タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

欲張らなければ傑作に成り得た、ネメシス10話視聴(ネタバレあり)

遂に最終回。ちょっと厳しい意見もありますが、それでも良ければまぁ見ていってください。

 

(以下、ネタバレしていくので要注意)

 

10話「愛してくれてありがとう」

【菅研究所=カンケン】最大の黒幕が、菅朋美(橋本環奈)だと知った【探偵事務所ネメシス】の探偵=風真尚希(櫻井翔と、社長の栗田一秋(江口洋介。朋美と大和猛流(石黒賢拉致監禁された、美神アンナ(広瀬すず)とアンナの父=始(仲村トオルを救い出すため、風真は”チームネメシス”(勝地涼中村蒼大島優子上田竜也・奥平大兼・加藤諒真木よう子南野陽子)の”8人の侍たち”にすべてを明かし、協力を頼む。警察のNシステムに侵入し、カンケンの車のナンバーを突き止めた風真たちだったが、なかなかカンケンの本拠地までたどりつけない。だが車に残された”あるモノ”に気付く風真。決してただのポンコツなどではなかった風真の、鋭い推理が冴えわたる!

一方朋美との”ナイトツアー”に敗れたアンナと始に、刻々と命のリミットが迫っていた。アンナのネックレスの膨大なデータの解析は着々と進み、朋美と大和は今や利用価値のなくなったこの親子を最も残酷な方法で殺害しようと目論む。だが解析完了の直前で、何かに気付く朋美――。美しき天才同志の2人の戦いの行方は、想像もしない方向へと向かっていく。

最終話でこの20年間くすぶり続けていた男達の深すぎる因縁にも、一つの終止符が打たれる。栗田と始の長年の熱く確かな友情、かつては同じ志を持った研究者だったはずの始と大和の決定的な思想の違い……。サスペンスミステリーとしての伏線回収はすべて終わった。だが振り返れば、第1話から7話までどの回にも”愛の物語”が組み込まれていたことに気付く。大富豪の恋人達への愛、その愛を信じられなかった犯人(第1話)、愛するゆえに道を誤ってしまった兄と妹(第2話)、自分を拾ってくれたシーパラダイス社長への風真の深い恩義(第3話)、色々な愛憎が渦巻いたデカルト女学院(第4話)、愛情深い父の不器用さが生んだ家族の悲劇(第5話)、仕事を愛する女優のプロフェッショナルさに貫かれた劇中劇(第6話)、ポンコツな弟子=風真と緋邑の師弟愛(第7話)。

この愛をめぐる事件の中心には、いつもアンナと風真がいた。もちろんアンナと風真、栗田の間に血縁関係はない。だが間違いなく【ネメシス】はひとつの家族だった。風真の深い愛情が、アンナを愛する”チームネメシス”を動かし、アンナに本当に大事なことを気付かせる。「生まれてきたらダメな存在」などでは、決してなかったということを――。

(あらすじは公式HPから引用)

最終回は言わずもがな、アンナ親子の奪還作戦とその後を描いた内容となっていたが、物語のまとめ方としては「誰もが望まれて生まれて来た、価値ある人間なのだ」という普遍的なテーマに落としたな、というのが視聴後の感想だ。

上記のあらすじで1-7話まで”愛の物語”が組み込まれていたということから、ネメシスの裏テーマとして様々な愛の形を描こうとしていたのかもしれないが、1・2・4・5話はまだわかるとして、3・6・7話の愛に関しては少々こじつけ気味な気がww。それだったら「友情を超えた愛」とか「国の垣根を超えた愛」みたいな方がまだ飲み込みやすかったのではと思うがそれはさておき。

 

肝心の奪還の推移についてはドラマを見ていただければわかるので詳しくは述べないが、サスペンスとはいえ少々後出し情報気味だったので、ちょっと小骨が喉に引っかかったような気分になった。車に残った石の成分と栗田のデータ、人体実験の被害者の発見場所からカンケンの場所を特定するのはまだしも、その後の展開が正に何でもアリ状態。アンナ親子の部屋の酸素を抜くのは前回でも言及されていたので気にならなかったが、

研究所がネメシスにばれてしまったから爆破バイオハザードかよ)

→風真の手のひらに隠したキーピックで手錠を開錠(手のひらの細工はともかく、脱出マジック得意なのは7話の時点で言っておくべきだった)

→大和、始を道連れにして自殺(ほっといても爆死するのに、わざわざ始を薬で殺す意味は!?)

→すんでの所でアンナが”空間没入”し起爆装置解除のパスコードを見つける(これ残り秒数見てたけど実際問題あれだとタイムアウトするのでは)

という展開に()内のようなツッコミが生じたのだ。

 

最終回の前半部は以上のように目まぐるしく話は進み、後半は解決後のネメシスが描かれたが、それにしても黒幕の朋美にしろ大和にしろ、その退場は実にアッサリであまり印象に残らなかったな。

もっと言えば事件の根源ともなった研究所の所長・容子もそこまで存在感がなかったが、これは彼女の思想・倫理観が劇中で見えてこなかった(目的はわかったけど)ので仕方ない所ではあるかな。朋美が容子の遺志を受け継いだのなら朋美のキャラクター=容子のキャラクターとして考えるべきだが、いかんせん情報量が少ないため結局想像を膨らませてみても「可哀そうな人」だったのかな、くらいの感想しか出てこない。

可哀そうと言えば、大和も別の意味で哀れな人間である。名誉欲から一連の事件で暗躍していたとはいえ、ちょっと想像力が足りなかったと思う。ゲノム編集という倫理上の問題を置いたとしても、生まれて来る天才が必ず善性の方向に傾くとは限らない。もしヒトラーや松永太のような悪の天才を生み出した場合、その責任を負うだけの覚悟は彼ら研究所にあったのだろうか?その危険性まで考えてなかったのか?もし考えてなかったとしたら実に哀れで愚かだとしか言いようがない。

 

総評

全10回にわたる探偵事務所ネメシスの、20年以上の歳月をかけた壮大な物語はこれで幕引きとなったが、記事タイトルにも書いたように「欲張りすぎ」というのがこのドラマに対する率直かつ簡潔な私の評価だ。

 

このドラマの構成は「20年前に端を発する事件」が縦軸となり、それに近づくための横軸となる1話完結の事件が1~6話までに挿入されていた。だから1~6話まではスタンダードなミステリ、7話以降はアンナの出生を巡るサスペンスとして見られるし、その展開にも大きな齟齬や破綻はなかったと思う。

ただ、1話から縦軸となる事件の描写に尺を割いたためか、肝心のミステリ部分が正直小説版を読んだ時よりも薄くなっているのが個人的マイナスポイント。小説版とほぼ同じ2・6話はまだしも、それ以外の回は簡素化された部分が多く(特に4話は改悪に近い)、チームネメシスを含めた登場人物のキャラ設定も奥行きのないペラペラさが否めない。本来ならドラマはドラマならではの演出や伏線を仕込み、小説とは違った部分でミステリとしての面白さを発揮してもらいたかったが、残念ながらドラマと小説の相乗効果にはならず、ドラマの不完全な部分を小説が補完していた、というのが私の正直な感想だ。もし小説版を読まなければ、星や姫川に愛着も興味も湧かなかったのではないかと思う(小説版のこの二人は良いキャラしてんだよ!)。

 

そもそも1話完結の本格ミステリと縦軸枠というのはあまり相性が良くない。ただでさえ本格ミステリは事件の情報量が多くなるのに、そこに縦軸の事件まで加わると情報過多になって視聴者がついていけなくなる。有名な「古畑任三郎」にしろ「鍵のかかった部屋」にしろ、ミステリとしてのジャンルは違えど縦軸の事件は存在しない。その都度主人公らが遭遇する事件を解決するだけであって、一連の事件の黒幕を追ったり乗り越えるべき大きな障壁が存在する訳でもない。そういった描写はミステリとしての濃度を薄めこそすれ、濃くすることはまずないからだ。「金田一少年の事件簿」や「貴族探偵」などは一応縦軸となるものがあるにはあるが、それだって1話目から描写するほど濃い縦軸ではない。ドラマの後半を盛り上げるための活性剤みたいな程度で軸とまで言えるレベルではないのだ。

 

にも関わらずドラマ「ネメシス」はミステリとサスペンスの両方をどっちもやろうとした。その結果、ミステリとして当初私が期待していたほどの出来にもならず、サスペンス部分の展開(特に黒幕の正体)にしても特にのめり込める気分にはならなかった。

サスペンス部分に物足りなさを感じるのは、やはり黒幕となる悪役を倒すプロットにカタルシスとなる要素がないせいもあったと思う。ドラマのタイトルであるネメシスは「復讐の女神」であり、非業の死を遂げた女性(神田水帆・美馬芽衣子)に代わってカンケンに罰を下すのであれば、同情の余地もないレベルの悪にしなければそれを倒した時のカタルシスは生じない。それなのに「病気治療」という同情出来る動機が黒幕(朋美)にあったため、戦隊ヒーローもののようなスッキリ感もなければ、悪役に対する思い入れも生じない。「黒幕を倒せて良かったんじゃないの?」という他人事みたいな感想しか浮かばないのだ。

 

総監督の入江悠氏は多分色んなことをやりたかったのだろう。ミステリー、サスペンス、「オーシャンズ11」さながらのチーム戦、「ゲノム編集」という最新鋭の科学技術、血の繋がりを超えた普遍的な親子愛…。それらを全部乗せして生まれたのがドラマ「ネメシス」だが、お世辞にも「極上のミステリー・エンターテイメント」という公式HPの謳い文句は受け入れられない。「超難解なトリックが仕掛けられた事件」という謳い文句にしてもこれまで輩出されたミステリードラマと比べれば雲泥の差がある。本職のミステリ作家を脚本協力に呼んでこの出来では、日テレもまだまだである。ここまで壮大な物語をやるのであれば、「あなたの番です」のように2クール分放送するとか、フジテレビの月9みたいに放送時間を拡大するとか、もっとやり方はあったのではないかと思う。

 

…さて、長々と厳しい意見を述べたが、褒める部分も勿論ある。映画監督が今回のドラマを担当しているだけあって、セットや映像に安っぽさは感じられなかった。あとテーマ曲を含むBGMは結構好きだよ。

そして誤解なきように。物語の構成自体は悪くないし、キャラ設定にしても掘り下げれば十分面白い代物だ。縦軸となる「20年前の事件」を単純なものにしていれば、もっと濃度の高い本格ミステリが描けていたかもしれないし、ネメシスメンバーの掘り下げも表層的な部分以上のものになっていたはずだ。要は欲張ることなくミステリに特化するかサスペンスに特化するかしていれば、十分傑作になっていた作品なのだ。これだけの壮大な物語を描くのに日テレは余りにも狭い器(放送時間枠)しか用意せず、制作陣にしてもミステリ部分をミステリ作家に頼ってドラマならではの面白さを深く考えなかった。実に勿体ない話である。

 

以上、タリホーのドラマ「ネメシス」感想でした。小説版6巻についてや、また言いたいことが出て来たら後日加筆するので、その時読んでいただければ幸いです。