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「誰がここまでやれと言った」感満載、探偵・由利麟太郎 1話「花髑髏」(ネタバレあり)

花髑髏 (角川文庫)

遂にこの日が来た!

戦前の作品を令和の時代に連ドラとしてリメイクする大挑戦、こちらの予想をはるかに超える形で映像化されていて、ビックリしたよ。

 

由利麟太郎シリーズとは

まずざっくり由利麟太郎シリーズについて紹介。原作は1933年から1961年にかけて発表された30作を超えるシリーズ。ジュブナイルも数えると60作は超えるシリーズにも関わらず、金田一耕助に押されて日陰に追いやられる羽目になった、少々不遇なシリーズなのだ。

主人公の探偵・由利麟太郎は元刑事でトレードマークは白髪。助手に相当する三津木俊助は新聞社の花形記者で、大抵この三津木が事件に首を突っ込み、どうしようもない状況になると由利に助力を請う形になっている。

やはり金田一と比べるとビジュアル面で個性が弱く、またミステリとしてのクオリティも金田一シリーズに譲る結果となったが、草双紙的趣向や耽美な世界観は本シリーズの方が強い。

 

ドラマ化するにあたって、由利と三津木の設定が色々追加・変更されている。由利はビジュアルこそ原作通りだが、弓術に長けた設定が追加され、アメリカで得たトレース技術が探偵術に活かされている。アメリカで得た経験が探偵活動に活かされているというのは金田一耕助の設定に通じる所があるし、弓は横溝作品で散見される題材のため、個人的にこの追加設定はしっくり来ている(少なくとも「この犯罪は美しくない」とか言わせていた某局のミステリドラマに比べたらずっとマシだよ)。あと先端恐怖症という設定も追加されているが、この設定が今後どういう形で活かされるのか。今回は特に意味があるように見えなかったので注目していきたい。

三津木は新聞記者から小説家に変更。由利の探偵活動を記録したサイトを運営するなど、よりワトソン的立ち位置が強くなっている。記者から作家に変更したのは現代だと作家の方が記者よりも融通がきく身ということだろうか。昔の新聞記者は一つの事件にかかりっきりでも大丈夫だったのかもしれないが、今だとそうはいかないしな。

金田一シリーズでも登場する等々力警部は原作だと東京の方の刑事だが、ドラマでは京都府警の刑事で鯛焼き好きというコミカルな役どころになった。

 

また、関東圏を舞台とした原作と異なり、ドラマは関西、特に京都を中心に事件が展開される。かつて古谷一行主演の横溝正史シリーズで、京都がロケ地となった作品があったが、この度のドラマ化でまた関西圏が舞台になったのは嬉しい。今回の「花髑髏」の舞台は原作だと新宿区市谷だが、ドラマは京都伏見区近辺の事件として描かれている。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「花髑髏」

原作の初出は1937年。由利の元に「花髑髏」と署名の付いた事件の予告状が届き、現場に赴くと、長持(ドラマは冷凍庫)から日下家の令嬢・瑠璃子の刺傷体が発見され、更に日下家で父・瑛造の刺殺体が発見される。そして、死体のそばに転がっていた髑髏が本作の事件の発端となるのだ。

原作既読の方はご存じだと思うが、戦前に発表された作品だけあって、今では倫理的にアウトな諸要素があるのが本作の特徴の一つ。ではどういう点がアウトかというと以下の点が挙げられる。

①精神的な病(=犯罪者的性質)が遺伝するという考え。

②「白痴」の醜悪な書生、宮園魁太。

これを今のテレビでそのままやると炎上間違いなしの案件なので、どう変えてくるかが視聴前の注目ポイントだった。

 

人物関係はほぼ原作通りだが、唯一宮園魁太は書生から瑛造の養子として改変され、姓も日下姓になっている。また、白痴設定が無くなり新たに引きこもりのゲーマー少年(12歳)という設定に変更された。この設定が原作とは違う効果を及ぼすが、それは後ほど言及する。そして、事件の発端となった八十川藤松は藤吉という名前に変更。瑠璃子(1992年生)はイラストレーター、瑛一(1990年生)は塾講師という職業が設定されている。

 

犯行動機や事件の構図といった大枠こそ原作準拠だが、細かい所でドラマオリジナルの設定・改変が行われている。

まず事件の発端となった八十川の死について。原作では凶暴な精神病者として病院に収容されたが、看護師への乱暴狼藉が甚だしく、事態を収束させるために瑛造が病気に見せかけて殺害したということになっている。一方ドラマの八十川は凶悪強盗犯であり、日下の研究所で超音波治療の被験体として利用された結果、発狂し自分で自分の首の骨を折って自殺したという、何とも凄まじい改変が為されている。

原作はやむを得ずの殺人で被害者の瑛造にも同情の余地があったが、ドラマの方は独断で未認可の実験を行ったので同情の余地などあるはずもなく、それに加えて行っていた瑛造の所業が人でなしレベル。ここまでクズな人間は横溝作品でも珍しく、有識者(フォロワーの方ね)の間では悪魔が来りて笛を吹く』の新宮利彦に匹敵するのでは?という意見もあった。ちなみに、瑛造を演じた中村育二さんは吉岡版金田一の「悪魔が来りて笛を吹く」で玉虫公丸を演じている。

 

本作では八十川の息子「」(ドラマはアキラ)による復讐殺人か、それとも瑛一が結婚を反対されたため殺したかが問題となる。読者は瑛一と瑛造の血が繋がっていることを知っているから、アサ」=魁太だと考えるはずだが、ドラマは魁太を小学生の設定にしているため、この説は即座に否定される。なぜなら八十川が死亡したのは20年前であり、当然その頃の魁太は影も形もないし、八十川の息子である訳はない。

原作の魁太は犯人に操られて毒殺、「アサオ」=魁太が復讐を遂げて自殺したと捜査陣に思わせるために殺されたようなものだが、ドラマにおける“魁太の死”は「自殺に偽装」という点では同じだが、見せ方や目的が原作とはまるで異なっており、これは文字通り衝撃を受けた。

 

鉄くずと共にプレスされて死亡…という横溝の世界でもなかったであろう残酷な描写を盛り込んだのは、流石過去に猟奇殺人系のドラマを輩出したカンテレの面目躍如といった所か。

「アサオ」=魁太が否定されたとはいえ、ドラマでは魁太が秘密裡に超音波実験の被験体として瑛造に利用されていたことが明らかとなっているため、魁太に殺害動機があり(自殺したかどうかは置いといて)瑛造を殺害した可能性が完全に否定されていないのがよく出来ている点ではないかと思う。

 

しかし、原作と違い真相が明かされる前に瑛造殺害の瞬間が回想で流れ犯人が明らかとなるまさかの展開に。このような描き方をしたということは、ミステリにおけるフーダニットの趣向を放棄し、ホワイダニット(動機面)を重要視しているということだろう。まぁ元々原作の方も意図する所がやや見え見えではあったので、この改変は別に問題ないと考えている。

 

悪魔から聖母へ

さて、ここから先の展開はほぼドラマオリジナルと言って良い。

あくまで原作の犯行動機は実父を死に至らしめた瑛造と湯浅に対する復讐だったのに対し、ドラマでは(原作で復讐目的のためだけに利用された)魁太を守るための殺人だったという動機が追加されている。この二重の動機を成立させるために、魁太が瑛造と瑠璃子の間に生まれた子供という、おぞましい設定が付け足され、瑛造の鬼畜性がより強調されることになった(近親相姦ではないだけマシなのかもしれないが…)。

また、由利に対して送られた予告状も、原作では容疑者圏外に自分を置くための偽装工作だったのに対し、ドラマでは瑛造の悪事を由利に暴露させるためと改変されている。しかしそうなると、魁太が世間から好奇の目で見られることになるため、自殺に偽装して魁太の過去をリセットさせたという、原作とは真逆の目的で行われた偽装が秀逸。悪魔の子として描かれた原作の瑠璃子を、子を守る聖母・瑠璃子に反転させたプロットには脱帽せざるを得ない。

 

以上を見ると、原作で倫理的にアウトだった二点を克服したように見えるが、実は①の「精神的な病(犯罪者的性質)が遺伝するという考え」は今回のドラマにおいて完全否定されていない。それこそが、今回ドラマオリジナル設定として追加された瑛造の悪事と瑛一の偏執的な愛情に見いだせる。勿論、これは遺伝などではなく瑛造の所業が単に糸を引いた結果だという意見があるかもしれないが、瑠璃子にとって自分に都合の悪いものを排除しようとした瑛一は瑛造と同じだと思ってしまったのも無理はない。

 

この令和の時代において、犯罪者の子が犯罪者になるという考えはあってはならないことだし、既に廃れたものだと考える向きもあるかもしれないが、今回の事件のように結果として犯罪者的性質の遺伝を証明してしまうことがままある。それはさながら、虐待された子供が親になった時子供に虐待をしてしまうケースにも通じている気がする。

 

こうやって振り返ってみると、今回のドラマは初回から(色んな意味で)飛ばしている。由利と三津木の関係はホームズとワトソンの関係だけでなく明智小五郎と小林少年にも通じる所があるような気がするし、本筋の事件にしても八十川の死なんか『八つ墓村』の庄左衛門を彷彿とさせる。瑠璃子の描いた絵が見立て殺人的効果を発揮しているのも見逃せない。

全体的に巧い改変となったが、一・二点ほどマイナスポイントがある。それは瑛一のダウンコートについてだが、原作だと瑛一に容疑を向けさせることで、魁太と湯浅殺害の時間稼ぎをする目的があったはずだが、ドラマは瑛一に容疑を向けさせる道具として効果を発揮していないし、湯浅の殺害方法が原作と異なり喘息の薬の吸入器に毒を仕込む遠隔殺人になっているため、そもそも時間稼ぎをする必要がないのだ。故に血まみれのダウンコートという原作通りの展開が却って蛇足になってしまったのは何とも詰めが甘い。

あと、魁太の自殺偽装だが、流石にプレスされた鉄くずから魁太の血が流れていたから死んだと判断するのは早計過ぎやしないか?ちょっとこれは現代の警察機構にそぐわなかったな。演出としてはアリだったけどね。