タリホーです。

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BBCドラマ版「無実はさいなむ」結末改変について考えてみる(ネタバレあり)

先週6日、NHKBSプレミアムにてBBCドラマ版「無実はさいなむ」が完結。

原作未読だったため「原作を読んでから視聴しよう」と思い、本日原作を読了。

無実はさいなむ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

間を空けることなくドラマを録画視聴した訳だが、原作と全く結末が異なっていることに少なからず驚いた。

と同時に、何故この結末にしたのか?という部分も気になった。と言うのも、今回改変した結末はある部分で意外性に欠けるきらいがあるからだ。

 

 

(以下、原作とドラマのネタバレを含むため要注意!!)

 

 

何故改変されたのだろう?

原作と違う部分は多々あるが、今回は犯人とその動機の違いこそが最大の改変。

原作ではジャックに唆されたカーステンがレイチェルを殺害。殺害の動機を持つジャックは嫌疑から免れるためにアリバイを作ったものの、証人となるカルガリー博士の事故が原因で証明出来ずに逮捕されてしまった…というのが真相。

 

一方のドラマではレイチェルの夫であるレオが犯人。秘書グウェンダとの浮気が妻にバレた挙句殺害。実際に用いた置物ではなくデカンタが凶器と認定され、そこに付いていた指紋からジャックが逮捕される。しかし、勾留中のジャックは自分がレオとカーステンの子供であることを裁判で暴露するとレオを脅す。そのためレオは警察関係者でありジャックに怨恨の情があったグールドをけしかけてジャックを殺害した…というのが真相。

 

原作・ドラマに共通するのは事件にカーステンが関係している位であとは全くの別物なのだが、この改変理由を考えるには原作の解決の筋道をちょっと振り返る必要がある。

 

原作ではカルガリーが事件の謎を解く役を務めるのだが、彼が真相に至ったポイントは以下の通り。

①ジャックのアリバイ証言があまりにもはっきりしていたこと。

②ジャックが殺意を抱くのはわかるが、それを実行するのはあり得ないということ。(マクマスターの証言)

③容疑者の中でカーステンだけがジャックを「よこしまな人」と断定的に責めたこと。

④ジャックの先妻がサマー・ポイントを訪問したこと。

⑤フィリップの死体が発見された時、カーステンが持ってきたカップが空だったこと。

⑥ティナを刺せるチャンスがカーステンにあったこと。

 

①②はジャックが殺人教唆をしたことを示す手がかり、③④⑥はカーステンが犯人である間接的な手がかり、⑤はカーステンが犯人である直接的な手がかりとなる。

ドラマでは原作同様フィリップが死亡するものの、⑤のような手がかりはないし、⑥のようにティナが刺されることもない。では何故この描写がカットされたのか?

これは後述する「難点」が関係するが、それを抜きにしても、映像だと余りにも直接的過ぎる手がかりになってしまうからだろう。文章だからこそ大きな違和感にならないが、映像でお茶の入ってないカップは不自然過ぎるし、ティナの刺された瞬間を仄めかしつつも映像でそれを視聴者に気取られないよう映すのもまた難しい。

 

そして原作の巻末解説で濱中利信氏が指摘している「難点」の一つが、改変に影響を与えたのではないか?と私は推測している。

(前略)事件そのものにも疑問があります。これほど狡猾で邪悪な犯人が、自分のアリバイを証明してくれる証人が現れない状況下で六ヵ月も待つものでしょうか?真相を暴露して、自分の罪状を少しでも軽くするように動くのが、この犯人の性格からして妥当なのではないでしょうか?

 つまり、病気になった時点で少なくとも罪状を軽くするためにカーステンが実行犯だと吐露した方が益があるというのに、それをせず獄中死したのが不自然であり難点だというのが濱中氏の指摘である。この難点にドラマ制作陣、特に脚本は気づいていたのではないだろうか?

勿論、原作と違う結末を用意することで、原作既読者・未読者の両方を楽しませる目的があったのかもしれないが、この「難点」を起点としてあのような大胆ともいえる改変が為されたようにも思える。

「アリバイ証人が出るまで何か月も待って死ぬのは不自然。ならば病死ではなく獄中で殺された、という形に変えるのはどうだろうか?獄中で殺すとなると犯人は警察関係者になるが、それだとけしかける相手がいるな…。ならばリオが役柄として妥当だろうな。原作の秘書との結婚を動機に利用すればレイチェル殺害もイケるな」

…という具合に脚本の頭の中で改変のプロセスが出来上がったのではないだろうか?

 

この改変の巧い所は、上記の難点を解決しつつも原作にあった殺人教唆の要素をしっかりと取り入れている所。そして何より邪悪性という部分も活かされている。ドラマではリオの邪悪性が遺伝した結果、ジャックがあのような性格になった(少なくとも彼自身はそう思っている)訳であるが、だからと言ってそれで自身のこれまでの行状を父親のせいにするのもどうかと思うし、リオもまたその点で親としての責任を放棄していた部分にも問題がある。両者の邪悪性がぶつかった結果、共に不幸な運命を辿ったという点で、原作の平和的決着とは真逆の何とも嫌な余韻が残る。

 

この前に放送された「検察側の証人」といい、ここの所BBC版のクリスティ原作ドラマはイヤミス路線まっしぐらだが、個人的にはもうちょっと鬱屈さの無い、ある程度風通しの良さを感じさせる雰囲気にしてほしい所ではあるが…。でもまぁ、テレ朝の蛮行に比べたらだいぶマシなのでこれはこれで、ね。