コロナにまつわるアレコレにイライラさせられている私たち。
襟の糊付けにイライラさせられるポワロ。
いつの時代でも、どんな身分でも、悩みは絶えないもんです。
「ミューズ街の殺人」(「厩舎街の殺人」)
原作は『死人の鏡』所収の「厩舎街の殺人」。100頁超えの中編だが、これには原型となる作品があって、それは『教会で死んだ男』に所収された「マーケット・ベイジングの怪事件」。
「マーケット・ベイジングの怪事件」では、休暇中のジャップ警部とポワロとヘイスティングスが訪れたマーケット・ベイジングで、そこに住むウォルター・プロザローという中年男性が不審死を遂げるという物語。
分量はわずか20頁ほどの短編で、説明的な部分が大半を占めているため小説としての面白みはあまりないが、「厩舎街の殺人」がどういう発展を遂げたのかを知る上では重要な作品だ。
ちなみに、「厩舎街の殺人」は星野泰視氏によってコミカライズされており、「ABC殺人事件 名探偵・英玖保嘉門の推理手帖」1巻で読むことが出来る。
舞台を昭和十一年の日本に置き換えているため、殺人現場も厩舎街ではなく南京街に改変されているが、被害者や容疑者は原作と同じ外国人のままになっている。
英玖保嘉門のシリーズは現在『ABC殺人事件』(全4巻)とノンシリーズの『蒼ざめた馬』(上下巻)をコミカライズしたものが刊行されている。いずれもアレンジが面白い作品となっているので、おススメだよ。
(以下、ドラマと原作のネタバレあり)
個人的注目ポイント
・ガイ・フォークス・デイ
原作で注釈が付けられているが改めてこのイベントを説明すると、起源は1605年11月5日に起こった火薬陰謀事件。
当時の国王であったジェームス1世によるカトリックやピューリタンの弾圧に怒ったガイ・フォークスをはじめとするカトリック教徒が国会議事堂を爆破しようとしたものの未遂に終わり、翌年主謀者たちはロンドン塔で処刑されたというのが事件概要だ。
ガイ・フォークス・デイはこの事件の記念日であり、ガイ・フォークスを模した人形を引き回したり、夜になって焼き捨てる風習があったが、現在はかがり火をたいたり花火を打ち上げたりかんしゃく玉を爆発させるくらいで、人形の風習は廃れたようである。
昔のテロ事件を記念日にしてしまうというのは日本であまり見られない風習で興味深いが、原作において注目すべきはポワロのこの発言。
「そのうちに、きっと何が何だかわからなくなってしまうさ。十一月五日にああして花火を打ち上げるのが、おめでたいのか、おめでたくないのかってことがね?イギリス議会を爆破するのは、罪悪か、それとも気高い行為かってことになるな?」
ドラマでもポワロは同じようなことをヘイスティングスに問いかけるが(原作にヘイスティングスは出てこないけどね)、事件の真相を知った状態で再読すると物語序盤で本作の事件に対する問いかけのようなものが為されていたことに気づいてハッとするだろう。
・アタッシェ・ケース
原型となった「マーケット・ベイジングの怪事件」にはない新たな追加ポイントとして実に巧みだな~と思ったのが、劇中に出て来たアタッシェ・ケースの謎。
実際はアタッシェ・ケース自体に特別意味はなく、一緒に戸棚に入っていた左利き用のゴルフクラブに目を向けさせないよう、いかにも意味ありげに密かに廃棄しようとしたというレッドヘリングの手法がとられた。
ベタなやり方と言ってしまえばそれまでだが、咄嗟の機転でこれをやったという所にプレンダーリースの賢さが窺える。
・ミューズ街の“殺人”?
事件の真相を知って「あれ?」と思った方、その「あれ?」はサブタイトルにあるのではないだろうか?
サブタイトルには「ミューズ街の“殺人”」と書かれているし、原作の訳も「厩舎街の“殺人”」、そして原語も「“Murder” in the Mews」となっている。なのに、バーバラ・アレン夫人の死の真相は他殺に見せかけられた自殺だったのだから、タイトル詐欺でありアンフェアではないかと思う向きもあるかもしれない。
が、これはあくまでもアレン夫人の死だけに言えることで事件全体を見ればこれはれっきとした殺人。自殺を他殺に見せかけてアレン夫人を死に追いやった悪人を法的に抹殺するという計画なのだ。故に、本作のタイトルはアンフェアではない。
これが「ミューズ街の殺人“事件”」というタイトルだったら完了形(=起こったこと)になるのでアンフェアになってしまうけど、“殺人”で止まっているからフェアなのだ。このタイトルについて、『アガサ・クリスティー完全攻略』を著した霜月蒼氏は「一見おざなりに見える題名も、じつは周到に名づけられたものだ」と評している。
・ポワロの倫理観
アレン夫人の自殺に対してポワロは「その行為は彼女の行為であって……他人の行為ではないのです」とプレンダーリースに語りかける。
この語りかけはドラマにはないが、私はこの一言、ポワロの倫理観が見える非常に重要な一言ではないかと思っている。
自殺という行為をとったアレン夫人はホントに気の毒だと思うし、死に追いやった悪人に対してプレンダーリースが怒るのもわかる。しかし、どんなに痛ましくともアレン夫人がとった行為を無闇に他人が義憤で書き換えてはならないし(そもそも自分を追い詰めた人物が許せないのならば、アレン夫人自身が殺すか誰かしらに依頼していたはず)、自殺という選択肢をとった彼女を尊重して冥福を祈るべきではないか…という思いがポワロのこの一言に集約されている気がしてならない。
次週は「ジョニー・ウェイバリー誘拐事件」。原作未読のためドラマのみの感想になるけどよろしく。