今回は6期初の仙人、猫仙人のお話。
猫仙人
77話ゲスト妖怪「猫仙人」
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2019年10月13日
原作「猫仙人」に登場。千二百年前に不死の方法を発見した仙人。その方法は生きながらにして肉体と魂を分離させ、肉体は古墳の中に置き、魂は猫に入って肉体を害する虫や鼠を駆除するというもの。そして猫から猫へと魂を乗り換え生き続けてきたのだ。#ゲゲゲの鬼太郎 pic.twitter.com/tokFpYC8lY
鬼太郎シリーズには様々な仙人が登場する。体得した術や知識を人のために使う仙人もいれば、自分の欲求を満たすために使う仙人もいる。猫仙人は自身の不死のために術を体得しているので後者にあたると言って良いだろう。
アニメでは1・3・4期に登場。ただ4期の猫仙人は原作の様な不死の秘術を体得した仙人ではなく、猫を操ることに長けた猫妖怪という感じ。ストーリーも道路開発で猫塚を荒らされたことに怒り人間を支配する原作のプロットとは異なり、猫を捨てたり殺した人間を拉致し、裁判にかけて処刑(猫のペットとして檻に入れられたり、死刑に処される)するという話。そのため話も「動物の命を大切にしましょう」といった教訓じみたものになっている。(後に猫仙人は何故か64話の「激争! 妖怪ラリー」に参戦している)
各期に共通するのは身体や手を自由自在に伸ばせる術くらいだが、元ネタは水木先生が貸本漫画時代に描いた「プラスチックマン」ではないかと言われている。
多頭飼育崩壊
今期の猫仙人はビジュアルこそ原作準拠だが、プロットは4期を踏襲している。
た・だ・し!
今期は4期よりも更に深刻な多頭飼育崩壊の問題を扱っている。
ざっくり言うと、動物の繁殖力を見くびった挙句、飼い主が飼育出来ないほど動物が繁殖してしまい、その結果糞尿の垂れ流しによる悪臭や動物の病死(衛生環境の悪化)、鳴き声による騒音トラブルといった様々な問題が出て来る現象。
4期では人間に猫と同じ思いをさせるために、猫仙人は人間をペットとして檻に入れていた描写があった。しかし今期の猫仙人は猫を虐待した人間や悪質なペット業者を4期以上に劣悪な環境下の檻に入れ、多頭飼育崩壊で苦しむ猫たちと同じ思いを味わわせていた。劇中で生きながら腐っていた人間がいたが、これは多頭飼育崩壊によってまともに餌ももらえず病気で身体が壊死した猫と同じ苦しみを味わっていたと考えて良いだろう。
更に劇中では猫仙人がバリバリと何かを食べていたが、開いていた檻から推測するに捕らえられていた人間が食われたのだろう。殺して食ったのか、死んだ者を食ったのかは流石にわからないが、死者が出た点を見るとこれまでの妖怪騒動の中でもかなり深刻な部類に入る。
私はペットを飼った経験といえば子供の時に金魚を飼っていた位なので、犬猫飼育の大変さはわからない。でも人も動物も同じ命なのだから責任を持って飼わなきゃならないことは言わずもがなである。
「人も動物も同じ命」というのは大多数の人が持っている倫理。それにもかかわらず未だに動物の虐待や殺処分が絶えないのは法律が人と動物の命の重さを秤にかけてしまっているからだろう。
事実、殺人罪は最低でも5年以上の懲役刑になるのに対し、動物を虐待し死に至らせた場合は2年以下の懲役または200万円以下の罰金となっている。
言葉では「命の重みは等しく尊い」と発せられるが、法律では露骨に命の重みに差が出来てしまう。またペットショップでは値札と共に動物が育てられている。勿論、ほとんどのペットショップ経営者はその辺りの倫理観をわきまえているだろうが、残念ながら劇中にいた人間のように「犬猫は商品・モノ」程度だと思っていない人間がいるのもまた事実。
それにしても、あれだけ酷い目に遭っていながら自分の行いを反省しないとは、「馬鹿に付ける薬はない」とはよく言ったものである。
それから劇中で猫を牛乳瓶に入れて飼育していた話があったが、似たようなケースは現実にもあり、台湾で猫を保存容器に入れた写真をSNSにアップして炎上・書類送検された人がいる。
動物をアイテムとして見ているから、こんなことをするのかしら。
動物の怒り
原作の猫仙人はあくまで猫を不死の媒体として利用しているに過ぎないから、動物の命を描くなら原作の「ばけ猫」の方がしっくり来ると思うのだ。#ゲゲゲの鬼太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2019年10月13日
命を奪われる動物とそれに対する人間の態度に怒る妖怪のエピソードと言うと、個人的には原作の「ばけ猫」や2期で放送された「怪自動車」が思い起こされる。どちらも自動車によってひき逃げされ、供養されることなく死んでいった犬猫の怒りが物語の根底にある。
動物の命を軽視する人間に警鐘を鳴らす作品としては、「猫仙人」よりも「ばけ猫」ではないか…というのが個人的な意見だ。勿論4期のオマージュとして猫仙人を登場させているのは何ら問題は無いし評価すべき点ではある。が、「未だに動物の命を軽視する人間の愚かさ」を描くとしたら、やはり「ばけ猫」ではないか…と思うのだ。
政治家・ぬらりひょん
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
前回ようやく姿を現したぬらりひょん。そして今回は直々に鬼太郎ハウスに訪問(手土産付き)という意表を突いた行動に出た。そして四将脱獄の黒幕だったことをサラリと認め、妖怪復権として今ある社会秩序を崩壊させようとしていたことを何ら悪びれることなく語った。
これまでのぬらりひょんなら、猫仙人をけしかけて人間を襲わせ、それを止めにきた鬼太郎が倒されたら目的は完遂したと喜んでいただろう。しかし、今期はそこで終わらせないのが凄い所。
ぬらりひょんは鬼太郎の事件解決方法の不公平さ(妖怪を滅するのに悪い人間は野放しにしてしまう点)を近在の妖怪たちに示し、自分は妖怪の味方として裏切らないことをアピールした。
つまり、猫仙人はぬらりひょんのマニュフェストのため利用されたに過ぎないのだ。
いや、これ今までのぬらりひょんと違ってかなり悪辣だなと思うわ。視聴者は神の視点で見ているからわかるけど、ぬらりひょんを支持した妖怪たちはまさか妖怪を守る立場を謳うぬらりひょんが妖怪を利用していると思わないし、今回の計画は鬼太郎が倒されても倒されなくてもぬらりひょんにとってマイナスになることのない計画だからその抜け目なさも光っている。正に老獪。
こんなの見せられたら今後の展開が気になってしゃあない。徐々にではあるが確実に鬼太郎が(人間からも妖怪からも)孤立化していってるのだから、どうやって鬼太郎がこの困難を切り抜けるのか気になるし、最終的にぬらりひょんがどうやって妖怪復権を果たそうとしているのかも気になる。
散る花から何を読む?
最後に蛇足ながら劇中で印象に残った場面について。
それは、朱の盆が野に咲く花を踏まないように避けたにもかかわらず、破壊した封印の石によって無残にも花を散らしてしまった場面だ(本人は気づいていない)。
あの場面については他の方も色々感じることがあったようで、「大義のために犠牲となる弱者」「朱の盆のキャラクター性の暗喩」といった具合に様々な深読みがなされた。
私の場合、あの場面は朱の盆の悪意無き悪が表現されていると感じた。
キャラクター紹介にもあったが、朱の盆は基本的に頭の回転が良い方ではない。ぬらりひょんの部下として仕えているのも悪妖怪としてではなく純粋に「妖怪が住みよい世界が出来たら良いな~」なんて思っているのかもしれないのだ。故に、自分の行いがどのような影響を及ぼすかなど考えていないし、今回にしても猫仙人がマニュフェストに利用されただけの存在だと気づいていないのでは?と私は疑っている。
「妖怪復権」といえば妖怪にとって聞こえが良いマニュフェストだ。朱の盆をはじめとする妖怪たちは「妖怪復権」を掲げるぬらりひょんを支持しているが、その大義の下で犠牲となる存在がある可能性を考慮していない。というより、その存在に気づけなくなっていると表現するのが正しいだろう。
いずれにせよ、これから鬼太郎たちが対峙するのは「悪意無き悪」「悪だと気づいていない悪」だと予想する。これは純粋な悪よりもタチが悪いが、さてどうする。
来週は、モウリョウ(魍魎)が登場する。モウリョウ回はホラー回と相場が決まっているので今から楽しみ楽しみ(4期は例外だけどね)。