タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

誘われたのはどちらなのか?【小市民シリーズ #8】

劇中で映っていたあのボイスチェンジャー、ずいぶんフザけたデザインだと思っていたら本当に売っているらしい。ある意味今回一番驚いたわ。

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(↑これこれ!)

 

(以下、原作を含むアニメ本編のネタバレあり)

 

「おいで、キャンディーをあげる」

今回は原作の第三章「おいで、キャンディーをあげる」から終章「スイート・メモリー」の序盤まで。前回を見た視聴者はご存じの通り、小佐内が誘拐されるという大事件が勃発し、小鳩は健吾と共に小佐内から送られてきたメールを頼りに誘拐現場へと向かう…というのが今回のあらすじだ。

 

ごめんなさい

りんごあめを4つとカヌレを1つ買ってきてください

ごめんなさい

小佐内から送られたメールは6話の「シャルロットだけはぼくのもの」と同様のお使いを頼む内容だが、りんごあめ4つ、カヌレ1つという不自然な個数から小鳩は監禁場所を示す暗号だとすぐに理解し駆けつけることが出来た。

小鳩がこのメールを見て小佐内自身が送ったメールだと判断出来たのは、スイーツの個数の不自然さもそうなのだが、文頭と文末を「ごめんなさい」にしている点も含まれるだろう。これが単に「りんごあめを4つとカヌレを1つ買ってきてください」だけのメールだったら、誘拐したグループが小鳩を罠にはめるために送ったメールである可能性も検討しなければならなかったと思うが、犯行グループが小佐内がスイーツ巡りをしていること・そのための地図を持っていることを知っていたとしても、彼女のメールの文面のクセまで把握している可能性は低いし、それを真似て送信するだけの知能があるか(=小佐内のメール履歴までチェックするか?)考えると、その確率は低いと判断するのが自然だろう。

 

ストーリーに関しては大体原作通りだが、いくつか改変がある。石和が脅しに使っていたアイテムは原作ではタバコだったが、アニメではナイフに変更されている。流石に未成年の喫煙を映像化するのは深夜アニメでも無理だったということだろうか。健吾や小鳩とも取っ組み合い・殴り合いの事態になったようだが、そこも描かれなかった点も合わせて考えると「小市民シリーズ」は直接的な暴力描写を排除しようとしているのは間違いないだろう。

素人なら「ここでちょっとアクションシーンがあった方が盛り上がる」と思ってしまうし、原作でも省略された健吾と小鳩の立ち回りを見たかったという意見も見かけた。でも、本作はそこが大事ではないというのは原作を読んでいればわかることなので、個人的には暴力描写をカットしたのは問題ないと考えている。

 

それから、先ほど述べたボイスチェンジャーも実は原作と違う所がある。原作のボイスチェンジャー「白い、握りこぶしぐらいのサイズの、トランシーバーのようなもの」と形容されていたのに対し、アニメのボイスチェンジャーは玩具に近い形のものになっている。原作は小説なので、文章で「ボイスチェンジャー」と書けば別にそれで良いのだが、アニメで映像化した際に原作通りの白いトランシーバーでは、それがボイスチェンジャーかどうか、(少なくとも)視聴者には伝わりづらいので、見た目で分かり易い玩具タイプのボイスチェンジャーに変えたのは賢明な判断だと評価したい。

 

そしてもう1点注目すべき改変ポイントがあるのだけど、それは次回言及する。Twitter 上では既にこの改変ポイントについて原作ファンによる賛否両論の意見が飛び交っていたのだが、私は今の段階でそれに触れるのは原作未読の人に対するネタバレにつながると思うので、ここは慎重な選択をしておくことにする。

 

境界の見事な描写

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©米澤穂信東京創元社/小市民シリーズ製作委員会

今回に限った話ではないが、本作のアニメーションとして優れているポイントに小鳩と小佐内の心象風景が挙げられる。初回からあらゆる場面で多用されているので当然視聴者なら知っているはずだが、初回からずーっとアニメを追っているとこの心象風景で描かれている景色は川や橋といった境界を象徴する風景がメインとなっていることに気づく。

 

昔話では川や橋はあの世とこの世の境目を象徴する場所として描かれ、異界につながる場所として鬼や幽霊が出現するのだが、本作においては小鳩と小佐内の互恵関係という一般的な高校生とは違う彼ら独特の関係を表現するために用いられているのが特徴だ。

1話では小鳩と小佐内が同じ川の水に足を浸けるという心象風景が描かれており、「足を洗う」という慣用句があるように、二人が過去の何かしらを洗い清めて小市民として生きることを誓っていることが表現されている。2話と4話では橋(歩道橋)の上で推理をディスカッションする様子が描かれていたが、これなんかも「橋の向こう側=真実(真相)」と解釈すれば、そこに至るまでの途上となる橋は推理の段階ということになる。推理という橋を渡り切った先に真実(真相)があるという訳だ。

 

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©米澤穂信東京創元社/小市民シリーズ製作委員会

そして新章『夏期限定トロピカルパフェ事件』に突入して以降も、6話で川の心象風景があったし、小佐内が小鳩に自身のスイーツ巡りの計画を提示した際には石橋が二人の心象風景の場となっている。正に小佐内があの計画を提示した瞬間こそ、大事件に至るかどうかの分水嶺だった訳であり、小鳩がそれを了承したことで物語は大きな方向へと動いたのである。

 

今回も川と橋が心象風景として描かれ、目隠しをされた状態で彷徨う小佐内を小鳩が追っていたが、最終的に小佐内自身がその目隠しを取り外している。車が横断する道路を挟む形で橋の上で対峙する二人。これまでさらわれた姫を追う騎士という構図が姫自身が騎士を誘っていたという構図へと転換する様を映像化した、緊張感のある素晴らしいカットであった。

 

さいごに

ということで今回の感想はこれまで描かれてきた川や橋という心象風景の描写について私なりの考えと評価をしてみた。個人的にアニメの演出や改変については今の所満足して視聴しているが、一部の原作ファンは「この台詞がカットされていてガッカリした」というマイナスの意見もあって、「原作とは別物」という厳しい評価を下している人もチラホラ見かけた。

「春期」の時にも触れたが、アニメは小説と違い尺が限られているため原作で描かれたこと全てを映像化するのは難しいし、本作は小鳩の一人称視点で語られるシリーズなので、原作は小鳩常悟朗のフィルターを通して見た世界と言った方が正確だろう。アニメは基本的に三人称という客観的な視点で描かれるため、どうしても一人称視点という小説ならではの空気感や世界観を表現するのが難しいし、実際今回のアニメにおいても5話の伯林あげぱんの回は原作の方が面白い作品だと思っている。

 

それでも私がこのアニメ制作陣を評価しているのは、あくまでも演出面における改変がメインになっているからだ。

tariho10281.hatenablog.com

四年前に放送されていたミステリ小説が原作のアニメ「啄木鳥探偵處」を引き合いに出して言わせてもらうと、「啄木鳥~」は原作に登場しない文豪を準レギュラーとして登場させたり、原作の謎解き部分を改変するということをやっている。これは私としては悪手だったと今でも思っていて、原作が1クール描けるだけのボリュームがない作品とはいえ、主軸は石川啄木金田一京助の二人であるべき所を、変に江戸川乱歩のオマージュを入れて元々の原作のエピソードを改悪するということをやった上に、縦軸となる事件も拍子抜けするほど面白くなかった。オリジナルで追加された文豪仲間も賑やかし程度の役割しかなかった訳で、要は原作を全然活かせなかったアニメというのが私の最終評価である。

 

過去にこのような改悪ミステリアニメを見ていたおかげか、今回の小市民シリーズにおける改変はさほど問題とは思わないし、(省略されている所もあるけど)極力プロット面はいじらず演出に工夫を凝らしているのが好感触なのだ。勿論原作ファンの全てに受け入れられる演出を作るのは無理な話だけど、難しいなりに試行錯誤している作品をむげにこき下ろしたくはないし、私なりに演出の意図は読み取れているつもりなので最後までこのアニメを応援したい所存だ。

(原作ファンはともかく、未読の人は普通に楽しめる作りになっていると思うよ?)

 

さて、アニメも残すところあと二回。次回はいよいよ小鳩が誘拐事件の真相に切り込むということで、原作既読者として未読の方に以下の問いを投げかけたい。

問:小佐内ゆきは今回の誘拐事件においてどのような役割を果たしたのか?

小鳩は小佐内が自分が誘拐されることを知っていたと言っていたが、ではそれはいつの段階からか?彼女のこの夏の一連の動きと言動から、彼女が果たした「役割」を推理してみてはいかがだろうか?

 

※ちなみに、堂島健吾の声を担当している古川慎さんは「啄木鳥探偵處」のOP曲を歌っており、本編では歌人若山牧水の声を担当している。