タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

もし「推し」が不祥事を起こしたら ~ファンとしてどう心構えるか~

どうも、タリホーです。

去年から最近にかけて、推しではないけれどちょっと気になっていた人が不祥事を起こし活動休止になっているのを目にしており、ファンの人の心中穏やかならざる状況をつい想像してしまう。幸い私が今推している方々は何の問題もなく芸能生活を送っているが、もし自分の推しが不祥事を起こしてしまった場合、ファンとしてどう受け止め考えるべきか、今一度考えたほうが良いのではないかと思い、この文を書くことにした。あくまでも一個人の意見なので間違ってると思ったらそう思ってもらっても構わないし、賛同していただけるのならばそれはありがたいことだと思う。

 

※加筆しました。(2022.03.17追記)

 

不祥事のレベル(不道徳行為~犯罪行為まで)

まず判断基準の一つとして、不祥事のレベルは絶対におさえておかなければならない。そのレベルも失言・不謹慎レベル(例:コロナ禍で外出自粛中にも関わらず集団飲酒)のものから道徳に欠ける行為(例:不倫・不貞行為)、そして犯罪行為とピンからキリまである。

この中でも特に厄介なのが犯罪まではいかなくとも特定の人物に深い傷をのこす不倫・不貞行為だと思う。犯罪行為の場合は実名が公表、刑事罰が処され前科がつくなど、明白な社会的制裁を負うのに対し、不倫・不貞行為は民事訴訟はあるにしても刑事罰ほど重くならず、内々で済ますことが可能なため、外野であるファンとしては「ほんとに反省してるのか?」という疑念ものこる。犯罪行為をした芸能人よりも不倫・不貞行為をした芸能人の復帰に抵抗・反対する人は、おそらくこの辺りの制裁の曖昧さに対する憤慨や納得のいかなさがあるのではないだろうか?

また、アイドルやミュージシャンといった公の場で活動する職業の場合、いわゆるパブリックイメージがついてくるから、プラトニックで清廉さを売りにしている人なんかは、その不祥事が犯罪や不貞行為にまで行きつかなかったとしても、風当たりは強く世間から厳しく糾弾される可能性が高い。不祥事のレベルは犯罪レベルならば絶対的な評価を下しやすいが、不謹慎レベルの場合、相対的な評価で意見が分かれることも考えておかなければならない。

 

グループの人間(単数・複数問わず)の場合

芸能界は単身で活動する方もいればグループの一員として活動している方もいる。では、あるグループの一人、もしくは何人かによる不祥事があった場合どう受け止めるか。

私としては不祥事を起こした人のグループ内での役割・存在を気にする。その人がいないとグループとして成立しない人なのか、その人の持ち味・個性を代替出来るような人は他にいるのだろうか、といったことを考え、復帰させるに足る人なのか脱退させる方がその人にもグループとしても良いのか(被害者がいるならその人の感情面も考慮しないといけない)判断したい。

勿論これはファンとして考えることなので、その思いが実際その当人や所属するグループに反映されることはまずあり得ないが、そのグループのファンだとして、もし不祥事を起こした人がグループに残った場合、「そんな人がいるグループなんて応援したくない!」と切り捨てるか「他のメンバーが復帰を望むのなら引き続き応援したい!」とファンでありつづけるか。役割や存在はそういった判断の指標みたいなものになると私は思う。

 

二重人格性を求められる芸能人

推しの不祥事が発覚した際「ファンの前で紳士的だったあの人がまさかあんなことをしていたなんて…」と推しの裏の顔にショックを受けたり、「あんな素晴らしいことを言っていたのに裏でゲスいことやっていたんだな」とその二枚舌に軽蔑する人もいると思う。この不祥事を起こした人が見せる二面性は何なのだろうと疑問に思っていたが、そもそも不祥事を起こした人に関わらず、芸能人はある種の二重人格性を求められる仕事ではないかと考えた。

何故なら芸能人は社会人としての規律・ルールは勿論、誠実さや優しさといった人受けの良い面も備えていなければならない一方で、既成概念を打ち壊すような爆発力やユーモア、人によっては毒舌だったりファンタジックな世界を生み出す想像(創造)力といった型にはまらない能力が必要とされる。規律性と創造性はある意味相反する性質だし、日常と非日常を行ったり来たりすることの多い芸能界は二重人格が生まれやすい場ではないかと思う。そこのオンオフが出来なかった人が日常生活においても突拍子のない行為をしたり、不祥事につながることをして失敗をしているのではないかと思ったのだ。

勿論不祥事には個人の資質(忍耐力がない、女好き等)も大きいので芸能界の異常性に全ての責任があるとは言わないが、自分がやったことなのに他人事として話をする人や、本来反省すべきことを話のネタにしてバラエティなんかで喋っている人を見ると、やはり社会人としての規律性と社会不適合者の異常性がない交ぜになっているのが芸能界ではないかと考えずにはいられない。

 

あとこれは芸能人に限ったことではないが、とある精神科医の説では、わざわざ相手を裏切ることで相手の(自分に対する)愛情や信頼度を確かめようとする人がいるそうだ。芸能人の不祥事の中にはもしかすると、このような意図があってファンに対する裏切り行為をとっている人もいるかもしれない。

 

断罪か更生か

推しの不祥事というテーマについて色々と語ってはみたものの、最終的には各個人の倫理上の問題に落ち着く。社会全体を考えれば不道徳な行いをした人間をメディアに出さず永久追放するべきだという意見もあるし、応援する人がいる以上復帰・更生のチャンスを奪うべきではないという意見もある。

 

では私タリホーの意見はというと、復帰はOK派だ。

 

「あぁ、タリホーさんって犯罪者を野放しにするタイプなのね」と思った方、いやいやそれは誤解ですよ。やったこと自体は赦されないことであり、その人が復帰することで傷つく人もいる。それに、「復帰=赦される」なんてそんな都合の良い話はあり得ないよ。むしろ周りの目は前以上に厳しくなるだろうし、風当たりだって当然強い。一般的な犯罪者と違って刑期を終え出所・復帰するのとは訳が違うし、復帰したことでもう自分の居場所がないことに気付く人だっているはずだ。これがグループ活動をしていた人ならば、自分のせいで他のメンバーの人生を棒に振らせてしまった、迷惑をかけてしまった責任を負いながらこの先ずっと生きていかなければならないのだから、ある意味償えないまま生かされるという地獄が待っていると言える。復帰というのは、それを承知・覚悟の上でしなければならないものだと思うし、周りの人もそう覚悟させるくらいの気持ちで不祥事を起こした人と向き合わないといけない。

そのためには、本人自身が自分の過ちを覚えていなければならないのは当然として、ファンである私たちがよりそれを一つの歴史として認識し脳に刻み込んでおく必要があると思う。例えば、推しの不祥事が発覚した日がハッキリしているのならば、「〇〇年の△△月××日を忘れるな」といったキーワードをスローガンとする。こうすれば、ファンの間で共有しやすいし風化させない一つの方法であると思う。

 

芸能というのは、自己表現という点だけでみるとエゴイスティックな仕事である。でも一方で芸能活動によって救われている人もいるし、それを糧に生きている人もいる。また、芸能という形でしか生き方を見いだせない人もいる。

ただ、いくら芸能という形でしか生きていけない人だったとしても、一度不祥事を起こして芸能人として誰かの糧にもなれず、誰かを活かす仕事にもならず、ただただ自分の生活を賄いエゴイスティックな自己表現に完結するのであれば、その人は芸能の場から去るべきだと私は思う。

 

だからもし私の推しが不祥事を起こし、芸能界に復帰するとなったら「ペコペコ頭を下げる姿はもうええから、自分が持つ芸能人としての能力で感動させて見せろ。それが出来ないなら芸能の場から去れ」という意思表明をするだろう。結局、それが本人にとっても、そして被害者がいるならその人にとっても償いになるかもしれないのだから。

(ただし、被害者が復帰を認めないのであれば、それを一番に優先すべきです)