タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

「黒井戸殺し」を観ずに本格ミステリを語るな

先日「黒井戸殺し」のDVDが届いた。

黒井戸殺し DVD

4月14日に放送されたドラマで原作はアガサ・クリスティアクロイド殺しだ。

 

実を言うと、私にとって『アクロイド殺し』は良い想い出の無い作品である。

そう、Wikipediaのネタバレを食らってしまったからだ。本作は大学に入学した頃に読んだのだが、このネタバレのおかげであまり面白みを感じることのないまま読了した。

今の私ならば本格ミステリの知識があるので、物語の構成の巧みさに気づけただろうし、そういう観点で面白さを発掘出来たかもしれないが、当時の私は本格ミステリのビギナーであり、物語の構成云々以前にトリックの面白さを重視していたので、そのトリックをネタバレされた状態で本作を読んだのは非常に痛かった。

 

以上の様なイヤ~な想い出のある作品ゆえ、今回のドラマ化が決定するまで再読することなく本棚の奥にしまっておいた。そして今回のドラマ化に際して再読し、改めて物語の構成の巧さ、本作をポワロシリーズの長編3作目に持ってきたクリスティの手腕に脱帽した。

 

そして「黒井戸殺し」を視聴したのだが、いや、もう、ビックリした。恐れ入った。

全てを観た訳ではないが、これまでの『アクロイド殺し』の派生作品(舞台劇1本・映画2本・ドラマ2本)の中で最高の映像化と言って過言ではないと思う。前作「オリエント急行殺人事件」はアレンジ部分に疑問を感じる所が多々あったが、今回のドラマに関しては原作の再現度の高さもさることながら、劇中で行われたアレンジが悉くプラスの方向に作用しているのだ。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「黒井戸殺し」ココが凄い!

①演出面でもフェアなつくり

原作のトリックは発表当時フェアかアンフェアかで論争が起こった程、前衛的なもの。このトリックについては、小説という媒体の性質上、読者の解釈に左右される所もあるのでアンフェア派がいるのも致し方ないと思う。

しかし、映像となると話は別だ。画面に映るものは第三者の客観的な視点であり、そこに映るものは絶対的事実に等しい。だから重要な情報は映像に映っていないといけない。

謎解きに必要な情報が揃っているかという点で今回のドラマを観たが、ドラマは間違いなくフェアだ。

まず勝呂が疑う切っ掛けとなった時間の食い違いについては、時計という形で画面上に示されている(柴が黒井戸邸を退出する場面・柴が自宅に到着した場面と、電話が掛かってきた場面・柴が袴田と共に黒井戸の書斎に向かう場面に映る時計を確認して時間経過の違いを比較していただきたい)。

そして椅子の位置の変化については、袴田の証言がある以前に映像で示されているのだ(柴が書斎に乗り込んだ場面・袖丈警部が柴医師を窓の側に呼んだ場面を確認していただきたい)。

犯人が時限装置付きディクタフォンを用いたアリバイ工作をしたという点については、椅子の位置の変化と電話という情報によって推理の妥当性が高まっているものの、※1犯人が別のトリックを用いていた可能性を完全に排除することが出来ない(部屋にいた共犯者が声真似をしていた等)ので、犯人を特定する材料としては実はあまり有効性がないのではないか?と個人的に思う。むしろ偽装用に使われた春夫の靴の方が犯人特定の材料として有効だったかもしれない。

 

※1:上記の「別のトリック問題」については有栖川有栖『江神二郎の洞察』所収(一応伏せ字)「除夜を歩く」(ここまで)を参照。

 

とはいえ、※2犯人がディクタフォンを所持していたことを仄めかすようなセリフが劇中にあったのは秀逸なアレンジだと思う。

 

※2:黒井戸邸で(一応伏せ字)柴医師がカバンを持って「“診察道具は”入っていません」と黒井戸に言った(ここまで)場面。

 

以上のように、原作にあった手がかりを効果的に映像で示している所は評価すべき点の一つではないだろうか。

 

②原作にはないアレンジが凄い

これは原作のキャロラインに相当する柴カナに仕掛けられたアレンジだが、これにはビックリした。初見では愉快な御婦人だな~と思っていたアレコレが全て(一応伏せ字)脳の病(ここまで)の伏線になっているとは思わなかった。登場人物に対する見方が180度変化するアレンジは正にミステリの真骨頂。最高である。

しかもこのアレンジ、勝呂が犯人に自殺を薦める理由にしっくり当てはまっているのだ、それも原作以上に

原作でもポワロは犯人に対して手記を書き上げた後に自殺することを薦めるのだが、原作の犯人は投機に失敗した結果、金策として恐喝を行っていたというなかなかのクズであり、そんなクズに対してそこまでの配慮をする必要があるのか疑問に思ったのだが、今回のアレンジによって余命僅かの彼女に対する配慮ということになり、正当性が原作以上のものになった気がした。

ちなみに、DVDの特典映像では勝呂を演じる野村萬斎さんが上記の場面をどのように考えて演じたかを語った部分がメイキングに収録されているので興味のある方は是非購入を。

 

さいごに

クリスティ作品100作を網羅した評論集である『アガサ・クリスティー完全攻略』によれば、アクロイド殺し』は欺しのマキャベリズムと称されている。クリスティは着想のためならシリーズとしての様式を壊しても構わない作家であり、本作はそんな彼女のマキャベリズムが発揮された作品だということだ。

今回のドラマ化は原作の本格ミステリとしての欺しに特化した部分を出来る限り再現し、更に独自のアレンジによって原作にはないクライム・フィクションとしての余韻も残した。これは偉業である

 

最後にくどいようだが、「黒井戸殺し」は必見の本格ミステリドラマである。本格ミステリ好きなら未見は許されないと思っていただきたい。