タリホーです。

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三谷版「オリエント急行殺人事件」DVD視聴

来週19日に待望の「黒井戸殺し」(DVD&Blu-ray)が発売される。

今年の4月に放送されていたのをリアルタイムで観ていた私にとってこれは「買い」間違いなしの名作である。そして先日「黒井戸殺し」と合わせて「オリエント急行殺人事件」のDVDを購入した。

オリエント急行殺人事件 DVD-BOX

何故今ごろになって前作DVDを購入したのかというと、(後述するが)三谷版オリエント急行には関心させられる部分があった一方、不満点もそれなりにあって手放しで褒められる作品ではなかった。だからオリエント急行単体をDVDまで購入しようという気にならなかったのだが、今回の「黒井戸殺し」が名作であり、それが円盤として発売されるということで「これはセットで買わなきゃ」という一種のコレクター魂が沸き上がって購入した…という次第である。

 

(以下、ドラマと原作のネタバレ)

 

三谷版オリエント急行のココが良かった

①映画並みの豪華さと世界観に好感

フジテレビ開局55周年特別企画というだけのことはあって、舞台となる特急東洋のセットがシドニー・ルメット版に引けをとらない豪華さ。特に食堂車のセットはお気に入りで、スマホの待ち受け画面にしている程だ。

昭和初期のモダンな雰囲気もさることながら、原作を意識していると思しき部分があったのも好感が持てる。例えば第二夜で登場したパインさんと彼が働く「カフェ・トカトリアン」。パインといえばクリスティ作品に登場する探偵の一人、パーカー・パインを連想させるし、トカトリアンは原作序盤のトカトリアン・ホテルからとっていると思われる。

 

②キャストがハマっている

映像を観て「この役者ならもっとハマっていただろうに」という感想が浮かばない程、各々の役がハマっている。特に草笛さんの侯爵夫人なんて他に演じられる女優さんが思い浮かばないし、昼出川役に青木さんを起用したのも絶妙のセンスを感じる。

 

③第二夜から感じた原作愛

第一夜はほぼ原作通りの映像化、第二夜は犯人側から事件の発端から殺人に至るまでを描いている。よって第二夜は限りなく三谷さんのオリジナル脚本なのだが、その中で「あ!これは原作をしっかり読んでいるな」と感じた所が幾つかある。

その中でも羽佐間が藤堂の用心棒をまいて発車ギリギリに乗車した場面と伯爵夫人が「赤いガウンの女」に扮した場面は、原作を深読みしていると感じられた。

今手元に原作が無いので記憶を頼りにして書くが、原作では笛が鳴ってもすぐにオリエント急行が発車しなかったと書かれている。恐らく三谷さんはこの一文から「すぐに発車しなかった→車掌が最後の乗客を待っていた→最後の乗客は何故乗車がギリギリになったのか?→用心棒をまいていたから」という風に物語を膨らませたのではないだろうか。

原作にも登場する「赤いガウンの女」は原作を読んでいる方ならわかってもらえると思うが、犯人側は「車掌に扮した犯人」というスケープゴートを既に用意しているのに、そこにまた正体不明の女まで登場させるというのは少々蛇足気味だと思う。では何故犯人側がそんなことをしたのか。ここで安藤伯爵夫人(原作のアンドレニ伯爵夫人)が藤堂を刺していなかったいう原作の推理と結びつけられているのが三谷脚本の巧い所で、藤堂を刺せない代わりに何か貢献したいと思った伯爵夫人が独断でやったことという解釈ならば確かに腑に落ちる。

 

以上の3点が私なりの評価出来る点である。

 

でも、一方で不満点が無いでもない。

 

三谷版オリエント急行のココがダメ

①日本に舞台を置き換えたことにより原作の特色が薄れた

原作は言うまでも無く、様々な国籍・身分の人々が乗車する国際的寝台列車。多国籍ならではの伏線や仕掛けが効果的に配置されている。

だから今回舞台を日本に置き換えたことで原作ならではの伏線が薄れてしまうのではないか…と危惧した。

結果からいえば健闘はしているがやはりまだ改良の余地はあったと思う。博多弁や高田馬場の改変は良かったが、もっと乗客がそれぞれ別の出身であるということを強調して欲しかったと思うし、原作にあったハンカチのイニシャルや長距離電話の部分は、流石に舞台が日本なのでそのまま仕掛けとして利用することは出来ないものの、もう一工夫欲しかった…というのが率直な意見である。

 

②幕内と呉田のキャラ設定に疑問

二宮さんが演じた幕内は原作のマックィーン青年に相当する。このマックィーン青年は原作ではアームストロング事件の裁判を担当した検事の息子であり、アームストロング夫人との接触もあった青年として描かれている。

だが、ドラマの幕内は事件の裁判を担当した検事の息子という設定がゴッソリ抜け落ちており、慈善活動で剛力夫人と会ったことを切っ掛けに彼女を偏愛する青年として描かれている。私はこれが納得いかない。

彼が事件の裁判を担当した検事の息子だからこそ、自分の身内が正当な裁きを下さなかったことに負い目や責任を感じ、敵の懐に入ってまで復讐を果たそうとしたのだ。

三谷さんがこの設定をカットしたのは犯人側のメンバーとしていわゆる「変わり者」を配置して個性を出したかったからだと思うのだが、私から見ればストーカーまがいの変人にしか映らなかった。

何度でもいうが、彼は敵の秘書となり少なくとも数年は彼の下で仕事をしていたのだ。下手をすれば素性がバレて殺されていただろうし、そうならなかったとしても秘書として働いている間は自分自身の人生を棒にふっているようなものなのだ。そこまでの犠牲を払う理由・説得力が原作にあったにもかかわらずそれをカットしたのはやはり改悪と言わざるを得ない。

(あ、ついでにもう一言。キャラ設定ではないが脅迫状を燃やした下りで「燃やしたくなったから燃やした」っていう部分。あれ意味不明だし、それだったら普通に「手元に残しておくと身体検査の際に見つかるから燃やして証拠隠滅しておいた」で良かったと思うのだが。)

 

そしてキャラ設定に疑問を抱いたもう一人の人物が呉田その子である。彼女は原作のグレタ・オールソンに相当する。

教会の慈善事業に奉仕し、かつて剛力家で乳母として仕えていたという全体的な設定は原作と同じだし、オドオドとした羊みたいな女性という所も原作準拠である。なのに釈然としないというか、気に入らない。

多分これは好みの問題だろうが、第一夜で勝呂に質問される際に心の準備をさせてくれと落ち着こうとしたり、第二夜で乗車直前になって「何を言っているかわからない」と怖気づいて謎の難聴を起こしたりと、妙にドラマの尺稼ぎ的な役割を果たしているのが鼻につく。

あと彼女の殺人計画に対する心情も釈然としない原因の一つだと思っている。キリスト教を信仰している彼女にとって殺人が罪深い行為であることは百も承知だろう。それでも彼らの計画に加担したのは、恐らく「私たちの復讐行為が間違っているのなら神が何らかの方法をもって妨げるだろう」と思っていたのかもしれない。だから殺人計画も黙認し、事件の関係者である三木が鉄道省に勤務していたことに対しても「神の御導き」だと発言したのだろう。ならば何故、勝呂が乗車したこと・雪によって列車が止まったことは神による妨げだと思わなかったのだろう。ドラマではむしろそれで計画を中止しようとした淡島に対して「やめるべきではない、矢はもう放たれたのだ」とGOサインを出しているのだ。これは明らかに矛盾している。

勿論所詮人は人、その時々によって考えは移ろい変わっていくものかもしれないが、これはちょっと極端が過ぎるような気がする。単に優柔不断で場の空気に影響されやすい人だったのかもしれないが、それにしてもね…。

 

③剛力家の悲劇がアッサリしていた

これは尺の問題もあって致し方ない所もあっただろうが、剛力聖子が愛されていたという描写がもっとあって良かったと思う。保土田が勝呂に言ったように車のハンドルを回すような仕種をしていた描写があれば、彼女が愛らしい存在であったこと、殺されてはならない存在だったことがもっと明確に視聴者にも伝わっただろうに勿体ない。ここの悲劇をどう描くかで彼らの殺人に対する意思や説得力が大きく変わってくるかもしれないのだから。

あとあれだけの出番なのに吉瀬さんとか石丸さんとか配役が意外に豪華なのも今から思えば勿体ない話だと思う。

 

さいごに

矢鱈と不満点の文が長くなってしまったが、総合的には十分及第点の出来栄えなのだ。ただ、ミステリはある意味読者・視聴者をいかに納得させる論理・動機を構築出来るかがポイントでもある。そこを甘くしてしまうと作品の質が下がってしまうのだ。好きな作品だからこその不満だと思っていただきたい。

DVDに収録された特典映像については唯一不満があるとすれば、メイキング映像の尺が短いことくらいだろうか。序盤の人物紹介は蛇足だった。

 

また「黒井戸殺し」についてもブログに書くつもりだ。こちらは絶賛記事になっていると思う(笑)。