タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

【年末なので】ゲ謎・6期関連で言っておきたいこと

タリホーです。今年も残りわずかになりましたが、来年を気持ちよく迎えるには、言いたいことは来年に持ち越さずに今年の内に言い切ってしまうのが良いだろうと思い立ったので書くことにします。

 

タイトルにあるようにその「言いたいこと」というのは鬼太郎6期とゲ謎に関することですが、今回は別に考察ではなく感想・解説記事を公開した際にいただいたコメントを読んで、今一度(しつこいと思われるでしょうが)自分の考えを表明しておこうと思います。

 

別に6期を全面的に支持している訳ではない

tariho10281.hatenablog.com

先日公開した6期の批評記事を読んだ方がコメント欄に「6期鬼太郎を社会性やテーマ性を理由に弁護してるかのように見えました」と意見を送ってくださったので、改めて誤解が(出来るだけ)ないように言っておきたいのだが、

別に私6期だけを特別持ち上げて評価している訳ではないからね?

 

tariho10281.hatenablog.com

この方は恐らくこの記事だけを読んだからそう思ったのかもしれないけど、6期終了後にこちら(↑)の記事でも批判ポイントを挙げた上で評価しているし、西洋妖怪編とか妖怪大裁判の回とか、キャラが活かせていない回や脚本に問題・不満のある回はダメだとキッチリ評価しているつもりなので、何か「弁護している」と言われるのはちょっと心外だなと物申しておきたい。

 

私は特定の期を推すというよりも1期~6期まで満遍なく見て、それぞれの期の良さを引き出してあげたいという博愛的な形でゲゲゲの鬼太郎を愛でているのだ。特に1期はよっぽどの鬼太郎オタクでない限りスルーしてしまう白黒アニメなので、昨年の YouTube での東映アニメーションチャンネルで歴代のエピソードが配信された際には1期にも面白いエピソードがあることを述べている。その上で「6期はこういう作風ですよ~」とか「5期はこういうことをテーマにしているのではないか?」とアレコレ語っていることを知っておいてもらいたい。

 

それから何度も言うけど私は6期が嫌いならもうそれは仕方ない、嫌いなままで良いと思ってるし、私も別に6期が嫌いな人に対して、6期を好きになってもらうためにあのような批評記事を書いているつもりはないので。

そりゃ私の批評を読んで「何だ、6期もこういう面白さがあるんだ」って思ってもらえたらありがたい話だけど、人の好き嫌いを矯正しようなどと、そんな傲慢な態度で書いた批評などロクなものではないし、6期の面白さがわからないのは水木先生の作品の本質を知らないからだとか、そんな古参ぶった害悪思想を垂れ流すつもりも毛頭ない。

 

ただファンの一人として言わせてもらうと、私タリホーが面白いと見出したことを否定したい・ケチをつけたいのであれば、それ相応の論理と根拠を提示した上でコメントを送っていただきたいね!

先ほどの6期の批評記事に送られたコメントで、「6期は単に過去作より尖ったことをしたい程度の考えであのような作風にしただけだろ。SNSとか誹謗中傷とか関係ないし、鬼太郎やゲ謎でやる意味がない」という意見があった。まぁどう思おうと個人の自由ですよ?

 

だ・け・ど!

私は制作陣のインタビュー記事とかアニメ本編の内容を読んだり見た上で「こうかもしれない」と言っている訳であって、それを関係ないと否定したいのなら相応の情報を引用した上で否定しないと単なる難癖・ケチでしかないと言っておく。

それにさ、「やる意味がない」って言うけど、結局その意味を評価するのって制作陣ではなく観客である私たちであって、制作側の意図が作品に反映され視聴者に届くよう考えて作られているかどうかを評価するならまだしも、やる意味があるかどうかを評価するなんてナンセンスでしかないのよ。作品に何かしらのメッセージ性を込めて、それが視聴者に何の効果も影響も及ぼさなかったら「意味がなかった」と評価されるだけのことだから、要は結果論で評価するしかないのでは?と言いたいし、意味のあるなしで判断は出来ないと思う。

 

たとえ制作側の意図とは違っていたとしても、その作品に意味や価値を見出すことは決して無駄ではないし、そうでなかったら文学や芸術は学問探求の材料にはならない。ピカソゲルニカだって単に絵だけを見るとそこに爆撃に対する怒りや反戦のメッセージが込められていると読み取るのは難しい作品だし、実際公開当時もかなり批判されたらしい。ルネサンス期に制作された有名なダビデ像にしても、「当時の芸術家は性的に欲求不満だったから裸体の像ばかり作ってたんじゃないの?」という程度の考えではルネサンス期の芸術家の思惑には辿り着けない。

たとえ文献という形で制作者の思いが残っていなくても、制作者の思いを完全に読み取ることが出来なかったとしても、そういった解釈をすることには大きな価値がある。それを「関係ない」だの「意味がない」だの否定するのは、私に言わせればアカデミックではないし、作品を鑑賞・評価するにしても多くの"収穫"は得られないだろう。

 

フィクションに政治的要素は必要か?

これは鬼太郎6期に限った話ではないが、フィクションに政治的な要素を持ち込んで欲しくないという意見はどこの界隈でも一定数見かけるもので、特に鬼太郎は原作だとあまり政治的な要素を押し出した物語ではないので、6期がテーマやメッセージ性を重視してキャラを胸糞展開に巻き込んだことに憤慨しているファンがいたのもまた事実である。

 

こういった「せめてフィクションの中では平和であってほしい」「現実の生々しい悲劇を鬼太郎に持ち込まないでほしい」といった意見や批判が出るのは理解出来るが、鬼太郎作品を含むホラー・怪奇ものといったジャンルが一定数の人気を得た理由にはその時代の社会的・政治的背景が絶対に絡んでいるということは是非とも覚えておいてもらいたい。

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これは別に私の勝手な持論ではなく、以前NHKで放送された「世界サブカルチャー史 欲望の系譜(シーズン4) 21世紀の地政学 ゴシック編」で解説されていたが、ホラーやゴシックには社会の「表」である王道から外れたもの、表立っては言えない不安や抑圧された願望などが反映されており、これは「ゲゲゲの鬼太郎」だって例外ではないのである。

例えば鬼太郎2期が放送された1970年代は高度経済成長で社会が活気づいて未来に対する思いも希望に満ち溢れていたというのが「表」の社会情勢だったと思う。しかしその「裏」で公害による健康被害労働争議学生運動にテロ行為といった社会問題も噴出したのもこの時期であり、それは2期において「マンモスフラワー」「地相眼」「原始さん」「あかなめ」といったエピソードに盛り込まれている。これらのエピソードは別にアニメオリジナルではなく、水木先生の原作にあった短編をアニメ化したものなので、鬼太郎アニメや原作自体、そういった社会情勢から完全に切り離した作品かというと私はそうではないとハッキリ言いたいのである。

 

そもそも妖怪文化と政治は切っても切り離せない関係であり、妖怪を娯楽として楽しむ文化が生まれたのが江戸時代なのも、それ以前は戦乱や疫病・飢饉といった現実の脅威が大衆を苦しめていたからであり、それが沈静化し国家が統一されたことでようやく妖怪を楽しむ余裕が民衆にも生まれたから、江戸時代に妖怪や幽霊をお題にした作品が量産されたと考えられている。

なので、妖怪や幽霊は今の時代がどれだけ平和かを示す指標でもある訳で、特に妖怪が語られない・娯楽として楽しめない時代になったら、それは世相が荒れている危険信号なのだ。

 

で、改めて6期に話を戻すと、今年の夏にあった水木プロの炎上騒動ってインタビュー内容に誤解を生じる発言があったのが悪いとそう主張する人もいるだろうが、何ていうのかな、結果的にあの騒動で一部のファンが示した態度や言動が6期の不穏なネット社会の描写を裏付けていたなとそう私には思えて、6期を否定している人がはからずも6期の世界観が嘘デタラメでないことを証明する形になっているのは、何か皮肉な構図になっていると言わずにはいられなかった。

別に水木プロの代表が何と言おうが、自分の好きな作品が素晴らしいと思ったら受け流せば良いだけの話で、そこで「子供向け」と言われたことであんなに怒った人がいたのはやはり制作側はファンと同等かそれ以上に作品愛を持てというファン側の押し付けがましい願望があったのかなと邪推してしまう。

 

この点に関して私の意見を述べさせてもらうと、別に私は作り手が作品に愛があるかどうかとかそういうのは正味どっちでも良いという考えで、面白いもの・心を動かすものを完成させてくれるのであれば、別に打算的な意図で作られたとしてもさほど問題ではないと思っているのだ。鬼太郎を長年追っかけて来たファンにあるまじきドライな物言いになると思われるだろうが、愛があるかどうかなんて個人の主観で左右される曖昧な評価基準だし、制作側の一言で一喜一憂するヒマがあるなら、作られた作品そのものに向き合う方がずっと多くの知見を得られると私はそう主張したい。

 

「興味ない」とか言ってきた奴にムカついた

鬼太郎から話は逸れるけど、一応鬼太郎関連なので7月にあったドコムスさんの夢見訪問の件でちょっとムカついたことを言っておきたい。一旦はスルーしたけど怒りはある程度表明しておいた方が今後のためにも良いかなと思ったので。

 

tariho10281.hatenablog.com

その怒りというのは生配信でのチャット欄でのコメントだけど、ほとんどの人は私の島クリに対して「(ゲ謎の)再現度凄いです!」といった好意的なコメントだったのでありがたかったけど、一人(悪口ではないけど)「映画見る予定ないんでネタバレ大丈夫です」とか「あんまり関心ないから話半分で聞いてる笑」と、いちいち興味ないアピールしてくる視聴者がいたのはシンプルにムカついた!

 

チャット欄はアーカイブが残っているので、私がムカついた奴が誰なのかは一目でわかると思うが、最初はたまたまこの動画を見た、ドコムスさんのファンとかではない人がアンチとしてこういうこと言っているのだろう程度に思ってたんだよ?でも他の動画を見ていると、どうもその人はドコムスさんの生配信に割といつもコメントを送っている人のようで、Twitter のアカウントでもドコムスさんのファンの一人であることを表明している方だったから、ニワカでない人がこんなマイナスなこと言っていたのかとまず一度ガッカリさせられたんだよね。

 

で、こういったコメントが制作者である私が見てないと思ってつい言ってしまった可能性が微塵でもあったら「まぁ興味ない人がいるのも仕方ないか」とスルーするつもりだったんだよ?

でもね、ソイツがホーンテッドマンションの再現エリアの下り(動画だと1時間35分辺り)でホーンテッドマンション行ったことない(視聴者)」というコメントを流した時に「あ、こいつ私が見ているとわかってて言ってるな」と確信した。

実はその時私もリアルタイムで制作者としてチャットにコメントを送っていて、他のコメントに紛れてしまわないよう文末に「(島主)」と付けていたんだよね。だから同じような形で文末に(視聴者)ってソイツが付けていたのを見て疑惑が確信へと変わったのだよ。

私が見ているとわかってて喧嘩をふっかけてきたようなものだからそりゃ怒っても良いですよね?

 

いや別に「ゲ謎やホーンテッドマンションに興味を持て」とかそういう話じゃないですよ?これはある種のマナーとしての話ですよ?

あつ森というゲーム上でゲ謎やホーンテッドマンションの世界を再現するのは、それなりに熱意がないと出来ないことだし、実際私も他のプレイヤーの島クリ動画を参考にした部分はあるので、情熱を持って作っているのは誰だって容易に推測が立つはずだ。直接の悪口でなくとも「興味ない」とか「見る予定ないので」といったコメントを見たら良い気持ちにならないなんて火を見るより明らかなのに、そこで黙るという選択肢をとらずにこういうことを言ってきたあの視聴者は、キツい言い方をするようだけどドコムスさんのファンを語る資格はないんじゃないかと、そう言いたくなるくらいには不愉快なコメントだった。

 

まぁ流石に配信時はドコムスさんや他の視聴者の迷惑になるので、そのコメントに対して反応はせずスルーしていたけど、何も気にしていないと思われたくないし黙っておくのも癪なので、こういう形で私の怒りを記録に残しておく。(まぁ言った当人に届きはしないだろうけど)