タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

泡坂妻夫、犯人当ても倒叙ミステリも書いてたんだ(『ダイヤル7をまわす時』感想)

2018年から始めたこのブログも5年が経とうとしている。実は今回のこの記事が最初から数えて400番目の記事に相当するみたいだ。一応記念すべき節目なのかもしれないが、400番目と言えども特段書くようなことはないし、400よりも500の方がキリが良い感じがするので、今回は久しぶりに読書感想でも書いてみようかと思う。

(500番目の記事の時は私なりのブログの執筆スタイルというか、ブログを書く上で意識していることや注意点みたいなことを書く予定)

 

記事タイトルにもあるように今回感想を述べていくのは泡坂妻夫の短編集『ダイヤル7をまわす時』

ダイヤル7をまわす時 (創元推理文庫)

泡坂妻夫の作品は以前に当ブログで『毒薬の輪舞』の感想をアップしている。

tariho10281.hatenablog.com

だから今回も泡坂先生の作品を紹介しようと思った訳ではないが、今回の記事が400番目の節目であることを考えると、やはり自分の好きな作家で一冊何か紹介するのが一番だと思い本作をチョイスした。

 

収録作は7作あるので収録順に紹介していこう。まず最初の「ダイヤル7」は犯人当て小説として書かれた短編。暴力団組長が殺害された事件を当時担当していた刑事の一人が問題編として、とあるイベントの参加者に出題する。

犯人は事件現場からすぐ立ち去らずにどこかに電話をかけていた、というのが犯人推理の重要なポイントになるが、この作品は犯人当てとしては当然ながら、物語の構成にも趣向を凝らしてあって、謎解きの妙だけでない面白さがある。多分、この短編集を読んだ読者に収録作のうちどれがベストかと聞いたら、ほとんどの読者がこの「ダイヤル7」を挙げるのではないだろうか。

 

次いで芍薬と孔雀」。この作品では死体の身体のあちこちにトランプが仕込まれていたという謎が提示されている。ミステリ好きなら、この時点で海外ミステリの「アレをナニするなら××」という例のトリックを思いつくから、意外性に欠けるきらいはあるかもしれないが、その先の推理は泡坂先生ならではの手がかりによってオリジナリティのある仕上がりになっている。

 

向かい側の団地から聞こえてくる人妻の声が発端となる「飛んでくる声」は収録作の中で最もサスペンス性に富んだ一作。正直な所、謎解き部分は微妙だなと感じたが、真相を踏まえた上で最初に戻ると「アレはそういう意味だったのか!」と気づかされる。なので物語としては十分面白いと言って良いだろう。

 

「可愛い動機」はタイトルにもあるようにいわゆるホワイダニットもので、ジャンルとしては奇妙な味に類する作品という感じかな?最後に明かされる動機に関しては作中で触れられているからアンフェアではないけど、意外性があるかというと微妙だし物語としてもやや面白みに欠けるので収録作の中ではこれが一番イマイチだったかも。

 

そして「金津の切符」はコレクションマニアの男性視点で描かれる倒叙ミステリだ。自分のコレクションにケチをつけてくる元同級生に我慢がならなくなって遂に殺してしまうという内容だが、短編なのでじわじわ犯人のミスが暴かれるのではなく、犯人が犯したある一つのミスから犯行がバレてしまうという形式だ。個人的に泡坂先生が倒叙ミステリを書いていたとは思ってなかったので、そういう点も込みで結構印象に残った一作。

 

「広重好み」「広重」という名前の男性にばかり興味・関心・恋心を抱く不思議な女性の謎を描いた作品。これも「可愛い動機」と同じくホワイダニットものではあるが、こちらの方がミステリとして秀逸というか、発想の転換の鮮やかさが良い。

ちなみにこの作品のタイトル、文面だと問題ないがラジオとか音声でこのタイトルを紹介する際は何気に惑わされるタイトルなんだよね。というのも、「広重」は「ひろえ」とも読むし「ひろしげ」「ひろしげる」「みつしげ」とも読める。実際、作中で登場する「広重」たちも漢字が同じだけで名前の読みは全く違うから、誰に焦点を当てるかでタイトルの読み方が変わる。そう考えるとこの「広重好み」は人によってタイトルの読みが変わるという、かなり珍しい作品になるだろう。

 

最後の「青泉さん」はオーソドックスな殺人もので、バーの常連で周りから「青泉さん」と呼ばれる男性が自宅アトリエで殺害されるという物語。物語の途中で謎となる軸が別の所へ移動するのがユニークなポイントだが、さほど大したネタではないので収録作の中では凡庸な出来栄えといった感じだ。ただ、泡坂先生の作品を読んでいる人なら絶対に気づく、とある人物の名前が出て来た時は思わずニヤリとさせられた。

 

泡坂妻夫作品の魅力(普遍性の誇大化と、とっつき易さ)

以上7つの収録作を簡単に紹介した。全てが名作・傑作とまでは流石に言えないが、ファンなら読んでおくべき短編集だし、泡坂流のロジック・世界観を堪能出来る一冊だというのは間違いない。

で、今更ながら「何で私って泡坂先生の作品が好きなんやろう」って考えてみたのよ。それは奇術や絡繰りに造詣が深い職人肌の作家という、他のミステリ作家にはない経歴も勿論関係しているとは思うのだけど、泡坂先生の作品の魅力って人間心理の普遍的な部分を誇張・誇大化させて、ある時はトリックに、またある時は謎解きのロジックに、そして別の所では伏線として利用している所にあるのではないかと考えている。

 

何か難しい表現になったけど、例えば亜愛一郎シリーズでは(詳しく言うとネタバレになるのでオブラートに包むような言い方になるが)ある種の普遍的な人間心理を極端なまでに突き詰めた結果、狂人になってしまった人物が出て来る作品がいくつかある。これは海外だとブラウン神父シリーズで有名なG・K・チェスタトン『詩人と狂人たち』等の作品でやっているので、決して泡坂先生だけが特殊だとは言わないが、物語としてのとっつき易さ、謎としての魅力、それを支える伏線や普遍的な人間心理の描写に関しては、泡坂先生の作品は実に塩梅が良い。

チェスタトンは人間心理の普遍性をミステリとして誇張した作家としては確かにエポックメイキング的な存在なのかもしれないが、文体なのか翻訳の技量の問題なのか、とにかく読みにくいんだよね。だからミステリを勉強し教養として知る上ではチェスタトンは外せないけど、エンタメとして読書を楽しむ上でチェスタトンは正直(特に読書経験が浅い人には)おススメ出来ないかなというのが個人的な意見だ。

 

だからこそチェスタトンの流儀を継承し、それをエンタメとしてより万人受けするものにした泡坂先生の作品はミステリマニアだけでなくもっと多くの人に読まれるべきだと思っている。本作『ダイヤル7をまわす時』でも普遍的な人間心理を盛り込んだ作品はあるし、それをミステリとして誇張した作品もある。

この誇張も、100人中誰一人としてやらない、というレベルの誇張にしてしまうとダメで、100人中1人か2人くらいならやってしまう人がいてもおかしくないかな…?と読者を納得させる工夫をしなければならない。その点、泡坂先生は実にうまくそれをやっているから、私は泡坂ミステリの虜でいられるのかもしれない。