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小説版「ネメシス」はスピンオフがアツい!

ドラマ「ネメシス」最終回が終わりちょうど一週間。小説版も現在刊行済みの分は全部読んだので、改めて小説版の「ネメシス」シリーズについて言及したいと思う。本当は最終回の記事に加筆しておこうかと思ったけど、長ったらしくなるよりは別記事にしてきっちり言及したいなと思ったので。

 

小説版「ネメシス」シリーズの長所・短所

ドラマは脚本が大したことがなくてもアクションだったり演出だったり出演者自身の華によって視聴に値するクオリティを維持することが出来る。ただ言うまでもなく小説は話が面白くなければ意味がないし映像面の助けは得られないので、ストーリーの面白さが求められるのは当然だ。そしてそれに加えてこのシリーズはミステリ・エンタテイメントでもあるためミステリ小説としての出来も重要な評価ポイントとなる。

で、小説版「ネメシス」はどうだったかというと、やはりドラマと違って放送時間枠の制限がないこともあり、ドラマ視聴時に感じた描写の浅さみたいなものは一切ない。何より、本職のミステリ作家が書いた事件だけあって面白いしユニークなトリックも用いられている。

最終回の感想記事では言わなかったが実はドラマ版には他にも不満点があってその不満点というのが「アンナの天才性」という面について。初回の感想記事でも言及したが、天才を描くとなると事件もそれなりに難解でないといけない。視聴者と同じものを見ていながら視聴者が気付かなかった部分に着目し、そこから明晰な推理を以て事件を解明してこそアンナの天才性が証明されるのだが、ドラマ版は事件が簡素化されていたりそもそもそれほど難解でなかったりとアンナの天才性を裏付けるようなものではなかったため、縦軸枠となる事件と黒幕の動機にブレのようなものが生じたと思っている。それ故ドラマのアンナは天才というよりは”空間没入”によって記憶をさかのぼることが出来る特殊能力の持ち主という感じで小説版のキャラクターとは微妙にニュアンスが異なる。

あとドラマではペラペラだった各キャラクターの性格描写が厚くなっているのも小説版の長所で、(後述するが)映像化されなかったスピンオフで一部のキャラクターが掘り下げられているのも小説版の魅力と言えるだろう。

 

小説版はほぼ貶す所はないが、強いて挙げるなら映像表現が出来ないせいで面白みに欠ける部分があったという点だろうか。特にそれは小説の2巻「HIPHOPは涙の後に」で如実に表れており、この話に関してはドラマの方が面白かったかな~と思っている。あとこれは個人的な好みの問題だが、作家によってキャラ同士の会話場面の描きの上手下手が分かれているのも目立っていて、(どの作家とは言わないが)上手な人はテンポが良いし下手な人は会話部分が滑っていたりしょうもない子供の言い争いみたいなことになっていて辟易としたかな。

 

各巻の感想

1巻(今村昌弘)

ドラマの1・3話の脚本協力をした今村氏は屍人荘がヒットしたこともあり初回を担うに相応しかったのだろうな~と思い、いざドラマを視聴して改めて実感させられたのは本格ミステリの映像化は難しい」ということだ。じっくり腰を据えて物語を咀嚼していく小説と異なりドラマ1話はあれよあれよと話が進んで、こちらが考える間もなく真相が明かされ解決という感じ。これではミステリとしての面白さもキャラの魅力も伝わらないのでは?という感じで、やはり時間枠を拡大するか無理に1話完結にしない構成で2シーズンやれば良かったと思う。

あ、ドラマの話ばかりになりそうなので小説の感想に戻すが、小説版はミステリとして濃い。始めの「天才探偵、現る!」はふざけたようなダイイングメッセージが目立つが犯人特定のロジックは堅実だし、記号にしか過ぎない容疑者たちも暗号を解く手がかりとして活用されているので、ドラマ視聴時に感じたキャラの薄さに比べればそれほどでなかったと思う。ドラマ版と全然展開の違う「美女と爆弾と遊園地」は、ドラマはサスペンス寄りで面白くなかったと言えばウソになるが、やはり小説版のように理詰めで犯人を特定した方がアンナの天才性が証明されたと思う。ドラマはその辺り朋美の数学的推理で大分誤魔化されたな。

 

2・5巻(藤石波矢)

ドラマとスピンオフを2話ずつ書いており、今回参加した中で最もネメシスの世界観に寄与したのがこの藤石氏だろう。正直ミステリとしては参加した作家の中でそこまで凝ったものではないため、いわゆるトリックメーカータイプのミステリ作家ではないという推測を立てているがどうだろうか?どちらかというとストーリー面で勝負しているのが藤石氏の作風であり、ドラマ6話の演出なんかはそれが特に表されていると思う。

小説版の本筋の事件についてはほぼドラマと同じため、かなりドラマを意識して(気を遣ったのかも)書かれた作品なのかもしれないが、特筆すべきはスピンオフの方。2巻収録の「道具屋・星憲章の予定外の一日」はドラマでは描かれなかった星の内面をかなり掘り下げてくれたし、ドラマだけでは間違いなく彼に思い入れは湧かなかった。ストーリーも大体の人間が持ち合わせている「困っている人を放っておけない性質」にスポットを当てており、それが事件としての意外性と感動につながっている。

5巻収録のスピンオフ「正義の餞」はジャーナリストの凪沙が主人公の話で政治家の汚職事件絡みの事件を扱っている。こちらは2巻のスピンオフと比べると立ち向かう相手が巨悪なことや純粋な正義を貫こうとする凪沙を描いたこともあってか、やや地に足のついてない感じがするし、正義に関する議論も少々鼻につく。好みが分かれることは間違いないが熱の入った作品であることは認めたい。

 

3巻(周木律)

ドラマ4話の脚本協力をした氏の作品はドラマと内容は大体同じだが、残念ながらドラマは肝心のトリックの改悪によって警察が転落死と判断した前提が物理的な面で破綻していることや、「AI対人間」という小説版のテーマが完全になくなっている。それに伴い助っ人として登場した姫川の描写も単なるツンデレキャラになっているのが更に残念で、小説版を読んで期待した要素をことごとく潰してしまったためこの回の録画は早々に削除した記憶がある。

ドラマは散々な出来だったが、小説版は本筋・スピンオフ共に秀作。スピンオフ「名探偵初めての敗北」はジャンルとしては密室殺人の部類に入るが、トリックよりも事件の解決に焦点を当てており、名探偵の才あるアンナと将棋の天才・中村三冠の違いを明確にすることでアンナが敵わない天才=中村三冠の天才性棋士としてのストイックさを見事に描写した話となった。このアンナと中村三冠の違いは後期クイーン問題にも通じる所があるため、ミステリマニアは是非読むべし(というと大げさかな?)。

 

4巻(降田天)

ドラマは金田一少年を意識したミステリで、比較的定型に沿った印象のある話だった一方、小説版は風真単独で捜査したり天狗騒ぎによるバカミス的展開があったりとネメシスの定型だけでなくミステリとしての定型も壊していたのが降田氏の「父が愛した怪物」だ。ドラマと小説どちらが良かったかというと正直微妙で、小説もフーダニットにもハウダニットにもそれほど特化した作品でないため、これは本当に各個人の好みで判断してねとしか言いようがない。氏の作品はこれが初めてなのでこのバカミス要素が普段からなのかこの作品限定なのか、それすらわからないのもちょっともどかしい感じだ(推理作家協会賞をとっているから真面目にやれば本格ミステリも書ける方々かもしれないが…)。

ちなみにスピンオフ「探偵Kを追え!」は、最初こそ掴みどころのない展開だが、事件の概要がわかってからはサスペンス要素あり推理ありで面白く読めた(ミステリとしてはホワイダニット系かな?)。

 

6巻(青崎有吾/松澤くれは)

6巻はドラマの7話の脚本協力をした青崎氏とスピンオフ担当の松澤氏の作品が収録。青崎氏の「カジノ・イリーガル」はドラマと同じ目的ながらその過程が全然違っており、小説版は青崎氏の作風の一つであるロジカルな推理がちゃんと活かされている。それだけにドラマは青崎氏に脚本協力しなくても良かったのでは?という出来で、ミステリ作家を脚本協力に要請したのはミステリ部分を考えるのが面倒だったからではないかと思わず邪推したくなる。

また、作中に登場する緋邑の描写もドラマと小説では異なっており、ドラマは完全に主導的立場で「天空の城ラピュタ」に出てくる盗賊の首領のババア(マ=ドーラだっけ?)みたいな役柄だったが、小説版は補佐的立場でその分アンナの天才性が活かされる内容になっていた。

ちなみに、作中で緋邑は「映画やドラマにおけるご都合主義」が嫌い(254頁)と述べており、パスワードが奇跡のような偶然で当たることを「くだらない」と思っていたが、ドラマ最終回で爆破装置を解除するパスワードがそのご都合主義によって当てられ解除されていたのだから、何とも皮肉な話である。

松澤氏が担当したスピンオフの「ショーマストゴーオン!」は舞台脚本家としての才が発揮されたと言って良い作品で、ミステリとしては小粒ながらも舞台劇としての展開は予想をつかせぬようになっているため非常にストーリーに牽引力があった。また、(一部ネタバレのため伏せ字)作中で行われた舞台(フィクションの殺人)と、舞台の役者を狙った殺人計画(リアルに人が死ぬ殺人)の両方を解決した(伏せ字ここまで)という点でアンナの天才性が描写されているのと同時に、3巻のスピンオフでアンナが体験したことがこの事件の解決に活かされているという点でこのスピンオフは唯一アンナの探偵としての成長が描かれていると評価しても良いのではないだろうか?

 

さいごに

小説版ネメシスはドラマならではの制約がなかったこともあり、作家の個性が発揮されながら物語としても面白いものが多く、特にスピンオフでその力量が発揮されていたと思う。何というか、ドラマ本編よりもスピンオフの方が面白いし、何ならそっちを映像化した方が良かったとさえ今は思うのだ。火村英生のドラマみたいにまたHULUでも構わないから映像化すれば良いのにね。ホント日テレは力を入れるトコを間違っていると思うんだ。

ちなみに、小説版はこれで終わりでなくこの後も続刊が発売される予定らしいので、ドラマは残念な出来栄えだったと思う方も小説は引き続き追って行ってはいかがか?