タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

愛の形それぞれ、「ミステリと言う勿れ」12話視聴

ミステリと言う勿れ(2) (フラワーコミックスα)ミステリと言う勿れ(6) (フラワーコミックスα)

最終回の感想です。ラストは「えっ」となりましたが、そのことも触れていこうかと。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

12話(ジュート編&つかの間のトレイン)

最終回は前回に引き続きジュート編の完結と、原作2巻収録の「つかの間のトレイン」が映像化された。ジュート編は犬堂の物語だったのに対し、久能が登場する「つかの間のトレイン」は新幹線でたまたま隣席だった女性の手紙を見て、そこに隠されたイラスト暗号から久能が手紙の真実を導き出すという物語。最終回としては小粒な内容だが、ジュート編と並行してやるエピソードとしては、(質や形は異なるが)それぞれの愛の深さが描かれており、そこに共通項のようなものは見いだせたのではないかと思う。

 

ジュート編では犬堂ガロが妹(原作は姉)・愛珠に対して抱く愛と、ジュート(浩増)が父・羽喰玄斗に対して抱く愛がそれぞれ描かれている。ジュートが連続殺人に至った背景には父親に対する愛情や「自分こそがあの羽喰玄斗の息子なのだぞ」という正統性を誇示するための殺人であったことが示されている。原作の4巻を読んだ時点では、まさか羽喰に愛を向けるような子供がいたとは思わなかったし、「狂人ではあったけど愛情はあったのだな」と意表を突かれた気分になった。

この「狂人だけど愛情深い」という羽喰のキャラ設定は、アダムス・ファミリーに出てくるゴメス・アダムスみたいだなと個人的に思う。

アダムス・ファミリー2 (字幕版)

アダムス一族も社会的な倫理から逸脱した価値観を持っているが、家族への愛情は深い。前回・今回のジュート編は、そんなアダムス・ファミリー的な愛をもっと血生臭くして、コメディ色を抜いた感じにしたものだと勝手に評価している。ジュートの母親はしきりに殺されたがっていたが、これも異常とはいえ、殺されることに愛を見出したが故なのだろう。

 

ジュートやその母親、羽喰の異常な愛情に対して、犬堂や美樹谷親子のエピソードの愛は正に王道といった所だろうか。美樹谷親子のエピソードは父親の虐待から娘を守るため産みの親・育ての親が結託するという愛で、これはわかりやすいというか共感しやすい話だったと思う。

今回明らかとなった愛珠のエピソードについてだが、愛珠は身内に弱みを見せられないタイプの女性だったのかなとそんなことを考えて視聴していた。これは劇中の愛珠に限った話ではなく、身内だからこそ自分の中の漠然とした不全感だったり自己肯定感の低さを悟られたくないという思いがあると思う。愛珠が身内に対して女王様然として振舞っていたのは、病気で思うように行動できない自己不全感に対する焦りや苛立ちが裏返ってあのような態度になったのではないかと考えられるのだ。

犬堂が彼女の心中をどこまで察していたかはともかく、愛珠に一度「死んでしまえ」と言ってしまったことが後悔となり、それが心のしこりとなって沈潜していたのは間違いない。妹に対してかけた呪いの言葉に彼自身が囚われていたということだ。今回のジュート編は、そんな犬堂が自分にもふりかけてしまった呪いを解除する物語と解釈出来るし、寄木細工職人の月岡の存在が犬堂と愛珠の救いになったと言えるだろう。

 

一応ジュート編はこれで終わりだが、原作の方はまだまだ続いており、ジュートや愛珠が出会ったカウンセラーがどうも黒幕みたいなので、引き続き原作の展開を追っていきたい。

 

総評(なぜ「ミステリと言う勿れ」なのか)

これにて、現在刊行されている原作10巻とドラマ全てを読了・視聴したことになるが、これまでのエピソードを見て、読者の皆さんは本作「ミステリと言う勿れ」をどう定義付けるだろうか?

あくまで私の定義だが「ミステリと言う勿れ」は狂人・マイノリティーに花束を送るような物語ではないだろうか?

何故そんなことを思ったかと言うと、一般的なミステリ(小説)は狂気的な殺人事件の裏に合理的な犯行動機・論理が隠されているというのが基本パターンなのに対し、本作は論理こそあれ、それは狂人の論理であり、社会的に見るとあまりにも合理的でない目的のために心血を注ぐ犯人や登場人物がいる。こういった人々の心理をロジカルに推理するのは到底不可能に近く、そういう意味で原作者の田村由美氏は「ミステリと言う勿れ」というタイトルにしたのかなと、勝手ながら考えている。

 

また、ミステリはトリックや推理の過程に重きを置いて動機という面に関してはあまり深掘りされない(勿論例外となる作品は一杯あるよ)。動機というものはあくまで主観的であり、極端な話動機は読み手を納得させるだけの言い訳にしか過ぎないからだ。だからミステリというジャンルにおいて動機は単純化されやすく、複合的な動機はあまり描かれない。しかし、現実においては犯行動機こそが事件の要であって、トリックよりも犯行に至るまでの動機がどのように生み出され心の中で増幅していったのか、そっちが重要となってくる。本作はミステリの形式を取り入れながらも、推理ではなく動機を重視し、その動機にしてもわかりやすい犯行動機ではなく狂人レベルの異様な動機にしたのも、彼・彼女が歩んだ人生をドラマとしてより深く描くためであったと思う。

 

さっきから私は狂人・マイノリティーと言っているが、誰しも性格や嗜好を細分化して分析していけば、狂人的な部分はあるだろうし、マイノリティーに含まれる部分もあると思う。そうでなければ、本作がTVドラマとして映像化されるはずがないし、累計1400万部も突破するような人気作品にはなりえなかっただろう。そういったマイノリティーの尊重や多様化が叫ばれる現代だからこそ今こうして評価されているのだ。

 

ではドラマは原作の映像化としてどうだったかというと、確かに原作未読の方にとっては感銘を受けるようなドラマだったと思うし、映像化する価値は間違いなくあった。ただ、1クールのドラマとして見るとやはり構成はあまり上手くいってなかったように思う。

これは原作自体縦軸となる事件がない上に、通常のドラマにおける勧善懲悪的なストーリーもなければ、主人公が成長したり克服するような描写もない。言ってみれば、久能が体験した出来事を断片的に切り取っているようなもので、視聴者は久能の人生の一部を見せてもらっているに過ぎない。だから一般的なドラマにおける大きな山場もないし、主人公が超えるべき・克服すべき敵やライバルもない。だから1クールのドラマとして実はかなり作りにくい部類だったはずだ。最終回をジュート編にしたのは、ドラマの2・3・5話と関係するエピソードだから最終回に持ってきたという以上の理由はないだろう。それだけに、最後久能と犬堂が再会する場面で終わるという、まるで連載漫画の打ち切りエンドみたいな終わり方をしたのも、ドラマ制作陣が考えに考えた結果ああせざるを得なかったのかなと思う。未完の原作をひとまず終えなけらばならなかったのだから、かなり悩んだと思うよ。

 

そして毎週話題に上った風呂光の介入に関する改変だけど、これはドラマ制作陣が風呂光をミステリドラマにおけるワトソン役にしてしまったことが良くなかったね。男性社会、特に刑事というハードな仕事では実際女性が「おじさんの監視役」として奮闘するのは言うだけなら簡単だがかなり難しい。だからこそ、男性社会に迎合しない選択をとる風呂光に読者は尊敬・応援の念を送るのだ。しかし、ドラマの風呂光は久能に暗号解読を要請したり、アイビーハウスに手伝いに行ったりと、久能を含む男性に迎合している要素が強く、また刑事として成長したと思わされる描写がないまま終わったので、この辺り、日本のドラマの悪い部分が出てしまったなとつくづく思わされる。

テレビ局の事情で毎週レギュラーとなる出演者は出さなければならない暗黙のルールか何かがあるのか、それはわからないけど、ドラマの質を下げてまでレギュラーを出すというやり方はドラマを制作する側としても視聴者としても決して利益にはならないはずだから、もういい加減この悪習とでも言うべき状況をなくしてもらいたいものである。

 

ということで、「ミステリと言う勿れ」の感想は以上となる。映像化、特に1クールのドラマとしては難しい原作だったと思うが、ドラマ化を通じて得た発見もいくつかあったので、それなりに楽しい三か月でした。あと出演者の演技は言うまでもなく良かったですよ。ジュートを演じた北村匠海さん、目の演技が巧い方ですよね。

時間逆戻りのジュート編、「ミステリと言う勿れ」11話視聴

ミステリと言う勿れ(6) (フラワーコミックスα)

次回で最終回です。と言ってもあまり実感も湧かないし多分ロス状態にもならないでしょう。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

11話(ジュート編)

最終回前の11話は原作6巻に収録されたジュート編。このジュート編はバスジャック事件で登場した犬堂ガロが主人公であり、久能は一切関わらない。この時久能は大阪の展覧会(原作では広島)に行っており、この後に記憶喪失の爆弾魔(ドラマ4話)と関わることになる。つまり、最終回前にして時間をさかのぼり、バスジャック事件と爆弾魔事件の間に起こった事件を描こうという訳である

原作が未完結の作品のため、時系列順にやってしまうと最終回が尻すぼみになると判断して最終回にジュート編を入れたというドラマ制作陣の考えはわかるが、問題はジュート編に主人公の久能が関わらないという点。この問題をどう処理・解決するかが個人的な最終回の見所だが、予告を見るに原作2巻の新幹線のエピソードがジュート編と並行して描かれるようなので、久能が関わった新幹線のエピソードと犬堂がメインのジュート編をどう一つの物語として融合させるか、ここに脚本含む制作陣の腕が試されると言えるだろう。

 

今回はジュート編の事件概要からジュートの正体までで終わり、次回以降ジュートの犯行動機や久能の新幹線でのエピソードが展開される。個人的には船越英一郎さん演じる備前島警部が意外とハマり役で、声も原作のがっしりとした体形の備前島に合わせて野太い感じの声質で話していたから、イメージ通りだった。

例によって風呂光が備前島警部の捜査班に派遣され、猫田と共に捜査するという原作にない改変があるが、毎回こういった改変をして風呂光を原作以上に事件に関わらせているのに、一向に風呂光が刑事として(或いは一人の人間として)成長した様子が見られないのが何かな~と思わされる。準レギュラーとして毎回登場させるのであれば、やはり多少は久能や他の人の影響を受けて風呂光が変化したと感じられる描写がないと、ドラマとして面白くないし彼女を介入させる必然性が薄くなってしまう。これに関しては今回色々言うより、最終回を見て総評のうちの一つとして語りたいので、今回の感想はこれでおしまい。ジュートに関しても次週詳しく彼の動機を掘っていきたいと思う。

新作放送記念、ドラマ「金田一少年の事件簿」を語っていこう(第三回:二代目・松本潤版)

4月から道枝駿佑版・五代目金田一による新作ドラマが放送されることになり、過去作の配信が始まった。今回は二代目・松本潤版について語っていきたい。

 

※一部内容に誤りがあったので訂正しました。(2022.05.02)

 

SPドラマ1:「魔術列車殺人事件」

初代・金田一少年が終わって約3年ちょっとぶりに制作された二代目・金田一少年の最初を飾る原作は、はじめの因縁の宿敵・地獄の傀儡師が初登場する「魔術列車殺人事件」。時代が21世紀へ移行したことを作品に反映させており、冒頭の犯人からの予告状も20世紀から届いた予告状とやや大仰に扱われているのが面白い。当然ながらキャストも作風も一新されており、コメディ性やテンポの良さが目立った初代と比べると、本作はミステリアスさや重厚さを重視しており、舞台となる死骨ヶ原ホテルの雰囲気も相まって、日本なのに異国情緒を感じる世界観となっている。

本作で松本さん演じる金田一はじめは、顔立ちは原作のはじめに一番近いとは思うが、性格は原作と比べるとクールな面が強調されており、スケベ要素はほとんど感じさせない。また、初代にも出演していた鈴木杏さん演じるヒロイン・七瀬美雪も原作の美雪から漂う清楚さはまるでなく、警察の人間である剣持にズカズカ関わろうとする野次馬根性や、じゃじゃ馬娘的性格が目立つ。正直過去作で最も原作からかけ離れた美雪と言えるだろう。というか、キャラクターとしてはむしろはじめの従妹である金田一二三(ふみ)に近いのではないだろうか。そのため、はじめと対等の幼馴染みというより妹に近いし、多分恋愛の対象としてはじめも見ていないだろう。

キャストを一新した二代目の金田一少年ということもあって、出演者も何気に豪華なのが本作の特徴の一つであり、本職のマジシャンであるMr.マリックさんや、美雪の同級生として端役で登場した山田優さん、それから後に「99.9-刑事専門弁護士-」シリーズで松本さんと共演することになる片桐仁さんが出演している(特に山田優さんが端役で出演しているって今考えると凄いよな…)。それから室井滋さん演じるはじめの母も登場したが、はじめの母がドラマで登場するのは何気に本作のみで、そういう意味では貴重な役なのかもしれない。

肝心の内容に関してだが、アニメ版を先に視聴してこのドラマを見たせいか、全体的に地味に感じたというのが正直な感想で、世界に通用するはずの魔術団なのに作中で披露されるマジックがどれもパッとしない(最後の天外消失のアレが一番尺を使ってたし豪華だったけど)。これは本職のマジシャンではなく役者がマジックを披露するため、あまり専門的で技術を要するマジックが出来なかったせいもあると思うが、それにより作品自体の華やかさが損なわれているのが勿体ない部分だ。また、劇中はじめの態度が原因で美雪とはじめが口喧嘩する場面があるのだが、この場面における美雪の文句がほぼ難癖に近くて支離滅裂であり、いくら「喧嘩はしても幼馴染みとしてはじめは美雪を大切にしている」ことを視聴者にアピールするための描写とはいえ、あれでは美雪のヒステリックさが目立つばかりで見てる側としても良いイメージが持てない。これに関しては脚本の小原信治氏にもう少し考えてもらいたかった。

脚本面では他にも難のある部分があって、その一つが近宮玲子の設定だ。近宮は剣持(原作では明智警視)と友人であり、また本作の犯人の実の母親でもあった。その部分に関しては問題ないのだが、山神や左近寺といった弟子に冷徹で道具扱いしていた所に関しては納得がいかなかった。近宮が良い人であればあるほど彼女を葬り手品師としての技術を奪ったメンバーに犯人が怒り復讐するという構図が明確になるのに、そこで近宮の冷酷な面を描いてしまったら犯人の動機の正当性にブレが生じてしまう。近宮が弟子の邪な性格を見抜いていたから冷酷だったとも解釈出来るが、結局(犯人も含めて)事件関係者の誰にも同情出来ない物語になってしまったのは残念ポイントと言えるだろう。実は他にも言いたいことは色々あるが、キリがないのでやめておく。

以上のように、手放しに褒められない部分があるにせよ全くの駄作ではない。食堂車付きの列車や脱出マジックの生中継(今は全然やらなくなったよね…)など、ノスタルジックな要素が詰め込まれている点や、はじめを演じた松本さんの演技の拙さもある意味今となっては懐かしいような可愛げがあるような、そんな気持ちになってしまう。あと本作で左近寺を演じた井上順さんは、原作の左近寺とは年齢や性格が違っているものの、原作以上に悪党としての存在感があり、本作のMVPとして異彩を放っていたと言えるだろう。

(ここからネタバレ感想)メイントリックとなる山神団長の死体消失トリックについてだが、原作では山神団長の死体発見前に爆弾騒ぎがあったため、死体から出る煙を見て高遠が「爆弾」と言ったことに何の違和感もないようになっているが、ドラマは爆弾騒ぎをカットしているため、「爆弾」と言った高遠の一言に違和感が生じている。これは原作通りトレイン急便を映像で表現出来ない事情もあったからやむを得ない改変なのだろうが、その影響でこの場面が犯人特定のヒントになっているのは指摘しておかなければならない。また、死体の周囲のバラは死体の頭部につながった紐を隠すためであるのと同時に、死体に触れさせないためのバリケードとしての役割も果たしており、そこはちゃんと劇中で説明してほしかったと思う。

数ある犯人の中でも高遠は芸術的犯罪を求めるという点で異常性の高い犯人だが、今回のドラマでは続編で登場する予定がなかったのか、後に脱獄したという情報もないし原作の高遠らしいカリスマ性や異常性も希薄だった。解決パートで描かれる犯行の様子にしても余裕綽々で犯行を行っている感じはなく、一般の殺人犯と大差はなかったから余計にパッとしない印象があったかな。最後にはじめと面会した時、はじめに手品を純粋に楽しんでいた子供の頃に戻れよってキレられてたけど、警察に犯行予告送ったり死体消失トリックのため死体をバラバラに切断するようなサイコ野郎が純粋な少年期に戻れる訳ねーだろ、と盛大に突っ込みましたよ。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ1・2話:「幽霊客船殺人事件」

SPドラマから約3ヶ月後に放送が始まった連ドラの初回は小説が原作となる「幽霊客船殺人事件」。マリー・セレスト号を彷彿とさせる船長の奇怪な失踪から始まる連続殺人だが、小説が原作なだけあって「蝋人形城」や「魔術列車」の時みたいに猟奇的でも華やかでもない。どちらかというと地味目で静か、でも薄気味悪さのある事件という印象だ。

「魔術列車」では対立関係だったはじめと剣持の関係も、この時点ではすっかり仲良くなっており、相棒兼遊び仲間といった感じ。内藤さん演じる剣持は、他の方が演じた剣持と比べると紳士的な部分よりも腕白坊主な性格(特に日常)が特に顕著で、「魔術列車」の時のはじめ達に対する頑なな態度は彼の性格が悪い方に出てしまったことがわかる。敵に回したり怒ると怖いが、味方となればとことん可愛がってくれる、それが二代目剣持の持ち味と言えるだろう。

連ドラ初回となる本作は、ゲストに団時朗さんや伊武雅刀さん、いかりや長介さんといったベテラン俳優が揃っているが、個人的にいかりやさん演じる大槻機関長とはじめの関係が素晴らしかったと思う。前作「魔術列車」で描こうとして失敗したはじめの人間的魅力機関長の勇気づけという形で描かれており、それによって大槻が海の男としての自信を取り戻す展開は本作の名場面の一つと言える。また、事件自体はトラウマ級の他作品と比べると地味だが、船上という舞台を最大限に活かし、エンジン故障による漂流やパニックを起こした乗客との騒動、はじめの生命の危機など、ドラマとしての見せ場を要所に配置することで退屈しない作りになっているのも評価したい。

カメラワークの演出も含めて手が全く抜かれてない本作は、当初の期待以上にミステリとしてもドラマとしても秀作だった。堂本版がもてはやされるのは仕方ないとしても、この二代目もなかなか悪くないと思わせる初回になっていたのではないだろうか。

(ここからネタバレ感想)本作は「悲恋湖伝説殺人事件」の元凶となったオリエンタル号沈没事件につながる殺人事件であり、そのため本作を「悲恋湖」が映像化された初代の時に映像化してほしかったという意見もあるだろう。その点に関しては残念ではあるものの、ホッケーマスクを被ったナカムライチロウ(実は剣持の部下のワラガイ刑事)を登場させたことで、原作ファンに対する目配せ――悲恋湖のことも意識しているというアピール――になっており好感が持てた。また、ワラガイが序盤で持っていたパンフレットが伏線になっているのもミステリとして見逃してはならない。

フーダニットに関しては、若王子が殺害された時点で容疑者がかなり限定されているため意外性はないものの、ホットミルクの温度差から犯人のミスとアリバイトリックを暴く所は良く出来ていると思う。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ3話:「仏蘭西銀貨殺人事件」

「幽霊客船」の次に放送されたのは、服飾業界を舞台にしたシリーズ中でもオシャレ度の高い「仏蘭西銀貨殺人事件」。プロットは「タロット山荘殺人事件」と同様、真犯人が別の人物を脅迫して殺人を行わせるというものだが、「タロット山荘」と違って犯行計画の要に被脅迫者の心理・行動パターンが関係しているのが特殊であるのと同時にミステリとしてやや難があるため、駄作ではないがツッコミ所も多いというのが本作の特徴と言えるだろう。物語の流れは大体原作通りだが、原作で登場したフランス人探偵のセバスティアン・ルージュ・ド・メグレはアニメ版と同様カットされている。

ゲスト出演として本職のファッションデザイナーのドン小西さんが「キミサワ」のライバルである「六条」の社長・六条光彦として登場、事件の第一被害者になるが、あくまでも本作の見所は吹石一恵さん演じる高森ますみであり、彼女が序盤から真犯人に脅迫され殺人を実行する場面が描かれることで、犯人当ての要素を残しつつも倒叙ミステリの味わいもある一作となっている。

(ここからネタバレ感想)本作の犯行計画は、真犯人と同じ境遇の高森なら自分が予想する行動をとってくれるという、彼女の行動パターンに賭けた要素が大きいため、実質運任せなのがミステリとして評価が分かれる所だろう。そもそも高森がヒロシを殴らなければ殺人をやらせるための脅迫が出来なかったし、一番の標的であるはずの君沢ユリエを高森が撃たなかったら、犯人の目的は半分失敗していたのだから。

また、犯人が殺害予告に送った葬送銀貨付きのドレスも「犯人がターゲットの体のサイズ・寸法を知っている=犯人は『キミサワ』内部の人間」という具合に、容疑者限定の材料になっており、それなら普通に紙で殺人予告を送った方が手間も少ないしフロッピーディスクによる失敗もなかったのだから、賢くないというか、デザイナーとしての性が完全に裏目に出ている。コンペと並行して殺害計画を実行していたのは凄いけど、演出にこだわって墓穴を掘ったのが本作の犯人のダメな所だった。

ちなみに、最初の殺人は(ドラマだと)犯人が自分自身がターゲットだったと思わせるためにやったことだと説明されていたが、原作ではそれに加えて君沢ユリエ死亡後の「キミサワ」が弱体化し、「六条」が敵対勢力としてより強くなる可能性を見越した犯人がついでで殺したと説明されている。また、中山(原作は霧山)小夜子の殺害動機もドラマで触れられていないが、原作では犬飼の愛人であり、彼から犯人の過去を聞いていたため、口封じで殺されたことになっている。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ4・5話:「黒死蝶殺人事件」

4・5話の原作は、船津紳平金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿』において犯人が歴史的奇行を繰り広げたと称された「黒死蝶殺人事件」。その歴史的奇行をのぞいても本作は「何故この場所でこのトリックをやるの!?」とツッコんでしまうくらい犯人の計画がリスキーで馬鹿なのではと疑ってしまう。アニメで本作を知った当時は何とも思わなかったが、ミステリ小説を何十冊と読んできた今となってはトリックありきで作られた物語という点で本作は個人的に評価の低い一作だ。

ドラマは登場人物の性別が一部変更されており、殺害の順番も原作と異なっている。この改変によって、はじめが護衛していた人物が殺される(殺人防御の失敗)というオリジナルの展開が生まれた。これは「幽霊客船」の時と同様、はじめの優しさや人間的魅力を引き出すための演出と考えて良いだろう。殺人防御に失敗した所はあるが、悲劇的な結末を迎えた原作と違ってドラマはまだ救いのある結末になっており、連ドラ初回の「幽霊客船」から続いて、はじめの探偵としての矜持や事件関係者に対する勇気づけが描かれているということ自体、この二代目金田一におけるテーマの一つになっているのかもしれない。

予防線を張っていながら事件関係者を死なせてしまうのはジッチャンである金田一耕助も経験してきたことなので、ある意味今回の演出は本歌取り的な部分もあると言える。「幽霊客船」と言えば、本作もあの「悲恋湖伝説」に関係する人物が登場するのだが、ドラマではカットされており、代わりにその人物の役目を六波羅舞子が担っている。

出演者に関しては、班目家の家長・紫紋を演じたムッシュかまやつさんや小柳ルミ子さんなど独特のキャスティングが目を引くが、やはり特筆しておくべきは後に四代目・山田版にも出演した成宮寛貴さんが班目揚羽役で出演していることだろう。成宮さんは本作がドラマ初出演で、後に松本さんとは「ごくせん」(第一シーズン)で再び共演することになる。

さて、SPドラマから続けて視聴してきた二代目金田一の作風もこの辺りから大体わかってきた感じがして、剣持のウザいくらいの熱血漢ぶりや、はじめの妄想パートなど、物語とは関係ない場面でも金をかけて制作しているのが要所要所で見える。それは結構なことではあるが、一方この二代目は美雪の扱い方が全然上手くないのも確かで、剣持がヒロインである美雪を喰う勢いではじめと絡むため、結果的に美雪とはじめの関係も他シリーズと比べて薄くなっているのがわかるだろう。

(ここからネタバレ感想)船津氏の「犯人たちの事件簿」で既に突っ込まれているが、そもそも蝶の専門家や資料がある屋敷で蝶のトリックを利用した計画犯罪をやろうとした今回の犯人はマジでアホとしか言いようがないよね…。ただ、るり殺しに用いられたアリバイトリックは(方法は違っているものの)横溝正史の某有名作で用いられたトリックと同質のものであり、その点に関しては本家金田一へのリスペクトが感じられる。それはトリックだけでなく使用人の名が竹蔵であることや、一族の娘が次々狙われるプロットからも察することが出来る。また、犯人につながるオッドアイの設定は同じく横溝の悪魔が来りて笛を吹くのアザのオマージュであると考えられる。もっと言えば、犯人が殺さなくて良い人間を殺してしまった所も実に横溝的と言えるだろう。

原作では犯人もオッドアイであることを示す手がかりを出すために、犯人が揚羽に告白するという歴史的奇行を繰り広げるが、ドラマは警察に喰ってかかる形で改変されているため、原作と比べると犯人の奇行度合いはマシになっていたのではないだろうか。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ6話:「速水玲香誘拐殺人事件」

原作「雪夜叉伝説殺人事件」で初登場したアイドル・速水玲香が事件に巻き込まれる本作は、あの地獄の傀儡師が犯罪プロデューサーとして初めて活動した記念すべき(?)事件である。初代では中山エミリさんが玲香を演じたが、二代目の本作では酒井若菜さんが演じている。二代目の玲香はアイドルとはいえ、清楚というよりはコギャルのようなチャラい印象を与える見た目であり、登場したのも本作のみのためキャラクターとしての魅力は正直見出しにくい。

また、ドラマは地獄の傀儡師が絡まないため怪人も「道化人形」から「影法師」という名称に変更され、容貌もピエロから真っ黒なお地蔵さんの様な姿に変更されている。そういった改変の影響もあり、はじめを身代金の受け渡し人に指名したのも(原作では)「魔術列車」の時にトリックを暴かれたことに対する地獄の傀儡師の仕返しと解釈出来るのに対して、ドラマは結局はじめを事件に巻き込んだ動機は不明のまま終わっている。

はじめがピンチに陥る展開があるおかげで、はじめと美雪との関係も一応深まっている感じはするものの、原作の(ある意味性欲モンスター級な)はじめと違い二代目金田一は美雪との関係を恋人レベルにまで発展させる気は毛頭ない。そのため、はじめの態度に美雪がやきもきさせられるというのが二代目独自の味付けになっている。せめて美雪が原作と同じキャラ設定ならば、美雪が抱くせつなさにも共感が出来るのだが、二代目の美雪はあまりスマートではなく感情的に動く場面も多い(警察の車を蹴った下りは正直引きましたよ…)ので、二人がくっついた所で前途多難な結果になるのは予想されるし、見ている私としても「この美雪と交際するのはちょっとキツイな…」と応援する気持ちにはなれなかった。

(ここからネタバレ感想)犯人の「踏み板」の失言は、原作だとはじめは吊り橋のロープが切れたことが原因で落下したのだが、ドラマはバランスを崩して橋から落下したことになっており、原作以上に犯人の失言が目立つ結果になった。しかも現場には剣持と美雪がいて、はじめが落ちた時の状況を目撃していたのだから、あの失言をした時点で剣持に突っ込まれていてもおかしくなかったのである。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ7話:「魔犬の森の殺人」

「魔犬の森の殺人」はシリーズ中でも野犬によってクローズドサークルと化した廃屋を舞台にしている点や、犯人がまさかの〇〇であった点など、色んな意味で異色作であるが故に結構印象に残っている人も多いのではないだろうか。(ちなみに、犯人を〇〇にしたことで、一部読者から苦情が来たらしい)

前回の事件ではじめと美雪の関係がギクシャクしてしまい、今回もその関係を引きずって物語は進展するが、ドラマの見所としてはこれまで端役として特別目立った活躍もなかった山田優さん演じるミス研メンバーの千堂恭子(原作の千家貴司に相当)が事件関係者として登場することだろう。また、二ノ宮朋子を演じた綾瀬はるかさんは本作がドラマ初出演であり、彼女の初々しい演技も見逃してはならない。あと個人的には誹謗中傷事件でその名が知れたスマイリーキクチさんが萬屋透として出演していたのが少々意外だった。

二代目金田一の中で唯一剣持が直接関わらない事件ということもあってか、サスペンス要素が強いのが今回の特徴で、前半は殺人と野犬の襲撃によるパニック映画さながらの展開だ。この事件を通じてはじめと美雪の関係は一応修復されたことになるが、相変わらず美雪は人に助けを求めたりブチギレたり責めたりと感情的な面ばかり強調されているので辟易とさせられる。どうせなら「見守る」とか「寄り添う」とか、柔らかい性格描写も見せて欲しかったのだけど、実際こんな状況になったら優しさなんて見せてられないか…。

(ここからネタバレ感想)本作は金田一の友人が犯人という意外な真相を売りにしているが、推理モノに慣れていない初心者ならともかく、玄人ならばこれまで全然本編で活躍しなかった千堂がここに来て事件に巻き込まれた上に狂犬病になって生死の境を彷徨うという展開に作為的なものを感じてしまい、そういうメタな視点で彼女を疑った人もいるだろう。「金田一の友人が犯人のはずがない」という先入観をメインに利用していることもあってか、作中で用いられたトリック自体はかなりシンプルで、ヒゲとダイイングメッセージを除けば犯人のミスもそれほどなかったのではないだろうか。

ターゲットが潜伏していた廃墟に行く過程も当然犯人が計画したもので、ドラマは「いいものを見せる」という漠然とした誘いではじめと美雪を事件に巻き込んでいる。一方原作ははじめが美雪と男女の交わりを為すため用意した幻覚キノコ入りのキノコ汁を利用している。これに関しては犯人よりもはじめのヤバさが凄い。犯人よりも金田一を刑務所に入れるべきでしょ。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ8・9話:「露西亜人形殺人事件」

二代目金田一の最後を飾るのは、金田一少年シリーズでもミステリとしての質が高い「露西亜人形殺人事件」。外界と遮断された空間で推理ゲームに乗じた殺人が起こるというのは「蝋人形城殺人事件」と同じプロットだが、殺人トリック重視の「蝋人形城」に比べると本作は暗号解読ゲームの方に力が入れられており、当初からターゲットを殺すために計画された「蝋人形城」よりは計画性のない犯人と言って良いだろう。

原作では編集者である宝田の依頼ではじめ・美雪・佐木の三人が事件に巻き込まれるが、ドラマは犬飼高志に代わって佐木が遺産相続候補者の一人として改変されており、はじめ・美雪に加えて剣持が協力者として参加することになった。この改変の影響で暗号解読ゲームを中止しようとするはじめに佐木が喰ってかかる等、はじめ達と佐木の間に溝が生じるのもドラマの見所の一つだ。

原作の佐木の父親はビデオ制作会社に勤めていたはずだから、差し押さえレベルの借金もないだろうし、ましてや猟犬を飼っているはずもないが、この辺りの改変は原作の犬飼の設定を継承していると考えられる。二代目で佐木を演じた長谷川純さんは四代目で有岡さんが演じた佐木ほど存在感もなく登場回数も少なかったが、遺産絡みで闇堕ちする佐木が見られるのは本作のみであり、その点に関しては貴重と言えるかもしれない。

それから忘れてはならないのが、「魔術列車」ではじめにトリックを暴かれた地獄の傀儡師が再登場することだ。原作では「魔術列車」以降人前に姿を見せる時は仮面をつけているが、ドラマでは途中まで姿を見せず、姿を見せたと思ったらサングラスに金髪と、奇術師というよりはまるでロックミュージシャンみたいな見た目だから、やはり原作とかけ離れているのは否めない(笑い方も下品だったし)

ビジュアルは違っているものの、前述した佐木の闇堕ちを含めて、人間のダークサイドな面を浮き彫りにし、はじめと対立する部分は原作準拠である。ただ、原作で登場した「速水玲香誘拐殺人事件」の時に登場せず今回いきなり再登場したため、犯罪芸術家としての矜持も信念もドラマを見ただけではわからないし、ここから両者の対決が本格的に始まる!って所でこの二代目金田一は終わったので、消化不良的な部分があるのも確かだ。

(ここからネタバレ感想)本作は暗号解読がメインのため、フーダニットに関しては露西亜人形の両隣にあったランプシェード以外に犯人特定の材料はない。実は、そのランプシェードにしても厳密には犯人特定の材料にはならない。というのも、はじめが劇中で解説した通り、マスターキーは知恵の輪の要領で誰でも取っていくことが可能なので、桐江の部屋のランプシェードと入れ替わっていたからと言って彼女自身が入れ替えたことにはならない。「真犯人が桐江に容疑を向けるためにマスターキーを使って彼女の部屋に侵入し、濡れたランプシェードと入れ替えた」と言い逃れすることも可能なのだ。勿論、はじめ達はそれを見越してあのようなお芝居を打ったと思うし、部屋のランプシェードが入れ替わっていたことを誰にも言わなかったことが間接的に彼女が犯人であることを物語っていると言えるのだが…。

約束通り高遠が犯人を殺さなかったのは、単にはじめとの約束を守っただけかもしれないが、原作では桐江の境遇――親が考案した作品のアイデアを別の人物に奪われた――に高遠が同情したのではないかと推察されている。ただ高遠は復讐目的なのに対して桐江は金銭目的の殺人だったことを思うと、同情はしにくいかな。(ネタバレ感想ここまで)

 

さいごに

堂本版の後に制作された二代目は、単発の三代目や原点回帰した四代目以上に初代と比べられやすいので分が悪い所は無きにしも非ずだが、それを考慮したとしてもレギュラーであるはじめ・美雪・剣持の関係のアンバランスさが目立った。剣持の腕白坊主な一面は確かに他のシリーズでは見られないコミカルさと魅力があったものの、その勢いが美雪の存在を喰っており、では剣持がいない時の美雪ははじめのパートナーとして立てていたかというとそんな感じはない。結局美雪も剣持と同様感情的でエゴが強い面が押し出されており、見ているこっちが引いてしまうような時もあったくらいだ。

つまり何が言いたいかというと、クールな部分・優しい部分をはじめ一人に背負わせ、感情的で熱い部分を美雪・剣持の二人が担っているため、はじめが二人の思いに寄り添い行動することはあっても、二人がはじめの気持ちに寄り添うことはあまりなく、その結果美雪・剣持がある意味自分勝手な人間に見えてしまうのが二代目金田一のちょっとした不満点なのだ。はじめを叱咤激励していると解釈出来る所もあるといえばあるが、特に美雪ははじめや相手に対して「~して欲しい」という自分の願望を押し付けている描写が多く、その未熟さにイラつかされるというのが率直な感想だ。

三人の関係のアンバランスさはマイナスポイントではあるものの、総合的には「金田一少年の事件簿」の映像化として及第点レベルだし、今ならこんなトコに予算はかけないだろうと思う所にまで凝っているのが当時のテレビ業界の様子を映していると私は思う。まぁ、はじめの妄想シーンという連ドラで毎回挿入された定番に関しては、全部見た今も結局何がしたかったのだろうと首をひねる演出ではあった。それなりに金をかけているのに本筋と全然関係ないしねぇ…。

 

次回は、初代・堂本剛版の感想をお送りする。

もう別れを描いちゃうのか…「ミステリと言う勿れ」10話視聴

ミステリと言う勿れ(6) (フラワーコミックスα)

先日単行本の最新刊(10巻)を読んだのだが、また凄い話だった(最高!)。よくこんな発想が出て来るな。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

10話(デートならぬ遠出)

今回のエピソードは原作6巻所収の「デートならぬ遠出」。久能とライカが初詣に行き、帰る途中に焼き肉屋で焼肉を食べるというデート(久能本人は否定しているが)的展開が描かれた回だが、当然デートだけで終わる話ではない。ドラマではこの後にイカが生まれることになった背景久能の幼少期に関する告白があるが、こちらは原作8巻で描かれており、6巻の初詣エピソードと8巻の告白場面の間には前回放送されたアイビーハウス編や次回放送される「ジュート」のエピソード、更には久能とライカが訪れた美術館で起こった事件(これは未映像化)が挿まれている。

焼き肉屋のエピソードに関してはほぼ原作通りで特別言うことはないが、今回はイカとの別れまで描かれているのが最大のポイントだ。前述したように原作の単行本は最新刊まで読んでいるが、まだ原作でライカとの別れは描かれておらず(もしかして雑誌連載分には描かれているのかな?)、後半はドラマオリジナルの流れと言って良い。

 

原作を読まずドラマから入った人にとって今回は、主人格の千夜子を守るためだけに生まれた人格「ライカ」が久能と出会い本来の目的以上の喜びや幸せを得たこと、しかし役目を終え消えなければならない運命の物悲しさを描いた回として印象に残ったと思うし、感動的な回だったのではないだろうかと思う。

勿論ドラマとして素晴らしいし水を差すようなことを言うべきではないと思うが、ここでライカとの別れを描いてしまうのはやや早計というか手駒を早々に捨ててしまったような感じがするというのが正直な思いだ。ドラマ制作陣に続編を作る気があるのかないのか(それとも視聴者の評判等を踏まえて考えるのか)それはわからないけど、原作のライカは久能との関わりがもっと深いし、一匹狼型の久能がフラットに対話出来る相手でもあった。だから、久能にとってある意味重要な存在を早々に退場させちゃって良いのかと疑問がわくのだ。まぁ、ドラマはこの後「ジュート」編に入るから多分犬堂がライカの役目を補完するような存在になるのかもしれない。

あ、言っとくけど原作の「ジュート」編は犬堂ガロが主人公のスピンオフ的な物語で、久能は一切介入しないよ。でも次回からそれをやるってことはほぼ間違いなく久能を絡めるドラマオリジナルの展開になるだろうし、恐らくそこで久能とガロが再会するんじゃないかなと予想している。

 

風呂光は例によってよ~わからん立ち位置に立たされ、ライカを失った久能に「代わりの友人になりたい」とか言う役回りを演じたが、風呂光本人は良かれと思っていても、外野の人間である私からすれば彼女の代わり・穴埋めにはならないんだよね。だって、原作も含めて風呂光はライカほどパワフルでも奔放でもないし、何より久能と対等に会話したり論をたたかわせることが出来そうにないからねぇ。特にドラマの風呂光は久能の言葉に丸め込まれたり言いくるめられそうなキャラとして描かれているから余計そう思うわ。

 

※ちなみに、ドラマではライカと同じく虐待を受けていた久能だったが、原作の久能は母親から愛されなかった子供として描かれており、母親は義母と夫からいじめられていたことが久能によって語られている(久能もある程度は精神的虐待は受けていたかもしれない)。ドラマはイカと対等の存在にするため虐待の設定を盛り込んだと思われる。

新作放送記念、ドラマ「金田一少年の事件簿」を語っていこう(第二回:三代目・亀梨和也版)

4月から道枝駿佑版・五代目金田一による新作ドラマが放送されることになり、過去作の配信が始まった。前回は四代目・山田涼介版について語ったが、今回は原作から最も遠い金田一少年となった三代目・亀梨和也版について触れていきたい。

 

「吸血鬼伝説殺人事件」(不憫すぎるはじめ)

亀梨版金田一が放送されたのは2005年。他のシリーズと違い亀梨版はSPドラマが1本きりで、連ドラは制作されていない。これは評判が悪かったからではなく、単純に主演の亀梨さんのスケジュールが多忙を極めていたため、連ドラ制作に至らなかったと原作者は語っている。実際、放送当時の視聴率は18.6%を記録しており、これは二代目・四代目の視聴率を超えているのだから、一定の支持があったことは間違いないだろう。

冒頭に「原作から最も遠い金田一少年」と述べたが、本作の金田一はじめの設定は所属する部活動(ミス研→陸上部の幽霊部員)、ビジュアル、性格(祖父に対してのコンプレックス)と、これまで映像化された金田一少年の中で最も原作イメージからかけ離れており、もっと言えばヒロインの七瀬美雪や剣持警部も原作とは異なる性格・価値観の人物として改変されている。

 

個人的にはじめのキャラ改変については別に悪いとは思っていない。だって、本家の金田一耕助も初めて映像化された時はトレードマークのお釜帽や袴姿ではなく、スーツ姿で美人秘書を横に置いた西洋風の探偵だったのだからね。原作通りの見た目の金田一が映像化されたのは市川崑監督の「犬神家の一族」で石坂浩二さんが演じた金田一が初であり、それ以降映像化された作品でも様々な金田一耕助が誕生している。だから金田一はじめだってその時々の制作陣のアイデアで改変すること自体全然OKだと私は思うのだ。

 

むしろ個人的に今回不満なのは美雪と剣持が負傷した際、はじめに推理で犯人を見つけることを半ば強いて、消極的な態度をとった彼を責めたてた所だ。推理能力があるにも関わらず逃げの姿勢をとるはじめを「卑怯者」だの「おじいさまが見たらがっかりする」とか言って責めるのだけど、この「能力があるから使わなければならない」論法で責める二人の何とズルいことか。いくら犯人に襲われ負傷したとはいえ、あまりにも自己中心的というか、勇気づけるのではなく非難しているのだからね。この場面のはじめが不憫すぎて、もう可哀そうだった。

それに美雪と剣持の二人は全然考えてないけど、探偵が介入することで事件が悪化するケースもあるし、はじめ自身の身が危険にさらされるかもしれない。美雪がかつてはじめに救われた時や失せ物探しとは(はじめが言った通り)全く状況が違うし、探偵だって自分の身を守る権利はある。それを臆病と罵る二人の見識をむしろ私は軽蔑したいと思うくらいだ。

 

まぁ、脚本ははじめが美雪が本当にピンチに陥った際ヒーローとして覚醒する所を描くために、序盤は女に色目を使ったりドジ踏んでワインを割ったりと、殊更にダメ男として描いているから、はじめの印象を下げてから上げる意図があっての展開なのはわかるが、あれでは美雪と剣持の印象が悪くなるし、自分のエゴを押し付けてはじめに推理させようとしているようにしか映らない。どうせ二人に責めさせるのであれば、はじめが推理力を邪なことに使っているとか、そういう設定なら納得出来たのだけどね。

 

あと二人が余計にズルいな、と思うのは散々はじめを責めて一夜明けると、「彼は彼で昔から祖父と比較されて苦労していたのかもしれない」とか言い出す所。

そう思うのなら、せめて「昨日は言い過ぎて悪かった」くらい言ってあげてよ…。

しかも剣持なんて酷いよ。はじめが犯人探す気になって剣持に協力要請した際、彼何て言ったと思う?「『お願いします、手伝って下さい』だろ」だよ。この期に及んで上下関係出してくるんじゃねぇ、これはある意味サバイバルなんだぞ。

 

と、このように美雪と剣持には不満があるものの、それ以外は普通によく出来ていたと思う。元となる原作のエピソードがしっかりとしたミステリだから、トリックや伏線などもよく出来ているし、怪人による殺人場面といった初代でも見られた演出が本作でも用いられているので、辛うじて金田一少年の世界観が崩れることなく成立していたと思うのだ。これがオカルト要素がなくただただ普通に殺人が起こって犯人はさあ誰だ、みたいな展開だったら、金田一少年ではなく別の2時間サスペンスドラマになっていたよ。だって、2時間サスペンスの常連の方が多数出演しているし、緋色景介を演じた中村俊介さんはあの浅見光彦役として長年2時間サスペンスで活躍してた方だからね。

そう考えると今回のドラマは金田一少年浅見光彦という素人探偵コラボの回でもあったのだが、終盤を除いて緋色はほぼほぼ空気みたいな存在だから、コラボ回と言ってしまうのはちと大げさな気がしなくもない…。

 

(ここからネタバレ感想)本作は血液をとことんトリックとして利用しているのが面白い点で、ある時は荷物運搬の荷重制限をクリアするための手段に用いられ、ある時は密室トリックに使われ、事件の演出としても使われる。ただ二神殺しの密室トリックについて引っかかるのは、あれだけの血だまりを踏むことなく死体を室内に運び込めるのかという点であり、しかも美雪が人を呼びに戻ってくるまでの限られた時間に運び込むことを考えると、なかなか難しい作業だと思う。

はじめが犯人に疑いをもったタオルの下りについては、流石に上野樹里さんの裸を見せる訳にはいかないので、犯人と同じくピッタリ巻いてあったが、ドアを開錠するのに時間があったという違いで違和感をもたせていたのはミステリとしては良かったのではないだろうか。(ネタバレ感想ここまで)

 

さいごに

前述したように、はじめに推理をさせるため美雪と剣持の性格描写を変更したのが一番まずかったが、それ以外の点ではミステリドラマとして良質であり十分面白い仕上がりになっていたと評価する。それに演技面に関しても、はじめを演じた亀梨さんは普段の時(事件前の日常場面)と事件に巻き込まれている時とで微妙に声のトーン(高さ)を変えて演技しているので、それも相まって三代目金田一は繊細な部分がある印象を持ったし、そこに亀梨さんの役者としての上手さが表れていたのではないかと思う。

最後に蛇足として小ネタを。剣持が持っていた扇子には四文字熟語で「精力善用」と書かれていた。これは柔道の用語で、自分が持っている力(能力)を相手をねじ伏せたり威圧したりすることに用いず、世のため人のために使いなさいという意味がある。この言葉は今回のテーマの一つであり、劇中のはじめに向けられた言葉みたいなものだが、はじめは推理力を持っていても使っていなかっただけで悪用した訳ではないから、メッセージとしては微妙にズレているような気もする。というか、むしろ剣持の方がこの言葉を守るべきでは?序盤とか普通にはじめを威圧してたし、すぐ補導しようとしてたもの。

 

次回は、二代目・松本潤版の感想をお送りする。

新作放送記念、ドラマ「金田一少年の事件簿」を語っていこう(第一回:四代目・山田涼介版)

4月から道枝駿佑版・五代目金田一による新作ドラマが放送されることになり、過去作の配信が始まった。ということで、良い機会だからこれまでのドラマ金田一少年の振り返りと感想を語っていきたい。

まず今回は配信一発目を飾った四代目・山田涼介版の金田一について話していきたいと思う。

 

※一部内容に誤りがあったので訂正・加筆しました。(2022.04.21追記)

 

SPドラマ1:「香港九龍財宝殺人事件」

日本テレビ開局60年特別番組として2013年に初めて山田版金田一少年が放送されたが、四代目はズバリ、初代・堂本剛版の作風に原点回帰したことを知らしめた回であり、音楽は初代と同じ見岳章氏、演出は木村ひさし氏が担当している。この木村氏はTRICKシリーズで堤幸彦氏の作品に助監督として参加していたこともあり、演出の雰囲気も堤氏からある程度継承している部分はある。堤氏は初代金田一少年の演出を担当していたから、原点回帰を意識した四代目において、木村氏が選ばれたのは当然かつ最適と言えるだろう。

原点回帰としての一作目を飾る事件は「香港九龍財宝殺人事件」。初代金田一少年の最終作が映画「上海魚人伝説殺人事件」だったが、一作目に中国を舞台にした事件をやるというのは、(開局60年特別番組だから豪華にいきたいという制作陣の意向もあっただろうが)ある意味初代からの地続き的な意味合いがこもっていたのではないかと私は思う。事件内容にしても、「上海魚人伝説殺人事件」と同じ金属探知機の盲点を突いたトリックが使われているし、微かながらそういった面でも繋がりみたいなものが見出せる。

原点回帰とはいえ初代と全く同じかというと全然そんなことはなく、例えば有岡大貴さん演じる佐木竜二は、過去作ではじめの後輩として登場した佐木と比べてより助手としての存在感が強調され、同時にはじめがボケた時のツッコミ役も果たしている。またビジュアルや髪形のせいか、トイプードル的な可愛らしさのある佐木になっており、そこもまた四代目ならではと言えるだろう。

川口春奈さん演じる七瀬美雪に関しては、今回は序盤で犯人にさらわれるため、本作で美雪のキャラクターとしての魅力は見出せないだろう。少なくともこれが初見だったとしたら、「美雪ってはじめを尻に敷いた勝気な女の子だな」と思ってしまうかもしれない。

肝心の事件のトリックや犯人についてだが、本作はハウダニット重視で犯人当てのロジックは希薄だ。一応意外な犯人にしようという気概は見られるが、展開から作者が誰を犯人にしようとしているか(勘が鋭い方なら)すぐわかってしまうので、あまり真剣に犯人を当てようと考えず気楽に見た方が楽しめる一作だろう。また、本作の脚本は原作者である天樹征丸氏が担当しているが、ドラマの脚本に慣れていないのか、はじめが情緒不安定に見える場面があるのが少し気になった。

(ここからネタバレ感想)3件の殺人のうち、やはりトリックに一番難があるのが2番目のシン・リー殺し。ワイヤーとして利用したハンガーが形状記憶合金で、熱で瞬時に戻るというのは実際問題やってみないとわからないので百歩譲ったとしても、問題は犯行後のワイヤーの回収。ホテルから殺害現場まで約100メートルほどあるが、犯行後回収する際は空中に張られたワイヤーを切って回収しなければならないから、ワイヤーは当然地面に落ちてずるずる引きずられて窓から回収される訳であり、長いワイヤーが道を横断していたり、窓からぶら下がっていたら誰かしらそれを目撃しているはずだ。アニメ版では一応補足情報があったのでトリックにも説得力があったが、ドラマはホテルと殺害現場の間は普通に車や人が通っていたので無理。元々原作自体ドラマありきで考えられたらしいので、あくまでも雰囲気・世界観を楽しむべきなのかもしれない。(ネタバレ感想ここまで)

 

SPドラマ2:「獄門塾殺人事件」

「香港九龍財宝」から約1年後に放送された二作目は、日本を舞台にした事件をマレーシアのジャングル内で起こった事件として改変している。それに伴い、一部の登場人物が外国籍として変わっていたり、明智警視の代わりに前作で登場したリー刑事が続投で登場するなど、事件のトリックや骨子となる設定以外はかなり脚色が加えられている。

見所としては、本作からはじめの宿敵であり犯罪コーディネーターの高遠遙一が登場。二代目・松本潤金田一でドラマデビューした成宮寛貴さんが高遠を演じるというちょっとしたサプライズ的起用となっている。原作では「魔術列車殺人事件」ではじめと高遠が出会うため、はじめは高遠が犯罪コーディネーターになった経緯を知っているが、本作では既に犯罪コーディネーターになった時点での対面のため、その辺りの深掘りはされていない。また、原作・アニメ共に高遠は計画を失敗した犯人を抹殺するのだが、ドラマ版はこの後の「金田一少年の決死行」も含めて抹殺はしておらず、その点に関してはドラマ版高遠は原作ほど冷酷でないと言えるかもしれない。

また、前作であまり描かれなかった美雪とはじめとの関係性や、佐木の勇気ある行動など、主役のはじめだけでなくヒロインや助手ポジションの美雪・佐木にも見せ場があるのも評価ポイントの一つだ。

(ここからネタバレ感想)前作「香港九龍財宝」ではトリックに無理があったが、本作は設定に無理があるというのが正直な感想。そもそも勉強合宿のために何故海外、それもマレーシアのジャングル内にあるロッジまで行かなければならないのかとここから突っ込まないといけないし、サソリやタランチュラといった危険生物がいるジャングルなのに夜の散歩って危なすぎるだろ!

事件についてだが、本作もハウダニット重視でフーダニットに関してはアリバイトリックを行うための状況設定が出来る人物、犯人の失言、ダイイングメッセージでわかってしまうので意外性はない。というか被害者が多すぎて生き残った容疑者が(はじめ・美雪・佐木・リー刑事・高遠を除いて)実質四人しかいないので下手したら当てずっぽうでもわかるよ。日本が舞台だったらせめてエキストラの生徒役も用意出来ただろうが海外ロケだったのでそういう誤魔化しもきかなかったのだろうな。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ1話:「銀幕の殺人鬼」

二作目のSPドラマから約半年後に放送された連続ドラマ「金田一少年の事件簿N(neo)」の初回は2時間枠で、ゲストにかつてドラマ「探偵学園Q」で山田さんと共演した神木隆之介さんが蔵沢光として出演。「探偵学園Q」も見ていた私としてはこの起用は嬉しかった。そして本作から山口智充さん演じる剣持警部、浅利陽介さん演じるミス研部長の真壁誠がレギュラーとして登場。山口さんの剣持は初代の古尾谷さん演じる剣持とはまた違う親しみやすさがあったし、浅利さんの真壁は原作や初代で見られたナルシスト的な性格はなく、とっつきやすい性格の真壁だったから個人的には好感触というか、はじめ・佐木を含めてある種のトリオ漫才的な相性の良さを感じた。

SPドラマで初代への原点回帰を果たした山田版金田一だったが、実を言うとSPドラマよりも連ドラの本作が最も初代の原点回帰に相応しい内容だったと思う。というのも初回は、

正体不明の怪人に殺されるB級ホラー的演出

②はじめの(ある意味犯罪レベルな)スケベ気質

③CM前の容疑者一覧と「DEAD」の表示

といった、初代でも見られた演出・趣向があり、なおかつ原作がシリーズの中でもお気に入りの作品だったので、映像化としては素直に成功だとリアタイ当時も現在も評価している。とはいえそこはneo、四代目から追加された趣向も勿論あって、OPでは毎話事件に関する暗号が用意されており、本編も事件解決となる手がかりの場面が強調されていたりと、ミステリ初心者でも推理しやすい易しい作りになっているのが特徴だろう。

それから、本作で遊佐チエミを演じた上白石萌歌さんが五代目の美雪を演じることも忘れてはならない。上白石さんの美雪はどんな感じになるのか、今から楽しみだ。

(ここからネタバレ感想)最後の二重密室のトリックだが、原作ではフィルムがスムーズに映写室にいくために立てたロウソクは映画の見立てとしてカモフラージュの効果があったのに対し、ドラマは映画の見立てという意味合いがカットされているためやや唐突な印象を与える。また、原作では犯人のトリックに気付く切っ掛けに美雪がフィルムの缶を倒し、はじめが中身のフィルムと缶をバラバラにして入れてしまったという探偵側の意図せぬ妨害があったのだが、ドラマはそれがなかったため犯人の犯罪計画はほぼ完璧に遂行したと言えるだろう。紙コップのトリックにしても状況証拠にしか過ぎないのだから、自白さえしなければ証拠不十分で無罪もあり得たと思うのだ。

ちなみに、ドラマは蔵沢だけでなく黒河もスケープゴートとして利用されているが、原作の黒河は星占いが趣味の不思議系女子だったため、美雪に嫉妬心を抱く普通の女子高生にしたのは賢明な判断だったと思う。映研部員がミス研部員(準レギュラー)として移行する流れも連ドラに適した改変になっていた。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ2話:「ゲームの館殺人事件」

2話はシリーズでも異色のデスゲーム形式の殺人を描いた「ゲームの館殺人事件」。ものまねタレントの福田彩乃さんや、「真犯人フラグ」「怪物くん」で役者としても活躍しているダチョウ俱楽部の上島竜兵さんがゲストで出演しており、独特なキャスティングも相まってより異色さが出ている。本作の怪人「ゲームマスター」にしても、CGによるキャラクターで、ボイスチェンジャーではなく読み上げソフト「Softalk」(一部界隈ではゆっくりボイスで有名)を使っているのも、これまでの怪人と違う味わいがある。ただ、事件やトリックに関しては原作の段階で難点が多く、私の中ではシリーズ中ワーストレベルの出来と言って良いくらいだ。

ちなみにこれは豆知識だが、原作にはマツモトジュンが登場する。嵐の人じゃない同姓同名だけどね。

(ここからネタバレ感想)一番突っ込みたいのは、今回の犯人の動機が金銭目的にも関わらず、本作で扱われたトリックがかなり金のかかるトリックだという点だ。いくら廃墟を利用したとはいえ、3Dテレビや爆薬、暗証番号によるロック装置、炎が出る装置、催眠ガス等、ホームセンターに行っても買えないシロモノを用意・設置しなければならないのだから、いくら莫大な遺産という利益が得られるとしても、準備の段階でそれだけの資金が果たしてバー経営のママさんにあるのか疑わしい限りだ。それに、ターゲットとなる霜村親子が最終バスに乗るかどうかはあくまでTwitterのツイートという不確実な情報で、もしかしたら予定変更で早々に帰っていたかもしれない。そんな、あまりにも確実性を無視した計画だったのもマイナスポイントになっている。

ドラマではカットされていたが、原作では知恵の輪と宝探しゲームの間にカップラーメンの毒味という展開があった。ゲームらしくなかったからカットされたのだろうが、原作ではラーメンの毒味も含めて確実性の低いトリックを何度も仕掛けることでターゲットを殺そうとする「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式の殺人計画であり、それだけはユニークだと評価出来るが、あまり上手い使い方ではなかったのが残念だった。動機にしても金銭面だけでなく、自分と実の娘が不幸な境遇なのに対し、異母弟とその母親が裕福な暮らしを送っているという境遇差に対する嫉妬・憎悪も明言していたら、横溝正史らしさが出ていたのにな…と思うのだ。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ3・4話:「鬼火島殺人事件」

前後編として放送された「鬼火島殺人事件」は漫画ではなく同作者による小説が原作で、過去にアニメ版で放送されていたので内容を知っていた人は多いだろう。しかもこの作品で用いられたトリックはTBSのバラエティ番組水曜日のダウンタウンでミスターSASUKEこと山田勝己氏によって検証されていたから、そっちの方面から知った人もいるのではないだろうか。

ゲスト出演としてNEWSの増田貴久さんや、2時間サスペンスの常連俳優である布施博さん・森口瑤子さんが登場するが、個人的に注目すべきは間宮祥太朗さんが自殺未遂で植物人間状態の海老沢邦明の役で出演していることだ。当時まだ駆け出し状態の若手俳優だったとはいえ、今考えると間宮さんに植物人間の役を任せたのは何というか実に贅沢な使い方だったなと思う。当時の間宮さんは若手ながらもヒール役とかいじめる側の役を結構やっており、むしろそういう点では加藤賢太郎を演じた千葉雄大さんと入れ替えた方が原作の雰囲気に近かったのではないかと思う(別に千葉さんの演技がダメという訳ではないですよ?)。

あとこれは小ネタだが、今回の事件の舞台となった鬼火島の宿泊施設は、初代金田一少年の第二シーズン初回に放送された「悪魔組曲殺人事件」の御堂周一郎の別荘と同じロケ地である。屋内は全く違っているから別場所での撮影(或いはセット)だろうが、外観に関しては悪魔組曲の時と全く同じなので是非チェックしてもらいたい。

(ここからネタバレ感想)最初の殺人は「学園七不思議殺人事件」の応用編で、殺害現場を誤認させるトリックが用いられている。これだけなら大したことがないが、ミステリでは定番のバールストン先攻法――真犯人を死亡したように見せかけることで容疑者圏外に置く手法――が組み合わされたことでミステリとして面白い仕上がりになっている。ただ、今回のドラマではCM前、死亡した人物に「DEAD」の表記が付く趣向を採用しているため、この趣向がミステリとして少々アンフェアになっているのは指摘しておかなければならない。

記憶が確かなら、原作は椎名の首吊り発見と加藤の殺害、それから犯人が自殺しようとした時刻に大きな時間の開きがなかったため、椎名が吊るされていた時間はそれほど長時間ではなかったのだが、このドラマでは椎名の首吊りから加藤の殺害まで一晩経過しており、また再度首吊り死体としてぶら下がったのだから、椎名はほぼ丸一日ぶら下がっていたことになる。他の人がいつ何時来るかわからないし、腹が鳴ったら一発でバレてしまうトリックなので、多少の食糧はポケットに忍ばせていただろうが、トイレはどうしていたのだろうか。やはり長時間もつよう紙オムツとか穿いて万全の対策をしていたのかしら。

そして今回改めて見て思ったが、百日紅の間と同じように見せるため椎名はベッドや机といった家具を移動させているが、あれだけの家具を動かしたら振動や音で階下にいる人にバレそうな気が…。そして海老沢の小説のトリックを殺害に利用することで海老沢にだけ自分が殺したことを伝えようとしたらしいが、もし海老沢が回復してそれを知ったらショックでまた自殺するんじゃないかな…?だって自分が考案したトリックで友人含む三人が死んだなんて、そんな重い十字架抱えて生きていかなければならないの普通に辛すぎるでしょうよ。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ5・6話:「金田一少年の決死行」

1992年から続いていた原作シリーズ第1期の最終作である「金田一少年の決死行」は、数年後に続編として復活したので厳密には最終作ではないがグランドフィナーレ的な結末を迎えており、事件も高遠との対決色が強い内容となっている。そういうこともあって、「金田一少年の殺人」の時と同様はじめが殺人の容疑者として追われるサスペンスフルな展開と、高遠の手品師らしいイリュージョン性の高いトリックが組み合わさったのが、本作の特徴と言えるだろう。

ドラマ化にあたって、まず原作の舞台を香港から日本の横浜に変更(ホテルの名称はそのまま)。それに伴い一部登場人物の名前が変わっていたり、別のオリジナルキャラが追加されたりと様々な改変がある。そして国が変わったため、ホテルの少年ボーイとして登場した周龍道の設定が日本では通用しなくなり、代わりに職業体験で「子供コンシェルジュとして働く道場龍という少年に変更された。変更したとはいえ随分苦しい設定になったのは否めないが、苦肉の策として考えた結果だと思うので好意的に受け取りたい(そもそも殺人事件が起こっているのに職業体験が中止にならないのがおかしいよね)。

ちなみに、劇中登場した催眠術師の川上剛史さんは実在の催眠術師で、日テレでは「世界の果てまでイッテQ!」で出川哲朗さんをはじめとする芸能人の方々に催眠をかけたことがある方だ。

(ここからネタバレ感想)本作のトリックは鏡という古典的なトリックだが、窓に鏡を設置してリアルタイムで別場所の殺人を合成するという使い方が秀逸だったと思う。刺された胸の場所が左右逆というヒントもあったが、よく見るとはじめを演じた山田さんの腕の太さと実際に剣持を刺した犯人の腕の太さが全然違うので、そこから鏡のトリックに思い至った人もいたのではないだろうか。

また成長の止まった子供という意外な犯人の設定により、犯人の正体がわかってもそれをどう論理的に証明するかが問題となる所を、防空壕になかった靴という形で鮮やかに説明されているのも個人的には評価している。あと改変によって使えなくなった領事館の国旗というヒントをキングドラゴンホテルそのものを伏線として利用したのは脱帽だった。

子供が犯人ということもあり、当然子役となる方の演技が下手だともう話に集中出来ないし、何より壮絶な過去を背負った犯人としての重みもなくなってしまうが、高橋楓翔さんの演技が思いのほかしっかりしていたのと、山田さんのアクションシーンや高遠への怒り・犯人との友情を結ぶ下りなど、両者の熱演もあって見応えのある回になったと思う。

あとこれは蛇足だけど、リアタイ当時テレビで見ており、佐藤二朗さんの声が小さくてぶつぶつ喋ってるから何言ってるか全然聞こえないってツイートしてた記憶がある。それから高遠に関することだが、高遠って前半の事件は凝ったトリックを用意するのに後半になると雑というかトリックらしいトリックを使わないで殺すプランにする傾向があるよね。まぁ最初の「魔術列車」の時からそうだったのだけど。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ7話:「雪影村殺人事件」

シリーズ屈指の切ない事件として有名な「雪影村殺人事件」。被害者と加害者がどちらもはじめの友人であり、被害者のちょっとした意地悪が犯人の殺害動機とつながっている点など、未成年者の未熟性や不幸な偶然がより悲劇的な雰囲気を作っている。

原作では4月下旬、アニメでは11月下旬に起こった事件だが、ドラマは夏放送ということもあって、お盆の朝に一時間ほど雪が降るという特殊な気象条件の設定が為されている。夏場に雪が降るなんて富士山とか高所の山岳地帯でないとあり得ない(ましてや舞台は海沿いの村だからね)のだが、砂の雪が降る島もあるのだからそこはね、大目に見ましょう。

ドラマとしては入道雲をバックに佇むはじめの姿など印象的な場面も多く、1話完結とはいえハウダニット・フーダニット・ホワイダニットのバランスが良い一作としておススメ出来る。

(ここからネタバレ感想)雪の上に被害者以外の足跡がない、いわゆる屋外密室がテーマの本作だが、密室トリックではなくあくまでアリバイトリック――雪の積もった時刻に殺害現場にいないと偽の足跡は作れないと思わせる――が目的なのがミステリとしてひねりがあると言えるだろう。また、事件の発端となる春菜の自殺に近親相姦の誤解を絡ませているのが漫画媒体のミステリとしては少々センシティブな感じがする。本家金田一耕助の事件では近親相姦ネタは結構あるが、平成以降の現代を舞台とした少年の方でこういうネタを入れてくるとは、ちょっと意外だった。そもそも昔ならともかく現代で近親相姦自体馴染みがないというか身近ではないため、変にオブラートに包む表現をすると余計読者・視聴者にわかりにくいと思うが、アニメ・ドラマ共に近親相姦というワードを避けての映像化となった。

足跡トリックについてだが、映像を見ると偽の足跡と実際についた足跡とでは、偽の足跡の方が足跡としてクッキリ残り過ぎている。本物の足跡は雪を踏み固めるので雪の上の足跡になるが、このトリックは足跡の部分だけ雪が積もらなくなるトリックなので、当然偽の足跡が強調されてしまう。あくまではじめたちに目撃させるためのもので警察に検証されることも考慮しているから問題はないのかもしれないが、実際にやってみるのと紙の上(理論上)で描いたイメージとでは異なることをこのドラマは示す結果になった。雪質がもうちょっと水っぽかったら偽の足跡と本物の足跡の違いはそれほどなかったかもしれないね。(ネタバレ感想ここまで)

 

連ドラ8・9話:「薔薇十字館殺人事件」

山田版金田一少年の最後を飾るのは、原作が20周年記念の時に発表された「薔薇十字館殺人事件」。高遠の異母きょうだいが登場するシリーズ中ある意味重要な事件とも言える。原作のはじめと高遠は「魔術列車」以来ある時は宿敵として対立しある時は同盟関係を結ぶなど付かず離れずの平行線を続けているが、ドラマのはじめと高遠の関係は実質2,3回程度の付き合いであり、はじめからしたら高遠の依頼に乗る義理も何もあったもんじゃない。が、そこは犠牲者を一人でも救いたいという探偵としての使命感が強かったのだろうか、要請に応じている。

原作との違いは色々あるが、一番の改変は事件関係者で不動高校の教師・白樹紅音がドラマではミス研部長の真壁誠に置き換わっていること。しかも年齢の条件から高遠の異母きょうだい候補の一人として疑いが向く展開もあり、単なる賑やかし・数合わせではなくドラマを盛り上げる重要な役どころとして配置されているのがドラマの見所の一つだ。そしてその改変も無理くりではなく、原作における招待客の条件に一致しているのが何気に凄い。※

 

※他の方の感想記事を見て調べたら(一応ネタバレなので伏せ字)「誠」という品種のバラは存在せずドラマだけの架空の品種(伏せ字ここまで)とのことでした。なーんだ…。

(2022.04.21 追記)

 

(ここからネタバレ感想)事件のトリックはこれまでに同じタイプのものはなかったが、物語のプロットや構成は「悲恋湖伝説」と「魔術列車」のハイブリッドみたいな感じ。「悲恋湖」的な要素は招待客の条件という部分で、ホテル火災に巻き込まれ尚且つ名前に薔薇の銘柄(品種かな?)が含まれている人物を館に集めている。ただ「悲恋湖」と違ってここから更にターゲットを選別するための仕掛けを入れているので、悲恋湖の犯人と比べればまだ良識があると言えるのかもしれない(あの狂気性・暴力性も悲恋湖の魅力ではあるのだけどね?)。

そこに「魔術列車」で見られたイリュージョン性ある犯罪トリックが用いられているのがこの作品の特色なのだが、プロである高遠と違いやはりワン・アイデア型で気付いてしまえばスルスル解けてしまうのが犯人らしいというか何というか。それでも技術的には難易度の高いトリックで、特に円形応接室の密室トリックはカーペットの中心に杭を打ち込まないとキレイにカーペットが回転しないし、しかも死体を通して床に杭を貫通させる必要があるため、なかなか重労働なトリックなのだ。

また本作は王道のクローズドサークルものではあるが、障壁となるのが毒の塗られた薔薇のトゲというのがユニークである一方、クローズドサークルを構成する要素としては弱い部分があるのも確かで、招待客たち全員に火に対するトラウマがあるから燃やす手段がとれなかったとしても、薔薇のツタを取り除く手段は他にいくらでもありそうな気がする。佐木がモップを持って真壁を警護する場面があったが、あのモップでも十分有用だったと思うし。(ネタバレ感想ここまで)

 

さいごに

山田版金田一の個人的評価だが、初代堂本版に劣るものの歴代の中では堂本版に次ぐハマり役だったし、原作のはじめにも見られたスケベ要素や髪形(これはSPドラマ一作目だけだが)など様々な面で出来るだけ原作のはじめと近付けようとする心意気も感じられて、非常に好感の持てる作品作りが為されていたと思う。

そもそも歴代金田一の出来の良し悪しは必ずしも役を演じた方々の良し悪しだけでは決まらないと思っていて、原作エピソード自体の物語・トリックの質も大きく影響しているのではないだろうか。初期の原作エピソードと近年のエピソードとでは、初期の作品群の方がどうしてもミステリ的に良質なものが多いし、初代堂本版の売りでもあった「怪人による殺人場面」も、当然初期の作品に集中していることが多い(近年のエピソードは怪人名だけで犯人自身が怪人に変装してターゲットの前に現れることは少ない)。

怪人による殺人シーンは確かに映像として強烈で見所にはなるが、ミステリ的には少々厄介な問題を抱えている。というのも怪人に変装しての殺害は、裏を返せば遠隔殺人でターゲットを殺す手法がとれないということでもあり、殺害トリックの幅を狭めることになるからだ。また、グロ描写・トラウマ的描写の排除というドラマ制作における倫理上の問題もあるから、そこを考慮に入れて評価しないと不公平ではないかと思うし、初代以外の魅力を見出せなくなってしまう。

「では四代目・山田版の魅力は何だ」という話になってしまうが、個人的にはミステリドラマとしての間口を広くしたと思っていて、OPの暗号やヒントを目立たせる演出などミステリビギナーでも推理しやすい作りになっている点や、バラエティで培った山田さんのコミカルな一面がドラマに反映されており、楽しく見られるミステリドラマになっていたと思う。これはまた次回以降の記事で言及するが、個人的に不快指数が低かったのも評価ポイントの一つで、やはりそこはベースとなるレギュラーメンバーの設定を変にいじらなかったことが良かったと改めて考える次第だ。

 

ということで長くなったが、以上が四代目・山田涼介版金田一少年の感想・評価となる。次回は三代目・亀梨和也版の感想をお送りしたい。

言わぬが毒、合理化の悪循環「ミステリと言う勿れ」9話視聴

ミステリと言う勿れ(7) (フラワーコミックスα)

最後の池本が風呂光に対して言ったことが、原作ファンに対して火に油を注ぐ結果になってしまったが、それはともかく、今回の感想いってみようか。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

9話(アイビーハウス編・後編)

今回はアイビーハウス編の後編で、ミステリー会の裏で進行していた計画と計画者の正体や動機が明らかとなった。原作にはない停電によるアクシデントもあったが、ほぼ原作通りの展開だった。

原作を読んでいたので犯人は勿論、動機も知っていたが、今回の犯行動機って比較的日本人的な犯行動機だなとちょっと思った。日本の会社なんかでもあるけど、いわゆる減点方式みたいにミスや失敗を許さない気風があって、それゆえミスの発覚を恐れて隠蔽して逆により深刻な罪を犯すパターンがある。ルース・ベネディクトの『菊と刀』でも同様のことについて言及されていたが、(今の日本人観に当てはまらない所があるにせよ)恥をかくことやミスが発覚し辱めを受けることを極端に恐れる人は現代においてもいると思う。

 

橘高は意図せずストーカーに喜和の居場所を教えてしまい、結果彼女を死なせてしまった。ほんの些細なミスとはいえ、ストーカーに殺害の切っ掛けを与えてしまったことが彼にとってはミス以上の罪だったのだろう。だから事件当時あのような隠蔽工作をしてしまったということは大体の人ならわかると思う。

ただそれ以降の行為――ストレス解消としてストーカーに意図的に被害者の居場所を教えたり、(今回の事件のように)友人含む関係者を皆殺しにしようとする――はある意味狂気の沙汰であって理解出来ないと思った方もいたのではないだろうか。この辺りの橘高の心理状況はあくまでも推測の域を出ないが、一種の合理化としてやったことだと私は考えている。ストーカーに被害者の居場所を教える行為は、ストーカー殺人を増やす行為であり、それによって「ストーカー殺人が日常茶飯事に行われている=喜和の事件は特別な事件ではなかった」罪の意識を分散させようとしてやったことではないだろうか。つまり、喜和の死を「最近頻発している事件のうちの一つ」「喜和はよくある事件に巻き込まれてしまった」という形で形骸化させようとしていたのだと私は思うのだ。

ただそんなことをした所で、全ての切っ掛けは自分の密告行為に集約されてしまうし、結果的には多くの被害者を出しているのだから、罪悪感が薄れるどころか更に濃くなってしまう悪循環に至っている。自分のミスを合理化しようとして更なる地獄へと落ちているのだから精神的にはかなり危なかったと思うよ。

 

そして今回のアイビーハウスでの一件でも、橘高が殺人行為を合理化しようとしていたのではないかと思う場面がある。彼の計画が久能に明かされた際、橘高は友人の天達や蔦を「どうせ以前から自分を見下していたんだろ」「自分が母の介護で苦しんでいる間、友人は独身貴族を謳歌していた」という感じで罵ったが、あれはストーカー殺人で喜和が死ぬ前から思っていたというよりは、むしろこれから殺す友人を下衆に仕立て上げないと、自分が大切な友人を殺してしまう大罪人になってしまうから、自己正当化のために友人を悪い人間に「設定」していたと思うのだ。

 

6話に登場した梅津さんみたいに自白していたら罪の意識を抱えることなく生活出来たのだろうが、橘高はミスを自白出来ずに抱えてしまったが故に心が毒され、合理化・自己正当化のための犯罪を重ねた。これには彼自身の完璧主義的な一面が犯罪行為を後押ししていたとも私は思っていて、それは彼の犯行計画に如実に表れている。徹底的に自分の痕跡をアイビーハウスに残さないよう行動していた所なんか、他の人だったらもっとボロが出ていたと思うし、予行演習の目的で長野の山荘で夾竹桃による殺人をやっていたというのも、彼の完璧主義的な性格の表れだろう。

完璧主義というのは裏を返せばミス・失敗を出来るだけなくしたい、つまりミス・失敗を嫌う訳であり、そういう人は往々にして他人にも出来るだけミスを見せたくないし、その発覚を恐れる。そういう心理的背景をふまえると、若い頃に失敗体験が少なかったり、失敗を極端に責めたり蔑んだりする行為が後々大きな犯罪事件につながることを今回のエピソードは私たち視聴者に伝えていたと、そう解釈出来る。横溝正史の「本陣殺人事件」(ネタバレになるかもしれないので一応伏せ字)でも同様の動機で殺人を犯した人物がいたが、現代でも失敗の発覚・恥を恐れるが故の犯罪は十分起こり得ることがわかったのではないだろうか。