タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

「准教授・高槻彰良の推察」Season1 1話視聴(ネタバレあり)

先月の初めごろだったか、テレビで「准教授・高槻彰良の推察」シリーズがドラマ化されると聞いた。

准教授・高槻彰良の推察 シーズン1 | 東海テレビ×WOWOW共同製作連続ドラマ

 

以前本屋さんでそういうタイトルを見かけたなという程度にしか知らないこのシリーズ。テレビで流れていた情報を聞くと私の好きなジャンルである民俗学ネタを扱ったホラーミステリだと聞いたので、食指がそそられシリーズをまとめ買いし、現在刊行されている1~6巻+EXまで読んだ。

 

シリーズ概要

本作は大学生の深町尚哉の幼少期の体験から始まる。長野の実家で深町は青い提灯が飾られた異様な盆祭りに迷い込み、その体験が元で深町は人の嘘が判別出来る――嘘をつく人の声が歪んで聞こえ――ようになってしまう。

その体質が災いして深町は人と距離を置くようになってしまうが、大学一回生のある日何となく受講した「民俗学Ⅱ」で准教授・高槻彰良と出会う。現代の都市伝説・怪談話を専門に研究する高槻は驚異的な記憶力の持ち主であり、その声は深町にとって嘘がなく心地の良い声だった。

ひょんなことから深町は高槻のフィールドワーク――高槻が開設したサイトに寄せられた調査依頼――のバイトとして雇われるが、この出会いが深町のみならず高槻の過去にも大きな影響を及ぼすことになる…。

 

以上が本シリーズのさわりの部分になる。

民俗学ネタでホラーミステリというと、私の大好きな刀城耶シリーズ三津田信三・著)が先達として挙げられるが、当然ながら刀城言耶シリーズとは全く違うテイスト。時代設定やホラーとミステリのバランスの塩梅の差など違いを挙げるときりがないが、やはり探偵(准教授・高槻)と助手(学生・深町)のコンビが特殊能力を持っているのが本シリーズ最大の特徴だろう。瞬間記憶能力や嘘を判断出来る能力によってミステリにおける「証言の真偽の検討」に費やすパートをカット出来るという利点がある一方、すぐに嘘かどうかわかるため、事件が複雑化しにくいという欠点もある。

そのため、本シリーズの物語は基本短編で長編の事件はない。また殺人といったヘビーな事件はほぼないためテイストとしてはライトミステリに近いというのが原作を読んだ私の感想だ。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

1話(コックリさんの怪)

准教授・高槻彰良の推察2 怪異は狭間に宿る (角川文庫)

初回は原作2巻の第一章「学校には何かがいる」。ドラマではこれが高槻と深町の出会いの事件となったが、原作では別の事件が切っ掛けで出会い、本作の事件は神隠し事件(1巻第三章)で高槻・深町が出会った少年を通じて高槻に調査依頼が来るという流れになっている。

ドラマでは深町が帰宅途中に出会った子供の怯えようを見て高槻に調査を仰ぐという展開になっており、原作と比べると出会いの経緯が随分はしょられた感じが否めない。が、怪異に怯える子供をほっておけないという深町の優しさと彼自身が抱える能力という心理的背景に基づいた展開になっていたのは良かったと思う。一応劇中で高槻が「深町くんは優しい」ことを何度も明言しているが、それが言葉だけで滑ってないのはこういった演出による所が大きいだろう。

 

学内で女子児童三人がこっくりさんをしたことで教室のロッカーにこっくりさんが住みついた。しかもその霊は病気で学校を去った千夏という子の生霊ではないか…。噂は学校に広まりちょっとした恐慌状態に陥っている状況を解決するため高槻・深町が調査する内容だが、大筋は同じながらドラマは調査過程が異なっており原作以上にミステリ的なプロセスを経ているのがミステリ好きの私としては好感触だった。

例えば、こっくりさんで「ちなつ」という文字が出たことについて、原作では女子児童と一緒にこっくりさんをしていた先生が誘導した、と実に単純な解釈が為されているが、ドラマでは女子児童三人にそれぞれ好きな男子児童がおり、それを知っていた先生がその答えが出る質問をするよう女子児童三人を誘導。そしてこっくりさんで「私たちを好きな子はいますか」と質問した女子児童はそれぞれが思う相手の名前を意識し、その頭文字が「ちなつ」という別の名前として変換された…という真相になっている。

 

他にも、先生がこっくりさんをやらせたことを示す手がかり(こっくりさんの紙を燃やしたこと)や、壁に貼られた生徒の絵の数と机の数の違いなどドラマオリジナルの手がかりを経て先生の真意をミステリの手順を踏んで暴いたのは良かった。深町の特殊能力を見抜く「叙述の気づき」も含めて、特殊能力設定だけに頼っていない優秀な脚本だと感じられる。

 

※ドラマ序盤の民俗学の講義が始まる前こっくりさんの映像が流れた時、男子学生と女子学生が「好きな子のやつとかやらなかった?」「あー、私はあまりやったことないですね」という会話をしている。この時点でこっくりさんに聞く定番の質問が伏線として張られており、それに気づければ高槻が女子児童に聞いた時に定番の質問がされていなかったという違和感に辿り着けたはずだ。

 

トラウマを抱える先生

こっくりさん騒動は千夏を忘れて欲しくなかった先生の出来心が切っ掛けとなった騒動だが、原作とドラマでは先生の動機のニュアンスが異なる。

原作では先生本人もこっくりさんをやっていることからその最中のほんの出来心が結果的に子供たちを恐慌状態にしてしまった…という感じ。一方のドラマは上述したように直接こっくりさんに関わらず女子児童を誘導して千夏の名を出させたため、出来心というよりは確信犯的な動機と判断するべきだろう。その後の心情の吐露の様子といい、先生自身のトラウマが騒動の背景にあるのではないかと勝手ながら思った。

 

別に心理学に詳しい訳ではないが、学生時代にのけ者にされた、或いは一致団結してやろうとしたことが頓挫しバカにされた、といったトラウマ体験がありそれを埋め合わせるために完璧なクラスであろうとした、という想像が出来てしまう。特に日本の教育は軍隊的な規律性を求める要素が多く、「個」よりも「集団」としての協調性を求める。残念ながら私が中学生の時もクラスという枠組みでしか物事を見られない先生がおり、クラスでトラブルがあった時は個人の問題ではなく、そのトラブルを収束出来ないクラスに問題がある、という理不尽な判断を下されたものだ。

今回の先生も「個」よりも「集団」にこだわり過ぎたがゆえに、教育の枠を超えた行為をとってしまった。物語によっては教師のエゴとして糾弾されるべき所を高槻は否定的な文言を使うことなく先生を救済している。このシリーズが陰惨な形で終わらないのは高槻の優しさがあるからだ。原作とドラマでは救済の台詞も異なるため気になる方は是非比べてみてほしい。

 

その他感想

・私も大学生の頃、民俗学の講義を受けたことがある。2タイプあって1つは高槻のような講義形式のもの。もう1つは実践的な面での講義でお年寄りの方の聞き取り調査をレポートとしたもの。講義形式の前者が圧倒的に楽だった記憶がある。あと講義前のパワーポイントの映像えらく凝っていたが、流石にあんな演出はなかったし講師の方も普通に教壇の前から講義を始めてたよ。あんな舞台みたいに座席の後ろから前に進むなんて普通はないからねww。

あとピンキリかもしれないが准教授であの研究室はだいぶ広い方だと思う。私は古代史ゼミの研究室に行ったことはあるが、もっと雑然とした感じで余白というものはなかった。

 

・深町の幼少期を演じた子役の子、神宮寺さんと同じ位置にほくろがあったけどあれってメイクで描いたのかな。本筋と関係ないが細かいこだわりで地味に凄いと思う。