タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

“アンチ・ミステリ”的な真実、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」3話

前回、前々回と「ミステリとしての探偵物語」の色が強かったハムラアキラ。しかし、今回はかなり毛色の違う物語。

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

「わたしの調査に手加減はない」

今回の原作は『依頼人は死んだ』所収の「わたしの調査に手加減はない」。今回も原作未読なので、ドラマの感想を。

葉村の元に、依頼人の慧美が訪れる。彼女は7年前に自殺した親友の香織が夢枕に立つことが原因でうなされており、葉村に彼女の死の真相を暴いて欲しいと言うのだ。早速彼女は香織の大学時代の友人を調査していくが、香織が不妊で悩んでいたことや、慧美が香織にただならぬ感情を抱いていたことがゼミ仲間の環によって明らかになっていく。そして葉村は警察から回してもらった調書を見てある仮説を導き出す。

 

物語の導入部分はアガサ・クリスティ『スリーピング・マーダー』を想起させる、「眠っていた殺人」を起こして真実を暴く形式のミステリなんだな~と思っていたが、ことはそう単純ではなかった。

女性同士の嫉妬や不妊に対する悩み、そして当てつけとして送られた年賀状…。葉村はそこから「慧美が送った年賀状が引き金になった自殺」と判断した。しかし、香織の死が自分のせいではないことを第三者に証明してもらいたかった慧美は激昂する。また、常連客のアケミや岡田警視は、葉村や警察の見立てに対して余りにも即物的過ぎるのではと疑念を抱く。

「私が間違っていたのでは…」。葉村が再調査すると、ゼミ仲間の環の隠された真実が浮かび上がる。

 

環を演じた松本まりかさんはここ最近出演したドラマの影響もあって、ただゼミ仲間の人間関係を教えてくれる“だけ”の役割ではないと思っていた方も多かっただろうが、まさか同性愛者だったとは思うまい(私もそこまでは読み取れなかった)。

香織が朗読した金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」二人きりで撮ったプリクラの思い出…。香織自身には大きな意味のなかった事が環にとっては大きな意味があり、環はそこから本来存在しないはずの「愛」を見出してしまったことが悲劇につながったと言えるだろう。

 

香織にとって「私と小鳥と鈴と」を朗読したのは同性愛者である喫茶店店主に配慮したからあの作品を選んだのだろうし、プリクラの一件も単に他の仲間を待ってまで撮る必要がなかったという「気まぐれ」程度の思いつきだったはず。

しかし、環はあの朗読から「香織は同性愛者も理解してくれるような広い心の持ち主」だと思い、プリクラの一件で「自分に特別な感情を抱いているから二人で撮ろうとしたのでは?」と思ったのかもしれない。

 

学生時代、国語のテストで登場人物の言動からその人物が何を考えているのか答える問題があった。国語で習う文学に止まらず、世の全ての創作物は深読みすることで意味を見出し本質や面白さを求めようとする。それによって相手を理解したり思いやる精神が育まれるのだが、現実ではそれが悪い方向に働く場合が多いのだよな。

今回の場合、環は香織の言動を深読みしてしまった結果「香織は同性愛にも理解ある人で自分のことも愛してくれるだろう」という期待を抱いていたに違いないが、香織は環の好意が同性愛から来る邪な好意だと誤った深読みをし彼女を拒絶。それが死につながってしまったという訳だ。

 

香織も環もどちらも即物的に考えず誤った深読みをしたが故に悲劇を生んでしまった。一方葉村は香織の死の真相を即物的に読み取ってしまい、危うく真実を見逃してしまうかもしれなかった。「即物的な考え」と「深読み」、対極的な思考が印象に残る物語である。

 

アンチ・ミステリ

さて、探偵小説では探偵が調査した手がかりを元に「真相」が語られ、結果も大体その通りなのだが、反対に「探偵の推理で導き出される真相が、必ずしも真実を語っているとは限らない」という形式の物語もある。ミステリマニアはこういった形式の小説を俗にアンチ・ミステリと呼ぶ。

アンチ・ミステリー - Wikipedia

ざっくり言うと、「神でもない人間が限られた情報だけで全てを知った気になるな」という訳であり、全知全能のような振舞いをする探偵に対する反感や疑念によって生み出されたジャンルと言えるだろう。

こういった「探偵の推理の不完全さ」は謎解きをメインとする推理小説にも付きまとう問題であり、こういった問題のことを後期クイーン的問題と呼ぶ。ミステリマニアには馴染みある問題なのだが、ミステリをよく知らない方のために一応ウィキペディアの記事を貼っておく。

後期クイーン的問題 - Wikipedia

 

今回の物語も、(喫茶店店主の証言という「取っ掛かり」はあるものの)真相は推理では到達し得ない所にあったから、アンチ・ミステリのジャンルに入れて良いのかもしれない。

「わたしの調査に手加減はない」とはいえ、物事には自ずから限界というものがある。今回間宮さん演じる岡田警視は探偵の葉村が導き出した「誤った真実」を軌道修正させ「真実」へと導く役目だったが、前回述べた「ミステリとして着地させる役割」と相まって、彼の存在がより人ならざるものに近づいているような気がするのは気のせいだろうか…。

“別解潰し”の不徹底さに不満が残る「アリバイ崩し承ります」1話(ネタバレあり)

アリバイ崩し承ります (実業之日本社文庫)

8年ほど前に、フジテレビの月9で密室殺人専門のミステリドラマ鍵のかかった部屋が放送された。

そして今年、テレビ朝日の深夜枠でアリバイ崩し専門のミステリドラマ「アリバイ崩し承ります」が放送されると聞いた時は、「鍵のかかった部屋」と双璧をなすミステリドラマになるやもしれぬと仄かな期待を抱いていた。

 

初回の感想をTLで見ていると、結構評判は良かったが、個人的には不満が残る所があって手放しに褒められないのが正直な感想。

後程この不満点について言及するが、これだけ周りが高評価だと自分の不満が自身の狭量さから来るような気がして少々いたたまれない。そもそも月9枠と深夜枠を比較するのは酷な話だし、予算面から言って再現出来る度合いも変わるのだから、比較対象として持ち出す自分が馬鹿だったとは思う。

とはいえ、より洗練された謎解きにハマってしまっている私としては、今回の構成に納得がいかない所もあるので、一応批判も覚悟の上で不満を述べたい。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

原作『アリバイ崩し承ります』について

原作は大山誠一郎氏による短編集。物語の始まりは以下の通り。

那野市の鯉川商店街にある美谷時計店では時計修理や電池交換だけでなく、アリバイ崩しをしてくれるという不思議なサービスを行っていた。たまたま時計の電池交換のためにそこを訪れた新米刑事の〈僕〉は、店に貼られた「アリバイ崩し承ります」を見て、店主の美谷時乃にかねてから刑事たちの頭を悩ませている殺人事件のアリバイ崩しの依頼をした…。

 

現在は短編集として発売された7編に加えて、ネットで公開されている第二シリーズの2編の計9編を読むことが出来る。

j-nbooks.jp

※公開は終了してます。第二短編集は単行本で読むことが出来ます。

(2024.03.12 追記)

 

物語の形式としては至極単純で、どの話も基本「〈僕〉が時乃にアリバイ崩しを依頼→〈僕〉による事件の概要説明→時乃による真相解明」で進む。また、この短編集はアリバイ崩しに特化した短編集のため、メインは謎解きの面白さにある。そのため主人公である〈僕〉の名前は不明であり、性格も特別クセがない。探偵役の時乃にしてもわかっているのは二十代半ばの女性でウサギを思わせる雰囲気があり、祖父の衣鉢を継いでアリバイ崩しを含めた時計屋稼業を担っているというくらいの情報。つまり、キャラクターの面白さで読ませるようなミステリ小説ではないということだ。

 

あ、一応「アリバイ崩し」形式のミステリが何かピンときていない方のために、いわゆる「犯人探し」形式のミステリとの違いを説明しておくと、まず前提として容疑者候補が限定されており、犯行動機もはっきりしている点が挙げられる。犯人当てや動機をメインとしたミステリは、基本容疑者たちのアリバイは曖昧であったり、被害者を殺す動機が不明(逆に誰もが被害者を殺す動機がある場合も)なので、死体や現場の状況・人間関係を捜査していくことで犯人を追い詰める。

ただ、「アリバイ崩し」形式のミステリは、死体や現場の状況・人間関係を捜査していく点は同じだが、早々に容疑者が絞られ犯行動機も明らかとなる。ただし、容疑者には被害者が死亡した時刻に別場所にいた、或いは殺害に要する条件を満たさない状況下にいたことが明らかとなる。

「どう考えても犯人はコイツなのに、犯行が不可能なんて、そんなはずがない」という登場人物の思いが物語に出てきたら、それは「アリバイ崩し」形式のミステリと思ってまず間違いない。

ただし、注意しておくが「アリバイ崩し」形式のミステリと「犯人探し」「動機探し」形式のミステリは別ジャンルではない。「アリバイ崩し」は「犯人は誰か?」という広いミステリ小説の枠内に収まっており、「アリバイ崩し」形式の作品でも「犯人探し」「動機探し」形式のミステリを作ることは出来るのだから。

 

「時計屋探偵と死者のアリバイ」

ドラマの1話に相当するのは、原作の3話「時計屋探偵と死者のアリバイ」。なぜ原作の1話ではなく3話を初回に選んだのだろうかと思ったが、これは本作が一般視聴者が思うようなアリバイ崩しものではないことをアピールするためにこの話をチョイスしたのではないかと思っている。

 

偏見になったら申し訳ないが、大体「アリバイ崩し」形式のミステリに明るくない一般視聴者にとってアリバイ崩しは「列車の時刻表を突き合わせて、分単位のアリバイを検証するような、辛気臭い上に情報処理だけで脳がヘトヘトになるシロモノ」だと思われている向きがあると思うし、かつての私も「アリバイ崩しものはトリックが地味で意外性に欠けるから特別読みたくはない」と思っていた時期があった。

勿論現在はアリバイ崩しにも数々の名作があることを知っているのでそんな偏見はなくなっているものの、やはりアリバイ崩しをミステリ初心者に、それもドラマ限定でオススメするとなると、コレといった作品が頭に浮かばない。

 

そんな訳で、この度『アリバイ崩し承ります』がドラマ化することを聞き、初回に原作の3話を持ってきたことについて、私は本格ミステリに興味を持ってくれる人を増やす意義があるという点で評価したい。また、原作は探偵役の時乃が店から一歩も出ずに事件概要を聞くだけで真相を暴く、安楽椅子探偵形式の物語なのだが、流石にドラマだと画面に動きがなく地味になってしまうきらいがあるため、時乃を活発的なキャラに改変し、刑事もキャリアの管理官国会議員の息子といったオリジナリティ溢れるキャラにしている。この改変で「動的なミステリ」として今後良い形で作用していくだろうと期待している。

 

ちなみに、本作の主人公・時乃を演じる浜辺美波さんは映画「屍人荘の殺人」でも探偵役を演じている。「屍人荘の殺人」でミステリに興味を持った人もいるだろうから、浜辺さんがこの作品に出演することは、ミステリに興味を持った「顧客」を更なるミステリの沼へ引きずり込むことに貢献していると思っている。

 

不徹底な「別解潰し」

前置きが長くなったが、ここでようやく今回の物語について解説。

今回特筆すべき点は何といっても「犯人(と思しき人物)の奥山新一郎がいきなり刑事の面前で死亡する」点だろう。本来アリバイ崩しものにおいて犯人は最後まで生き残っているのが定石なのだが、本作では奥山が事故という奇禍に遭い、殺人の告白をして死亡。告白通り被害者が見つかり犯行動機も明らかなのだが、奥山にはアリバイがあることが判明。奥山を叩いてボロを出させようにも、死人に口なし。後に残ったアリバイをどう崩すかが今回のポイント。この時点で従来のアリバイ崩しものとは違うってことがわかるよね。

事件の構図についてはほぼ原作通りなのでここでは深く言及しない。違う所といえば、奥山が事故に遭ったのが原作だと夜8時なのに対し、ドラマでは夕方4時に変更されているくらいだろうか。それに伴って宅配便の到着時刻や香澄の死亡推定時刻もズレている

謎解きのプロセスもほぼ原作通り。奥山と察時の会話における違和感から誤解と偶然によるアリバイを導き出す過程は鮮やかだし、それが意外な犯人の出現につながるのも巧い。そのため、事件と解決方法に問題はないのだが、ここで序盤に述べた「不満」が出てくる。

 

その「不満」についてだが、元々原作では解決に移る前に刑事たちの間で奥山のアリバイを検証する場面がある。「事故に遭遇した時刻に狂いはなかったのか?」「死体の死亡推定時刻が偽装されたのではないか?」「死体を移動させた可能性は?」「共犯者がいれば可能なのでは?」という具合に様々な可能性が検討されるが、奥山の左頬の傷・死体発見現場の状況・事故という「偶然」によってその可能性は悉く否定される。

こうして「別解」が潰されていくことで、奥山のアリバイがいかに強固で崩しがたいものなのかが強調されると同時に、謎が解けた時のカタルシスがより爽快なものとなる。しかしドラマにおける奥山のアリバイ検証は「共犯者説」と「車移動にかかる所要時間の実験」程度に留まったため、アリバイ検証が不十分な上に「別解潰し」が徹底していない。そのため、原作と同程度のカタルシスを味わうことは出来なかった。

まぁ、これに関しては原作未読者がドラマを見て、CMの間に別解を考える余地を与えるため、あえて劇中で検証をしなかったと好意的に解釈することも出来るので厳しく批判はしない。ただ、不満点はこれだけではない。

 

原作におけるサプライズは「アリバイトリックなど存在せず、誤解と偶然によってアリバイが生じてしまった」点に集約されるが、そのメインのサプライズの核となるのが「奥山の耳の障害」である。

原作の時乃は「奥山さんのアリバイは、崩れました」と言った後に、奥山と刑事の会話の違和感から「奥山は耳が不自由だった」と推理する。このファースト・サプライズから派生して明らかになる真相、そのサプライズの連鎖が心地よかった。

しかし、ドラマの時乃は「奥山さんのアリバイは、崩れました」と言う前に、奥山のかかりつけ医院で彼に耳の障害があったことを明らかにしてしまう

つまり、解決部に至る前に「耳の障害」というサプライズを明かしてしまったことで、サプライズの連鎖が分断されてしまったことが、私には何だか勿体なく感じられたのだ。また尺の都合とはいえ、奥山が耳の障害を隠していた理由がカットされたのも残念。

他にも被害者の行動に対する疑問が原作では説明づけられているのだが、それもカットされている。こういった細々とした不満が結晶となり大きな不満となってしまったのだが、気にならない人は気にならないだろうし原作を読めば良いだけの話なので、こういうことをイチイチ指摘するのは狭量なのだろうか…と思う自分がいる。

 

※アリバイ検証の材料となる死亡推定時刻、その他諸々の時刻については以下の通り。

・原作

香澄の死亡推定時刻…19:30~20:00

奥山が事故に遭った時刻…20:00

奥山宅→香澄のマンション…車で片道20分(往復40分)

奥山宅に宅配便が到着…19:20

事故現場…奥山宅近くの路上

タイムオーバー…5分

 

 ・ドラマ

香澄の死亡推定時刻…15:30~16:30

奥山が事故に遭った時刻…16:02

奥山宅→香澄のマンション…車で片道30分

香澄のマンション→事故現場…車で片道30分

奥山宅に宅配便が到着…15:20

事故現場→奥山宅…目と鼻の先

タイムオーバー…23分

原作では5分というタイムオーバーによってアリバイが成立してしまっているが、5分だと誤差の範囲だと突っ込まれる恐れがあったのか、それとも奥山に犯行が不可能だということをわかりやすくするためか、ドラマではタイムオーバーの時間を大幅にとっている。

 

「アリバイ崩し」ミステリの紹介(トリッキーなアリバイ崩し)

当ブログは少しでも多くの方にミステリの面白さを知ってもらいたいと思って、これまでにミステリ小説やドラマの感想記事をいくつかアップしている。このドラマはアリバイ崩しがメインなので、それに倣って私がこれまでに読んだオススメの「アリバイ崩し」ミステリを紹介していきたい

ドラマ1話の原作「時計屋探偵と死者のアリバイ」は実にトリッキーなアリバイ崩しだったから、今回紹介するのもトリッキーなあのお方の作品にするとしよう。

 

貴族探偵 (集英社文庫)

麻耶雄嵩「トリッチ・トラッチ・ポルカ」(『貴族探偵』所収)

本格推理でありながら、待ち受ける真相はとびっきりにイカれている。そんなトリッキーな物語を繰り出す麻耶先生の作品からこちらをチョイス。2017年に相葉雅紀さん主演で月9ドラマ化された作品だから、ミステリ初心者に関わらず聞いたことがある作品のはず。

ドラマの方はアリバイ崩しの形式で物語が進まなかったが、原作はれっきとしたアリバイ崩しの形式で話が進む。知らない人のためにあらすじをざっと説明すると以下の通り。

東北地方の小都市の廃倉庫で女性の他殺死体が発見された。死体は頭と腕を切断されており、警察は身元不明の死体として捜査を開始することになったが、しばらくして河原に埋められた被害者の頭部と腕が発見され、被害者の身元が特定される。更に事件の重要容疑者として高校教諭の浜村が浮上する。彼は河原に被害者の頭部と腕を埋めた所を目撃されており、被害者から恐喝されていたのだ。しかし浜村には被害者の死亡推定時刻にアリバイがあった…。

ここから先は二人の刑事によるアリバイ検証となる。勿論、浜村のアリバイが崩れて事件解決!…なんて分かりきった展開にはならないのでそこは御安心を。

ちなみに題名にもある貴族探偵探偵にもかかわらず推理をしません。なんじゃそりゃって思うかもしないが、まぁとりあえず読んでみそ。

前代未聞の30分で「犬神家の一族」チャレンジ!?(シリーズ「横溝正史短編集Ⅱ」)

金田一耕助ファイル5 犬神家の一族 (角川文庫)

第三週目は過去最大の問題作、約30分で長編犬神家の一族を描く前代未聞の試み。これを正しく評価するには、まず原作の要点を振り返るしかないよね。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

犬神家の一族』、各章のおさらい

原作は発端から大団円まで計38章から成る。

 

1・発端

犬神佐兵衛の生い立ち。佐兵衛の臨終。

2・絶世の美人

金田一那須に到着。珠世を目撃。

3・寝室の蝮

珠世のボートに穴。過去二度にわたる奇禍。若林死亡

4・古舘弁護士

古舘登場。遺言状が誰かに読まれた形跡あり。

5・佐清帰る

佐清の復員。珠世に対する疑惑。

6・斧・琴・菊

金田一、犬神邸に赴き遺言状公開の席に坐す。仮面の佐清

7・血を吹く遺言状

遺言状の読み上げ、珠世との結婚に関する相続条件。青沼静馬の存在。

8・犬神系図

犬神家の家系について。静馬の経歴。

9・疑問の猿蔵

猿蔵の生い立ちについて。

10・奉納手型

奉納手型による指紋照合の提案。

11・凶報至る

松子、手型比べを拒絶。

12・菊畑

佐武の死体(頭部)発見

13・菊花のブローチ

犯行現場(展望台)の検証。珠世のブローチを発見。

14・指紋のある時計

珠世、前夜佐武と会ったことを告白。佐武の乱暴。

15・捨て小舟

佐清の手型比べ。死体を運んだボートの発見。柏屋の証言。

16・疑問のX

復員兵Xの存在。珠世と猿蔵に対する疑惑。

17・琴の師匠

香琴師匠の登場。松子夫人に尋問。

18・珠世沈黙す

佐武の死体(胴体)発見。珠世の「手型比べ」の教唆。佐清の指紋一致。何かを言おうとする珠世。

19・唐櫃の中

佐兵衛翁の秘密(衆道の契り)。

20・柘榴

佐武の通夜。復員兵X、珠世の寝室に潜伏。佐清、襲撃される。

21・佐智爪を磨ぐ

復員兵X、消息不明になる。佐智、珠世を昏睡させる。

22・影の人

佐智、豊畑村の空き屋敷へ珠世を運ぶ。佐智、「影の人」の襲撃に遭う。猿蔵に電話。

23・琴の糸

珠世、犬神邸に戻る。猿蔵、珠世発見の経緯を語る。佐智の死体発見

24・傷ましき小夜子

佐智の死体検分。復員兵Xの痕跡。小夜子の発狂。

25・人差指の血

梅子の松子に対する怒り。琴糸の心当たり。松子、指にケガ。香琴の一言と松子の視線。

26・噫無残!

犬神三姉妹の過去(菊乃への襲撃、斧・琴・菊の呪い)。

27・珠世の素姓

静馬の消息。消えた佐智のボタン。大山神主の暴露。

28・奇怪な判じ物

事件の整理。佐兵衛翁の秘密。佐清の死体発見

29・血染めのボタン

珠世、佐清の死体の指紋照合を依頼。佐智のボタンが発見される。判じ物の意味が判明。

30・運命の母子

香琴=青沼菊乃だと判明。

31・三つの手型

佐清と静馬の相似。菊乃の証言(松子の嘘)。佐清の死体と奉納手型の指紋不一致。

32・雪の雪ヶ峰

本物の佐清、珠世を襲撃。佐清、雪ヶ峰へ逃走するが逮捕される。

33・わが告白

佐清の告白書。金田一佐清に尋問。

34・静馬と佐清

金田一、真犯人を松子と指摘。松子、認める。金田一、事件の経緯を語る。

35・恐ろしき偶然

金田一の事件経緯の解説と佐清の告白(佐武殺しまで)。

36・悲しき放浪者

佐智殺しに至る真相の告白。

37・静馬のジレンマ

松子、一連の殺人に関する告白。静馬のジレンマ。

38・大団円

松子、一族に後事を託し自殺

 

超高速!犬神家

今回は30分という制約があったため、舞台は犬神家の広間を中心に展開。過去回想以外は全て広間で進む一幕ものとして描かれている。そのため、犬神家の一族以外の関係者は広間に来て話をするという、一種の出前形式になっているのが面白い所の一つ。

 

そして、肝心な物語の展開は以下の通り。()内は上記の章ナンバー。

若林死亡(3)

→佐兵衛の臨終(1)

→仮面の佐清(6)

→遺言状の読み上げ、珠世との結婚に関する相続条件。青沼静馬の存在(7)

→犬神家の家系について。静馬の経歴(8)

→猿蔵の生い立ちについて(9)

→奉納手型による指紋照合の提案(10)

→松子、手型比べを拒絶(11)

佐武の死体(頭部)発見(12)

佐清の手型比べ。柏屋の証言(15)

佐清の指紋一致。何かを言おうとする珠世(18)

→佐智、珠世を昏睡させる(21)

→猿蔵に電話(22)

→猿蔵、珠世発見の経緯を語る。佐智の死体発見(23)

→梅子の松子に対する怒り。琴糸の心当たり(25)

→犬神三姉妹の過去(菊乃への襲撃、斧・琴・菊の呪い)(26)

→大山神主の暴露(27)

佐清の死体発見(28)

判じ物の意味が判明(29)

佐清の死体と奉納手型の指紋不一致(31

→本物の佐清、珠世を襲撃(32)

佐清の告白書(33)

金田一、真犯人を松子と指摘。松子、認める。金田一、事件の経緯を語る(34)

金田一の事件経緯の解説と佐清の告白(佐武殺しまで)(35)

→佐智殺しに至る真相の告白(36)

→松子、一連の殺人に関する告白。静馬のジレンマ(37)

松子、一族に後事を託し自殺(38)

 こうやって整理してみると、序盤(1~5章)こそ思い切った省略や順番の入れ替えをしているものの、それ以降は各章のキーポイントを押さえて映像化しており、確かに原作に忠実だったなと思う

懐中時計やブローチ、佐智のボタンといった小物は謎解きの手がかりとして登場するが、今回は謎解きに特化していないため、省略したのは妥当と言えるだろう。ただ、よく見たら佐智死亡後、小夜子が指先でボタンらしきものをいじっていた描写があったので完全に小物となる手がかりを省略した訳ではなさそうだ。

 

個人的に感心したのは今までの映像化作品で省略されていた「斧・琴・菊自体に価値はない」点や、大山神主の暴露による静馬のジレンマが省略されずに描かれたこと。また、開幕時に若林が遺言状を握りながら死亡していたが、これが後に明かされる「松子夫人が若林を買収して遺言状の写しをとらせていた」という事実の伏線になっているのも巧い演出と言えるだろう。

 

神話となった「犬神家の一族

今回の演出は渋江修平氏。前シーズンでは「百日紅の下にて」、江戸川乱歩短編集では「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「人でなしの恋」を担当している。色彩の鮮やかさと独特な演出技法によって、強烈なビジュアルを視聴者の脳裏に焼き付けさせる方だが、今回もその技量を遺憾なく発揮していたと思う。

(何気に調べてみたら、過去にKing & PrinceのMVも担当されていた方で驚いた!)

 

犬神家の一族』を象徴する「湖に逆立ちした足」をタライの中に表現したり、大山神主に阿部祐二リポーターを起用したり、佐清野々村議員並みの心情吐露をさせたりと、一つ一つは突拍子がなく荒唐無稽に見える演出を一つの作品としてまとめ上げたのも凄いが、これによって旧来の映像化における「地方財閥の一族内で起こった連続殺人」という一種の俗っぽさを霧散させ、神話の域に昇華させたのは一つの偉業と言って良いのではないだろうか。

 恐らく神話として演出する目的はなかったのかもしれないが、30分という制約によって原作における「財閥」「復員」要素が薄まり、結果的に「忠誠心」「親子愛」といった普遍的な部分が前面に出ることになって神話の域に昇華されたと考えるべきだろう。

 

先々週の「貸しボート十三号」もそうだったが、横溝ミステリは時代性を排除しても何ら遜色のない普遍性を備えている。だからこそ、今日まで読み継がれ何度も映像化されてきたのだ、ということを改めて実感出来たような気がする。

炎天でも涼やかな間宮さんがいた、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」2話

炎天下で非番でもピッシリとスーツでキメてくる警視…まさか身体に冷えピタでも貼っているのか…!?

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

「静かな炎天」

 2話は原作「静かな炎天」のドラマ化。以前テレビ朝日系のバラエティ番組「アメトーーク!」の読書芸人において、メイプル超合金カズレーザーさんが本作を紹介したとのこと。また本作は別冊宝島で発行されているブック・ランキングこのミステリーがすごい!」(略称「このミス」)の2017年度国内編で2位にランクインしている。

 

ただ、私は「このミス」よりも探偵小説研究会編著の本格ミステリ・ベスト10」の方を支持しているので、本作はドラマ化されるまで耳にしたことがなかった(ちなみに「本格ミステリ・ベスト10」2017年度国内編では、本作は18位)。

個人的に「このミス」はライトなミステリオタク向けのブック・ランキングという偏見があり、ロジックや凝りに凝ったトリックを求めるミステリオタクとしては、「本格ミステリ・ベスト10」の方が信用出来るのだ。

だから本作「静かな炎天」はガチガチのミステリオタクには物足りないかもしれないが、「ミステリ小説に挑戦しようかしら?」「複雑なトリックは理解するのが難しくて読んでも面白くないし、ライトなのが良い」と思っている方にはオススメ出来る作品と言えるだろう。私も一度原作本を手に取ってざっと目を通したけど、この作品はミステリ初心者ならず読書ビギナーを読書の沼に引きずり込む牽引力がある(つまり、他作品も読みたくなる)と感じたし、あのカズレーザーさんがオススメするのも頷ける、“間口の広い”ミステリ小説なのだ。

 

それはさておき、本作は一見すると何てことのない事象の数々が一つの犯罪計画に繋がっていた…というタイプのミステリ。こういうタイプのミステリを今パッと思い出せと言われたら、私はドイルの赤毛連盟」とか、クリスティの「料理人の失踪」を思い出す。長編でこういった作品をあまり見かけないのは「何てことのない事象」が延々と続くと読者がダレてくることが筆者もわかっているからだろう。まぁ単に思い出せないか出会っていないだけで、実際はそういうタイプの名作長編もゴロゴロあるのかもしれないが…。

本作の場合は「立て続けに舞い込む探偵依頼」が「何てことのない事象」として物語を動かしていく。読者にとっては「何てことのない事象」だが、主人公で不運気質の葉村にとっては「何てことのある事象」であり、それが町内会長である糸永への疑惑へと向かっていくのが本作の面白い所だ。

 

前回は不運な人生から逃れようと別の人生を乗っ取ろうとした女の心情が印象に残ったが、今回は老害の母」という不運から逃れようとしたが、葉村という「筋金入りの不運」によってそれが潰されていき懊悩する糸永の姿が印象に残った。

糸永側から見れば今回の状況はかなり洒落にならない上に気の休まらない話であり、物語の演出・構成によってはかなーり嫌な気分にさせられることになったのだろうが、そんな後味の悪い感覚が残らなかったのは、葉村の存在が大きい。それは単に葉村が周りの人々に振り回されることによって生ずる喜劇的な空気だけではなく、彼女自身の優しさも影響していると思う。

 

言うまでもなく、探偵というのは犯人にとって敵である。しかし見方を変えれば、犯人が何を考えどう行動したのか、それを理解しようと奔走しているのだから、ある意味犯人を最も理解しようと努める者でもあり、味方でもあるのだ。

葉村が岡田警視と議論した糸永の犯罪計画が「仮定の話」として流されたのは、彼女が糸永の「最大の理解者」として彼の心情を斟酌したからであり、そこに葉村の人としての優しさが垣間見える。

 

岡田警視の存在について

ところで、終盤に登場した岡田警視、今回の物語においては正直な所「いなくても問題ない人物」なのだ。彼がいなくとも葉村の独白という形で真相を視聴者に明らかにする演出も出来たはずなのにそれをしなかった。ならば彼の存在理由は何だろうか?

自分なりに考えたが、今回の岡田警視は「この物語を“ミステリ”として着地させるためのマレビト的存在として登場したのではないだろうか?

まれびと - Wikipedia

 

もし岡田警視が登場しなかったら、葉村は今回の一連の出来事を「糸永の気まぐれの好意」として処理し、「最大の理解者」として彼の計画を胸底深くにしまいこんで何も語らず日常に戻っただろう。しかし、この物語は探偵物語であり、舞台の中心はミステリ専門書店。そんな結末、視聴者の大半は許さないだろう。

だから、この一連の出来事を「事件」として彼女に語らせ、合理的説明を為させるために岡田警視が登場したのではないかと思っている。本当はもっと現実的な目的があって葉村に接触しているのかもしれないが、物語の構造として彼の立ち位置を考えるとそうなってしまう。炎天にもかかわらず彼が汗もかかずにスーツでキメているのも、彼がマレビトとして存在することを示しているような気さえしてくる。

 

ドラマオリジナルキャラクターである彼の存在については後々もっと必然的な理由が明らかになるのかもしれないが、現段階で掴める彼の一端はこれ位。間宮さんのファンでなくても是非注目してもらいたい。

 

書籍紹介

さて、今回もミステリにそれほど詳しくない方を少しでもミステリの沼に引きずり込んでやろうという思いで紹介していく。

ただ、今回はミステリだけでなく怪奇小説も入っているのだがね。

 

アガサ・クリスティーカリブ海の秘密』

カリブ海の秘密 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 書店の階段横にある「サマーホリデーミステリフェア」に置かれていたのがこちら。前回も紹介した「ミス・マープル」シリーズの一つで、マープルが逗留していたカリブ海のホテルで起こった連続殺人の謎を解く物語。老人をカッコ良く描いた快作としてオススメ出来る。

 

エドガー・アラン・ポー「黒猫」

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

 書店のイベント「真夏のホラーナイト」の黒板に貼られたポスター「THE BLACK CAT。これこそ、かのミステリ小説の始祖とも呼ばれるエドガー・アラン・ポーが著した怪奇短編小説「黒猫」の原題だ。物語は日本の怪談「累(かさね)」を彷彿とさせる因果応報譚で、猫を殺したことが切っ掛けで絞首刑に陥る男の恐怖が描かれている。書店に行かずとも青空文庫で読める作品なので是非どうぞ。

www.aozora.gr.jp

 

〇ウィリアム・フライヤー・ハーヴィー「炎天」

怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)

 「黒猫」と同じく「真夏のホラーナイト」のイベントで紹介されていた怪奇短編小説。今回の劇中でも引用された「この炎天下じゃ人間だってたいがい変になる」という最後の一文が印象に残る。今回のドラマは二者の不運によって生じたミステリ」と表現出来るが、この「炎天」は二者の奇妙な偶然によって生じたホラー」と表現すれば良いだろうか。その二者をつなげて恐怖へと落とし込むのが、物語に漂ううだるような暑さなのだ。

ちなみに、「炎天」は私が敬愛する水木しげる先生によって「むし暑い日」というタイトルでコミカライズされていた。今回ドラマ化されてなかったら気づかずスルーするところだったわ。

怪物マチコミ 他 (水木しげる漫画大全集)

 

有栖川有栖『双頭の悪魔』

双頭の悪魔 (創元推理文庫)

 夏のミステリとして最後にこの一冊を紹介。「学生アリス」シリーズの一作であり代表作として有名。大雨によって分断された二つの村、その二つの村で起こった事件の謎解きをする物語だが、読者も犯人が当てられるよう作中に手がかりが散りばめられており、“読者への挑戦”が三度も挿入されたボリューミーなミステリ小説。

実は、劇中でとある人物が所持していたのがこの『双頭の悪魔』なのだが、お気づきになられただろうか?気づいた方は通である。所持していたのは上の文庫版ではなくて単行本の方なので、以下の画像をヒントに誰がどの場面で所持していたのか探してみては如何?

双頭の悪魔 (黄金の13)

奢侈淫佚な事件が洒落っ気溢れるMVに変わる「華やかな野獣」(シリーズ「横溝正史短編集Ⅱ」)

華やかな野獣 「金田一耕助」シリーズ (角川文庫)

奢侈淫佚(しゃしいんいつ)…ぜいたくにふけり、みだらな楽しみや遊興にふけるさま。

 

待ちに待った第二週目は「華やかな野獣」。原作本は手元になく、電子書籍もやっておらず、古書店巡りもしなかったので、今回に限っては原作未読で楽しませてもらった(物語のざっくりとした粗筋は事前にちょっとだけ調べたけど)。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「華やかな野獣」

神奈川の本牧にある臨海荘では、月に一回館の女主人高杉奈々子によって会員制のパーティーが催されていた。パーティーの参加者は広いホールで相手を見つけると、各々客室へと引き上げて情事に及ぶことが出来た。これは、違法行為や不正は許さないが、性の享楽には寛大であった奈々子が設けたルールであった。

そんな折、部屋から奈々子がなかなか出てこないことを不審に思った太田寅蔵(奈々子の父の元水先案内人)・葛城京子(奈々子の父の妾)が部屋を見に行くと、そこには殺された奈々子の死体があった…というのが物語の始まり。

 

とある目的でボーイとして潜入していた金田一が登場することと、死体と死体現場に残された様々な痕跡を辿って「情痴の犯罪」と思しき殺人事件の謎を解くのが本作の見所。

 

男装の麗人たちによる殺人喜劇

今回の演出は佐藤佐吉氏によるもの。前シーズンでは「殺人鬼」を、江戸川乱歩短編集では「心理試験」「何者」「お勢登場」を担当している。

これまでの映像作品を見ていて、佐藤氏の演出は人のいやらしさというか露悪的な面をビジュアル化するのが巧いなと思っていたが、今回の「華やかな野獣」においてもそういう人間の一面を描きながらも、ある時はコミカル、またある時は洒脱に、所によっては卑俗な味付けを以て謎解きミステリ以上の映像効果をあげている。

 

昭和歌謡を随所に流す演出は従来と同じだが、今回特に私が気になった演出は以下の通り。

金田一以外全て女性の役者陣。(男装の麗人あり)

②パーティーにおける参加者の鼻マスク。

③リピートされる言葉。

④踊る金田一と謎解きのMV的演出。

⑤情交の演出及び性的オブジェクトとしての風船。

 

①については物語の演出でいくらかはカモフラージュ出来るものの、男性を起用するとどうしても性的な描写がドギツくなってしまう可能性があったため、金田一以外の登場人物を全て女性にしたと思われる。流石に「女性からみた男性のいやらしさを表現するため」などという高尚な試みはなされていない…はず。

 

②は大体の人ならわかると思うが、性的営みは動物全てが行なうものであり、性的享楽にふけるパーティー動物たちの交尾も同然という一種の皮肉なのだろう。パーティー会場の一幕はちょっぴり「時計じかけのオレンジ」っぽさも感じた。

 

そして③について。個人的にこの演出はどう解釈したら良いのか悩む。単に尺稼ぎなのか、重要な部分だから強調の意味も込めてリピートを繰り返しているのか。あ、でも神尾警部補がダイイングメッセージの「トラ」の意味に気づく場面。あそこの金田一は可愛かったな。萌えポイントだよ。

 

④は本作最大の評価ポイント。俗的な犯行に至るまでの犯人の描写が軽妙洒脱なMVとして描かれている。人によって好みが分かれるかもしれないが、麻薬密輸の秘密を暴こうとする者が自分の間近で性への快楽に耽っていることに対する犯人の焦燥や怒りが殺人喜劇として描かれているのが面白いのだ。

「こちとら麻薬密輸の秘密がバレるかもしれないってのにあいつらは楽しくS〇Xなんかしやがって…!!」というデスパレートさは本来見るに堪えないもの。そういう醜悪さもMVにしてしまえば鑑賞に堪えうるものになるのだというのが、今回の収穫。

 

⑤は犯人が聞いた奈々子と白いセーターの男との情交場面のこと。過去に「百日紅の下にて」で食事風景のバックで乱舞する布団という独特の情交描写があったが、今回は歌の応酬によってそれが為されているのがポイント。猛々しい軍歌と喜びの歌、そしてアンミカさんの「モウレツにやっとるねぇ~」が強烈で、「百日紅の下にて」と比べると直接的で下品に思える所はあるが、これはこれで屈指の名場面だと思う。

 

謎解きに関しては最早言うまでもない。鮮やかな消去法による犯人当てになっているし、臨海荘の立地条件が犯人特定のロジックにつながっているのも面白かった。

 

※今回のテーマ曲「ひと夏の経験」、物語の始まりとして印象に残る曲なので紹介。他にもタイガーマスクのテーマとか「あざみの如く棘あれば」「涙のtake a chance」など耳に残る曲があるが、それは各自ググるなり近くの年配の紳士淑女に聞くなりして調べてみてね。

www.youtube.com

 

…と思ったら佐藤氏本人がドラマで使用した曲のタイトルを公開してくれたよ!!

 (2020.01.26追記)

 

 

さて、来週はいよいよ問題作犬神家の一族。最早短編でもない長編作を30分間でどう描くのか?前代未聞の試みは歴史的快挙となるか、はたまた歴史的愚挙となるか?

間宮祥太朗がミステリの世界にいる喜びを噛みしめる、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」1話

過去に間宮さんが出演したミステリドラマ、私が覚えている限りだと放課後はミステリーとともに金田一少年の事件簿N」だけだったと思う。

「放課後~」の方は未見だからどういう役回りか詳しく知らないが、調べてみると不良青年で学校内の事件に巻き込まれたという様な役回りで、メインキャラという感じではなさそうだった。

そして「金田一~」の方は3・4話の「鬼火島殺人事件」のゲストキャラとして登場。一応事件の発端となる人物だから重要だといえば重要だが、いじめの末に自殺未遂を起こして植物人間状態の青年という役だったから、やや印象に残りにくい。

 

そんな訳だから、間宮さんが今回ミステリドラマに、しかも探偵の葉村晶と比肩する頭脳を持つキャラクターとして登場してくれたので、私、心が滾っている

 

原作ものの映像化だし書店にも原作本が置いてあったから予習に読もうかと思ったが、間宮さん演じる岡田警視はドラマオリジナルキャラクターだと知ったので、未読で視聴することにした。

現金な男だと思われるかもしれないが、オリキャラを入れる話は原作と展開が変わる故、事前に原作の情報を知っていて、もし原作の方が優れているとドラマが楽しめなくなるかな?と思ったのも理由の一つである。

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

「トラブルメイカー」

1話は葉村の人物紹介と、彼女が不運な理由の一つである姉・珠洲がもたらした「顔の無い死体」が絡む事件となっている。

とはいえ、事件の謎解き自体は大したことなく、珠洲と生沢努の共謀による生沢メイ殺しで葉村が死体の役として選ばれた…というお話。別にミステリの玄人でなくても「珠洲が葉村に海外旅行を強要した」場面と努の態度から推理をはたらかせることは十分可能。

 

どっちかというと謎解きそのものよりも不運から逃れようと人生そのものを変えようとする珠洲の人物像が印象に残った。自分自身ろくでもない人間だとわかっており、大金と別の身分を以て「不運」から逃れようとする。あさましくも切実な犯行動機だ。

現代では身分詐称が難しいからリアリティに欠けるきらいはあるが、昭和のミステリ小説とかではよくある犯行動機であり、現に今回劇中で登場したパトリシア・ハイスミス太陽がいっぱいアラン・ドロン主演で映画化した)もそういう類の犯罪小説だ。

太陽がいっぱい (河出文庫)

生憎私はこの『太陽がいっぱい』を読んだことがないが、この小説の主人公であるトム・リプリーを紹介したミステリガイドブック『ミステリ国の人々』を読んでいたので、この小説が「自分の人生を憎み、他人の人生を羨む」という一種普遍的な人間感情を扱った小説だということは知っている。

ミステリ国の人々

 

今回の物語では珠洲二重の嫉妬が描かれている。一つは金を持つ生沢メイ、もう一つは葉村。前者は当然ながら後者に対する嫉妬は恐らく「葉村の自由な生き方」に対する嫉妬だろう。金と男を求めることしか出来ない珠洲にとって、職を転々としながら生きる葉村の姿は自由に映り、妬ましく思った。だからこそ、死体役に彼女をチョイスしたのだろう。ケバケバしい身なりで強引な所があるから共感は出来ないが、根底にある感情は誰もが抱きうるものだ。

 

書籍紹介

このドラマ、ミステリ小説専門の書店が舞台となっているため、私の知っている様々なミステリ小説が散見される。画面に映った小説を全部紹介したい所だが、そんなことをしていたらキリがないので、目立ったものだけ紹介する。(今後も紹介する予定)

 

アガサ・クリスティーミス・マープル」シリーズ

片田舎の老婦人、ミス・マープルを主人公としたシリーズ作品。劇中で葉村が読んでいた『牧師館の殺人』『スリーピング・マーダー』など、12の長編と20の短編がある。

ミス・マープル - Wikipedia

個人的なオススメは『ポケットにライ麦を』と『鏡は横にひび割れて』。ちなみに、今回の珠洲の犯行動機と同様の動機を持った犯人がこのシリーズで登場するので、気になる方は読んでみては如何?

 

P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』

女には向かない職業 女探偵コーデリア・グレイ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

大衆食堂の場面で岡田警視の側にあった数冊のミステリ小説のうちの一冊がコレ。新米の女性探偵コーデリア・グレイが主人公の探偵小説。自殺した探偵事務所のボスの仕事を受け継いだグレイは、青年の縊死の真相を調べてほしいという依頼を受け調査に乗り出すが、そのうち命の危険にさらされることになる…というストーリー。

実は私この小説を読んだことがなくて、上記のストーリーは『ミステリ国の人々』からの受け売り。個人的にハードボイルドものは敬遠していてどうしても謎解き・トリック重視のミステリばかり読む傾向があるので、まだまだ勉強不足だなと思わされる。

ところで、岡田警視は読んでいるだろうが、中の人となる間宮さんは読んだことがあるのかしら?まぁどっちにせよこれで間宮さんが関係する小説となった(こじつけだけど…)のでまた今度書店で買って読むか。

 

アガサ・クリスティー『忘られぬ死』

忘られぬ死 (クリスティー文庫)

岡田警視が書店で手に取った一冊がこちら。「過去の毒殺事件」の真相を暴くべく、事件関係者が集まり当時の再現を行おうとする物語…とだけ言っておこう。出来るだけ本作は前情報なしで読むのが良いからだ。まず読んで損はないよ、オススメ。

 

さいごに(雑感)

・生沢努を演じた村上淳さん、一昨年放送された悪魔が来りて笛を吹くで新宮利彦を演じていたのを見ているせいか、私の中で「クズキャラを演じる人」というレッテルが形成されつつある。

 

・今回間宮さんの役は「ミステリアスな警視」ということで、現時点では何故葉村と接触をしようとしたのか、その目的は不明で演技に関してもあれが正解なのかどうか評価出来ない。間宮さん本人も後々明かされる事実と乖離がないよう注意しながら演じている様なので注目していきたい。

 

・今回は「顔の無い死体」が出てくる事件なので、劇中でもそれを扱った小説が紹介されるかもしれないと思っていたが、全然そんなことはなかったね…。ミステリ小説マニアの客も出てくるから横溝正史の「黒猫亭事件」辺りワンチャン口の端にのぼると予想していたのだが。

時代性を排除した「貸しボート十三号」(シリーズ「横溝正史短編集Ⅱ」)

貸しボート十三号 「金田一耕助」シリーズ (角川文庫)

シリーズ「横溝正史短編集」、前回放送されたのが2016年11月なのでその間約3年ちょっと。そしてその3年ちょっとの間にシリーズ「江戸川乱歩短編集」の方は第二・第三シーズンの話が放送されていたため、横溝クラスタの一人である私、「金田一の方はまだなのか」と何とももどかしい思いがあったのだが、この度ようやく第二シーズン放送!

待っていたぞ、きたなカワイイ(汚い+可愛い)池松金田一

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「貸しボート十三号」

第一週目は「貸しボート十三号」、事件の概要は以下の通り。

東京は浜離宮公園沖に漂う貸しボートの中に男女二人の死体が横たわっていた。それだけなら単純な心中事件として片付けられてしまうが、問題は死体の状況。男性の方は何故かパンツ姿の裸体で、心臓を刺されて殺されたにもかかわらず、頸部には紐で絞められた跡があった。反対に女性は衣服を着用しており、死因は頸部圧迫による窒息死(絞殺)、なのに心臓を一突きにされている

そして最大の謎は両者とも首が切断された途中で放棄された「半斬り」の状態になっていたこと。ちなみに女性は首の七分ほど、男性は三分ほどを切断された状態で放置されていた。

 

この「貸しボート十三号」は、金田一耕助シリーズ屈指のホワイダニットものであり、いくつもの「何故そうしたのか?」と思われる描写がいくつもある。

①犯人は何故男性の方を裸体にしたのか?もし犯人ではなく被害者自身が脱いだのなら、何故被害者は脱いだのか?

②どちらも同じ凶器で殺害しても良かったのに、何故犯人は男性を刺殺し、女性を絞殺したのか?

何故両方の被害者とも、「もう一度殺されている」のか?(死体の余計な損壊)

何故両方の被害者とも首斬りが中断されているのか?

 

ちなみに、「貸しボート十三号」は昭和32年に発表された作品だが、後に改稿版が発表されており、今回ドラマ化したのは改稿版の方である。原形版の方は金田一耕助の帰還』光文社文庫)で読むことが出来る。

金田一耕助の帰還―傑作推理小説 (光文社文庫)

原形版の方は事件の謎となる部分は改稿版と同じだが、改稿版で登場するX大学ボート部の部員はほとんど登場せず、謎解きも唐突で地の文による解説形式で進むため小説としてあまり面白いとは思わない。その分、改稿版ではボート部員それぞれの描写があり、同じ部員で被害者の駿河譲治との人間関係が克明に描かれている。そのため事件そのものはグロテスクにもかかわらず読後感は青春小説らしい爽快さに包まれているのが大きな特徴だろう。

 

時代性を排除した風景描写

既にシリーズ「横溝正史短編集」を承知の視聴者ならわかるが、このドラマは台詞・展開は原作通りだが、その分演出・衣裳に遊びがある趣向となっている。

今回「貸しボート十三号」の演出を担当したのは宇野丈良氏。前シーズンでは「黒蘭姫」を、「江戸川乱歩短編集」では「D坂の殺人事件」を担当している。

これまでは、昭和ミステリらしいオーソドックスな演出や飾りつけの印象があったが、今回は昭和らしい風景描写もなく、色合いも全体的にモノトーンで華やかさがない。

見ている当初はホワイトボードのある会議室や紙パックのジュースなどを見て、現代寄りにしている演出だと思ったが、終盤でボート部部員をはじめとする一同が集まった場面を見ると、どうも現代に寄せている感じもしない。現代寄りにするならもうちょっと部員たちの服装・髪型に多少の差異があっても良いのにみなピシッと統一されている。

この演出を一言で表現するならば「時代性の排除」とするのが相応しいと思う。昭和っぽくもなければ現代的でもない。完全な白黒映像でもないし、カラフルでもないモノトーンな画面というのも、昭和・平成・令和のどの時代にも属さない感じをより際立たせている。

 

でもこの原作における演出はこれで正解だと思う。というのも、世間一般に流布する横溝正史ミステリは「おどろおどろしい」とか「旧来の社会構造が生み出した悲劇」とか割とドロドロ要素強めで猟奇性が高いイメージを抱かれがちなのだが、「貸しボート十三号」は表層こそグロく見えるが、他のシリーズ作におけるエログロや猟奇性はない。そういう観点から私は「貸しボート十三号」は横溝正史が怪奇・猟奇的作風一辺倒のミステリ作家ではないことを証明する作品だと思っている。だから、映像で昭和性を出したり死体の猟奇性を強調することはこの作品に限ってそぐわない訳であり、故に「正解」と言いたいのだ。

 

あと今回の映像化で気づかされたこともあり、それが「死体の首が半斬りで放棄された理由」についてなのだが、作中では先に殺された女性と同じ状態にすることで両者とも同一の犯人によって殺害されたと見せかけるためだと説明されているけど、それならば両者とも首を完全に切断してしまうという選択もあったし、首を隠してしまえば一応は身元不明遺体として処理されるのだから、ボート部の名誉を守り駿河の罪業を隠すためにも、警察に色々詮索されたくないならそうすべきだったのではないだろうか?

でもその選択をとらなかった所に、残酷になりきれない犯人の心情が垣間見えてちょっと心を動かされるのだ。改稿版が手元にないから確かなことは言えないのだけれど、原作では「同朋の首を完全に切断するなんて、そんな惨いことは出来ない。それに丁重に供養されることなく、身元不明の死体として処理されるのも忍びない」といった犯人の心情は描かれていなかったように思う。あくまで両者とも同一の犯人によって殺害されたと見せかける目的で、やむなく同朋の首を半斬りにしたという程度の描写に留まっていたはずだ。

 

原作を始めて読んだのが5年程前のことで、その当時は上述したような犯人の心情までは推察出来ず、文面の情報を読み取るのみに終わったが、今回のドラマによってまた別の見方が出来た。そういう意味で今回は最高のドラマ化だったと評価したい。

 

 

次回は「華やかな野獣」。ただ原作未読なので今回のように新たな発見は得られない。純粋に話の面白さを当ブログで語れれば良いかと思う。