タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

間宮さんって崖顔やったんやね…(舞台「ツダマンの世界」ネタバレ感想)

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「ツダマンの世界」観てきましたよ~。既に東京公演を観て来た方々の感想が気になっていたけどネタバレ喰らったらいけないと思い我慢しました。

久しぶりに京都方面に足をのばしたら年の瀬ということもあってか賑わっていて、大学時代の頃をちょっと思い出したりもしたけどそれは今回の感想と関係ないのでやめておきます。

 

「生の間宮さんを約3年ぶりに見れる!」※1と思い座席をS席で抽選エントリーしたら当選、1万円超えの値段だから良い席だろうとは思っていたけど、最前列から数えて2列目の席だったのには驚いたよ。え、近すぎません?そんな間近で間宮さん見ちゃったら私の心臓がもたないのでは?と心配になったものの、杞憂に終わりました。

それにしても間近で間宮さんを見られたのはホント良かったです。先ほどネタバレ感想は避けるようにしていたと書いたけど、Twitterでチラッと間宮さんが褌一丁の裸になるという情報だけは入手していたので、どのタイミングだろうと思ってましたが前半の割と早い段階でしたね。

え?それはもう見ましたよ、まじまじと。

何のために貴重な休日を、それも電車賃とチケット代を出して来たと思ってるんです?見れるもんは見ておかないといけないでしょうよ。しかも最前列から数えて2列目ですよ。こんなに近い距離で間宮さんを見られる機会なんて早々ないのだからしっかり目に焼き付けてやりましたよ。

実を言うと最前列近くというのはアレはアレで見づらい角度もあるし、前の人が身長というか座高の高い男性で、頭が影になって演者にかぶってしまう所もあったから、決して全てを見られた訳ではないのですが、多少のデメリットは帳消しになるくらい今回の舞台は面白かったと思います。

それに間近で見ると一層迫真の演技が伝わってくるのですよ。特に物語後半で間宮さんが修羅のようになる場面があるのですが、ツバを飛ばしながらツダマンに宣戦布告する様たるや、もうカッコ良すぎてテレビではまず体感出来ない部分でした。

 

※1:ちなみに、3年前は奈良女子大で開催された間宮さんのトークショーに行ってました。

tariho10281.hatenablog.com

 

ツダマンとは何者か?

ここからはネタバレしながら舞台の感想を述べていこう。

本作はツダマンこと作家・津田万次郎の生涯を、戦前・戦中・戦後の世相を取り入れて描いた物語であり、愛憎や嫉妬・エゴイスティックな欲望をまじえながらも陰鬱にならないコメディテイストで物語を展開させているのが特徴だ。時代設定を昭和にしていることもあって、露骨な性描写というか下ネタもふんだんに盛り込まれているが、当時のインモラルな性風俗を描くのであれば避けられないネタだし、ただひたすら下品な話でもないので個人的にはマイナスポイントではなかった。

あとこれは観劇後に他の方の感想でも見かけたが、場面転換の鮮やかさは凄く印象に残っている。横幕をササーっと引いて背景を変えたり、舞台上に小さな座敷を出し入れして同時刻に別の場所で起こったことを演出したりと、忙しなく場面が変化する面白さも魅力として挙げられる。

 

本作の主人公のツダマンや弟子の葉蔵が井伏鱒二太宰治を元にしたと聞いたので、文学に疎い私としてはあまりマニアックな文学ネタを入れられたら困るなと観劇前は少々心配していたが、文学知識がなくても十分楽しめる内容だったし、本作のテーマソングの一つである二葉あき子の「夜のプラットホーム」は以前NHKで放送された横溝正史短編集の「殺人鬼」で聴いたことがあった曲だったので、作品世界には割とすんなり入り込めたと思う。そういや強張を演じた村杉禅之介さんは横溝正史江戸川乱歩短編集の常連俳優さんだったから村杉さんの存在も作品世界への没入に影響していたかもしれない。

 

次に登場人物について触れていくが、阿部サダヲさん演じる主人公のツダマンがやはり物語の中では一番つかみどころがないというか、瞬時にこういう人間だと定義付けるのが難しかった。ただ、彼が書いた「水道の滴り」という作中作から推測するに、ツダマンは強迫性障害を患っていたのではないかと思われるフシがある。

www.aozora.gr.jp

「水道の滴り」は井伏鱒二「点滴」が元ネタらしく、「点滴」には井伏と太宰の時間間隔の違いが表れていると小山清は述べているが、本作「ツダマンの世界」における「水道の滴り」はあくまでもパロディというかコメディ要素として描かれた程度だ。

 

とはいえ、フィクションに世相や価値観を反映させず、ただただ水音のオノマトペについて愛人と語り合うだけの物語を書くツダマンなる人間は、どうも強迫観念に囚われている人間ではないかと思うし、その遠因に継母のオケイが関係しているのはほぼ間違いないと思う。太鼓持ちの息子というレッテルに拒絶感を示すのも、父親が太鼓持ちという卑しい稼業でなければ、実の母親と一緒にいられたのにというコンプレックスだと解釈出来る。

そう考えるとツダマンはザコンだったと言えるかもね。ツダマンがカレーライスではなくライスカレーにこだわるのも、ライスカレーが継母の象徴の一つだったと考えれば納得がいく。虐待まがいの躾を受けてきても、ツダマンのアイデンティティを形成したのは継母だったのだから、彼は生涯継母がこしらえた牢獄に囚われていたと言えるのかもしれない。

彼が小説に自信の価値観を反映させなかったのは、劇中で大名が推測したように継母と同じ運命を辿ることを避けたというのもあるだろうが、小説を通して自分が嫌悪する太鼓持ち的性格が第三者に見透かされてしまうことを恐れたからというのもあるだろう。コンプレックスが強いが故に秘密主義な面があったツダマンだが、彼が嫌悪する太鼓持ちの芸で復員出来たのだから、全く皮肉な話である。

 

知恵なきマキャベリスト

間宮さんが演じた葉蔵はナルシストな豪商の三男坊という設定で、何かと死を引き合いに出してくる男だ。死を引き合いに出すとはいえ躁うつ病とかメンヘラ女みたいな感じではなく、手段・道具として計算づくでやっている辺り、ちょっとマキャベリストな面もある青年というのが私が抱いた印象だ。

マキャベリストとは言っても、全てにおいて頭が回るタイプかというとそうではなく、豪商の三男坊というブルジョワ階級とハンサムな顔立ちを利用して目的を達成したという感じで、最終手段に自分の死を持ち出してくるという所から見てもあまり知恵というか想像力のないマキャベリストだったなと思う。そもそも想像力があるなら実際の出来事を小説にはしないし、初対面の段階でツダマンを利用することを明かして弟子入りする訳がないからね。

 

それにしても、間宮さん本人を指して言った台詞ではないのにホキから「崖みたいな顔」って言われていたのは笑いましたよ。それ聞いちゃったら間宮さんには是非2時間サスペンスドラマか何かで崖に立ってもらいたいし、そのドラマを見てTwitter「崖が崖に立ってる」とかツイートしたくなるじゃないですか!

 

「男たちの鏡」として立つ女

継母オケイにツダマンの妻・数など一人で何役も演じた吉田羊さんは個人的に本作のMVP的存在だった。自分の息子を恐怖と暴力で支配しようとした継母役とは対照的に数は周りの男たちに振り回される女性として描かれた。そのフラストレーションが爆発するラストは正に圧巻の一言に尽きる。これがベテラン女優の為せる業かと(素人ながら)思った次第だった。

吉田さんが演じたこの数という女性も物語の中ではなかなか面白い役どころとなる存在で、登場人物の男たちがそれぞれ自分の欲望を彼女に投影させている。ツダマンは言うまでもなく継母を重ねているし、葉蔵は目的達成のため彼女を道具として利用した。そして皆川さん演じる大名狂児はトントン拍子の人生の中で彼が唯一征服出来なかった女性として自身の征服欲を満たそうと彼女に執着した。本作で吉田さんが演じた女性は正に鏡であり、だからこそ劇中で様々な顔を見せる役として経験豊富な吉田さんが抜擢されたのだろう。

 

フィクションを規制すれば現実がフィクションになる

さて、登場人物について他にも色々と言いたいがキリがないのでこれくらいにして改めて作品についてちょっと考えたことがある。

この舞台の時代設定は戦争によって個人的な活動が制限され、検閲によって思想さえも制限された、規制だらけの時代を中心とした物語だった。ある意味これは昨今のコロナ禍における行動規制や、過剰なまでのコンプライアンスを意識した演出に対するアイロニーとして受け取られてしまうというか、そこは松尾スズキ氏も多かれ少なかれ意識したことは想像に難くない。(というか、パンフレットにその辺りのことは載ってるけど)

 

勿論この舞台はエンタメとして描かれているから観客はそんな高尚なことを考えず、単にコミカルな悲喜劇として楽しめばそれで十分という意見もあるだろう。

とはいえ、作品が現実に与える影響というのも当然ある訳で、作り手もそれを無視して好き放題書く訳にはいかないだろうし、実際問題映画や小説の悪役を模倣して犯罪を犯すコピーキャット的な犯罪があることを思えばフィクションの力はバカにならない。

しかしだからと言って犯罪描写や非道徳的な物語を規制すれば良い訳ではない。これは精神科医名越康文先生の受け売りになってしまうが、こういった創作物を規制すると余計に悪いことになるというか、悪や非道徳的な物語によってフラストレーションが鬱散される効果の方が高い※2というのは私も同意する所で、戦時期に慰安婦という存在がいたのは芸術が規制されたことで身体的エネルギーが昇華されず直接的な性的欲求に人々が走った結果ではないかと思う。

 

フィクションを規制すれば現実世界で劇的なものを求めてストレスを発散させようとするということを端的に示したのが昭和の戦時下における状況やインモラルな性風俗であり、本作「ツダマンの世界」にもそれは反映されている。舞台の終盤における数の爆発的な語りは、どうしようもない現実に対する諦めでもあり、一方でそれをフィクションで埋め合わせろとツダマンに強く訴えた。それは現実でのフラストレーションをフィクションとして昇華出来ないツダマンに対する怒りとも読み取れるだろう。

 

※2:0478 誰もが憑依される危険性を持っている 映画『JOKER』の影響を心理学的に考えるスタートライン - YouTubeを参照。

 

さいごに

長々と書き連ねたが、あくまでも以上の感想は私タリホーの経験と主観に基づく解釈というか考察みたいなもので、これが「正解」ではない。本作の数と同様に作品自体は鏡のようなもので、観客がそれぞれ自分の価値観やら何やらで補完して物語は完成する訳だから、あなた自身が見て思ったことが正解と言えば正解なのだ。それでも私の感想に何か得るものや共感出来るポイントがあったとすれば、私もこの長文を書いた甲斐があるというものである。

くどいようだがホントに「ツダマンの世界」は面白かったし、コメディ部分も江口さん演じるホキのツッコミと皆川さん演じる大名の狂気的なボケっぷりの匙加減が良かったと、(蛇足のような感想で申し訳ないが)そう評価したい。

 

追記:どうやら「ツダマンの世界」はWOWOWで配信されていたようで、配信で見ても面白かっただろうと思うが、コメディ要素、特に皆川さん演じる大名の悪ふざけに近いはっちゃけぶりは実際に舞台で観劇した方が面白いというか、本作におけるコメディ要素は画面越しで見ると面白く感じにくい類のものだったかなと思う。あの笑いって2D向きじゃないのよ。3D映画みたいに臨場感も込みでないと客観視しすぎて冷めた目で見てたかも。