タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

間宮祥太朗『色』を読んで

色

首を長くして待っていた間宮さんのエッセイ&フォトブック『色』が先日届いた。発売日当日に購入した人もいるだろうが、私は間宮モバイルから注文したものを待っていた。人によっては数冊買った方もいるだろうが、私にそんな経済的余裕はないので、この一冊を待ちに待っていたのだ。

 

本書は雑誌「+act(プラスアクト)」で連載されていた、色をテーマにしたエッセイ23回分と各色をテーマにした撮り下ろし写真が収録されている。

23回分のエッセイに合わせて収録された写真もさることながら、間宮さん本人の直筆による文章が本書の特色で、彼の達筆ぶりも含めて、なかなか独創的なエッセイ&フォトブックになっている。

 

さて、読む側としては楽なエッセイだが、いざ色のことをテーマに何か書けともし言われたら、これは私には難事業である。色に鈍感でも色弱というわけでもないが、色というものに苦手意識があると内心思っていて、学生時代は図工・美術で絵の具の調合がうまくいかず、思うように色が作れなかったこともあり、「自分は色のセンスがないのでは」と密かにコンプレックスみたいなものを抱いていた。それ故、色のセンスがある人や、間宮さんみたいに色のことで文をつづれる才のある人というのは、憧憬の対象になっている(普段はそこまで意識してないけど)。

 

ボス恋の中沢さん旋風過ぎ去りし今、間宮さんもより多くの人に周知され、ファン以外で本書を手に取った方もいるだろう。そして探せば本書に関するレビューも山のように出て来るはずだが、どうせ同じレビューをするなら、少し趣向を変えてやろうかとちょっと通常とは異なる形でレビューしていく。流石に23色分全ては無理なので気になったものを一部ピックアップして感想を紹介していこう。

 

黒色

男がいる。

景色はよくわからない。草原なのか、砂漠なのか、それとも荒れ地なのか。地平線ばかり見えて地面は黒い闇に覆われている。明け方なのか、日がすっかり沈んだ夕闇なのか、それもよくわからない。月は出ているがそれも豆粒みたいなもので、その光が地面をなでることもない。

そんな場所に男はいた。

その男もまるで風景に溶け込むような黒い衣をまとっている。フードをかぶっているようだ。首筋と顔だけがこの暗い景色の中で白く浮き上がっているようにも見える。

フードを被った黒い衣の男……。これだけ聞くと死神ではないかと思ってしまうが、彼から死の陰りみたいなものは感じられない。

彼はどこへ向かうのだろうか。いや、向かわずまだここにいるのかもしれない。ただ一つはっきりしているのは、彼はこの暗闇をずいぶん信頼しているみたいだ

 

ファンなら承知のことだが、間宮さんは黒色の衣服が主な私服であり、下着も同じものを揃えている徹底ぶりだ。「信頼している」とまでいうくらいだから、間宮さんにとって黒は裏切らない色(=ハズレがない色)ということだろう。よく通販とかで良い色だ、似合いそうな色だと思って買ったものが、実際手元に届いてみると思っていたのと違ってガッカリさせられるという話を聞く。色に裏切られたという訳だ。照明の当たり方一つで色は別の表情を魅せるからだろう。しかし、黒はそういったものの影響を受けにくい。せいぜい明るさや濃淡が違う程度で、他の色より期待外れが少ない。

何物にも染まらない黒は裁判官の法服に使われている。黒は公平で、裏切らないのだ。

 

赤色

男がいる。

いや、男と断定しても良いのだろうか。映っているのは目と鼻と口、それから前髪と指先だ。

唇が赤い。血でもすすったのかと思ったが、紅をひいているようだ。指の爪も唇と同じくらい赤い。紅をひいて指爪を赤く染めているのならば女だろうか。

いや、女ならばもっと色んなものを見せてくるはずだ。唇と爪の紅だけ見せて満足するような女はまずいない。彼女たちは身体も、髪も、靴や装飾品なども見せないと気が済まない質だからだ。

ならば男だろう。肌は白絹のようだ。それにしても、唇に紅をひいて肌が白いなんて、まるで吸血鬼みたいじゃあないか。やはり寝床は棺なのかしら。こんな男はどういった店に通うのだろう。薄暗いバーだろうか。居酒屋はないだろう。吸血鬼が赤提灯の店に行くわけがない

 

映画「全員死刑」をはじめとする、様々な悪人をこなしてきた間宮さん。犯罪者を演じる役者は数多あるが、若いうちからここまで多彩な犯罪者を演じているのは恐らく間宮さんだけではないかと思う。本文で炎についても触れているが、私の中で映画で炎というと「TRICK劇場版」を思い出す。今はCGでいくらでも炎の演出が出来るが、本物の炎による演出をメイキング映像で見ていると、やはり特別感があり、映画だからこそ出来ることだと思ってしまう。単純な思考だと指摘されてしまうかもしれないが、普段あまり赤色のものを身に着けないこともあって、赤色というのは非日常的な色だと感じる。

 

青色

男がいる。

天気は良いし、晴れがましくもない。海が見えるからか、妙に浮足立った気分になりそうだ。そんな海を背にして男はいた。

地元の人間ではなさそうだ。余所行きのスーツでぴしっとキメている。濃い青色のスーツに青いネクタイ。靴も暗い青のようだ。全身青づくめの「青い紳士」は草地に立てかけた、これまた青いイスの上に佇んでいた。いや、正確に言うと右足はイスの尻を乗せる所に、左足は背もたれの上にかけて立っている。

何をしているのだろう。始め私はカメラマンかと思ったが、手にカメラは持っていないし、遠景を撮影するにしても鉄製の脚立くらい持っているはずだ。でも彼が立っているのは木製の青いイス、脚立じゃない。

人を待っているのか? いや、こんなキザったらしい待ち方はしない。第一足が疲れる。地に足を着けずイスの上に佇み、海という大自然を背にしているなんて、自然に反しているではないか。もし私が思っている通り、この紳士が自然に反してこのようなことをしているとしたら、それは何というか、青臭い人間である

 

過去に二冊写真集を出している間宮さん。そのタイトルは『未熟者』と『GREENHORN』。どちらも言い換えれば「青二才」という意味だ。青というと未熟とか不完全なイメージだが、不完全なものに惹かれるのもまた人の性。青春という言葉があるが、私個人の記憶で青「春」と呼べる期間はちょっとしかなかった気がする。特に高校時代なんて精神的に鬱屈としていたし、「春」なんて呑気なものでなく「冬」に近い感覚だった。だから私の場合、青春よりも青「冬」(せいとう)というのが正直な思い。勿論、青冬は私の造語である。

あ、本文とは関係ないけど、ぴしっとスーツ姿でキメている間宮さんを見ると、いつか泡坂妻夫亜愛一郎シリーズを間宮さん主演でドラマ化してもらえないものか……と思ってしまう。

 

茶色

男がいる。

放牧地だろうか。奥の方は森になっているものの、周りは草地だ。鬱蒼とはしていない。実に開放的な自然である。

男は茶色い衣をまとっている。あれはポンチョか? 服の名称に詳しくないので間違っているかもしれないが、暖かそうな生地で織られていることは確かだ。

男は馬と戯れている。栗毛の馬みたいだ。仔馬ではない。

あんなに戯れているが、馬はどう思っているのだろうか。同じ人間同士でもわかり合えないというのに、一方通行になってやしないだろうか。……いや、考えるだけ野暮である。ひと時の娯楽に茶々を入れるべきではない

 

間宮さんの本名に「馬」が入っていることは前に聞いていた。雑誌モデル時代は本名で活動していたようで、ネットで検索すればその当時の画像も出てくる。

私は馬に特別愛着があるわけではないが、間宮さんが馬が好きだというと多少気になるものはある。昨年から「あつまれどうぶつの森」をプレイしているが、住民のシュバルツに思い入れがあるのも間宮さんの影響によるものだ。ちなみに、シュバルツの誕生日は6月16日。間宮さんとは5日違いだ。

画像

(第一印象こそコワイが付き合うとカワイイ面があるのも間宮さんに通じる所があって大好きなキャラである)

 

透明

男がいる。

海なのか、川なのか。たぶん池ではないだろう。淀みのない水に男は胸の辺りまで浸かっていた。胸から下は水面の反射でよくわからない。素っ裸なのだろうか。

水面からざぶりと出て来たのか、男の周りに水しぶきが飛ぶ。しぶく水の珠の奥にいる彼の瞳は、長い睫毛に遮られてどこを眺めているのかまではわからない。

飛び散る水はそれぞれ元の水に戻るか、或いは男の皮膚に付きしばらく留まるか、もしかすると、男の口に入って彼の一部となるのだ。

色のない水が男の色となる。まるでメスの体に同化していくオスのチョウチンアンコウみたいな話である。同化するということは、同化する前の自分がなくなってしまうようなものだが、消滅ではない。ゼロにもマイナスにもならない。それはさながら、透明人間として生きていく感覚に近いのかもしれない

 

色がテーマのエッセイで「無色」を扱うというのは禅問答に近い気がするがそれはさておき、色に限らず目に見えないものを人類は無理くり言葉や形として変換している。例えば、人の生命の源を「魂」と呼ぶ。魂は「タマ」とも呼ぶし、人魂などは尾を引いた球体として描かれることが多い。でも実際それは基本的に見えないものであり、必ずしも魂が丸い必要はない。四角い魂や三角の魂があっても良さそうなのに、魂は常に丸いものとして語られる。見えた人が丸いと言っているのだから仕方ないのかもしれないが、不思議なことに、誰も魂が丸いことには疑問を持たないのである。

 

薔薇色

男がいる。

赤い薔薇だ。男は白地に赤い薔薇が描かれた衣を着ている。濃い薔薇の色は、花弁と花弁の間に闇が生じる。彼が来ている衣に描かれた薔薇も闇がはさまっている薔薇だった。

男は薔薇を持っている。勿論絵ではなく本物の薔薇だ。花弁を摘まむ。一瞬のうちに摘まんだ花弁は無くなって、彼は咲いている薔薇に直接口づけをしている。

花弁を食べたのだろうか。花を食べる男とは、現実離れも甚だしい。どこかの国で、土を食べて生活している老婆の話を聞いたことがあるが、見栄えが違うというだけでどちらもファンタジックなことに変わりはない。

想像する。今ここに刀があったとして、この男を袈裟懸けに切り殺したとしたら、血ではなく薔薇の花弁がぶわっと飛び散るのではないか、と。

我に返る。別に私たちは血を飲んでいなくても切られれば血が流れるのだ。ならば、花を食べる男がいたとして、その体に薔薇が流れているという道理にはならない。わかってはいたものの、私は少々がっかりした。

 

赤色同様、これも私には非現実的な色である。薔薇といえば間宮さんが出演していた映画「ライチ☆光クラブ」を思い出す。あれも実に非現実的な物語だった。元がアングラ舞台の作品だというのも頷ける。

あと薔薇はミステリ小説でよく扱われている印象が強い。金田一少年とか、以前読んだ『ブルーローズは眠らない』とか。百合とかライラック百日紅が出てくるミステリ小説もあるにはあるが、薔薇は物語の装飾だけでなくトリックとしても利用されており、やはりミステリというカテゴリにおいて、薔薇は別格ではないかと思っている。

 

 

以上、本書からピックアップした『色』レビューである。写真だけで言うと「紫」の日本画的な間宮さんや、「銀」の近未来・異星人的な間宮さんも凄い好きだったのだけど、文としてまとまらなかったので割愛することになった。単に「カッコいい!!」とか「素敵!!」みたいな感想記事だったらそれも紹介出来たのだけど、本書はエッセイでもあるので、こちらも本書に敬意を表して写真を小説的にレビューし、個人的な感想を挿むという内容にした。

感情的な言葉をつづるのは苦手だが、間宮さんは今のところ「好きが止まらねぇ!」って感じで、これだけ継続して追っかけているのも、そしてこのような長文記事を書いたのもひとえに止まらない「好き」によるものなので、どうか、間宮さんの俳優人生がこれからも末永くうまくいって欲しいものだ。