タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第62話「地獄の四将 黒坊主の罠」視聴

4月以降進展が無かった地獄の四将編、今回ようやく動きがあり二体目の黒坊主が登場した。

 

黒坊主

これまでアニメで登場したのは5期のみ。ただし、5期では幽霊スポットに侵入した人間を襲う妖怪という設定で内容は完全オリジナル。原作の要素は皆無だった。

ちなみに、黒坊主は明治時代の東京に現れた記録が残っており、大工棟梁宅の寝室に現れ、寝ている女性の寝息を吸ったり口を舐めまわしたそうである。

ja.wikipedia.org

 

水質汚染騒動

今期の黒坊主は水を汚染させる能力を持った妖怪という設定。約150年前の安政期の江戸で水質汚染を引き起こし、何十万人も死亡させたことが原因で鬼道衆によって退治、地獄送りとなった。

(史実では安政期に甚大な水質汚染被害があったという記録はないが、安政5~7年にかけてコレラが大流行したそうなので、水質汚染によって衛生環境が悪化した結果、伝染病が広まった…と想像を働かせる余地がある)

まぁ、黒坊主が大逆の四将と判明した時点で、原作通り生気を吸い取る妖怪という設定ではないだろうなとは思ってた。原作のまんまだと大逆の四将らしい極悪さが感じられないし、伝承通り寝息を吸ったり口を舐めるなんてのは論外だからね…。

 

復活した黒坊主は150年前と同様水質汚染を引き起こし、人間を恐慌状態に陥らせるのだが、今回は方針をチョイと変えて、以前の様に直接的に人間を苦しめるのではなく、ねずみ男を間に置いて間接的に人間を支配するという形をとった。

さて、5話では人間のライフラインの一つである電力をテーマに原子力発電の危うさを風刺したかのようなカミナリ様発電というビジネスが動いた。そして今回は水というもう一つのライフラインを元に、水道事業の民間委託を風刺した物語となっていた。劇中でねずみ男首相官邸に赴き総理大臣(11話の狸軍団の時に出た彼女。ていうか、責任問題問われなかったのだろうか)に向かって話した内容は、昨年12月に改正された改正水道法とも関連しており、浄水器のレンタル料金の値上げは民営化によって水道料金が値上げされるという懸念を具現化したと考えて良いだろう。流石に500円から50万円というのはぼったくりが過ぎるが…ww。

アベノミクス、統計の改ざんはともかく(苦笑)、昨年末の法改正をアニメに取り入れるというのは新進気鋭さがあって良いね。原作も直接的ではないにせよ政治ネタとか結構入っているからね(学生運動ロッキード事件 etc…)。

 

黒坊主の弱点「水」について

©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

水質汚染こそアニメオリジナルの展開だが、美人画水が弱点というのは原作準拠。原作ではぬりかべに水をかけられて退治されたが、今回は退治方法に一捻りあって思わず感心した。

原作の黒坊主は身体が黒い霧状になっているため、水がかかると身体の形をキープ出来ない。また、火を吹く攻撃を仕掛ける所から見て、火属性の一面もあるため水に弱いと考えられる。(PS2のゲーム「ゲゲゲの鬼太郎 異聞妖怪奇譚」に登場する黒坊主も火属性で水の攻撃に弱い)

しかしこれはあくまで私の推測。原作では水に弱いと言及されているだけで、「何故水に弱いか」までは詳しく書かれていない

 

今回はその「何故水に弱いか」という疑問点にメスを入れ、原作で黒坊主が封じられていた美人画を黒坊主の正体に置き換えることで、上記の疑問点を補強した改変になっているのが巧い所。確かに正体が絵画なら水に弱いという理屈にも合致するし、登場する度に美人画から現れる描写にも納得がいく。原作を知らない人にとってはこの先の展開の伏線になっているし、原作既読勢の人にとっては「自分が封印されていた絵から毎回登場するのは何故か」という、ちょっとした謎かけになっているのも面白い。

伝承も含めて黒坊主の正体が不明だっただけに、今回の「正体は美人画」という改変は想像を膨らましてくれる。あの美人画は呪いの目的で描かれた絵であり、黒坊主は人間の呪いによって生み出された妖怪だった…という具合にね。

 

それにしても先週が胃液ときて今週は小便ですか。まぁ何とキタナイこと。

 

鬼太郎の「多様性論」と石動の「社会秩序対応制裁」

1年目から西洋妖怪や名無しの騒動を通じて「多様性のあり方」をテーマにしているのが6期の特色の一つであるが、今回は「何故他の妖怪は山のように退治しているのにねずみ男は許しているのか」という石動の鋭い突っ込みから、自分なりの多様性論を鬼太郎は語った。

その論旨はアニメを見てもらえればわかるが、鬼太郎の多様性論には客観性に乏しい部分があるのが問題。ねずみ男の様などうしようもないクズがいても許される世界、という部分は確かに崇高さを感じるものの、更生の余地や再犯の可能性を度外視した許しは被害者側の感情を無視しているという点で容認出来ない(吸血鬼ラ・セーヌの回を思い出してもらえればわかると思うが)。

とはいえ、鬼太郎の提唱する多様性は自身の境遇による所が大きいので致し方ない所はあるか。鬼太郎は幽霊族として絶滅の憂き目に遭った一人だし、ねずみ男も半妖として疎外される側の立場だった訳だから、6期での鬼太郎とねずみ男の関係は腐れ縁であると同時に「同じ傷を舐め合う」関係に近いのかもしれない。それ故、6期の鬼太郎は正義の味方というよりは「排除される者の味方」と称するのが相応しいのかもしれない。

 

一方の石動の行動理念は客観性が高い。「人間は善悪問わず生かす、妖怪は人間に仇為す者は容赦なく狩る」という一文で説明がつく程のスマートさ。これは人間は人間の法律で制裁を受けさせ、法律の無い妖怪の世界は狩ることで制裁を受けさせる目的があってのことだろう。妖怪の世界に法律が全く無いわけではないが(妖怪大裁判があるからね)、人間以上の寿命と能力を持った妖怪を制裁するには、容赦や慈悲があってはならないというのも頷ける。ある意味双方の社会秩序に応じた制裁と言えるだろう。

ただね、どうも石動が狩る側の優越を鼻にかけている感があって彼を完全容認出来ない。あと妖怪の魂を取り込み自身の力にしている癖に妖怪を蔑視するかのような口ぶりがちょっとね。妖怪の力を利用してないのならともかく、鬼神とか化け火とか利用しているし、四将捜索目的で一つ目坊を狩っているから、これまた手放しで褒められない。

 

鬼太郎と石動の対立は言うなれば「綺麗事 VS ハードボイルド」。どちらもそうせざるを得ない私情があるにせよ、どちらも応援したいと思えないモヤっとした感情を視聴者に投げかけている。四将編の脚本を担当している吉野氏が今後どのように話を展開させていくのかわからないが、鬼太郎や石動の考えが変わる様な出来事がこれから待ち受けているのか否か、注目していきたい。

 

さいごに

ちょうど去年の今頃に13話が放送されてたんだよね。あの時も絶交宣言したけど、二人で妖怪退治したという点で今回と同じプロットだったな。

あと4期ねずみ男を担当した千葉繁さんとのコラボもアツかった。

けど、ちょっと気になったのは、黒坊主がピンポイントでねずみ男浄水器ビジネスを持ちかけて来た件。150年前に地獄送りになった黒坊主がねずみ男の商才の逞しさを知っている訳がないのにどうしてだろうと思ったが、もしかしてこれも四将脱獄を手引きした黒幕が一枚噛んでいるということか…?

こうなると後に残る鬼童や九尾の狐にもその黒幕が関わってくるのだろうな、やはり。

 

 

来週は3期以降アニメ化が無かった妖怪花がお出まし。そして7月7日ということで七夕がテーマ。しかもぬりかべメイン回らしいので、喜べ、ぬりかべの民よ。