うん、いい感じになりそう。

 

・刀城言耶エリア(刀城言耶シリーズ)

凶鳥の如き忌むもの (講談社文庫)

和風エリアはやはり欲しいので、島の一角を刀城言耶エリアとする。島の北側エリアには『凶鳥の如き忌むもの』の拝殿を設置。大鳥様の間となる祭壇部分に博物館を移設し、トリ繋がりで博物館の飛翔的発展を祈るのだ。

 

首無の如き祟るもの (講談社文庫)

また、『首無の如き祟るもの』の媛神堂も再現しようと思っている。栄螺塔は完全再現は無理なので簡略化し、婚舎にあたる場所は住宅を置く(縁起でもないが…ww)。

この他にも、「屍蝋の如き滴るもの」の弥勒島(『生霊の如き重るもの』所収)の再現を予定している。勿論、案山子や石碑といった小道具も抜かりなく配置していくつもりだ。

 

テニエル博士のバラ温室(『ブルーローズは眠らない』)

ブルーローズは眠らない (創元推理文庫)

折角バラがあるのだから、『ブルーローズは眠らない』で登場した、あの魅力ある温室を再現しようではないか。温室のガラス壁はパネルにマイデザインを貼ってそれらしく見立てられそう。ただ青バラの交配が難事になりそうだが…。

 

・馬割邸の五角形迷路(『乱れからくり』)

乱れからくり (創元推理文庫)

これは私の島のメイン観光地になると確信しているが、Twitter でも言っている通り、『乱れからくり』のあの迷路を再現しようと努めている。実はもう既に設計図は出来ており、当初はコンパクトになるかと思っていたが、いざ人が通れるように設計していくと想像以上の大きさになった(島の4割近くを占める)。ゴール地点の中央が予定より広くなったのでキャンプサイトを設置し、よそから来た人に魅力がアピール出来れば良いかと思う。

 

・有名作品の殺人現場を模した自宅

自宅は国内・海外を問わずミステリの殺人現場に泊まれるホテル風の様式にしようと考えている。

サム・ホーソーンの事件簿〈1〉 (創元推理文庫)

入ってすぐの部屋はロビー兼バーバーショップエドワード・D・ホックのサム・ホーソーン医師シリーズの一作「投票ブースの謎」を模した形にしたい。

 

ビッグ・ボウの殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 サ 4-1)

右手の部屋には『ビッグ・ボウの殺人』の殺人現場を模した部屋を。やはり世界初の密室トリックを用いた作品を再現するのはやぶさかでない。

 

本陣殺人事件 (角川文庫)

左手の部屋は横溝正史「本陣殺人事件」の部屋にしよう。勿論、庭は屋外に再現し、屋内は縁側部分までの再現とする。

 

黄色い部屋の謎 (創元推理文庫)

奥の部屋はガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』。荒らされた所まで再現は出来ないが、血の手形やピストル、羊の骨などはマイデザインの貼り付けで再現していこうと思う。

 

招かれざる客たちのビュッフェ (創元推理文庫)死人の鏡 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)法月綸太郎の冒険 (講談社文庫)

二階と地下はスペースが広めなので、パネルで間取りを分けてクリスチアナ・ブランドのジェミニー・クリケット事件」(『招かれざる客たちのビュッフェ』所収)やアガサ・クリスティ「厩舎街の殺人」(『死人の鏡』所収)、法月綸太郎「緑の扉は危険」(『法月綸太郎の冒険』所収)などを再現する予定。

 

貴族探偵 (集英社文庫)アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

もう一軒別ユーザーの自宅が用意出来た場合はドラマ「貴族探偵」5・6話の桜川家の離れの一室アクロイド殺しの殺害現場、二階と地下ならばオリエント急行の殺人』の一等車両を簡素化したものが出来るかもしれない。

 

 

 

・その他

ブラウン神父の不信【新版】 (創元推理文庫)

確定要素ではないが、浜辺近くの土地で空いている所があればブラウン神父シリーズの「犬のお告げ」に出て来る東屋を再現しても良いかなと思っている。

 

金田一少年の事件簿 File(15) (週刊少年マガジンコミックス)金田一少年の事件簿 20周年記念シリーズ(5)<完> (講談社コミックス)

 あと写真映えとして屋内の現場だけど屋外の方が良いかなと思っているのがあって、それが金田一少年「魔術列車殺人事件」の山神団長の殺害現場と「薔薇十字館殺人事件」の密室。薔薇の密集具合を考えると、屋内より屋外の方が見栄えが良さそうだし…。

 

あとは看板で雰囲気作り。横溝正史シリーズⅡの「黒猫亭事件」やドラマ「貴族探偵」3話のバラばんばら、ドラマ「アリバイ崩し承ります」1話の野沢菜コロケといったネタもマイデザインで活かしていくつもりだ。

 

銀座幽霊 (創元推理文庫)天外消失 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1819)

灯台や電話ボックスも配置しよう。前者は大阪圭吉の灯台鬼」「人間灯台(どちらも『銀座幽霊』所収)を偲ぶ建物になるし、後者はクレイトン・ロースンの「天外消失」を想起させる。

 

以上が私の島構想となる。正直ここまで構想をバラしてしまうと真似されるかもしれないが、逆に「真似出来るなら、見てやるからやってみぃ、と言いたいね。

 

最後に、ここ最近見た中で独自の世界観を放ち、マイデザインの使い方と発想がマッチしているこちらの島訪問動画をご紹介して終わる。

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名探偵ポワロ「4階の部屋」視聴

名探偵ポワロ 全巻DVD-SET

タリホーもマンション暮らししたことあるよ。

 

「4階の部屋」(「四階のフラット」)

愛の探偵たち (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

原作は『愛の探偵たち』所収の「四階のフラット」。ポワロのお膝元、ホワイトヘイブンマンションで起こった殺人事件を描いているが、前々回の「ジョニー・ウェイバリー誘拐事件」同様、本作も原作未読のため紹介は割愛させていただく。

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

個人的注目ポイント

・The “Third” Floor Flat

本作のサブタイトル「4階の部屋」の原題は「The Third Floor Flat」。

え、4階なのに“Third”?“Fourth”の間違いじゃないか?と思う方もいるだろうが、これは間違いなどではない。イギリスでは地面と同じ高さの階、つまり日本で言う1階を“ground floor”と呼び、その上の2階が“first floor”となるため、4階が“third floor”になる。4階なのに部屋番号が36Bだったのもこういった理由によるものだ。

 

・Life is Just a Bowl of Cherries

部屋に入れない間、パットとミルドレットが歌っていた曲は「Life is Just a Bowl of Cherries」。「人生はサクランボをお椀一杯に盛ったようなもの」という外国のことわざからとったタイトルで、楽観的に生きることを推奨している。

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あの世に行ったらノンノンノン、って所が良いよね。

 

・謎解きはアッサリ

原作未読のため何とも言えない部分はあるが、今回は物語中盤で謎は解けてしまい、後半は犯人の追跡と真相(殺人に至る経緯)に費やされている。ミステリとして見るべき所は偶然を装った必然という点くらいか。でもこれに関しては後年発表された某作品の方がもっと巧妙だったな~と思う。あと、死体を隠したのは動機に繋がる郵便物を入手することが目的だったが、あの隠し方ではメイドに見つかってたと思うのだがな…(現にジミーが見つけちゃってたし)。

 

 

次週は「砂に書かれた三角形」。ドラマとしては初めての旅行モノ。

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第2話「戦慄! 見上げ入道」〈再放送〉視聴

6期公式が3つの動画をあげた。

こういうの見ると、全然終わった気がしないんだよな。

 

見上げ入道

 見上げ入道は1~5期にかけて皆勤で登場するシリーズ定番の妖怪。ビジュアルは鳥山石燕が描いた「青坊主」に即したものだが、見上げるほど背が高くなる能力は見上げ入道の伝承通り。

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原作やアニメでは背丈の大きさは空気の出し入れによって調節するという設定になっており、そこから派生して風を操る妖怪として描かれている。また、霊界ながしという秘法も持っている。

1・3・5期では原作通り妖怪学校を開いて悪戯好きの動物や人間を妖怪に変えようとしていた。また原作「妖怪大裁判」では検事側妖怪として鬼太郎を人間の味方ばかりする妖怪として批判しており、2・3期でも同様の形で登場している。

原作通りの物語でないのは今期と4期で、4期では入道沼に封印されていた設定になっているし、霊界ながしも使用しない。退治方法も原作と異なっている。

 

ちなみに、5期では見上げ入道と同様に背丈を調節出来る妖怪、見越し入道が38話に登場する。

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この回の脚本は何と漫画「地獄先生ぬ~べ~」の原作者の真倉翔氏。真倉氏は5期でもう一つ古椿の回も担当しているので、興味ある方は是非チェックを。

 

関心を示すもの

2話は猫娘ねずみ男といったお馴染みの鬼太郎ファミリーが初登場した回で、猫娘の強キャラ化にビックリし、「猫姉さん」という新たな関係が生まれた回でもあった。

そして、この回のテーマはズバリ「関心」

 

劇中で見上げ入道は「年間8万人以上の人間が行方不明になっている。なのに誰も騒がないではないか」と数字を挙げて、人間は他人のことなど気にしていないんだから5万人を霊界送りにしたって構わないだろうという旨の発言をするが、これには3つのツッコミが入れられる。

 

ツッコミ①その数いつどうやって知ったんだよ

行方不明者の統計は警察庁の公式HPで見ることが出来るが、いつ見上げ入道はそんな情報を手に入れたのだろうか。もしかするとねずみ男の入れ知恵であの発言は彼の受け売りみたいな所があるのかも…。

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ツッコミ②一度に5万人送るな、バレるだろ

日常的に騒がれていないのは全国でちょこちょこ行方不明者が出ているからであって、一箇所で5万人も消えたら騒がれるだろ!

 

ツッコミ③その数字は無関心の証拠にならないんだよ

そもそも、行方不明者8万人という数は、警察に届け出された数を元にしたもの。つまり、家族なり誰かしらがいなくなったことを気にかけて警察に駆け込んで来る人がいることを統計が示しているのであって、この数で人間の無関心さを説くことは出来ないのだ。本当に無関心ならば、警察に届け出なんか出さないからね。

(…まぁ中には社会的体裁を気にして届け出を出す人もいるのかもしれないが)

 

関心を示すものはこれだけに止まらない。この後何回か登場することになった「電池組」も関心あってこそのアイドル商売だし、5万人集まったことが彼女たちに向けられた関心を証明している。

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

 

まなと猫娘の関係が始まったのも、猫娘が「鬼太郎を助けた人間ってどんな奴だろうか」と関心の念を持たなければそもそも成立しなかったかもしれないし、まなが猫娘の戦闘力に目をつけて称賛したのもこれまた関心であり感心の表れだ。

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今回の敵である見上げ入道もまた、関心によって存在意義が見いだされる妖怪である。見上げ入道は人前に現れ、見上げれば見上げるほど高くなる妖怪であり、これがこの妖怪のアイデンティティーになっているが、もし人前に現れてもそのまま素通りされたり、背丈を大きくしてもつられて見上げることなく無視されてしまえば、この妖怪はアイデンティティーを喪失してしまう。

劇中で「人間は他人のことなど気にかけない」と言っていた見上げ入道だが、皮肉なことに彼が見上げ入道たり得るのは「人間の関心」あってこそなのだ

「人間の関心」は別に見上げ入道だけに限ったことでなく他の妖怪も同じ。人の関心が無くなれば存在してないに等しくなってしまうのだ。

 

そして存在を示すのは関心に加えて名前が必要になる。名前のないものに関心の向けようはないからだ。また、名前は相手の正体を示す場合があり、昔話でも化け物が名乗る名前の意味を見抜いて化け物を見事退治した僧侶の話がある。特に「化物寺」が良い例だと思うので以下に紹介する。

tyz-yokai.blog.jp

以上の理由から、名無しは捉えどころがなく正体不明の危険な存在として描かれているのだ。

 

さて、名無しとは反対に名のある見上げ入道は相手を見上げる妖怪であり、その対象となる人間の関心によって存在が確立している。その人間に「見上げ入道、見越したり」と唱えられると見上げ入道は妖力を失い退治されてしまう。

これは己の存在を確立する人間によって関心を断ち切られると同時にアイデンティティーである「相手を見上げる行為」が否定されることで彼を存在させるものを無に帰してしまう呪文、というか化学式になっており、存在を確立させている人間以外が唱えても意味を成さない。

 

呆気なく思える妖怪退治の裏にはこういった方式がある。これは既に4期で示されており、京極夏彦氏が脚本を担当した「言霊使いの罠!」で見ることが出来る。まだ見てない方は是非見るべし。

 

 

さて、次週は3~5話をすっ飛ばして6話のすねこすり回が放送されるが、な~にか語れることはあったかしら…。

多重解決とすれ違いの悲劇、啄木鳥探偵處 第三首「さりげない言葉」視聴

啄木鳥探偵處 (創元推理文庫)

今回は前回からの続き。前回がミステリでいう問題編ならば、今回は解決編になる。

tariho10281.hatenablog.com

 

(以下、アニメと原作のネタバレあり)

 

多すぎる文士たちの多重解決

前回の終盤で京助の無実を証明すべく現れたのは、野村胡堂吉井勇萩原朔太郎の三人。ただ、すぐに無実は証明出来なかったようで、京助はそのまま警察へ拘引された。

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野村・吉井は啄木・京助とつながりがあったことは明らかだからこの作品に登場するのはわかるが、萩原は(史実上)彼らと交友関係は結んでいない模様。

では何故本作に萩原が出て来るのだろうかと萩原を調べていたら、どうやら彼はミステリファンらしく、江戸川乱歩の「人間椅子」や「パノラマ島奇談」を称賛したことがあるそうだ。だからこの物語に萩原を介入させたことで、彼が知らないうちに若き日の江戸川乱歩と邂逅していたということになり、つまりは後の大ミステリ作家とそのファンが既に出会っていたという「if 的展開」を実現させたという点で実に粋な計らいと言えるだろう。

 

さて、そんな文士たちが集まって披露した推理だが、前回分を含めると以下の通り。

①「金田一京助」説石川啄木

②「石川啄木」説金田一京助

③「華ノ家女将の飼い猫」説萩原朔太郎

④「金田一・石川の共犯」説野村胡堂

①②は原作と同じ説だが、③④はアニメオリジナルの推理

いずれの推理も出発点は「おたきと京助の言い争い」からとなっており、それをどう解釈するかに重きを置いて、物的証拠にはあまり関心を示していないのが文士らしいという感じがする。

①②は「犯人に対する嘲笑・侮蔑」、③は「苦界からの解脱」、④は「女郎としての立場を利用した強請」が事件の動機として解釈されている。

③は凶器の匕首を剃髪に用いる発想と猫に驚き誤って首を切ったという意外性が評価ポイントだが、そもそも匕首は首に突き刺さっていたため、誤って切った状況に合致しない。まぁこれは現場を見ていないが故の解釈なので仕方ないところはある。

④は啄木と京助が互いを犯人だと糾弾する不自然さに焦点をあてた推理。確かに、ミステリでは仲の悪い二人が実は共犯関係を結んで殺人を行っていた…という話は結構あるし、「義憤からくる殺人」というのも捕物帖を十八番とする野村らしい推理。ただ、もしそうだとすると結果的に京助は警察に拘引され、共犯を隠すために互いを糾弾するという作戦は失敗したことになる。しかも啄木が京助をほったらかしにしていることから見ても共犯関係を結んでいたという解釈は成り立たない。

 

芥川龍之介の「真相は藪の中」という説はともかく(っていうか、なんなんだアイツは…ww)、最後に平井太郎(後の江戸川乱歩と名乗る少年によって真相がもたらされる。

平井はこの事件の表だけでなく裏の事情(啄木と京助の関係・おたきの素性・啄木が落としたローマ字日記)も知っていた人間で、彼だけが推理に必要な手がかりを全て握っていたのに対し、他の人々は足りない情報を無理くり考えこねくり回して推理を立てていたのだから、そりゃ真相に辿り着けるはずがなかったのだが、それはともかく。

 

(以下、事件のネタバレ)

 

⑤「おたきの自殺」

平井はまず匕首が(犯人側から見て)死体の左側の首に刺さっていたことから、右利きの啄木・京助は犯人ではあり得ないと推理。勿論、死体の左側に匕首が刺さっていただけでは「右利きの人物が犯人ではない」と推理出来ない(回り込まれて刺された可能性もある)。死体が部屋の中央で斃れており、動かされた形跡がない事実と併せて成り立つ推理である。

そして、京助が目撃した男は同じく帳場から姿を消した女将の様子から女将の情人(ツバメ)だと推理。これならば女将が虚偽の発言をしたことにも説明がつく。

こうして、女将とその情人、啄木と京助が除外されて一人残ったおたきが犯人であり、即ち自殺だという真相が明かされる。

(劇中で触れられなかったが、啄木のそばにいた女郎のおえんは右利きなので当然犯人ではない)

 

そして事件は動機の方面へ移る。これは誤解とすれ違いによって生じたもので、京助が興奮すると女言葉になるクセ(当世風に言うとオネエ言葉)がおたきに啄木と京助の関係に疑惑を生じせしめ、口づけだけという京助の中途半端な態度が一度上がった彼女の心をどん底に落してしまったのである。そこに労咳の持病(これに関しては、野村の推理の矢が的にかすっていたと言える)が相まって自殺に至った…というのが全貌だ。

 

実は、アニメ化にあたって原作からカットされた手がかりがある。原作既読者はわかると思うが、未読の方は是非ご確認を。個人的には、アニメオリジナルの多重解決を作る上であの手がかりは障害になったからカットするのは当然だと思うし、正直真相を聞くとあの手がかりは蛇足だなと感じたのでカットして正解だったかもね。

 

中途半端な優しさに対する啄木の「制裁」

今回の事件は京助の態度が自殺に追いやった結果になっている。そりゃ、相手の真意を知らないのだから、ああいった態度をとってしまうことに罪はないのだけど、身売りも覚悟であの業界に入った人に中途半端な優しさをかけるのは却って非道な行いになってしまう、という警句的な面もある話だというのが率直な感想。

啄木が意図的におたきの真意を京助に伝えず私娼窟へ連れていったことや、オネエ言葉を聞かれたことなど、いくつもの事象が悪い方向に重なってしまった結果でもあるので、本来ならば誰も責めを受けるべき事件ではないが、啄木としてはそう綺麗に割り切れず、それが京助の糾弾に繋がってしまった。言い換えれば、これは京助が犯した無意識の罪に対する彼なりの制裁だと言える。

そして、京助の中途半端な優しさはおたきの部屋に残された上着で強調づけられている。原作では、残された上着は単に京助が忘れたものとして描かれているが、アニメでは労咳で咳き込むおたきにかけられたものとして描かれており、その中途半端な優しさに啄木は一発京助の肩を殴って溜飲を下げたのだ。

 

ある意味不条理な制裁をした啄木を快く思わない視聴者もいるだろうが、私はやはり啄木に優しさを感じる。何故なら彼は京助に真相を伝えなかったからだ。彼にあの真相を告げればショックで彼が立ち直れなくなることを予想していたから、一人の女性を死に追いやった十字架を一生背負わせるより、無実の罪で警察に拘引されるという一時の苦しみを味わわせることで済ませた、と解釈出来る。

原作では啄木と京助の言い争いの後に平井少年が現れ真相を語るため、原作の京助は事件の真相を知っているのだが、アニメでは京助が拘引され事件解決のため文士たちが推理を披露するオリジナル展開が挿まれたことで、原作以上にすれ違いが生じ、心理描写に深みが出ているのが評価点であり褒めたい点でもあった。

 

それにしてもである、想い人の上着をまとい死を決意したおたきの心情は如何ばかりだったのだろうか。ただひたすら絶望に陥っていたのか、ささやかながら彼に気にかけられたことを少しは嬉しいと思ったのか。

こればっかりは流石の私も「藪の中」である。

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蛇足

・啄木が詠んだ「さりげなく 言ひし言葉は さりげなく 君も聴きつらむ それだけのこと」は「一握の砂」に収録された短歌。この歌は1907年に函館区立弥生尋常小学校の代用教員として着任し、そこで会った同僚教師の橘智恵子に向けて送られたものの一つ。

「様々な思いをこめてさり気なく言った言葉をあなたはそのままさり気ない言葉として受け取ったのですね…。まぁそれだけのことだと言えばそうなのですが」と読み取れるため、啄木が一方的に抱いていた片想いだったというのが一般的な通説だが、智恵子が結婚後に啄木に送った年賀状を論拠に相思相愛説を唱える人もいる。

今回はすれ違いと片想いの悲劇がテーマだったので、この短歌が引用されたのは実に相応しい。

 

江戸川乱歩のデビュー作二銭銅貨は1923年初出の作品。

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アニメでは少年時代に書かれた作品となっているが、「二銭銅貨」は1922年に書かれたもの(作品のアイデア1920年頃に生まれた)で、当時乱歩は数えで29歳。そんな失業時の彼の心情が作品に反映されている。

 

・ミステリファンであった萩原朔太郎手品好きでもあり、晩年にアマチュア・マジシャン・クラブに入会している。もしタイムスリップが出来るのなら、彼に泡坂妻夫のミステリを読ませてみたいものである。

名探偵ポワロ「24羽の黒つぐみ」視聴

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子供の頃に比べると苦みに対しては強くなったと思うが(コーヒーも昔に比べて飲めるようになった)、生のトマトの味だけは一向に慣れないタリホーです。

 

「24羽の黒つぐみ」(「二十四羽の黒つぐみ」)

クリスマス・プディングの冒険 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

原作は『クリスマス・プディングの冒険』所収の「二十四羽の黒つぐみ」。『クリスマス・プディングの冒険』はクリスティが「クリスマスのご馳走の本」と称した短編集で、本作はデザートに相当する(メインは表題作と「スペイン櫃の秘密」)。

タイトルの二十四羽の黒つぐみは6ペンスの唄の一節。これはミス・マープルが登場する『ポケットにライ麦を』でも引用された有名なマザー・グースだ。

6ペンスの唄を歌おう
ポケットにはライ麦がいっぱい
24羽の黒ツグミ
パイの中で焼き込められた

Wikipedia からの引用)

本作では黒いちごが、パイの中で焼き込められた黒つぐみに相当する。そしてこれが事件の重要なカギとなったのだ。

物語は普段レストランで食事をとる老人が急にいつもと違うメニューを注文するところから始まる。霜月蒼氏の『アガサ・クリスティー完全攻略』では本作を「『日常の謎』のはしりのような魅力がある。」と評価している。厳密に言うと本作は犯罪が絡むため「日常の謎」形式のミステリではないが、何気ないところから犯罪を暴き立てる手腕は「料理人の失踪」でもあった。ただ、「料理人の失踪」と違って心理的に興味深い謎だったため、ポワロは誰にも依頼されていないのに調査をする。

過去にNHKでアニメ化された本作だが、ドラマの方は50分の尺をもたせるために色々と改変を施している。今回はその点について言及していこう。

 

(以下、ドラマと原作のネタバレあり)

 

個人的注目ポイント

・貧乏画家から有名画家へ

原作ではヘンリー・ガスコイン貧乏で風変わりな老人画家として描かれていたが、ドラマではそれなりに有名な画家という設定に変更されている。これは、原作通りにやると50分ももたないため、有名画家にすることで別の動機――絵画を狙った犯行の可能性を浮上させ、ガスコインのモデルやエージェントに容疑を向けさせている。あくまで尺稼ぎとしての追加設定なので、特別うまい改変ということもないが、改悪という程でもない。

 

・医師から劇場支配人へ

設定が変わったのはガスコインだけでなく、甥のジョージ・ロリマーも同様。原作では医師だったが、ドラマでは劇場支配人に改変されており、その役職が本作のトリックと結びついていることになっている。そして、余ってしまった医師という役職は、原作で職業不明だったポワロの友人のボニントンに割り振られている。

 

・ポワロ、習わぬクリケットを語る

本筋の事件とは別に並行して描かれたのはヘイスティングスとポワロのクリケットの下り。クリケットについては詳しくないので、Wikipedia の記事を貼って割愛させていただく。

ja.wikipedia.org

最後にポワロが「門前の小僧習わぬ経を読む」よろしく、クリケットの試合について語り、ヘイスティングスジャップ警部、ボニントン氏がそれを見て思わず笑みをこぼすという微笑ましいシーンで締めくくられる。

名探偵ポワロ」シリーズでは、こういったポワロの微笑ましい一面もドラマの魅力となっている。

 

・「ビーフステーキ」と「キドニー・プディング」ではない

原作とドラマでは偽のガスコインが「トマトのポタージュ」「ビーフステーキ」「キドニー・プディング」「黒いちごのタルト」の計4品を注文したことになっているが、正しくは3品なのだ。

「え、どういうこと?」と思うかもしれないが、これはイギリス料理を知らない人が失敗しやすい翻訳ミスで、それが「ビーフステーキ」と「キドニー・プディング」の部分。

この部分は原語だと「steak and kidney pudding」と書かれているが、これは牛の肉や腎臓を煮たものをパイ生地で包み焼きしたイギリスの伝統料理で、ステーキとプディングが別個になっている訳ではないのだ。

en.wikipedia.org

 

・変装を出発点としたドラマ版

さて、本作は被害者の胃の中の消化物という動かせない事実を軸に利用して、手紙と変装でアリバイ工作を行ったというのがポイントだが、ドラマでは犯人が劇場支配人であり、常日頃目にしている変装劇から計画をたてていったような描かれ方をしている。

原作では医師という役職だから胃の中の消化物を軸にしたアリバイトリックを思いついたことも腑に落ちるし、ガスコインが貧乏画家だったことが隠れ蓑となって殺害動機が見えにくくなっているのが巧いと思ったのだが、ドラマは出発点を変装に置いてしまったせいで色々不自然に感じてしまう。

私みたいなミステリマニアならば胃の中の消化物が死亡推定時刻につながることはわかるけど、劇場支配人にそんな知識があるとは思えないし(医者に通っていたらさりげなく聞き出せることも出来るかもしれないが…)、あったとしても確実性に欠けると思うのだ。

それに、ガスコインが有名な画家に改変されているのも問題があって、貧乏画家ならば人が数日寄り付かないという状況にも納得がいくのだが、有名な画家で3日以上も人が来ない状況ってあるのだろうか?と思ってしまう。有名な画家ならば人もそれだけ自宅兼アトリエに来る頻度が高いと思うし、もし発見が早まっていれば、そもそもアリバイトリックが成立しなくなるからだ。

(しかも、「殺しても金銭的利益がない」という原作の隠れ蓑が通用しないのだからこれは痛い)

いや、わからないよ、有名画家が3日の間にどれだけ人と出会うかとかその手の職業に就いたことないからね。でも、やはり説得力の点では原作に負けるな、と感じたのだ。

 

 

次週は「4階の部屋」。あ~、これ原作未読でしたわ…。