先日、京都大学推理小説研究会がオンライン新歓企画として、過去の犯人当て小説「暗殺幻影七番勝負」問題編・解答編をネット公開してくださった。
【オンライン新歓企画】期間限定犯人当て小説『暗殺幻影七番勝負』問題編を公開しました。腕に覚えのある方はぜひご挑戦ください。解答編の公開は4/12(日)を予定しています。https://t.co/H7xI7Qdu2x
— 京都大学推理小説研究会 (@soajo_KUMC) 2020年4月10日
京大推理研といえば、綾辻行人氏・法月綸太郎氏・麻耶雄嵩氏・円居挽氏といった有名ミステリ作家を輩出した歴史あるサークル。そこの「犯人当て」を無料で読めるなんて滅多にないことなので、未読の方は是非。
(解答編も含めて5月6日までの公開なのでお忘れなきよう!)
私が在学していた大学にも推理研はあったけど、設立して5年も経過してない歴史の浅いサークルだったから、犯人当ても数回程度で読書会も在籍していた4年の間に25回前後(30回もいってなかったと思う)。故に、犯人当ては得意でないし、そもそも犯人当てを創作したいという思いがあってもそれを書き上げる技術・知識がなかった。
綾辻先生とか有栖川先生は小学生時代からミステリに慣れ親しんで小説も沢山読んできた方々なのに対し、私がミステリ小説を読み始めたのは高校半ばの頃。
だからね、大学在学時は「書きたい!」欲よりも「読みたい!」欲の方が強かった…というと言い訳になるだろうか?
私が犯人当てを得意としないのは、ロジカルな推理というものに対する経験値が少なかったというのもあるけれど、心のどこかで「ミステリ小説は騙される快感を味わうために読んでいるのに、わざわざ犯人を当てようとするのは却って興趣を損なうのではないか?」と思っていたのも理由の一つ。
まぁ読者への挑戦を挿入しているミステリ小説は読者が謎を解くつもりで読むことを予想して書かれたものだから、複雑かつ巧妙にトリック・ロジックが仕組まれて推理を楽しめるものになっているのだけど、推理小説全般で「真相が明かされる前に謎を解いてやる!」なんて気概で読んでいたら絶対面白くない読書体験になると当時は思っていたので、読者への挑戦が挿入されたミステリも(ある程度の情報を頭にインプットした状態で)込み入った推理をはたらかせずさっさと解決編を読んでいた。
そんな「犯人当て」に異なる視点を与えてくれた作品がある。
それが、2017年12月に読んだ鮎川哲也氏の「薔薇荘殺人事件」だ。
この「薔薇荘殺人事件」は犯人当て小説で、鮎川氏による問題編と解決編のほかに、花森安治氏の解答も掲載されている。この花森氏の解答文が面白いのと同時にハッとさせられたので、冒頭部分を一部引用させていただく。
推理小説を読むのに、傍に紙と鉛筆がないと気がすまない、というオカシナ奴が、たまにはいるものだ。
(中略)
そういうオカシナ読み方をする奴も、たまにはいるだろう、だが、あれはどうもボクの性に合わないようだ。
第一に、めんどくさい。
(中略)
第二に、そうまでして犯人をつきとめては推理小説のダイゴ味、一番うまいところがなくなってしまう。(後略)
手間ひまかけて推理小説を読むのは、作者の手で、ほどよい加減にあちらこちらとひっぱりまわされて、犯人はまずこれではなかろうか、とほんのりよい気持ちになりかけたトタンに、意外又意外、夢にも思わぬとんでもないのが犯人であるとわかったときの、あの名状しがたい陶酔的恍惚的ダイゴ味、いわば、あの一瞬のために、ヤクタイもない紙芝居的人物の出入りをがまんして読んでいるようなものだ。
それをチョカチョカ先まわりして、わざわざ犯人をつきとめてしまうなんて、こんなバカげたことはないのである。
先ほど私が述べた旨を花森氏は既にこうやって開陳していたことに驚きと共感を覚えたものだが、ここから先の花森氏の推理手法論とでも言うべき意見にいたく感銘を受けたものだ。
そういう時に、一番いけない読み方が、じつは、この紙を傍に鉛筆を片手に、というやり方だ。こんなことをすると、あたる犯人もあたらなくなってしまう。
(中略)
犯人をあてたかったら、人形を操っている糸の動きと、その糸の端をにぎっている指先に注意するにかぎる。作者というのはウカツなもので、お客は人形の動きばかりを見ているものと思いこんでいるから、糸の動きや、指先のこなしには、案外無神経なものだ。なかには、大いに神経を使っているのもないことはないが、そうなればなるで、かんじんの人形の方がしどろもどろになる。どうかすると、指先に気をとられて、人形の裏が見えたのを気がつかずにいたり、大道具を倒したり、なかなかうまくゆかないものだ。
つまり、事件概要をつぶさに検証するよりも、物語におけるキャラクターの配置や道具の扱われ方から作者が読者に対してどういう風な見せ方を演出しているかを読み取ることが犯人当てで重要だ、というのが花森氏の主張であり、この作品批評的な推理方法に「おぉ!こういう推理方法もあるのか!」と唸らされたものだ。これならば読書の興趣を削ぐことなく、犯人に辿り着くことが出来るのだから。
で、この度の「暗殺幻影七番勝負」で花森氏のことを思い出し、私も作品批評的な推理をやってみたのだ。
という訳で、以下は備忘録の意味も込めた「暗殺幻影七番勝負」のネタバレ感想となるので伏せ字にしておく。
(ここからネタバレ感想)結果から言うと、半分正解で半分不正解だった。正解したのは犯人=光石志乃という点で、不正解は光石志乃=〈サイレンス〉という点。これは見抜けず〈エンフォーサー〉だと推理してしまった。
ではどういう風に推理したかというと、まず殺害現場に注目。問題編でご丁寧にも殺害現場の図が挿入されており、推理の材料にならないものを作者が手間をかけて挿入する訳がないので、血だまりと足跡が重要な手がかりなのは間違いない。
〈ダーケスト〉を除いて殺害現場の棟にいたのは〈フィア〉・〈インフェルノ〉・瞳・志乃。〈フィア〉・〈インフェルノ〉は血だまりの入り口側に足跡を残さず棟の入り口や瞳の逃げ込んだ先に向かうのは不可能なので除外される。
あとは瞳・志乃となるが、仮に瞳を犯人とすると「廃墟マニアのフリをした暗殺団のメンバーでした~」という余りにも安直で面白みのない真相になってしまい、ツイッターで見かけた前評判にそぐわない。そもそも瞳が犯人だとすると、棟の奥に逃げ込みそこで〈ダーケスト〉を殺し更に奥の部屋へ向かうことになる。それに要する時間と志乃が奥の部屋へまっすぐ向かった時間を考えると、瞳が犯人だとした場合どう考えても志乃が部屋に着いた時点で瞳が〈フィア〉に殺されそうになっている状況が生まれるはずがない(先に志乃が奥の部屋に辿り着いてしまう)ので、瞳は犯人から除外される。
となると、「犯人は志乃ではないか?」と思うのも無理はないのだ。いささかベタであるとはいえ、語り手が犯人というのは意外性があるからね。
さて、犯人が志乃なのは間違いないが、そうなると読者への挑戦状における条項「・犯人は、冒頭に付した〈暗殺幻影七人衆〉の中にいる。」と合わなくなる。ならば、志乃=〈ファントム〉ではないことは明らか。ここでもうちょっと熟慮すべきだったが、〈エンフォーサー〉という変装の達人に飛びついてしまったのは誤った判断だった…。よく読めば狙撃者の存在・〈デプス〉の位置・〈インフェルノ〉の仕掛けといった手がかりがあったのに。でもそこがこの作品の巧い所だと言えるよね。(ネタバレ感想ここまで)