タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ナンバMG5ざっくり感想 #2(誰のために火中の栗を拾うか)

父親はトラックの運ちゃんで、母親はパチンコで稼ぐ専業主婦、しかも子供は三人(長男は無職)いて食費もバカにならないし、その上ペットまで飼っているのだから、一体難破家はどうやって家計のやりくりをしているのだろう。

 

2話感想

ナンバMG5(4) (少年チャンピオン・コミックス)

今回放送された2話は原作の2巻~4巻中盤までのエピソード。内容としては市松高校2年の頭である最上の特服探しがメインで、そこに伍代の漢気溢れる行動や藤田のゲスい動機による特服探しが加わることで物語は盛り上がっていく。

 

本来ヒロイン枠であるはずの藤田がスマホ代(原作はまだスマホが流通してない頃なのでパケ代)の補填+小遣い稼ぎのために難破を売ろうとしたり、特服を呼び出す目的で島崎を囮に利用するなどなかなかにゲスいことをするが、他作品における男性の理想像を押し付けられたような、正義感溢れる清楚なヒロインではなく、普通に金銭目的でゲスいことをやってしまうヒロインというのが個人的には新鮮だった。

今回の話だけ見ると藤田はとんだ守銭奴ブスなのだが、原作ではこの後剛が窮地に陥った際に率先して彼を救おうと動いているので、それを知っている立場として藤田は人間臭いヒロインであると、(弁護しているように聞こえるかもしれないが)一応断っておく。

 

ヒロインとしての株が下がった藤田に代わり株を上げたのは他ならぬ伍代で、身体が万全でないにも関わらず特服に変装して剛の二重生活を守ろうとしたのは、これはもう勇気という一言だけでは済まされない漢気ある行為だったね。

剛も伍代も、更に言えば藤田も火中の栗を拾うタイプという点では共通しているが、剛や伍代は「漢気」として評価され、藤田は「守銭奴」として炎上案件になったのは、その行いが誰のためでやっているのか、誰のために火中の栗を拾うリスクを犯せるのか、という点にあると思う。どれだけリスクが高くとも自分のためにやっているのであればそれは結局エゴ・自己満足の行為以上のものにならないし、他者のためにリスクがとれれば、結果の是非に問わずそれは一つの「生き様」として輝くものになると、今回の物語を見ていて感じた次第だ。

 

学生の時に見ると何とも思わなかっただろうが、今一人の大人としてこのドラマを見ると「大人になると火中の栗は拾えなくなるんだよな」と思う。そりゃ大人になっても拾ってる職業の人もいるだろうが、基本的に社会人ってどれだけリスクを回避出来るかが重要であって、わざわざ自分が傷つくことを覚悟して火中に飛び込むことってないし、そういう人は「理性がない」だの「蛮行」だのと冷笑・嘲笑されやすいのが今の世だから、そういう時代にストレートに火中に飛び込むカッコ良さを見せて来るのが、このドラマの魅力であり素敵な部分だと評価したい。

(まぁ、この作品に限らず物語の主人公はとかく火中の栗を拾いがちではあるが…)

 

それにしても、ドラマの最上は丸太ん棒というかヒグマみたいな体格だから、あんな鉄入りのグローブを着けなくてもパワーはありそうだよね。ちなみに、原作の最上は細見で上半身裸のスキンヘッド、左胸に梵字の刺青があって首にネックレスを着けた、なかなかに個性的な見た目の人物だった。

あとドラマではカットされていた台詞だけど、原作で伍代は最上のことを「『火垂るの墓』だって笑って見る」男だと評していたのが面白かった。そうか、アレを笑って見るのか…ww。