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テレ朝はクリスティ・ファンに喧嘩売ってるんじゃないかと思う話(テレ朝版「予告殺人」視聴)

先日テレ朝で「予告殺人」が放送されたのは、先刻ご承知のはず。

予告殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

昨年放送された「パディントン発4時50分 ~寝台特急殺人事件~」「大女優殺人事件 ~鏡は横にひび割れて~」を視聴した方ならわかるが、テレ朝のクリスティドラマはクリスティのファンに喧嘩売ってんのか?と思う位改悪が酷いのだ。

 

改悪その① 時代設定の変更

クリスティの原作は言うまでもなく昭和の時代を舞台にしている。

今回の『予告殺人』の場合、発表されたのが1950年。第二次世界大戦後数年といった所だ。前回放送されたドラマの原作『パディントン~』『鏡は~』にしても前者は1957年、後者は1962年と50年以上も昔の話なのだ。それに対して、ドラマ版は舞台を現代にしている。

先に言っておくが、舞台設定を現代にすることが駄目だと言っている訳ではない

問題は、時代を現代に移したことで、原作におけるトリックを成立させた時代背景が抜けてしまい、不自然な箇所・あり得ない描写がボロボロと出ている点だ。

今回の「予告殺人」の場合、原作は戦後間もない頃。戸籍や身元を証明する文書は戦火と共に消えるか、或いはその混乱で有耶無耶になってしまい、身元を証明するのが難しい時代と言えるだろう。

 

・戦争で地元を離れ、身分を隠して他所の土地に移った人など数えきれない程いたであろう時代

・余所者同士で形成されたコミュニティなどざらにあった時代

・他人の身分など、その人の言葉を鵜呑みにするしかなかったような時代

 

そんな戦後の時代だからこそ、「予告殺人」における身分の詐称だらけの状況が違和感なく成立したのだ。

それなのにどうだろう。ドラマ版は現代を舞台にしたことで生じる不自然をそのまま残してしまった。昔の警察ならともかく、現代の警察が身元調査で手こずる訳がないし、容疑者たちにしても身元を偽る必然性がないに等しい。にもかかわらず、刑事たちはその身元で翻弄されているというのがいかにも時代錯誤で不自然なのだ。

 

時代錯誤といえばもう一つ。ミッチーが囮になって犯人を暴くシーンについて。

…考えられます?

素人探偵が誰かを囮にして犯人を暴くのは百歩譲って「分かる」けど、天下の警察がだよ、民間人を囮にするなど言語道断。こんなの上層部の人間から戒告処分にされたって文句言えないレベルだよ?

昔の刑事モノだったら「う~ん、あるかな…」と首を傾げつつ認めるかもしれないけど、現代を生きる、頭のきれるキャラの相国寺警部がそれやっちゃあダメでしょう。

 

あと今回の話だけに限るのだが、良い大人が「チェリー」だの「ハーモン」だの「バンチ」だの洋風のあだ名で互いを呼び合うコミュニティって何だよ?

単純に気色悪いだけでなく、いたずらに煩雑なだけ。ただでさえ2時間ドラマは映像・音で情報を得るのに余計な情報を入れてはならないと思う。「外道」とか「炎真」とか謎のネーミングもただひたすら「何コレ」って感じで迷走 of 迷走。

 

ホント、世界のクリスティをどうしたいのだろう、テレ朝。

 

改悪その② 探偵役の変更

これは前回の「パディントン発~」「鏡は~」にも当てはまるが、原作の探偵役は片田舎のセント・メアリ・ミードという村に住む老婦人、ジェーン・マープルだ。

彼女の人生経験に基づく推理・それを裏付ける確かな人間観察力は、不変にして普遍的なものがあり、日本人である私たちも思わず納得・共感してしまう。

彼女の探偵術によって暴かれる真相は、犯人の悲哀・傲慢・貪欲ささえも白日の下に晒し出す。故に、マープルシリーズは傑作の呼び声高い作品が結構多い。

原作『予告殺人』では、マープルの推理によって犯人の弱さと犯行に至った不遇の半生が明らかとなる。

 

一方、ドラマ版の相国寺警部はどうだろうか。私の見た彼のイメ―ジはスマート・変人・実証主義・事前調査に怠りがない、といった感じ。見るからに冷血で人の情に疎そうな彼のイメージは原作のマープルとは大きくかけ離れている。

 

この時点で「何で?」ってなる。探偵には探偵に相応しい事件というものがある。スマートで人の情に疎い探偵ならば異常犯罪・凝ったトリックを用いた事件がよく似合う。最初の「そして誰もいなくなった」は異常犯罪のカテゴリーに分類されるので、相国寺警部との相性は良かったと思うが、それ以降ドラマ化された原作は人間観察がモノを言い、そこから暴かれる犯人の悲哀・傲慢がミソとなる事件ばかり。

そう、根本的に合っていないのだ。田舎の老婦人が語る推理と冷血な警部が語る推理とでは事件のニュアンスも随分異なるし、事件の見え方も違うだろう。

だから今回のドラマでは犯人自身が自らの生い立ちを語り、心情を吐露している場面がある。当然だ、相国寺なぞ「不遇な半生を送った人間の前に大金を掴むチャンスがあったらどう動くか」なんて考えもしないだろう。集めた情報を整理し分析して犯人を推理する、という点ではポワロと共通するが、ポワロでも人間心理が推理の根底にあるので、相国寺はポワロとも異なるタイプの探偵役だ。

 

つまるところ、相国寺警部はクリスティの作風とは合わない探偵役。どちらかというとエラリー・クイーンのような理詰めで犯人を暴く作品の方が合っている。それでも彼をクリスティ作品の探偵役にしているのが謎なんだよね。

探偵役を変更している時点で脚本家がクリスティの映像化として何を(というかどこを)目指しているのかわからないのに、今回は相国寺が事件の容疑者に恋する場面が挿入された。

ひたすら「はぁ?(怒)」ですよ。

意味がわからない。警部が恋して物語に有機的な効果があったか?情に訴えかけるようなドラマチックな展開にでもなったか?

なってねーじゃねーか!

あんなのオタクがアイドル雑誌見てニヤついてるのと大差ないじゃん。時間の無駄。蛇足の極み。これを書いた脚本もダメだが、これでGOを出したプロデューサーはもっとダメだからね。

 

『予告殺人』と「退屈なミステリ」問題

ドラマの改悪については散々言ったので、原作についてちょっと触れようかと。

『予告殺人』は江戸川乱歩がクリスティ作品のベスト8の一つとして挙げている。日本全国のクリスティ・ファンも本作を上位に挙げており、名探偵コナンでお馴染み青山剛昌氏も「青山剛昌の名探偵大図鑑」のミス・マープルの項目で本作をおすすめとして挙げている。

以上を見れば、『予告殺人』がマープルシリーズの代表作だと思われる方がいるだろう。

アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

しかし、『アガサ・クリスティー完全攻略』の著者、霜月蒼氏の評価は2つ星と低評価だ(最高は5つ星)。これは何故か。

この両極端な評価の原因は本作を「ミステリ」として評価するか、それとも「小説」として評価するか、この匙加減の違いによるものだと思う。

ミステリとしては言うまでもなくよく出来ている。会話文の中にさり気なく入れられた伏線・手がかりは初読時は気づかなかったし、人によっては誤植だと思ってスルーした人もいただろう。予告された殺人という展開も導入としては申し分がない。

 

では、小説としてはどうだろう?

実を言うと、本作はクリスティ作品の中でも構成に難がある作品なのだ。序盤こそ「予告された殺人」「誰も知らない被害者」「密室状況の現場」と魅力溢れる謎だらけなのだが、この後の第二・第三の殺人は口封じの殺人以上に魅力的な謎もなく面白みに欠ける。それ以外の取り調べの場面も探偵役のマープルよりも比較的真面目なクラドック警部が行うので、割と単調。

 

以上、『予告殺人』のミステリの出来と構成の難について軽く触れたが、要は何が言いたいかというと、

本格ミステリ小説はミステリ部分が良く出来ていれば小説として退屈でも名作たりうるか?」

という問題が評価に関わっているということ。これは先述した霜月氏の著書の中でも取り上げられているが、物語自体が単調であったとしても最後にどんでん返しがあったり、これまでの単調な物語に伏線が散りばめられていれば、それは本格ミステリとして成功しており名作となるケースがある。

これは他ジャンルの小説ではまずあり得ないことだがミステリにおいてはよくあることで、日本の新本格ミステリと呼ばれる80年代末からのムーヴメントもこの「退屈なミステリ」問題と深く関わっていると言える。「トリックのためのトリック、〈登場人物=駒〉以上の機能がない小説ってどうなんだ?」と批判にさらされた新本格ミステリも今やすっかり受け入れられている。新本格は斬新なトリックによって「退屈なミステリ」問題を乗り越えたと言えるだろう。

 

そういや『予告殺人』がドラマ化するとわかった時、「トリックやそれに関連する登場人物については覚えているが、登場人物がどんなキャラで何を話していたかは全然覚えていないな」と思っていた。私自身も本作は小説としての魅力に欠けると無意識に自覚していたということだろう。ではトリックが斬新で凄いかというと、正直そのレベルのものではない。よく出来てはいるが新本格の諸作品ほど凝ってはいない。ミステリとしてニュートラルな感じ。そのニュートラルさが評価を二分しているのだろう。

 

今回のドラマを観て「原作もつまらないだろうな」と思った方もいただろうが、少なくとも原作はドラマの倍は面白い。シリーズとしてはニュートラルな立ち位置だけど犯人の心情描写に評価すべき所があるからだ。

でもドラマはニュートラルを改悪し、犯人の心情描写を語る上で欠かせない背景をカットしているので「駄作」となってしまっている。

テレ朝の罪はやはり重い。