ダイダラボッチはチンが付いてないので猥褻物陳列罪にはなりません。
ダイダラボッチ
85話ゲスト妖怪「ダイダラボッチ」
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2019年12月15日
原作「ダイダラボッチ」に登場。雲をつくほどの巨人で、千年以上昔は日本の主として君臨していたが、強大な力をもっていたため体を分解され日本各地に封印された。ダイダラボッチ教信者により復活した際、復讐として日本全土を食べようとした。#ゲゲゲの鬼太郎 pic.twitter.com/77Qwi7Q61F
ダイダラボッチは日本各地に伝わる伝説の巨人。富士山を動かそうとしたとか、足跡に水がたまって池・湖になったという話が残っている。
原作ではダイダラボッチを神として崇める種族(のっぺらぼうの黒人)が日本各地に封印されたダイダラボッチの身体のパーツを解放していき、復活したダイダラボッチは自分を封印した日本に復讐するため、日本列島を食べようとした。
アニメでは2・3・4期に登場。今期と3・4期のダイダラボッチは原作通りの見た目だが、唯一2期だけ赤い褌をしめた黒人のようなビジュアルになっている。
ちなみにダイダラボッチ教信者は2期では原作通りのっぺらぼうの黒人だが、3期では黒服にフードを被った普通の人間に変わっている。
子供の頃2期のダイダラボッチ回を見た時、信者たちの「え~んやこらさ~い~」の掛け声が不気味で、ダイダラボッチよりもむしろ信者の方が怖かった。3期は「えんや~こらさっ、えんや~こらさっ」で今期は「えんやこらさっ、えんやこらさっ」と各期で掛け声のリズムや音程が違うので聞き比べるのも一興。
七人同行
【七人同行(シチニンドウギョウ)】人間と同様の姿の7人組の亡霊で、常に一列に並んで歩いている。非業の死を遂げた者たちの霊ともいい人間がこの七人同行に行き遭うと死んでしまう。通常は姿が見えることがないが、牛の股間から覗くと見えるという pic.twitter.com/VVjYZS5ftm
— 妖怪カルテ (@yokaikarte) 2017年6月6日
今回ダイダラボッチ教信者の代わりに封印を解いたのは、香川県に伝わる妖怪七人同行。5期で登場した七人ミサキと同じ集団亡霊のようなものであり、行きあうと死ぬという所から見て行逢神の一種だと考えられる。
原作やこれまでのアニメで登場した信者たちは人間と同等の能力だったが、七人同行は手からビームをとばせる。原作通り人間と同等の信者だと封印に必要な鍵を奪われ計画が頓挫する可能性があるのだから、ぬらりひょんが封印を解く実行犯として彼らに目を付けたのも当然だろう。
封印を解く実行犯が七人同行だと明らかになった時は「山中で死んだ人間の霊が妖怪の復権として人間を滅ぼすのは元人間としておかしいのでは?」と疑問に思ったが、これをうまく説明付けるなら、今回の七人同行は死んだ人間の霊が妖怪化したと考えるよりは零落した山の神と考える方が自然だし、人間を滅ぼそうとしたのも山の環境を破壊する人間に対する復讐だと推測できる。
各期ダイダラボッチの設定
今回の物語について解説する前に、これまでのダイダラボッチがどういう存在だったのかを振り返っていきたい。
まず原作と2期でダイダラボッチは「復讐者」として登場する。かつて日本の主として君臨していたが、強大な力を恐れた者たちによって分解・封印されたダイダラボッチは、封印した者たちの子孫、つまり現代の日本人とその国土に恨みを持ち、日本を食うことで復讐を果たそうとした。これまでの鬼太郎アニメの中でも自我がはっきりとあるダイダラボッチだ。
そして3期では「創造と破壊」の二面性を持つ者として登場。ダイダラボッチ自身は元々大人しい性格であり、事件の首謀者であるぬらりひょんが退治されると、そのまま地底深くへと戻り眠りについた。3期では「人間が破壊した自然をダイダラボッチの力で取り戻すことを願う信者」と「ダイダラボッチの力で人間世界を支配しようと目論むぬらりひょん」という対立構造も描かれており、そのようなプロットから鑑みるに、3期のダイダラボッチは善悪の概念を超越した「自然」と捉えるべきだろう。
4期では争いを鎮める妖怪として劇中で説明されていることから「調停者」と呼ぶべき存在なのかもしれないが、問題はその方法。それは「争っている者を食べる」という、争う者の存在自体を抹消する訳だから「捕食者」と呼ぶのがより正確ではないかと思う。ちなみに4期のダイダラボッチ回は自分だけ助かろうとした者も食われているため、「自分さえ良ければ他の人がどうなろうと構わない」という心が争いを生むことを暗に示した回でもある。
「憧れを殺す」という業
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
さて、今期のダイダラボッチ回は人間と妖怪の共存を望む門倉と、人間社会を崩壊させ妖怪の復権を目論むぬらりひょんという対立構造が描かれていることから見て、ダイダラボッチの立場は3期とほぼ同じだと考えて良いだろう。本来のダイダラボッチは人間と妖怪の暮らしを見守る存在であり、幼少期いじめられていた門倉にとってダイダラボッチは憧れの存在であった。
劇中で門倉はダイダラボッチの絵を見て「自分も見守られている気がして嬉しかった」と回想しているが、それだけの理由でダイダラボッチにここまで心血を注いでいるとは思えなかった。
ここからは私の勝手な推測に過ぎないが、門倉がダイダラボッチに引き付けられるのはダイダラボッチがイレギュラーな存在にもかかわらず、威張らず怒らず雄大な心でこの世界を見守っていたからではないだろうか。
門倉は「(他の子と比べて)背が小さい」という理由で学校でいじめられた。言い換えれば周りから「イレギュラーの烙印」を押された訳である。そんな折に彼が見たダイダラボッチは、身体の大きさは自分と正反対でありながらも「背の大きさが普通とは違う」という共通項にシンパシーのようなものを感じたに違いない。そしてそのダイダラボッチは身体の大きさを良いことに周りの人間を威圧したりその強大な力を悪用することもなければ、周りの人間と違って身体が大きいことにコンプレックスを抱いて卑屈になったり怒り暴れることもない。ただ富士山に座って人と妖怪の営みを眺めるだけなのだ。
「周りとの違いを比べない雄大な心」。これこそ門倉がダイダラボッチに憧れる最大の理由であり、そこから派生して「人間と妖怪の共存」を望むようになったのではないだろうか?
彼がダイダラボッチ研究に没頭したのも「人間と妖怪が共存していた(であろう)時代」を取り戻すと同時に、ダイダラボッチが強大な力を持ってはいるが我々人類の脅威ではないことを世間に示したかったのだと思う。
しかし彼の望みはぬらりひょんの野望によって砕かれ、ダイダラボッチは「人間と妖怪の営みを見守る神」から「人間社会を破壊する生物兵器」に成り下がってしまう。
封印を一番目に解いた者がダイダラボッチを操れるようになっているのは、かつてダイダラボッチを解体・封印した者たちが新たなる外敵が来た時に備えてダイダラボッチを兵器として利用するためそう設定したと推測出来るが、そう思うと門倉が「どん底」だと自分の気持ちを吐露したのも頷ける。ダイダラボッチを脅威と感じ恐れただけならまだしも、憧れの存在を兵器に変えたのが我々の祖先だという可能性が一気に浮上したのだから。
そして門倉は生物兵器となったダイダラボッチの脳を破壊し殺した。かつて憧れであり夢であり、心の支えでもあった(だろう)ダイダラボッチを自らの手で殺す。門倉が人間として生まれなければこんな辛い思いをしなかったと思うと、今回は何とも業が深い物語である。
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
「人間と妖怪がわかり合える、いつかそんな日が必ずやってくる」。今回の一件がぬらりひょんら悪妖怪の仕業だとわかっていても憎まず共存を望む門倉の言葉は、かつてダイダラボッチが抱いていたであろう「雄大な心」だけは失いたくないという意思が感じ取れる。
陽動を陽動で返す
今回のぬらりひょんはやり口こそ3期と同じだが、用意周到さはやはり今期が上。まずパーツが完全に解かれる前に鍵を奪われ計画が頓挫する可能性を考慮し、ダイダラボッチ教信者ではなく七人同行に封印を解く実行犯の役を担わせる。この際、妖怪復権のマニュフェストを示すと同時にダイダラボッチ操縦の権利が七人同行側にあるように思わせるのがポイント。実際は一番重要な脳は先に封印を解いておき、残りの七パーツ(両目・鼻・口・両足・両手・頭・胴体)を七人同行によって解かせる。
こうしておくことで、七人同行はぬらりひょんに利用されているとも知らず、自分たちがダイダラボッチで人間を滅ぼせると思い込んで動く。つまり七人同行は陽動であり、七人同行が鬼太郎たちにぬらりひょんの存在を仄めかさなければ、そして門倉というダイダラボッチの研究者がいなければ、鬼太郎たちはまんまとぬらりひょんの陽動作戦にハマっていたに違いない。ほんと油断ならないな。
門倉のおかげで、鬼太郎は陽動としてぬらりひょんと朱の盆の前に現れ戦闘。その隙に門倉がダイダラボッチの脳を破壊するという陽動返しとでも言うべき作戦で計画を阻止した。
それにしても今期の朱の盆、公式サイトで戦闘力が高いと紹介されているだけあって手強かったな。強いけど髪の毛針を受けた時に言った「痛いけど、効かねーぞ!」って台詞、可愛げがあって良いよな。ぬらりひょんが老獪なブレインとして徹している以上、朱の盆まで可愛げがなくなったら味気ないからね。
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
ところで、ダイダラボッチという社会秩序を破壊させるにはうってつけの妖怪が退治され計画が阻止されたにもかかわらず、ぬらりひょんがあまり残念がっていないのが気になる。メインの計画でなかったから残念がってないのか、他にいくらでも「隠し玉」となる計画があるからなのか、或いは今回の頓挫から得るものがあったからなのか…。
仮に得るものがあったとしたら「妖怪に理解のある人間の協力者がいたことが敗因」であり、もしそうなら鬼太郎たちと人間との間に大きな溝を生むような事件を起こすのではないか…というのが私が危惧していることだ。
何はともあれ、次回はクリスマス回。妖怪の名称は明らかになっていないが、蠢く髪と子供を襲うという手口から考えて、登場するのは夜叉ではないかと思っている。ただ、サブタイトルに「鮮血」とあるから、4期のラクシャサや鬼髪みたいに別の髪の毛妖怪の可能性があるかもしれない。原作の夜叉は血ではなく魂を求めるからね。