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ゲゲゲの鬼太郎(5期)第22話「ニセ鬼太郎現る!!」視聴

今回は12月30日までの配信。

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鳴釜(かまなり)

ja.wikipedia.org

鳴釜(または釜鳴)は釜の付喪神とされ、鳥山石燕の『百器徒然袋』でその姿は描かれているものの、具体的な記述はなく、中国に釜を鳴らす同類の妖怪がいることを紹介しているだけだ。ただ日本において釜を焚いた時に鳴る音で吉凶を占う鳴釜神事があることから、石燕はそれをモチーフにこの妖怪を描いたと考えられており、この鳴釜もそういった吉凶を占う能力を持った妖怪として妖怪図鑑では紹介されている。

 

しかし原作における「かまなり」の本体は人魂のような見た目をした一つ目の妖怪で、特に占術的要素は持っておらず、たまたま崖から落ちてきて釜の中に頭を突っ込んでしまった鬼太郎の髪の毛を奪って力をつけるという何ともラッキーな妖怪であり、かまなり自体に特別強い力はない。そのため鬼太郎の髪の毛を奪われた際には無力化して消滅してしまった。

アニメでは2・3・4・5期に登場。6期にも登場はしているがモブ妖怪扱いでメインでの活躍はない。2期はほぼ原作通りだが、3期以降人間を襲う動機や攻撃方法といった改変・追加事項が増えてくる。これについては後ほど詳しく語っていきたい。

 

5期かまなり回の集大成感と痛烈な人間への風刺

5期のかまなり回は比較的記憶に残っているエピソードだった。しかしこれまでの2~4期のかまなり回の内容はいまいち覚えてなかったので、今回良い機会だと思い改めて視聴した。それでわかったが、今回の5期のかまなり回は過去の2~4期のかまなり回の諸要素を拾い上げ一つの物語としてうまくまとめ上げている

まず今回の基本のプロットである「ついていない鬼太郎」は原作や2期の冒頭にも見られる。そしてかまなりがニセ鬼太郎として本人に取って代わろうとする展開は4期でもあった。ただ4期のかまなりは5期のように復讐を目的とした動機ではなく暴走族・ヤンキーみたいに手に入れた力をとりあえず使ってみたいという欲求から閻魔大王に挑もうとする無鉄砲な妖怪として描かれているので、どちらかというと4期かまなりの暴走ぶりは5期の火取魔に近いと言えるだろう。

5期のかまなりが人を襲う動機は3期のかまなりと一番近く、器物を粗末に扱う人間に対する復讐心という部分が共通している。3期の場合はかまなりが祀られていた村内だけにとどまっていたが、今回は自分を捨てた一家だけでなく不法投棄をした男性や、カード目当てにお菓子を買って肝心のお菓子を食わずに捨てる子供といった広い範囲でモノを粗末にする人々を襲っていた。そのため5期の方が比較的教訓的な物語として視聴者に伝わる作りになっていたかなと思う。3期はやはりアクションシーンや多彩なかまなりの攻撃方法が印象に残っていて教訓的な面は前面に押し出されていなかった。

 

5期の方が教訓的な物語だと思うのは、物を粗末にする人間は当然ながら、この回で登場した人間が全体的にネガティブに描かれていることもちょっと個人的にはそのテーマ性を強調しているのではないかと思っていて、物語冒頭自転車に乗って鬼太郎にぶつかったおばさんや、目玉おやじを携帯ストラップとして拾い上げた女子高生なんかが正にそれに該当すると思う。

これが単に「ついていない鬼太郎親子の物語」として描くなら、あのおばさんもぶつかった時に「あら、ごめんなさいね」の一言くらいはあっても良いと思うし、女子高生にしても目玉おやじの事情を聞いて妖怪横丁まで乗せていくか或いは自分の事情を話して置いていくかどちらかの選択をとれたはずだ。にも関わらず自転車のおばさんは路地裏からいきなり歩道へ飛び出して人とぶつかっておきながら「危ないわね、気を付けてよ」と捨て台詞を吐き去って行ったし、女子高生も一方的に目玉おやじを拾っておいて自分の気に入らない指示をされると即座にポイ捨てした。

 

まぁ単についていない鬼太郎親子の描写をユーモアもまじえて描きたかっただけなのかもしれないが、このかまなりによる事件から人々は何も省みることなく、ただ真夏の夜の夢として風化していったというオチをつけた辺り、やはりこの回において脚本の吉田玲子氏は、そういう人間の愚かさだったり鳥頭的な一面を痛烈に風刺しているような気がしてならない。

 

以上、今回の物語の風刺性や過去作の要素を拾って解説してみたが、それ抜きにしても今回は普段非力な目玉おやじ単身で妖怪退治をするという見所があるので、何も考えずに見ても楽しめる作品だと思う。それに過去作の情報を入れなければ今回の物語は鬼太郎のアイデンティティが身ぐるみはがされるという、アイデンティティの喪失という視点から物語を読み取れるし、そのアイデンティティは鬼太郎だけでなく目玉おやじをはじめとする幽霊族に連綿と受け継がれたものであることが、かまなり退治の場面で表現されていることがわかるだろう。

 

それにしても、あの釜を捨てた一家は最近釜を捨てた割には洋風の近代的な一戸建てに住んでいたが、もしかして最近引っ越してきたのかな?よく見ると三世代が同居している家だから前の家はおばあさんが住んでいた古い茅葺きの土間のある一軒家で、そこに息子夫婦とその子供が同居している感じだったが、息子が新築の家を建てたからそこへ引っ越すことになって、その際に「新しい炊飯器でも買おうよ」って話になってこれまで使っていた釜を粗大ごみとして捨てたと、何かそういう推測は立てられるよね?

 

 

次回はさざえ鬼が登場。6期の時の感想で色々語ってはいるが、また改めて語ることがあれば書きたいと思う。