タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ドラマ版「探偵が早すぎる」を振り返りながら原作を語りたい

7月から読売テレビ系列で井上真偽原作の「探偵が早すぎる」が放送されていることは本格ミステリファンなら周知の事実であろう。

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探偵が早すぎる (上) (講談社タイガ)

探偵が早すぎる (下) (講談社タイガ)

現在、第5話まで放送されており、ドラマとドラマを繋ぐチェイン・ストーリーの配信も含めてなかなかの好評を得ている模様だ。

 

原作と違うけど面白い!

ミステリドラマじゃなくてもよくあることだが、今回のドラマ化に際しても原作と設定を変えている部分が多い。

まず探偵の千曲川からして違う。事件を未然に防ぐという点以外はほぼ別人と言って良い。確かに原作の千曲川もだいぶ変人だが、ドラマは最早変人を通り越して狂人の域にまで達していると言っても過言ではないだろう。

そして探偵に守られることになる十川一華も原作のような純朴な高校生ではなく、喜怒哀楽豊かな大学生になっている。

家政婦の橋田は上記の二人に比べれば原作に見た目を合わせているのだが、それでも要所要所で二人に引けを取らないクセの強さを見せてくる。

ある意味深夜ドラマっぽいゴチャゴチャとした賑やかさのある設定変更だが、ここまでメインキャラの設定を変えてしまうと、下手をすれば原作レイプも良い所で非難轟々になるのだろうが、個人的にはこの改変はドラマとしてのバランスを考えれば「アリ」だと思う。

 

原作は基本犯人側の視点が多く、倒叙ミステリの形式に近いので、狙われる側の人間である一華や探偵の千曲川のクセが強すぎない方が良い。むしろ一華が純朴であればある程、彼女を狙う刺客や親戚たちの悪どさが強調される訳だし、千曲川も謎解きの部分で存在感を十分発揮出来るので、ドラマのような奇行を繰り出す必要は無いのである。

それに対して、ドラマは千曲川と一華が登場する比率が高くなるので、その分犯人側の存在に負けないキャラにしなければならない。何せ犯人側の行動が描かれない一華のパートは単なる彼女の日常生活なのだから、その部分も面白くさせようとなると、ドラマのような形になるのも当然ではないだろうか。

 

また、ドラマでは映像映えに適した改変が随所にある。例えば、事件を防ぐタイミングだが、原作ではトリックすら仕掛けていない時点で相手の罠を見抜きトリック返しを仕掛けるのだが、ドラマだと流石に映像として見栄えが悪いし、ドキドキする展開に乏しくなると考えられたのか、結構際どい防ぎ方をしていると思う部分が多々ある。1話の蜘蛛とか4話の電流とかが正にそうで、1話の原作はクジ箱ごとすり替えていたし、4話の仕掛けにしても、原作の千曲川ならそもそも入園ゲートに近づけさせないよう一華を誘導していただろう。

ドラマオリジナルストーリーの3・4話も、ヘリウムガスの応酬やテスラコイルを用いたトリックなど、映像ならではの面白さを意識した脚本・演出だと感じた(小説だとヘリウムガスによる声変わりはイメージしにくいし、スピーカーの位置の変化を示す描写など表現のしようがないと思う)。

 

以上のように、映像化に適した改変が随所に見られるなかでも、ミステリとしての最大の改変ポイントはやはり探偵千曲川の奇行であろう。昨年4月にフジテレビ系列で放送されたドラマ貴族探偵もそうだったが、探偵の行動・言動を真相・トリックを解くためのヒントとして関連付けることにより、探偵の一挙手一投足から目が離せなくなるようにする構成は鉄板モノと言えよう。

 

事件を未然に防ぐ探偵

探偵が推理によって事件を未然に防ぐという点については、実を言うとそれ程珍しい訳ではなく、アガサ・クリスティ(一応伏せ字)スズメバチの巣」(ここまで)有栖川有栖(一応伏せ字)「蕩尽に関する一考察」(『江神二郎の洞察』所収)(ここまで)など、探せばそれをテーマにした作品は幾つもある。それでも本作『探偵が早すぎる』に新しさを感じるのは、それを倒叙形式かつ連作短編の形でやってのけたことに加えて、探偵が犯人が仕掛けたトリックと同じ趣向のトリックでお灸をすえる「トリック返し」の存在が大きく貢献している。

これまでのミステリ作品の中では、犯人の自白や自滅を促すために相手が仕掛けたトリックと同様の行為を探偵が行うというのは割とよくあるのだが、本作では探偵が相手に自分の行いの愚かさをわからせるために同様のトリックを仕掛けている。勿論今までの探偵にもそういう意識はあったかもしれないが、ここまで露骨に行っているのは本作以外に知らない。

 

さいごに

原作を未読の方は読みましょう。特にドラマ5話の原作「カボチャと魔女」(上巻第3話)はオススメです。