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五百子に手毬唄検索機能が搭載された、加藤シゲアキ版「悪魔の手毬唄」(ネタバレあり)

金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄 (角川文庫)

前作「犬神家の一族」から一年、正直前作の出来がイマイチだったので「今回もイマイチだったら感想を書くのやめようかな~」と思っていたが、なかなか良かったので書くことにした。

 

(以下、ドラマと原作のネタバレあり)

 

加藤シゲアキ金田一(通称「シゲ金」)について

前作はシゲ金初登場ということもあってか、金田一那須ホテルの内情を推理させる描写があったり、周りが矢鱈と金田一を「名探偵」扱いしていたので、コレジャナイ感が凄かったのだけど、今回は最初の検視の下りで、探偵としての役割は務められる(少なくとも「迷」探偵ではない)ことを明示させる程度にとどまっていたから、前作における違和感はあまりなかった。

だからといって原作やこれまでの金田一に近づいたかと言うとそうでもなく、終始感情が均一に保たれているというか、真相を知ってもショックを受けて気分が落ち込んだりすることがないので、私はこのシゲ金、人の心が足りないのではと疑っている

 

輪をかけてクズになる関係者たち

原作は犯人の動機が複合的だからか、各登場人物の内面描写とかキャラ設定もかなり凝ったものになっているが、2時間ドラマでそれを全て描くのは無理。そのためキャラ設定が変えられるのは当然だし、金田一シリーズ映像化の白眉とも言って良い市川崑監督の「悪魔の手毬唄」にしても原作よりも単純化されたワルが出て来る。

で、今回はというと輪をかけてクズ度がマシマシになっている。原作で人格者としての一面もあった仁礼嘉平は差別感情激しく権威を笠にきるようなキャラになっていたし、多々羅放庵もクズ度合いが酷いことになっていた。原作の放庵はあんなにクズじゃないからね!!

敦子・咲枝・春江の三人も原作だとキャラがはっきり分かれているのだけれど、尺の都合か、今回は犬神三姉妹の様な立ち位置になった。当初由良敦子を斉藤由貴さんが演じると聞いた時は「原作で『八幡さん』と呼ばれている気位の高いおばさんを斉藤さんが演じるのは合わない」と思っていたが、犬神三姉妹的キャラ設定だと考えると納得の起用だ。

国生さゆりさんが演じた別所春江にしても原作だと「人殺しの娘と呼ばれた子をスターに成長させた立派な親」という印象があったのに対し、今回のドラマでは「子の成長で高飛車に拍車がかかったダメ親」という味付けになっている。

 

そんなクズキャラ度マシマシのなか、思わず笑ってしまったのは由良五百子刀自の下り。

まさか単語を聞くと歌が再生される最近のスマホアプリみたいな展開が来るとは思わなかったからね…ww。

 

物語構成改変の妙

今回一番関心したのが構成の改変。ドラマでは事件の展開や情報の出し方が原作と違っており、これによって2時間ドラマとしてまとめながら原作要素を拾えているのが地味に凄い。

 

【原作】

「20年前の未解決事件と村の内情」→「金田一、鬼首村へ向かう」→「金田一、おりんと出会う」→「おりんが死亡していたことが発覚」→「放庵の失踪」→「泰子殺し」

 

【ドラマ】

金田一、鬼首村へ向かう」→「金田一、おりんと出会う」→「泰子殺し」→「放庵の失踪」→「おりんが死亡していたことが発覚」

(この流れの要所要所で「20年前の未解決事件と村の内情」の説明がなされる)

 

単に順番を変えたと言われればそれまでだし、原作の「放庵の失踪」におけるサンショウウオ百目蝋燭いなりずしといった手がかりがカットされたことで、放庵が犯人のスケープゴートとして利用されただけの存在になってしまったというマイナスポイントもある。

しかし、この情報の出し方が変わることによって、推理の過程が変わっているのが見逃せない。おりんの死亡発覚が後の方になったことで「おりんと放庵の共謀説」が浮上したり、金田一の前に現れたおりんに該当する人物は誰なのかといった疑問が出ている。

 

また今回のドラマは手毬唄が何番まであるのかわからない状態になっているのも注目ポイント。原作では「三羽の雀」という前置きがあるため、狙われる娘は三人であり、そこから金田一は次に狙われるのは錠前屋だと推測するが、今回は歌の続きがどこまであるのかはっきりしておらず、そのため別所千恵子(大空ゆかり)が立原から疑われ、その結果里子が殺されることになった。この辺り、原作と展開が違うにもかかわらず話としては自然な流れになっていて実によく出来た改変ではないだろうか。

 

手毬唄、四番目の功罪

手毬唄が何番まであるかわからないようにしたことで生まれた、原作にはない歌の四番目

 

女たれがよい 桶屋の娘

器量よしじゃが やきもち娘

橋の上から川面を眺め

色街帰りの旦那を待った 待った

妬みが強いとて 返された 返された

 

オリジナルの四番目が出来たことで「悪魔の手毬唄」というタイトルに相応しい因縁じみた結末になってはいるものの、原作でも言及された手毬唄の法則から逸脱してしまったことは無視出来ない問題。

手毬唄は「三・五・七の何々尽くし」と相場が決まっており、原作の場合だと三人の娘を歌った娘尽くしの「娘うた」と、お庄屋さんを歌った「お庄屋うた」の二種類があることが判明する。一方ドラマでは「お庄屋うた」がカットされ四人の娘になったことで法則から外れることになり、結果何とも居心地の悪いことになってしまった。

どうせ四番目をやるのだったら、お庄屋うたも合わせて五人の村人尽くしという形にした方がまとまりがあったと思うのだけどな~。一番目にお庄屋、二から四番目に三人の娘、五番目に犯人という事件の流れとも合致してより因縁じみた手毬唄になるのに。

 

古谷一行起用で生まれた「粋な演出」

正直視聴前は古谷さんを磯川警部に起用したのは「新旧金田一のコラボ」“だけ”だと思っていたのよ。横溝正史シリーズを見ていた古谷金田一のファンとして、当然嬉しかった。けど、それだけではなかった。

前述したが、加藤シゲアキさんが演じる金田一は人に寄り添う心とか、真相がわかった時のショックがあまりない、比較的淡々としたキャラクターの金田一だ。それに対し、古谷さんがかつて演じていた金田一は情に訴えかける性格が強い金田一だった。古谷さんが金田一耕助として初登場した「犬神家の一族」では、松子夫人に対して「どうしてあなた方家族は人が持つ暖かさから背くのか」といった旨の発言をしている。

そんな情に厚い金田一を演じた古谷さんが磯川警部としてリカに寄り添い、逃亡・自殺を見逃す終盤の展開は、古谷さんだったからこその説得力があると思う。今回のシゲ金が犯人にあまり同情的ではない分、古谷さんが出す「温情」というか「赦し」が心に沁みわたるのだ。

 

さいごに

今回は原作未読の方が原作を読む良い切っ掛けになるドラマ化になっていたことは勿論、ドラマ単体としても気が利いていて続編に期待したいと思える内容になっていた。

来年も古谷さんを起用できるなら「獄門島」が見たいと思うのだが、シゲ金と生瀬さんのコンビを続けるつもりならば「女王蜂」が妥当なのかもしれない。

でも正直シゲ金の魅力を引き出すのならば、田舎の事件よりも都市部の犯罪の方がしっくり来るのでは?と思っており、そういう観点から私は「三つ首塔」「白と黒」の二作を強く推していきたい。

 

あと古谷金田一をあまり知らない方は最低限横溝正史シリーズの「犬神家の一族」と「悪魔の手毬唄」は見て欲しいな、と思う。特に「悪魔の手毬唄」はドラマの中で最も原作に忠実だから見てね。

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