タリホーです。私事ですが先日28日に誕生日を迎えまして、そのお祝いというか自分へのご褒美として、以前から観ようと思っていた映画「火喰鳥を、喰う」を鑑賞して来ました。
今年は先日鑑賞した映画「近畿地方のある場所について」を含めて邦画ホラーがなかなか盛り上がりを見せていて、本作も第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞した傑作ホラー小説の映画化なのだから、もっとネット上でも評判になるのかなと思いきや、どうも評判の声が少なく、実際映画公開からまだ一ヶ月も経っていないのに上映回数は一日一回、それもレイトショーという扱いになっている。もう上映終了間近の映画館もあるみたいだから、客観的に見て人気がないのは間違いなさそうだ。
この人気のなさについてはこれから私なりの分析も含めてレビューしていくけど、まず結論から言っておくと本作は原作を滅茶苦茶に改悪した駄作ホラーではない。改変されたポイントはいくつもあるが大体の流れは原作通りだし、原作の映像化という点では成功した部類に入ると言って良いだろう。だからこそ、正当に評価されるべきであると同時に、何故話題にならなかったのか、何故他のホラー作品と違い人気が出なかったのかを語っておくべきだと思う。そのためにも今回は具体的な物語の展開には言及しないものの、核心となる部分についてはネタバレしながらレビューするのでよろしく頼む。(でないとレビューのしようがないので)
(以下、原作を含む映画のネタバレあり)
とある出演者、足立正生の問題
まず本作の内容について言及する前に、今回の映画が話題にならなかった原因の一つと考えられる、とある出演者のことについて触れておかないといけない。その出演者というのは足立正生氏である。
足立氏のプロフィールは映画のパンフレットにも載っているが、実は映画のパンフレットでは省略されている彼の経歴、つまり足立氏があの日本赤軍の元メンバーであるということが Twitter 上で拡散され、それがネガティブキャンペーンとして観客を減らすことになったようである。日本赤軍と言えば1971年から2001年まで存在したテロ組織であり、そんな元テロリストを映画に出演させるとは何事か、テロリストを出演させるような作品なぞ観るに値しないと、反発と嫌悪の意見が多数見受けられた。
足立氏は2022年に起こった安倍晋三元首相の銃撃事件を扱った映画を制作しており、そういった過去の経歴や現在における活動が批判や嫌悪の対象になっている人物であるのは間違いない。
ただ、言うまでもないと思うが本作「火喰鳥を、喰う」にはテロリズムを容認・連想させるような描写は一切ないし、足立氏の出演シーンも終盤のごく一部に限られている。だから足立氏が出演しているからと言って本作を叩き酷評するのは不当な評価だと思う。映画を観る・観ないは個人の自由だし、テロリズムを厳しく否定・批判する姿勢というかその健全さ自体はあって然るべき価値観だ。しかし、足立氏は一応法律に基づき裁かれた人物ではあるし、そういった人物が映画に関わったり表現をする自由を奪うのは間違っていると私は思う。同じくそういった前科者が出ている作品を観た人物(つまり今回の場合だとこの映画を観た私になるが)を犯罪者の犯罪行為や危険な思想を容認しているという風に叩くのもお門違いである。私だっていかなる理由があろうとテロ行為は認めてはならないと思っているし、そういった正義感や健全さは大事だが、行き過ぎた健全さはまた新たな差別を生み出すことを忘れてはならない。特に第二次世界大戦で行われた数々の虐殺は、ある種の人間の健全さを求める思考を利用して行われた悪事なのだから、悪を赦さぬ姿勢も道筋を誤れば害となることをどうか心の片隅に置いてもらいたい。
パラレルワールド・ホラー
今回はあえてあらすじは割愛して早速感想を述べるが、本作は一般的なホラー作品における幽霊だったり、殺人鬼或いは奇怪なクリーチャーが登場するような作品ではないし、そういった怪異に追われたり殺される恐怖を描いた作品ではない。
本作を一言で例えるならパラレルワールド・ホラーだ。
私たちが生きている現実とは別の現実が存在する世界を俗にパラレルワールド(並行世界)と呼ぶが、本作で描かれているのは正にパラレルワールドとでも呼ぶべき世界であり、主人公の久喜雄司の大伯父にあたる貞市が遺した従軍日記によって、現実が別の現実へと書き換えられていくという怖さを描いているのが本作最大の評価ポイントだ。一見すると「それの何が怖いんだ?」と思うだろうし、実際鑑賞してみて怖くなかったと感じた人もいるだろう。でもよく考えてもらいたい。
もし自分の大切な人、親でも兄弟でも恋人でも友人でも良い、その人が翌日姿を見せず周りに聞いても「そんな人などいない」と言われたらどうだろうか?もっと言うと、本来なら帰宅して温かく迎え入れてくれるはずの家族がある日突然「誰ですかあなたは…?」と言って家に入れてくれなかったら?自分の存在・記録が書き換えられたり無かったことにされてしまったら…?本作で描かれているのは自分を支えその存在を認めてくれる人々や環境といった地盤となるものが崩れる怖さなのだ。それは「死」よりも恐ろしい「無」になるという怖さでもある。
人間は他者との交流や帰属する場所があることで心の安寧を保ち、人生における数々の選択によって今の自分が形成される。それが不条理にも何かの力で書き換えられ、帰属する場を失い、自分の存在が否定され日常が奪われたら誰しも正気ではいられないだろう。この恐ろしさが想像できない人には本作「火喰鳥を、喰う」の怖さはわからないのではないだろうか?
そして本作における恐怖の源泉となるのは人間の執着である。一般的なホラーにおける執着というのは怨念だったり嫉妬・憎悪といったネガティブな感情を扱ったものが多いが、本作の場合は生きることに対する執着というどちらかと言えばポジティブな執着を怪異の源として描いているのが珍しい。生きたいという感情は決して悪いものではないのに、それが善悪の区別がなくなった途端狂気として発露する。ここに着目したのが本作の独自性であり、火喰鳥という日本人には馴染みがなく神秘的なものを感じさせる鳥の存在が日常と非日常の境界を象徴する道具立てとして用意されているのだ。
実を言うとパラレルワールドに落ちてしまう怖さを描いたのは本作が初めてではなく前例がある。私の知っている所だと、漫画「地獄先生ぬ~べ~」の枕返しのエピソード(原作の137話)が正にその怖さを描いた作品であり、小学生だったはずの女子生徒がある日目を覚ますと26歳のOLになっていたという形で自分の人生が突如として歪められてしまう。
それから、前述した生への執着を描いたホラーも前例があって、2002年にフジテレビ系列局で放送された連続ドラマ「怪談百物語」の第5回「耳なし芳一」のエピソードでは、あの有名な怪談話である「耳なし芳一」の物語をアレンジして、生きることに執着した人間の末路とその恐ろしさを見事に描いてみせている。
なので、本作のテーマを一つずつ抜き出せば決して珍しくもないし斬新という訳でもないのだけど、そういった諸要素をまとめて一つの作品として作り上げるにはそれなりの技量がいることだと思う。それに、パラレルワールドに落ちるホラーというのは前例があるとはいえ、ホラーにおいてメジャーなジャンルではないのだから、本作がパラレルワールド・ホラーの代表作として、今後ホラー小説の歴史で語られるべき作品だということはハッキリ言っておきたい。
とはいえ、メジャーでないというのは裏を返せば万人受けしづらいということでもある。やはり人間にとってダイレクトに怖いと感じるのは自分が太刀打ち出来ない存在に見つかり地の果てまで追い回されたり、そういった存在が現実にもいるのではないかという余地がある作品が人気を得やすい。
その点本作は劇中で起こっている異変を対岸の火事として、私たちの現実世界では起こり得ないフィクションとして切り離して鑑賞出来てしまうし、現実を書き換えられてしまう怖さというのはある程度観客に想像力がないと怖さが伝わらないものだと思う。そもそも本作の怪異の発端となるアイテムが戦死者の従軍日記というのも、私たちの身近にありふれたアイテムではないから、このアイテムも本作をフィクションとして割り切れてしまう一因だと私は考えている。「リング」や「着信アリ」が傑作ホラーになり得たのはビデオテープや携帯電話という当時どこにでもあったデジタル機器だからであり、その身近さに人々は怪異がこちら側(現実)に侵食する可能性を無意識に見出してしまう。ゆえに他人事ではなく自分ごととして恐怖するのかもしれない。
さいごに
以上が映画「火喰鳥を、喰う」の感想となる。決して駄作ではないしむしろ作品としては上質なのに人気が出ないというのはホラー好きとしては残念だが、映画というのはエンターテインメント性が求められる訳であり、以前レビューした映画「変な家」はホラーとしてもミステリとしても批判すべきポイントが多い作品であるにもかかわらず興行収入が50億円を超えたことを思えば、観客が映画に求めるのはエンターテインメント性であり、極端な話、質の良し悪しなどは観客にとって二の次になるのだろう。
まぁ正直言えば本作は舞台が長野の田舎で、戦没者をベースにした物語だから全体的に地味であることは否めないし、パラレルワールドという設定自体も少々難解なので一時停止や巻き戻しが出来ない映画という形で映像化するのに適した作品ではなかったのかもしれない。
ただ、私はこの映画を映画館で観て損したなどとは思っていない。原作でも登場したカブトムシを不穏な出来事の予兆として効果的に演出に用いている所とか、文章だと少々混乱した原作の描写をうまく噛み砕いて映像化した点は素直に評価したい。それに私の母方の祖父の兄、つまり私の大伯父にあたる人はビルマ(現在のミャンマー)で戦死しているので、私にとって本作で描かれたことは決して対岸の火事ではないのだ。更に言えば貞市が戦死したニューギニアは私が敬愛する漫画家の水木しげる先生がかつて従軍していた時に訪れた地でもあるから、そういった事前知識や個人的事情が本作の鑑賞の助けになり、なおかつ本作を好意的に評価する一因になったことは一応言っておく。
最後に印象に残ったキャラクターとして北斗総一郎を挙げておきたい。この人物は原作でも重要な役割を果たす登場人物で今回の映画では男性アイドルグループ「Snow Man」のメンバーである宮舘涼太さんが演じている。宮舘さんはバラエティ番組にも出ているからどんな感じの人かは何となく知っていたけど、昨今の男性アイドルではあまり見かけない公家顔とでも言うべき面立ちの人で、爽やかでキラキラとしたという感じではなくどこかねっとりとした質感とでも言うのだろうか、そういう和菓子のような質感が出せる人だなと前から思っていた。この宮舘さんの「ねっとり感」は本作の北斗総一郎というキャラに凄くマッチしていたと思うし、決して情報量の多くないキャラなのに観る者の心に爪痕を残したという点では今回の映画におけるMVP的存在だった。
